イエ・ルポ 2 #038 PickUp5
みなさまこんにちは、ハザマです。先日、初夏から「山形のだし」にハマっているというお話をしたのですが、さらに夏野菜が大袋でお安いので、今度は即席漬けに凝ってます〜! この前の“イエコト・ミシュラン”「自慢の漬け物レシピ」も熱く盛り上がりましたよね。即席漬けもずいぶん登場したのですが、私は只今、たたきキュウリのパリパリ漬けにぞっこんw 酢+醤油+キムチダレ少々といった漬け汁に、さっと漬けるだけ。居酒屋さんなどでも夏の定番ですよね。同じ漬け汁でザク切りナスを軽く塩モミして漬けても美味この上なし。このところ毎食のおともに、キュウリなら2本、ナスなら大1個、ペロリといただき、これがないともうダメです(笑)。私はほんの浅めに漬けてたくさんいただきますが、お酒のおともには2時間くらい漬けるとビールがすすみそうですね〜♪
さてさて、今日は“イエ・ルポ 2”#038のピックアップ賞・ノミネート賞のご紹介です。今回は「自分を育ててくれたアイツと友情…宿命のライバル物語」のテーマで、久しぶりに人と人との物語をたくさん聞かせて頂きました! 兄弟姉妹・家族から、学校時代・部活の友達や会社の同僚。勉学やスポーツから、恋や人生観、はてはギャグのライバルまで(笑)。本当にさまざまなエピソードが綴られて、これまでの人生を振り返ったり、笑ったり、読みながら充実の時を過ごさせて頂きましたw 人生の足跡を分かち合える素晴らしいルポを、みなさまどうもありがとうございました!
イエ・ルポ 2 #038 ピックアップ賞・ノミネート賞
#038では「自分を育ててくれたアイツと友情…宿命のライバル物語」のテーマでご投稿頂きました。
思えば、ごく子供の時代からライバルというものはいるものですねー。幼い頃から競い合い、今でも助け合ったり励まされたりという声が多かった「兄弟姉妹は一番最初のライバル」、幼な心に一喜一憂したことが思い出される「正月の親戚の集まりで、従兄弟同士は比べられる」。学校では、テストや試験で点を競う「試験勉強!同級生のライバル」、部活やスポーツ対抗戦などたくさんのエピソードが集まった「ライバル校」、クラスでふた組に分かれて熱い討論を交わした思い出の「ディベート」…。そして、大学の研究室や会社の同期仲間と物語がいろいろだった「大人になってからのライバル」、はじめて悔しがる自分に気付いて向き合ったという「30過ぎて初のライバル」。さらに、家事も女性としても人間としても一生超えることが出来ない存在というメッセージが多かった「母という名のライバル」、仕事でもトレーニングでも昨日よりは明日と成長を目指す「自分自身というライバル」。これらすべて、みなさま覚えがあるということでしょう、スターをたくさん付けながら語らいが深まりましたね! やっぱりなかでは、部活で仲間たちと切磋琢磨した数々のエピソードが胸に残り、アマチュアリスムのまっすぐな情熱とともに、友情、ライバル、先輩、汗と涙、人生で必要なことを学んだ大切な日々だったというメッセージにも深くうなずかされました。
そんななかから、今回もご自身の人生の1ページをつぶさに語って下さった素敵なルポを、ピックアップ賞・ノミネート賞に選ばせて頂きました。いくつになっても、好きな世界を共有しながら深い友愛で結ばれるよきライバルを持っていたい、そう実感させてくれるエピソード集です。
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人生で切磋琢磨できるときを大切にできるか?
充実した時間を振り返るとき、当時は一心不乱なもの。
それはライバルがいたから。ライバルがいたおかげでいまの自分がいる。
競わなかったら、必死にならなかったらいまの自分はどうだったのだろうか?
