ディア・ライフ #013 pickup5
みなさまこんにちは、hazamaです。早くも今月終盤に入りましたが、私の2011年の通年サプリ「イエ映画コレクション」に、5月もまだ新しいタイトルが入ってない〜! 実は、先の日曜日に『武士の家計簿』を借りて観ようと思っていたのです。ところが、レンタル開始は6月8日からとのことでした……。前から映画や原作本のレビューを読んでいて、かなり面白い時代もののイエ&暮らし映画だとふんでいるのですが、みなさまのなかには劇場で観られた方もいらっしゃるのではないでしょうか。江戸末期から明治にかけての激動の時代に、加賀藩の武士が、藩の財政とともにみずからのイエの家計を切り盛りしていった実話。当時の暮らしとともに、幕末維新をたくましく生きた一家の姿が楽しみ! 観たらまた感想ご報告しますね!
#013 ピックアップ賞・ノミネート賞
さてさて、今日は“ディア・ライフ”#013のピックアップ賞・ノミネート賞のご紹介です。今回の家族の愛しい物語、「行楽に旅行にお食事!家族でお出掛けの思い出」のテーマで、みなさま思い思いのエピソードをたくさんお届けくださいました! 幼稚園の頃におじいちゃまと「毎日通った上野動物園」、家族で出掛けた「はじめての動物園」、きれいな水の中でマスも泳いでいた「都内の秋川渓谷」……。夏休みに行ったおばあちゃまの田舎で、ザリガニ釣りや笹舟で遊んだ「川遊び」のエピソードも楽しかったですね〜。ほかにも、家族旅行に兄弟ドライブに海水浴、コンサートや夏祭りと、本当にそれぞれ心に残る家族の思い出がいっぱいでした!
そんななかから、今回も小さな家族物語のシーンが目に浮かぶ素敵なショート・エッセイを、ピックアップ賞・ノミネート賞に選ばせていただきました。いつも聞かせていただく暮らしのエピソードから、みなさまのご家族像も見えてくるのも楽しいものですねw
*今回のピックアップ賞は、5月27日(金)の〈イエはてな Press Room〉の記事にてご紹介させていただきます。
■
中学生の夏。出かけたついでに、少し離れたマチの夏祭りに立ち寄りました。するとそこで両親にバッタリ。何となく一緒にお祭りを歩くことになりました。中学生にもなって親と一緒なんてちょっと恥ずかしい気もしましたが、たまにはそういうのも悪くありません。
まずはじめはやはり神社にお参りです。柄杓の水で手を清め、本殿の前に進み出て、ガランガラン。父に合わせて家族揃って柏手を打ちました。社務所でおみくじをやっていましたので、父が代表で引いてみることに。結果は大吉。善行をもって福が舞い込むとのこと。善行ねぇ、少しゴミでも拾ったらいいことあるかなと、境内に散乱していたゴミを拾って所定のごみ箱へ。
さぁこれで福が来たに違いないと、運試しにくじ引きで最高5個まで当たるリンゴ飴に挑戦してみることにしました。もちろんくじを引くのは、おみくじを引いた父です。一発で家族三人分のリンゴ飴をゲット。1等賞ではなく家族で満ち足りるだけの福が来るのねと母。あぁ、そういう福が一番だと父。欲のない、いい両親です。
続いて何かくじ引きはないかと探すと、当たれば小さなカップが大きなカップになるという唐揚げのお店を発見。これは一人一人全員がルーレットを回しました。結果は全員大カップ。おかしいなぁ、こんなに連続して当たられたら商売あがったりだよとお店の人。それを聞きつけて続々お客さんが集まってきました。おじさんも商売上手です。
よくあるエアガンなどが当たるくじは、あれは絶対ろくなのが当たらないし、当たってもそんなので遊ぶ歳ではないからと敬遠。でもしばらく子供達がくじを引いているのを見ていると、後ろから母が大きな縫いぐるみを抱えてやってきました。「何それ」と聞くと「向こうでくじ引きやってたから引いたら当たっちゃった」とのこと。はいと私に渡されて、要らないよお人形なんてというと、何言ってるの、あげるわけないでしょう、持ってもらうだけよとのこと。これって私にとって福だったのでしょうか。この縫いぐるみは、今も大事に飾られています。
