ディア・ライフ #003 pickup5



みなさまこんにちは、hazamaです。東京は久し振りにお天気に恵まれた三連休でしたが、みなさまいかがお過ごしでしたか? 私も友人と食事や街歩きに出掛けたのですが、浴衣姿の人たちもたくさん見られて素敵でした〜♪ 七夕には浴衣姿で「東京タワー」展望が無料という催しもあったそうですが、7月も半ばを過ぎて、盆踊り大会や納涼イベントもますます花盛りですね。そろそろ花火大会シーズンにも突入!ということで、楽しみにしていらっしゃる方も多いことでしょう。友達と、好きな人と、そして家族みんなで、今年もキラキラした夏を楽しみましょうね!


#003 ピックアップ賞・ノミネート賞

さて、今日は“ディア・ライフ”#003のピックアップ賞・ノミネート賞をご紹介します。今回のイエと家族のショート・エッセイのテーマは「一枚の写真に焼きつけられた、わが家の小さな物語」。少し難しいお題かも?という心配をよそに、みなさまたくさんの素晴らしい物語を綴ってくださいました! 今もイエじゅうに飾ってあるという「家族旅行の写真」、懐かしい思い出に微笑んでしまう「姉弟の写真」「兄弟の写真」、大学でイエを出てから帰省するたびに撮るようになったという「ふるさとの写真」、息子さんが日に日にお兄ちゃんに見えてくる「子供の写真」、子供の頃にはしゃいだ姿が残る「雪が降った日の写真」、ご両親のまなざしがあたたかい「卒業式の写真」、愛しいエピソードが集まった「ペットの写真」……。「家族写真」のツリーでは、それぞれの家族の光景が素敵だったほか、「家族、親類の集合写真を上手に撮るポイント」というアドバイスもお役立ちでうれしかったですね! この“ディア・ライフ”第3章のページもハートを熱く、やさしくしてくれる物語の数々を聞かせてくださり、みなさまどうもありがとうございました!


そんななかから今回も、ご家族それぞれのキャラクターがいきいきと浮かび上がってくるエッセイを、ピックアップ賞・ノミネート賞に選ばせて頂きました。一つひとつ読んでいくと、自分でもふと忘れかけていたあの日、あのシーンを思い出させてくれる……そんな親しみにあふれた物語たちです。


*今回のピックアップ賞は、7月23日(金)の〈イエはてな Press Room〉の記事にてご紹介させていただきます。


»“ディア・ライフ”のプレゼントはコチラ

「入学式と遊具」by id:offkey


父と一緒に写した小学校の入学式へ行く前の写真があります。母親が選んだ晴れ着とかばん。私の入学した小学校はランドセルの変わりに肩掛けかばんを推奨していたので。
父は型どおり背広を着ています。
ところでこの入学式へ行く前の写真はどこで写したかというと自分の家の庭先なのですが、そこには木と縄でつくった一人乗りブランコがありました。そのブランコをわざわざ一緒に入れて撮影しているのです。
このブランコは鉄棒とともに大工である父が子供たちのためにわざわざつくったものでした。仕事上、少々広い土地の片隅につくられた遊具。ブランコをささえる柱と座るところは建築木材を加工したもので、ブランコをぶら下げてるものは作業場で使われてる黄色と黒がより合わさった縄。鉄棒は同じく木の柱に鉄パイプの握り棒。
この写真を見ると父の思いに至らなかった私のふがいなさを思い起こすことがあります。
実をいうと当時私はこうやってつくってもらった遊具をそれほどありがたいとは思ってませんでした。近くには公園があり、そこには鉄でできた立派な遊具があります。木でつくった自家製遊具はそれと比べればどことなく貧弱に見えて、友達は家に遊びにくれば自分の家にこういうのがあっていいね、と羨ましがってはいましたが、私はなぜかそれを恥ずかしくすら思っていたのです。
そうはいってもそれは人前だけのことで友達がいなくなってようやく恥ずかしさが消え、妹と共に、あるいは一人で遊んだものでした。


