「入学式と遊具」by id:offkey


父と一緒に写した小学校の入学式へ行く前の写真があります。母親が選んだ晴れ着とかばん。私の入学した小学校はランドセルの変わりに肩掛けかばんを推奨していたので。
父は型どおり背広を着ています。
ところでこの入学式へ行く前の写真はどこで写したかというと自分の家の庭先なのですが、そこには木と縄でつくった一人乗りブランコがありました。そのブランコをわざわざ一緒に入れて撮影しているのです。
このブランコは鉄棒とともに大工である父が子供たちのためにわざわざつくったものでした。仕事上、少々広い土地の片隅につくられた遊具。ブランコをささえる柱と座るところは建築木材を加工したもので、ブランコをぶら下げてるものは作業場で使われてる黄色と黒がより合わさった縄。鉄棒は同じく木の柱に鉄パイプの握り棒。
この写真を見ると父の思いに至らなかった私のふがいなさを思い起こすことがあります。
実をいうと当時私はこうやってつくってもらった遊具をそれほどありがたいとは思ってませんでした。近くには公園があり、そこには鉄でできた立派な遊具があります。木でつくった自家製遊具はそれと比べればどことなく貧弱に見えて、友達は家に遊びにくれば自分の家にこういうのがあっていいね、と羨ましがってはいましたが、私はなぜかそれを恥ずかしくすら思っていたのです。
そうはいってもそれは人前だけのことで友達がいなくなってようやく恥ずかしさが消え、妹と共に、あるいは一人で遊んだものでした。


人は手の中にあるものをありがたいと思うことはあまりありません。失われたときに初めてそのありがたみを知ることが多いように思います。
小学校を卒業するような年頃になると、遊具たちも古びてきておまけに大きくなった私たち兄弟の体を支えられるかどうかも怪しくなってきました。なにより、もうそのような遊具で遊ぶような年代でもなくなってきてます。
遊具たちは取り壊されました。
そのときは別になんとも思いませんでしたが、だいぶ後になって、昔の写真を整理したときに、先ほど述べた入学式の写真が出てきたのです。
そして、自分はあの父の作った遊具が何を意味していたのか突如としてわかったのでした。
それは夏場は仕事が忙しくて日曜日もない父が、自分の代わりに遊んでくれるものとしてそのようなものを作ったのではないか、ということです。もちろん、父に尋ねたことはありませんが、そうであるなら、なぜあんなに人前でその見栄えだけで恥ずかしがっていたのだろうと、自分の思いやりのなさに愕然としたのです。


しかしながら、その写真はそれ以上に当時の父の慈しみを思い出させてくれるものでもありました。もしかしたら父はそれほど深く考えずにただ子どもが喜びそうなものを作っただけなのかもしれませんが、どちらにしろ父は自分ができることで愛情を示してくれたのだと、あの頃の父の年を過ぎた私はそう思うのです。


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