たこ焼きを買って道端に腰掛けて食べながら、色んな物が当たっちゃったね、ここで福を使い尽くすともったいないから、またゴミ拾いでもして福を貯め込もうかと父。大きな縫いぐるみは母に任せて、父と道路のゴミを拾って歩きました。これは、やっているとなかなか楽しく、お祭りのスタッフになった気分になります。道行く人の中にもそう思ってくれる人がいるようで、何人かからご苦労様と声を掛けて頂きました。露店の出ている道を一巡して戻ると、母が待ちくたびれたと口を尖らせていました。
お詫びに母が好きそうなベビーカステラを買って露店をもう一巡。こうして親子のお祭り巡りは終わりました。でもこの話にはさらに後日談があるのです。そんな夏の日のこともすっかり忘れかけた頃、夕食の後、母が一枚の宝くじをテーブルの上に出しました。何これと聞くと、お祭りの日、父と私がゴミ拾いをしていた時に買ってみたとのこと。くじは本当にたったの一枚。ジャンボではない普通の宝くじなので100円です。なのに、当選発表が載っている新聞を広げて見てみると…。なんと下4桁的中!!1万円が当たってしまいました。
「すごい、また当たった、でもこれも1等賞じゃないんだ」と私。「いいのよ、うちはこれで満ち足りてるんだから」と母。「身の丈に合った福が頂けるのが一番の幸せだな」と父。それからもずっと我が家は、与えられすぎはしないけれど、ささやかに満ち足りている幸せに恵まれています。
■
小学生のころの話ですが、家族で釣りを兼ねたドライブに出かけました。車は川上を目指します。だんだん農村地帯に近付いてきて、道の脇に小さな田んぼが点々と見えはじめました。まだ田植え前の季節ですから人はいません…と思ったら、小さな田んぼの畦に座っている人がいました。
あれ、様子がおかしいぞ。父はゆっくりと減速して、田んぼをちょっと過ぎた所で左端に寄せて車を止めました。「あの人、足を痛めたんじゃないかな」。父は車を降りて、田んぼに向かいました。しばらく何か話しているようでしたが、戻ってきてドアを開けると、「突然足が攣ったそうだ、医者にいくほどじゃないと言っているけど、とても仕事にはならないらしい、どうだ、今日は予定を変更して、みんなで田んぼ仕事を体験してみないか」。
釣りをする予定だったので、全員フィッシングブーツを用意してきています。これでばっちり田んぼに入れます。よし、やろうということになって、Uターンをして車を田んぼの横につけました。
「おじさん、これがうちの家族。今日は畦塗りでしょう?我々でやりますよ。こう見えても私も農村出身。地域が違うと流儀も違うと思うけど、まぁ任せてくださいな」。
父はいきいきとして、鍬を受け取って田んぼに入りました。
「畦塗りっていうのは畦の修復作業のことだ。こうやって泥を畦に塗り付けて割れた所や穴などを埋めていく防水作業。そうだよね、おじさん」。
作業はまず畦を削り、掛け矢(全身で振り下ろして使う大きな木槌)で畦を叩いて固める事から始めるそうです。そこまではもう終わっているので、今日は田んぼの土を捏ねて畦に塗りつけていく作業です。
「大きな田んぼなら今はトラクターでやっちゃうんだけどね、このくらいの田んぼは今でも手作業。この畦塗りが一番重労働だよね、おじさん」。
父は鍬一つで器用に土を練って畦に塗りつけていきました。私も小型の鍬を借りて真似してみますが、土を練ることすら出来ません。