人は手の中にあるものをありがたいと思うことはあまりありません。失われたときに初めてそのありがたみを知ることが多いように思います。
小学校を卒業するような年頃になると、遊具たちも古びてきておまけに大きくなった私たち兄弟の体を支えられるかどうかも怪しくなってきました。なにより、もうそのような遊具で遊ぶような年代でもなくなってきてます。
遊具たちは取り壊されました。
そのときは別になんとも思いませんでしたが、だいぶ後になって、昔の写真を整理したときに、先ほど述べた入学式の写真が出てきたのです。
そして、自分はあの父の作った遊具が何を意味していたのか突如としてわかったのでした。
それは夏場は仕事が忙しくて日曜日もない父が、自分の代わりに遊んでくれるものとしてそのようなものを作ったのではないか、ということです。もちろん、父に尋ねたことはありませんが、そうであるなら、なぜあんなに人前でその見栄えだけで恥ずかしがっていたのだろうと、自分の思いやりのなさに愕然としたのです。


しかしながら、その写真はそれ以上に当時の父の慈しみを思い出させてくれるものでもありました。もしかしたら父はそれほど深く考えずにただ子どもが喜びそうなものを作っただけなのかもしれませんが、どちらにしろ父は自分ができることで愛情を示してくれたのだと、あの頃の父の年を過ぎた私はそう思うのです。


»このいわしのツリーはコチラから

「妊腹写真」by id:sumike


 私の幼少時からの写真アルバムの一枚目に貼ってあるのは、
母親の、臨月の姿を庭で撮影した妊婦写真です。
(マタニティドレスを着た、記念写真みたいなものです)
 小さい頃、その写真を母と一緒に見ながら、
「このおなかの中に、あなたがいたのよ・・・」
という話を聞いて、うれしかったのを覚えています。


 そのため、我が家の息子のアルバムの最初に貼ってあるのも、
息子の新生児の写真ではなく、私の臨月の頃の写真です。


息子に
「このお腹にあなたは入ってたんだよ〜」と写真を見せると
「え〜?お母さんのおなかの中にぼくがいるの?、いつぼくを食べたの!?」
と最初はびっくりしていましたが・・・。
 現在、息子は4歳^^
 「あなたはここに居て、ここから生まれて出てきたんだよ。そしてこんなに大きくなったのよ」
と説明すると、
 「このおなかに入っていたんだ、大っきいおなかね〜」
と喜んでくれているので撮っておいて良かったと思いました^^


 娘のアルバムには、息子が服の上から私のおなかにタッチしている写真があります。
妹とは何か?というのがわかっていない時期だと思いますが、私のおなかにむかって
 「あ〜ちゃん(赤ちゃんの意味)早くでておいで〜」
と呼びかけているところです。
 お腹が大きい時というのは本当に短く貴重な時間で・・・
新しいいのちが今、ここに宿っていたと思うだけで神秘的。


 そして息子と娘、あなたたちがこの世に生まれて本当によかった。
 お腹の中に確かにいた証の妊腹写真。
 私の宝物の一つです^^


»このいわしのツリーはコチラから

「懐かしいイエの庭のニシキギの写真」by id:C2H5OH


私は物心が付くか付かないかの頃に、一度引っ越しを経験しているそうです。普通なら記憶に残らないはずのそのイエの、特に庭の様子を、私はハッキリと知っています。それは、庭いじりが好きな母が、四季折々の庭の様子を克明に写真に納めていたからでした。それを見て、私は自分が生まれたイエの様子を、記憶に刻みつけることが出来たのです。


家の前は広い空き地になっていて、庭との間は生け垣で区切られていました。生け垣といってもまばらに木が植えてあるだけで、ほとんど竹垣といった感じです。でもその見通しの良さがとてもいいのです。