私は高校時代に書道部に所属しておりました。
両親の影響で丁寧に書く字というものを意識して、小中学校の頃からたびたび受賞してました。
高校受験ではもちろんそのときのことをアピール。
字が丁寧なことは学校を卒業した就職したいまでも役立っております。
書道部に入ったきっかけは、高校に入ったときふとしたきっかけ。
スポーツをやろうとバトミントンかテニスに決めていたのですが、
中学校の先輩が私を見つけるやいなや、半ば強制的に無理矢理入部させられてしました。
私の進学した高校は県大会はもちろん、全国大会で何度も金賞や特別賞を
何度も受賞した高校でしたので、書道部に入るにはかなり審査が厳しいらしいです。
書道部に入部するとさっそく合宿。
第一段では、まずは、姿勢の整え方。次に、呼吸法。そして、精神統一。
第二段では、漢字の基本を学びました。
当時は、理不尽と思われる先生の仕打ちや理解のない先輩のイヤミの数々。
いま思うと、自分を磨くための磨き石だったのです。
朱墨のにおいでいっぱいでボロボロな畳敷きの部屋がつらかったです。
高校2年の夏、書道の全国展があり、これを期に3年生の先輩は引退します。
私を誘ってくれた先輩とも離ればなれです。
毎日、学校が閉まるまで練習して、土日も必ず部外での練習に没入していました。
私はその先輩に触発され、少しでも近づこうという思いに駆り立てられ、
字が上手くなろうという以上に、その先輩に心酔していた状態でした。
夏はいまのようにクーラーもなく、蒸し暑い部室。
そこで、必死になってコンテスト用に字を一心不乱に書き続けました。
どの字を出展するか決めるとき、手が震えたものです。
夏休みも終わる前、私の書いたものが金賞(2位)に輝きました。
そして、私の先輩の書いたものは審査員特別賞(1位)!
先輩の努力の成果が認められたこと、私の成長が確かなものとなったことがうれしかったです。
普段、落ち着いた先輩が強く私の両手を握ってくれて、
「○○のおかげだよ」と言ってくれたこと。私は思わず涙しました。
自分の受賞よりも先輩が私と一緒になって受賞できた喜び、
そして、先輩との別れが確実にやってくることの悲しみ、
この2つが私を泣かせました。
いまでもこのときの受賞は私の大切な思い出です。賞状は高校の部室にあります。
そして、その先輩は現在では仕事を辞め、書道の先生として地域に貢献しています。
先輩は私の才能を引き出してくれた恩人であり、尊敬できるライバルでもあります。
ライバルの存在は人生に決定的な変化をもたらすと共に、
自らの才能を伸ばすには最高の存在だと自覚しております。
私もそのような存在に少しでも近づきたいです。
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多くのマンガでもあるように、私のライバルは父です。
マンガのように、体力や知力といったので競っていません。
競っているのは人格や人間性といった性格そのものです。
父が幼い頃からの目標でした。父のように何でも実直で温厚でありたい。
父のようにいつか周りの人に安心感を与えられる人になりたいというのが目標でした。
父のように仕事がどんなに忙しくても、定時には帰ってきてくれて、
ご飯を食べるときも家族を第一に。食卓は賑やかであり、充実した時間でした。
休日は仕事で疲れているはずにもかかわらず、ドライブに連れて行ってくれたり、
塾の送り迎え、レジャーに行ったり、大忙しです。
父をライバルに感じるようになったのは就職してから。
自分を大学まで送り出してくれて、遠慮無く家に帰ってこい、と言える優しさ。
了見の狭いいまの自分にはとうてい及ばない父です。
いま、「ともだち親子」などという言葉が流行っていますが、
気さくに何事も話すこと、尊敬することをきっちり分けるべきだと思います。
尊敬することは押しつける必要もなく、自然と子どもは感じるものなのです。
私の場合はだいぶ遅れて感じたように思えますが。
目指す理想像、あるいは尊敬する人がいたら両親(特に、父)と答えています。