「土の上を鍬で撫でてもだめなんだよ、もっと腰を落として、落とした分だけ土の下を掻いていく気持ちになるんだ」。「こ、腰痛いよ」。「それが田んぼの仕事なんだよ」。「体に悪くない?」。「んー、筋肉が弱いと骨にくるかもね」。「ひぇ〜」。
私は塗った後の土を鍬で撫でて平らにする係になりました。これなら少しは楽ですが、やはり大変な重労働でした。
「昔の子供は、お前くらいの歳にはみんなこういうの手伝ってたぞ。ねー、おじさん」。
おじさんは無口な人でしたが、だんだん会話が多くなってきて、色んな話を聞かせてくれるようになりました。母はおじさんの隣りに座って、お茶を勧めたりお菓子を勧めたりしていました。
泥の中を進みながら、一鍬一鍬畦を仕上げていきます。小さな田んぼですが、一周するまでには大変な時間がかかりました。いつのまにか夕暮れになって、町の放送のチャイムが鳴り響きました。
「ふー。この音が聞こえたら作業終了だ。おじさん、こんなもんでええかいのう」。父はいつの間にか田舎言葉になっていました。「てーしたもんだ。お前さんほんとに農村の人じゃのう。このお礼をどうしたもんか」。「そんな事より足はもうええのか」。「すっかりほれ、この通り」。「そりゃぁよかった、じゃわしらはこのへんで」。「うち寄ってばあさんの作るもんでも食ってくれんかのう」。「そりゃ嬉しいけど、わしらももう帰らんと。ほれ、おじさんから帰ってくれんと心配でここ離れられんから、耕運機に乗った乗った」。おじさんは、すまんですのう、すまんですのうと何度も言いながらリヤカーの付いた耕運機のエンジンを掛けて、バタバタと走り去っていきました。
父は泥まみれでした。私も泥だらけ。その姿で車に乗り、途中で見つけたお店でおにぎりを買って食べました。おにぎりを買いながら、父が私に言いました。「どうだ、泥んこで恥ずかしいか?」。私はしばらく考えて、働いた証拠だから恥ずかしくないと答えました。「よし偉い。今日は日本を支える米作りに参加したんだ。この格好は名誉だな」。「うん、誇りだね」。「ホコリというかドロだけどな」。最後はオヤジギャグでしたが、農村育ちの父がたくましく頼もしく見えた一日でした。
■
夏、ある民宿に泊まった時のことでした。その周辺の民宿はほとんどがテニスコートを持っています。ですから私たちのような家族連れのほかに、テニス合宿の大学生もたくさんいました。
私たちが泊まった民宿でも、どこかの大学のテニスサークルの人達が一緒でした。夜はテニスの話題で盛り上がります。ここで目を輝かせたのが父。高校でテニス部に所属していたとかで、私たち家族を相手に、インターハイに出場した話などを得意げに語り始めました。よく聞いてみると父は選手でも何でもなく、ただ部員としてついていっただけの話だったのですが、でも若い頃の思い出を語る父は輝いて見えました。
そんな父に「先輩ですか?」と話しかけてきた人がいました。父の「わが○○高校の…」という言葉に反応したらしいのです。
「私も○○高校出身なんです、もちろん女子テニス部にいました!」「本当か?」「はい、あそこにライバルだった△△高校出身の子もいますよ、ねーちょっとこっち来て!」。
それからの父は、家族そっちのけで若い女の子たちとテニス談義。私と母は顔を見合わせて「あらあら」です。
翌日の父は早起きでした。朝もやの立ちこめる庭で元気に体操。合宿の大学生達のランニングの声も聞こえます。「お父さん、なに張り切ってるの?」「昨日の子達と一緒にコートに立つんですって」「へぇぇ…」。父は「先輩、お願いします」の声に呼ばれて、意気揚々とコートに向かっていきました。
私達も行ってみました。父が女子大生を相手に打ち合っていました。うわぁ、なかなかかっこいい。父がテニスをしている所なんて見たことがありませんでしたから、きっとラケットを持ったのは、少なくとも私が生まれて以来のことだったに違いありません。でも動きは俊敏だし、打つボールにもスピード感があって、全然そんなブランクを感じさせない雰囲気でした。