特に印象的な一枚は、庭の一角に植えられていたニシキギの写真でした。真っ赤に紅葉したニシキギ
「きれいだねぇ。」
すると母は、もみじの歌の二番を歌ってくれました。

渓(たに)の流れに 散り浮く紅葉
波に揺られて 離れて寄って
赤や黄色の 色さまざまに
水の上にも 織る錦
(高野辰之作詞、岡野貞一作曲)


「この歌が出来たのは明治時代。でもきっともっと前から、ニシキギは山の錦と呼ばれていたと思うよ」
このやりとりもまた、子供心に印象的でした。

しかし今のイエの庭には、ニシキギがありませんでした。そこで私はニシキギを植えようと思いたちました。どこでニシキギが買えるのかも分からない子供でしたが、友達に聞いて回って、なんとか売っているお店は突き止めました。でも毎月決まった小遣いをもらっていなかった私には、すぐに買える値段ではありませんでした。

お正月を過ぎ、お年玉で懐が温かくなった私は、さっそくニシキギの苗を買いに行きました。新春セールで、通常の値段よりずっと安く買えたようでした。意気揚々と自転車を漕いでイエに帰り、庭にいた父に「これ植えてくれ」。
「どうしたんだこれ。」
「お年玉で買ってきた。」
それを聞いた母が、「ぷっ、なんていうお年玉の使い方をするの」と吹き出していましたが、「お母さんへのプレゼントだよ、この木好きなんだろう」と言うと、最高のお年玉よと喜んでくれました。

植え付けが終わったニシキギの横に立って記念写真。これも懐かしい一枚です。今もそのニシキギは、秋になると真っ赤に紅葉して、庭を美しく彩ってくれています。


»このいわしのツリーはコチラから

「一週間だけの家族だった犬の写真」by id:momokuri3


ペットとはあまり縁がないわが家ですが、ほんの一週間ほど、家族として過ごした犬がいたんです。それは私がまだ小学生だったころ。わが家の庭に迷い込んできた小型犬でした。よく人になれていましたので飼い犬には違いありませんが、首輪がなく、飼い主を探す手だてがありません。母が交番や保健所に電話をして、それらしい犬を探している人はいないか聞いてくれましたが、そういう届け出はないとのこと。しばらくわが家で面倒を見ながら飼い主を探すことにしました。


その夜、帰ってきた父と一緒に飼い主探しのポスター作り。翌日は土曜日で父も私も休みでしたので、犬を連れて散歩がてら、あちこちにポスターを貼らせてもらいに歩きました。行く先々で聞き込みも行います。
「この犬なんですが、心当たりありませんか」
しかし有力な情報はなかなか掴めませんでした。


犬の方はとても私に良くなれてくれて、たった二日一緒に過ごしただけで、もう十年も一緒に過ごしているような仲良しになりました。翌日の日曜日も聞き込みとポスター貼りを兼ねて犬と一緒に歩きました。途中、同じく犬を散歩させている人と出会います。お互い引き綱を短く持って、会釈をしながらすれ違います。その犬はとてもいい子で、けっしてよその犬とうなり合ったりすることがありませんでした。私は自分でしつけたわけでもないのに鼻高々。帰ったらご褒美においしいおやつをあげるよと声をかけると、うれしそうに跳ねるポーズをします。もうこの犬がかわいくてたまりませんでした。


翌日の夕方、ハッと気が付いて、犬を自由に歩かせてどこに行くかを観察してみようと思い立ちました。もしそれで本当の飼い主の家がわかったら、それは犬にとってはとてもうれしいことですが、私にとってはとても悲しいことになります。私は実行を迷いました。もうこの犬を手放したくない、飼い主なんか見つからない方がいい。そういう思いと、いやいやこんなにかわいい犬のことだ、飼い主はすごく心配しているに違いない、それにこの犬にとっても元の家に戻れるのが一番の幸せだ、そういう思いが心の中でぶつかり合いました。