少しでも両親のように、父のようになれたら・・・と思います。
そんな父も「立派になる頃にはこの世にいないよ」と横で軽口を叩いています(笑)
家族が私を育ててくれた。特に、私にとっては父の存在は越えがたい壁です。
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どこも同じようなものかもしれませんが、私が通っていた学校は特に無関心層が多く、生徒会役員選挙は毎回無投票が恒例でした。対立候補どころか、全く立候補者がいない役職も珍しくありませんでした。
私はそこを変えたい、生徒の生徒による生徒のための活動ができる生徒会を作りたいと思いました。私が立候補を検討しているという噂が流れると、さっそく対立して立候補を考える生徒が現れました。成績優秀、スポーツ万能、おまけに顔が良く女子から人気という、絵に描いたような優等生タイプの男です。彼を便宜的に出来杉君と呼ぶことにします。
出来杉君の立候補表明は、あっという間に校内を駆けめぐりました。先生方の信任も厚い出来杉君は、立候補の受付も始まっていない段階からもう当選したも同然の扱いです。私は瞳の中にメラメラと炎を燃やし、打倒出来杉君の決意を固めることになりました。
立候補の届け出を済ませると、双方政策発表です。出来杉君陣営は、風紀の確立、学業・クラブ双方の成績の向上といった、私に言わせればク○食らえの目標ばかりを掲げています。
私はスローガンとして「仲間」の二文字を選びました。志望校の滑り止めとしてここを受けた、そして志望校に蹴られてここにやってきた、だからこんな学校好きになれない、ここで出会う友も好きになれない、ここにはそういうやつが多い、俺もそうだった、でもよく見ろ、ここだって捨てたもんじゃない、ここを今支配しているのは無気力だ、無気力ということは俺達が自由に気力を注ぎ込んでいいということだ、ここを俺達の自由な真っ白いキャンバスと考えよう、そこにみんなの色をぶつけていこう、そしてただの隣人から仲間になっていこう。そんな今考えるとこっぱずかしい政策をまとめ、発表しました。
ポスターを貼り、ビラを配りと、近年になかった選挙風景が校内で繰り広げられました。出来杉君のクラブ活動成績向上政策は各運動部に支持を広げ、運動部はほとんど出来杉君の地盤になりました。元から文化部に顔が利く出来杉君ですから、クラブはほぼ掌握の状況です。ポスター貼りもビラ配りもボランティアだらけで、とりわけ女子の活動が盛んです。
そこにいくと私の方は数人の男子が嫌々付き合ってくれている程度。もう勝負は見えていました。
ところがです。蓋を開けてみると、かなり大差で私が当選してしまいました。出来杉君がやってきて、おめでとうと言ってくれました。そして、ここの生徒会は毎年、前年の会長が次期会長を事実上指名していくのが慣例になっていたこと、出来杉君が前年度の会長から後継指名を受けていたこと、しかし今回の選挙戦の盛り上がりを見た三年生たちが古い慣習を捨てようと私の支持にシフトしたことなどを教えてくれました。(うちの学校では三年生は役員から引退することになっていましたので、当時私達は二年生でした)
そしてさらに出来杉君は、もし自分が当選しても今までのような生徒会にはしたくないと思っていた、建前上前会長の路線を引き継ぐ選挙活動をやったが、当選したら君(私のこと)の政策で活動しようと思っていた、と言ってくれたのです。
今回の選挙は会長以外立候補者無し。他の役員は会長が指名して生徒総会で承認という手続きになりましたので、私は出来杉君を副会長に指名し、二人でタッグを組んでやっていくことにしました。それからの私達は二人で一人のような絶妙のコンビになって、生徒会活動に取り組んでいきました。特に文化祭や体育祭は忘れられない思い出になりました。
勉強は、会長が副会長に負けっ放しでは格好が付かないからと必死に張り合いましたが、こればかりは全く歯が立ちませんでした。二人で学校帰りに食べた立ち食い蕎麦も忘れられない思い出です。二人とも小遣いが足りないのは一緒で、一つの天ぷらを分け合って食べました。