早朝練習が終わって朝食です。父の周りには「先輩、ご一緒していいですか」と女子大生が一杯。私と母はまた顔を見合わせて「あらあら」です。父は昼間の練習にも付き合うことになったらしく、私と母だけで湖畔巡り。「おかあさん、いいの?」「何が?」「お父さん、女子大生に取られちゃったよ」「いいのいいの、たまには若返ってもらわないとね」「そんなもんかなぁ」「まぁ明日、面白くなるわよ」「え?」。
翌日です。昨日の若々しかった父はどこへやら。朝から「いてててて」と筋肉痛で、母にマッサージをしてもらっていました。朝食の時もちょっとしょんぼり。「すまん、歳には勝てないよ、今朝はご一緒できなくて申し訳ない」「いいえ、こちらこそ先輩にご無理をさせてしまって」「まだ若いつもりでいたんだがなぁ…ブランクが長すぎたのかなぁ」。元気出してお父さんと背中をバンと叩いたら、いててててと叫んで苦笑していました。そんな父を見て母は「まだ筋肉痛が翌日に来る体なら若いのよ」と変な励まし。歳を重ねるにしたがって、筋肉痛は間を置いてやってくるようになるそうです。
その日は一日温泉でゆったり。父は湯上がりに、また母にマッサージをしてもらっていました。「お父さん、気持ちいい?」「うん、やっぱりこれが歳相応ってやつだな」。でも、民宿最終夜はテニスサークルの人達が私たち家族を囲んで、素敵な野外パーティーを開いてくれました。降るような星空の下で、父は若い女の子達にモテモテ。テニスの王子様ならぬ、テニスのおじさまになった夏でした。
それにしても、ヤキモチ一つ妬かずに、そんな父を優しく見守っていた母は偉いです。でもそれ以来母は、父と外出する時は、娘の前でもしっかり腕を組んで歩くようになりました。やっぱり母は強いです。
■
今でも脳裏によく焼きついている想い出です。
週末になると決まって家族でドライブにお出かけしていました。
行く場所は海のある場所に目がけて行くのです。
父も母も。そして私自身もお寿司や魚介、刺身など海の幸が大好きで、その好みがあってか行く場所は必ず海のある場所でした。
朝から出発してお昼までには着くように行きます。
到着すると腹ごしらえ。
これがまず最大の楽しみです。
行先は神奈川、千葉、茨城、様々な場所に行ったものです。
何度か行った海の家といえばまずは
>焼はまぐり 浜茶屋「向島」
http://www.99beach.com/restrant/mukoujima/
こちらは九十九里にあります。
はまぐりを焼いたり、海老を焼いたり。
貝のいい出汁がそのまま味わえて物凄く美味しかったです。
焼きながら食べるというのは本当に美味しいものです。
シーズンによってはここに来る前に苺狩りなどをしてから立ち寄る・・なんて事もよくありました。
腹ごしらえを終えたら九十九里浜へ行きます。
夏のシーズンは人が一杯。
車も沢山w
それでも少し海水浴の人達の集まる場所から遠ざけて歩いて行くとあまり人の居ない浜もあります。
そこにビニールシートを引いて家族で遊んだものです。
今思い出しても脳裏に蘇る海の風景。
懐かしいものです。
そしてもう一箇所、とっても大好きだった場所があります。
伊東です。
到着するまでには渋滞もあったりして、熱海のあたりはとても混み合うので朝も早くから出発します。
ここで大好きだった場所は
磯の味噌汁 海女屋 海上亭
http://homepage2.nifty.com/koaji/shokujitokoro/ito/kaijotei.htm
ここはジャンボみそ汁が飲めるんです。
もう、すっごく美味しい!!!