やっと決心が付いて立ち止まり、引き綱をゆるめたのですが…。犬はぴったりと私の真横に着いたまま、一歩も動かなくなりました。この犬は、絶対に人間の先を歩こうとしない犬だったんです。帰宅した父にそのことを話すと、それはとてもよくしつけられた犬の証拠だ、犬のしつけはまず飼い主を敬うことから始めていく、飼い主を敬う気持ちが育った犬は、絶対に先頭を歩こうとはしないんだ、先頭は群れのボスの位置だからねと教えてくれました。
「しかし、そんなによくしつけられているとすると、ますます捨てられたっていうことは考え難くなってくるな。飼い主探し、頑張らないとな」
私は複雑な気持ちで、うんと首を縦に振りました。


その日から、父も母もことあるごとにカメラを構えては、犬と私の写真を撮りまくってくれました。短い間しか一緒に過ごせないこの犬との思い出を、たくさん残してくれようとしたんでしょう。結局次の土曜日に電話が鳴り、飼い主さんと連絡が付きました。私は犬を抱きしめて泣きました。別れの辛さと、家に帰れるんだよ良かったねの涙が一緒になって、もうすぐ飼い主さんがやってくる時間になっても、なかなか泣きやむことができませんでした。


飼い主さんが、私とほぼ同年齢の女の子を連れてやって来ました。女の子は犬を見るなりわんわん泣いて、さっきの私と同じように抱きしめていました。本当の飼い主だ。犬もあんなに嬉しそうだ。ちょっとそのことが喜べる心の余裕が生まれてきました。でも、よかったね、これでお家に帰れるねと犬を撫でると、私も涙が止まらなくなってしまいました。二人の子供の大泣きが続きました。


しばらくして、写真が出来上がってきました。犬の表情、しぐさ、一つ一つに、思い出が込み上げてきました。さらにしばらくして、飼い主の家の女の子から、犬の写真が同封された手紙が届きました。犬は優しい家族に囲まれて、とても幸せそうでした。その写真も大切な思い出の一枚です。


»このいわしのツリーはコチラから

「父の寝顔の写真で知った愛のカタチ」by id:TinkerBell


女の子には、父親の存在が素直に受け入れられなくなる時期があります。
私にもそんな時期がありました。
ちょっと前までは一秒でも長くそばにいたい、大好きなお父さんだったのに、です。


なんとなく父と過ごす時間がぎくしゃくしはじめました。
それまでは何でも話せていたのに、隠しごとをしたいわけでもないのに、自分のことが話せなくなる。
父に指先が触れただけでギクッとしたように手を引っ込めてしまう。
年頃の女の子は誰でもそうなのだろうと思います。
そして、そんな時期をきっかけに、父親と娘というのはだんだん距離が離れてしまうものではないかと思います。


そんな私が今でも心の底から「お父さん大好き!」と言えるのは、その頃に見た一枚の写真のお陰だったかもしれません。
それは、父がテーブルに突っ伏して寝ている顔のアップでした。
母が、「お父さんかわいい〜」と笑いながら、その写真を見せに来たんです。


「古い写真を整理してたら出てきたのよ、ほら」
「へー、お父さん、ずいぶん若いね」
「そうねぇ、あなたが一歳ちょっとのころの写真だから」
「ふーん」
「この時ねぇ、あなたが風邪引いて熱出しちゃってね、お父さん、寝ずにあなたの看病をしてたのよ」


母は元ナースです。
私が付いているから安心して。
母はそう父に言いましたが、父は夜は自分が付きそうと言って聞かなかったのだそうです。
翌朝はそのまま一睡もせずに出勤。
仕事が終わるとまたすっ飛んで帰ってきて「明日は有休が取れたから今夜も自分が看病するぞ」。