海の幸の出汁が十分に味わえて、お味噌汁がメインになっちゃうなんて想像もし難いかもしれませんが、たまりません。
そして青さの入ったお味噌汁が美味しいのなんの。
これまでみそ汁に青さを入れたことが無かったのですが、これ以来よく我が家でも青さのみそ汁を作るようになりました。
磯のいい香りが食欲をそそりますよね。
勿論伊東へ来れば腹ごしらえのあとに楽しむ場所は沢山あります。
よく行ったのは、大室山、伊豆シャボテン公園、伊豆ぐらんぱる公園。
こちらへ来るとお土産によく買うのが「干物」
凄く美味しい。
おうちへ帰ってからも旅路の想い出を感じながら食べられます。
海風にあたりながらドライブをし、美味しいものを食べ、海と触れ合い、海の幸とも触れ合う。
当時は必ずそうして週末に両親は私たちを連れて行ってくれていました。
今になって思い返すとそうして連れて行ってくれていた両親にとても感謝しています。
当時は当たり前のようについて行っていました。
だからこそ気付けなかったです。
でも今思い返すと凄く幸せなことだったなと。
私たちが子供の頃、ゲームなど家の中で遊ぶ遊びも多くなり、家の中に居る事や、百貨店に買い物に行くことだったり、自然と触れ合う機会が少なかったように思います。
それでも両親が私たちを毎週末こうして海へ連れて行ってくれた気持ちの裏には自然と触れ合う大切さ、自然の大きさ、偉大さ、そういうものを伝えるためだったのではないかと思うのです。
私に子供が出来た時は、同じように週末に自然を子供たちに沢山与えてあげたいです。
自然と触れ合うことの減った時代になってきたからこそ、そういう自分の経験を子供たちに受け継がせて行けたら良いなと思います。
■
ご招待を頂いて家族揃って乗った屋形船。お料理は純和風かと思ったら、先付は和風その物でしたが、続いて出てきたのは洋風のサラダ。そしてお刺身盛り合わせへと続き、次はなんとミートローフ。和洋交互に出てきます。でも味のつながりやバランスは全く違和感が無く、これはいわば創作和食。ここの板前さんすごいなぁと感心しながら戴いていると、いよいよ江戸前屋形船料理の花形、船内で揚げる天ぷらが始まりました。
ところが、どうも父の様子がおかしいのです。食欲無さそう。どうしたの?お父さんの大好きな天ぷらだよと声を掛けると、少し酔ったとのこと。屋形船の名誉のために言っておきますが、普通、屋形船は揺れません。たまにすれ違う船が立てる波で揺れることもありますが、それはすぐにおさまります。なのに、船酔いしちゃったの?そういえば父はとある原稿を頼まれていて、深夜過ぎても部屋に明かりが点いていることが多かったのでした。寝不足だったのかなぁ。
ちょっと夜風に当たってきていいかなと父。この屋形船には展望デッキが付いています。お母さん付き添ってあげてと言うと、せっかくご招待頂いたのに夫婦で席を外しては失礼だから一人でいいとのこと。でも、なんとなく心配だったので私がついていくことにしました。
展望デッキに上がると、夜風がとても気持ちいい。夜景も綺麗。しばらく潮風に吹かれていると、父はだいぶ元気になったようでした。よかったと思っていると、父が突然歌い始めました。父は邦楽畑の人ですから、屋形船に乗りながらそれに似合う邦楽を口ずさむならわかります。ところがこの時に歌い始めたのは、なんとサザン。しかも声まで桑田佳祐さんそっくりに真似ていたのです。えー、お父さん、そういう音楽が好きだったわけ?!でもそれが意外に上手なのでまたびっくり。歌っている横顔もなかなかダンディでした。
父は一曲歌い終わり、私の方を見ました。え?あ、えーと、わーパチパチ。小さく拍手をしてみせると、続いて二曲目を歌い始めました。今度は私も知っている曲です。途中から一緒に歌いました。二人の目が合って、父はにっこり。サビからハモれるかな?あ、できた、できた。自分で言うのもなんですが、これは洋上の素敵な二人だけのリサイタルでした。
歌い終わってしばらくまた、静かに夜風に吹かれました。さ、戻ろうか。父はすっかり元気を取り戻したようで、足取りは颯爽としていました。
船を下りて帰り道。母が、海の夜風は気持ちよかった?と聞くので、実はねぇと父の歌のことを話したら、父はやめろやめろと照れまくり。父によると、乗り物酔いはお酒に酔ったのと同じだからああいう歌も出ちゃうんだよ、とのことでしたが…そうなのかなぁ。今まで知らなかった父の新しい一面を発見した、素敵な納涼の夜でした。
■
「初めての回転寿司」by id:momokuri3
近所に回転寿司屋が出来ました。母は、行ってみたい、行ってみたいと大騒ぎ。私と父は、ハイハイという感じでお付き合いですが、母の気合いの入れようといったらありませんでした。母にとってはそれが初めての回転寿司だったからです。
オープン初日は混んでゆっくり出来ないだろうからと、少しずらして平日の夜に行くことにしました。一刻も早く行きたい母の希望もあって、イエには帰らず、私と父は仕事帰りに寿司屋さんに直行でした。約束の時間より早く着いたのですが、もう母はお店の前で待っていました。食べる気満々です。・・・続きを読む
■
「家族旅行」by id:maruiti
なかなか休みの取れない父だったが夏休みは必ずといっていいほど海や川へ連れ出してくれた。
家では味わえない親子での共同作業は何ものにも変えられない良い思い出となっている。
10歳の夏には、海のすぐ近くの民宿に泊まることに。
民宿は砂浜の外れにあり、すぐ裏には水路が流れており、そこでは小鮒やカエル、ザリガニなどが沢山捕れるということで、地元の子供たちと混ざって一緒に色々捕まえた。・・・続きを読む
■
「川遊び」by id:mododemonandato
どこだかわかりませんが、昔家族で川遊びをして、とても楽しかった思い出があります。
膝の下まで位の浅い川でした。
夏か春のような暖かい季節でした。
家族で川の中で水遊びをして、ご飯を食べました。
川の中の水に水羊羹の缶詰を入れて冷やしておいて、しばらく経って冷えた頃に取り出して、食べた記憶があります。・・・続きを読む
■
「運動会のお弁当」by id:nawatobi_penguin
子どもの頃は3世代同居で、祖母は食べ物の好き嫌いが非常に激しく、また脊柱管狭窄症を患っていたので遠出ができず、家族一緒にといっても両親と兄弟で近隣へ一泊か日帰り程度でした。
それか、当時は週休1日制で土曜は午前で仕事は終わりでしたので、父の勤め先まで行って近所のデパートで買い物した後、終了時間に落ちあって外で昼食をたまにしました。
なので家族水入らずで旅行や行楽は厳密に行ったことがありませんが、・・・続きを読む
■
「母と二人の旅行」by id:haruyo_koi
今まで、一生懸命育ててくれた母に
恩返し・・・と
大人になって自分でお金を稼ぐようになってから
ボーナスがでると、少し高めのいつも買えないようなものをプレゼントしたりしています。
洋服も、いまだに私の中学の時の服を着ていたり・・・。そこまで節約しなくてもいいんだけど、身にしみついちゃっているんでしょうね。・・・続きを読む
■
「車酔い」by id:nakki1342
旧盆の時に、少し遠距離の場所にある親戚の家に
兄弟2人で行った後の帰りに
ファーストフードのドライブスルーに寄ったり
少し、ドライブをしました。
自分は、今でも少し、車酔いをしてしまうので
少し、気分が悪くなったりしたけれど
兄弟2人でのドライブは楽しかったです・・・続きを読む