もう熱も下がってるし食欲も出てきたから大丈夫よと言っても、父はもう一晩寝ずに付き添うの一点張り。
「そんなに心配なの?」
「いや、大丈夫なのは寝顔を見ればわかる、でも自分がそうしないではいられないんだ、頼むから今夜も一緒にいさせてくれ」
こうして父は、丸々二晩、一睡もせずに私の隣で夜を過ごしてくれたのだそうです。


そして翌日。
往診に来てくれた先生から「もう心配ありません」の一言を聞いて、やっと安心した父は、母に濃いお茶が飲みたいと頼んだそうです。
はいはい。
母がキッチンでお湯を沸かしてお茶を入れて持っていくと…。
父はもう、テーブルに突っ伏して爆睡していたそうです。
そこで母は、これぞシャッターチャンスとばかりにパチリ。


「ほら、よく見るとこのへん、ちょっとよだれ」
「やだー、かわいー」
「いい寝顔でしょう」
「うん」
「これがあなたを愛してくれている人の顔よ」
「うん…」


私は母に頼んで、その写真をもらいました。
今もその写真は、大切に持っています。
もしかしてあの時母は、父親と娘の間に生まれはじめた溝を埋めようと、この写真を見せたのかもしれません。
そう思うと、ちょっと作戦に引っかかってしまった悔しさがありますが、そんなのどうでもいいですよね。
愛は宝。
愛も、写真に写るんです。
宝物と言える写真を持っている人は幸せです。


»このいわしのツリーはコチラから

「紛失して大目玉の〈子供の頃の写真〉、30年後の今年、偶然発見」by id:iijiman


その写真は、1960年代終わり頃に撮られたものです。私が自宅の前で、浴衣を着てはにかんでいる写真。多分3歳くらい。カラーでした。ごく初期のカラー写真ですね。
その写真はアルバムに貼ってあったのですが、1980年、中学2年の時に、英語の宿題のために拝借しました。その宿題は「自分の幼かった頃のことを英語で書きなさい。写真も1枚添付しなさい」というものでした。カレーとチョコレートが好きな子供だった(今も?)といったようなことを、たどたどしい英語で画用紙に書き、写真を貼付けました。・・・続きを読む

「イエの中で見つけたかっこいい男の子の写真」by id:CandyPot


それはまだ小学生だったころ。電話の下に紙が挟まっているのを見つけました。なんだろ。手に取ってみるとそれは写真でした。サッカーをしている男の子たちの写真。わー、右側の人かっこいいー。そこには、当時密かに憧れていた男子によく似た人が、今にもシュートを決めそうなポーズで突進している瞬間が写っていました。

ドキドキドキドキ。私は周囲を見回しました。誰もいません。サッと写真を服の中に隠して、自分の部屋にタタタタタッ。・・・続きを読む

「自分で焼き付け!! 思い出のモノクロ写真」by id:TomCat


小学校6年生の秋、私と友人2人の計3人は、準備室の掃除を言い付かっていました。物にまみれた準備室は埃っぽくて嫌でしたが、普段目にしない面白い物が色々あるので、いつしか私達は掃除より、珍しい物の発掘に熱中し始めていました。

すると、奥の方から1本のギターが出てきたんです。真っ赤なセミアコースティックのエレキギター。なんで小学校にこんな物が?

先生が「そろそろ終わったか?」とやってきました。・・・続きを読む

「七五三の写真」by id:shig55


 娘の七五三のお祝いに着物を奮発しました。サーモンピンクを基調にした、子供にはちょっと落ち着きすぎるかなと思えるすてきな柄でした。一回だけしか着ないのではもったいないと、仕立て直しをすることを前提に、色柄も選んだのです。
 近所の美容院で髪をセットしてもらい、着付けまでしてもらって、おめかしをしました。そして神社のお参りです。この時期は何組もの同じような参拝者が来ていました。拝殿にあがり神主さんからお祓いを受け、おみやげに千歳飴をもらいました。
 この思い出に写真を残しておかなければなりません。・・・続きを読む

「ぎょ!心霊写真?!でもそこから生まれたご先祖様との絆」by id:Fuel


数年前のお盆の帰省の時、お墓参りの後で撮った記念写真。デジカメでしたので、PCのない親戚の家にはプリントしてお配りすることにして、すぐできますよと地元のコンビニでプリントアウトしたのですが、なななな、なんと、親戚一同が並んでいるその上に、虹のような光が写り込んでいるではありませんか。

おかしいなぁ、集合写真のセオリー通り撮ってたからハレーションなんか起こるはずがないのに、と思っていたら、親戚一の長老格のおじいちゃんがその写真を見て、涙を流さんばかりに感激して、こう語ってくれました。・・・続きを読む

「メイド・イン・ママ」by id:ekimusi


アルバムを久しぶりに覘いたら、懐かしい写真がい〜っぱい。
写真の枚数としては赤ちゃんの頃はいっぱいで、保育園に入ると行事の写真がメインになり、
そして小学生時代の写真が行事、家族写真共に一番充実しています。
何回も見ているはずなのに、そうそうこれって〜と写真の色は少し色褪せてしまったけれど、
あの頃を鮮明に思い出させてくれます。
つい追憶に浸っちゃいますね。・・・続きを読む

「父親はオタク仲間だった(笑)20世紀のコスプレ写真」by id:watena


父の部屋の大掃除を手伝っていたら、ごっそりと写真が詰め込まれた箱が出てきました。父も既に忘れていた物だったらしく、へぇ懐かしいなと、掃除の手を休めて懐かしの写真鑑賞会が始まりました。ほとんどが学生時代の写真です。整理していない写真の束を実家から持ってきて、そのままにしておいた物のようでした。
服装も髪型も今とは随分違います。それだけでもとても面白い物でしたが、ハッと目を引いたのは、とある古いアニメの登場人物に扮した写真でした。
「こ、これって○○○○?」「おー、知ってるか。」・・・続きを読む

「成長アルバム」by id:canorps


まだまだ我が家の子供たちは成長途中でありますが
すこしづつ作っています。
三人の娘たちの月の誕生日には必ず一枚写真を撮っています。
0歳の時の子供の成長振りは半端なくて、1枚目と12枚目ではまったく違う風貌です。
その後も毎年、毎月、とり続ける誕生日の写真は面影をのこし、すこしづつすこしづつ
変わって行きます。
写真一枚を見るとその時期の子供の様子を思い出しますね。
これからもとっていきたいと思います。・・・続きを読む

「小さな頃に買ってもらったカメラで撮った写真」by id:to-ching


 かなり昔としては贅沢品でした、おもちゃに毛の生えた様な性能だったのでしょう。写真は勿論カラーなんて無くて白黒です。一人で自転車に乗って出かけパチリ、旅行に行くときもパチリ。当時は写真のプリントが出来上がるのは最低5〜6日掛かったものです。何時もの写真屋さんにフィルムを持って行って現像依頼、出来上がるのが待ちどうしくて・・・。
 まだ、私の撮った写真は保管されており、中々傑作ぞろいと思ってます。家族の写真、親戚の者、キャンプに行った時の、初めて本州へ旅行した時の、犬のコンテスト等々。・・・続きを読む

「従兄が撮ってくれた告別式の写真」by id:Catnip


父が突然、この世を去りました。何が起こったのか噛みしめることもできないまま、葬儀の準備が始まりました。母が喪主ということになっていましたが、あまりのことに母は駆け付けてくださった人々に黙って頭を下げるのがやっとの状態。喪主としてのほとんどを、私が代行することになりました。

冠婚葬祭と言いますが、予め丁寧な準備をして行う結婚式などと違って、たった数日で全てを行わなければならない葬式は、信じられない忙しさです。・・・続きを読む