こんなライバルから始まってかけがえのない親友になっていった出来杉君は、今でも私の大親友です。
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一時私はかなりアマチュア無線に凝っていました。同じクラスにやはり無線好きな友がいて、休み時間はいつも無線の話で盛り上がっていました。お互い無線で会話が出来ますから、家に帰ってからも無線機を前に、あれこれと無駄話に花を咲かせました。
そんな仲の良い友人同士でしたが、私たちはライバルでもありました。当時私たちは4級という一番下の無線の免許しか持っていなかったので、どちらが先に3級になるかを私たちは競っていたんです。最近は国家試験の内容が簡略化され、3級にはトンツーのモールスの試験が無くなったようですが、私たちのころはまだモールスの試験がありました。私はこのモールスが苦手で、なかなか習得が進みませんでしたが、友人はもう当時の2級レベルのモールスも楽々受信できるくらいに上達しています。私も必死で練習して、一緒に受験申請書を出し、一緒に受験に臨みました。友人は2級相当の実力、私はぎりぎり3級の実力で、どうにか二人一緒に合格通知を手にすることが出来ました。
しかし無線の楽しみの一つに、無線機の自作があります。こちらでは私も負けてはいませんでした。雑誌の製作記事を参考に二人で同じ無線機の自作を手がけたことがありました。二人で秋葉にパーツを買いに出かけ、二人同時に製作に取りかかりましたが、友人の方はいくら調整しても、なかなか目標とする性能が引き出せません。電子機器には実装技術のようなものがあって、ちょっとした線の引き回し方ひとつで、ずいぶん動作が変わってしまうんです。国家試験では後れを取りましたが、こういう職人技系なら負けません。頼む見てくれと呼ばれて行って、ちょちょいといじってみごと問題解決。ちょっと鼻高々な私でした(やなやつw)。
こんなふうにそれぞれの得意分野で楽しく競い合ってきた私たちでしたが、今はどちらも無線からは遠ざかってしまいました。これも時代の流れなのでしょうか。
しかし友人はあれからもずっと無線の世界に向けた探求心を絶やさず、大学もそれ系に進み、大学院にも進んで、なんと博士号まで手にしています。それでも一緒に飲むと、君はすごいよ、僕は科学の方に進んだ、でも技術は君の方がずっと上だ、俺たちは今も二人揃って一人前の科学技術コンビだな、なんて言ってくれます。コノヤロウお世辞がうまくなりやがって。若き日の好敵手はいつまでたっても好敵手ですね。
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その人と最初に会ったのは、終電近くの電車の中でした。ひどく酔った女性が車内で嘔吐しました。乗客は一斉に後ずさりです。しかし一人の男性がサッと歩み出て介抱。女性は再度嘔吐して男性の服を汚していましたが、彼は全く意に介する素振りも見せずに、次の駅で女性を伴って降りていきました。
よくできた人だなぁ、ああいうことがサッと出来るのはかっこいいなぁとしばし感動。何もできなかった私はとりあえず最後部の車両まで行って、車掌さんにあったことを報告。車内の処理をお願いしてみました。
次にその人と会ったのはある駅前の広場でした。その人はなんと、植え込みの間に捨てられているゴミを拾って回っていました。初老の女性が何かのボランティアですかと声をかけると、彼は、いや、待ち合わせの相手が遅れているので時間つぶしですよと笑っています。普通、そんな合間にこういう隠れた社会奉仕など、なかなかできることではありません。はぁ〜、世の中には出来た人がいるもんだと再度感心してしまいました。
そういえばイエはてなでも様々な自主的な活動でマチを明るくしていくような取り組みが紹介されていたなと思い出し、私も何かをやってみようと考え始めました。とりあえず百均でトングを買い、マチのゴミ拾いに出てみましたが、いやぁ、実際にやろうとすると、これは勇気が要りますね。初日はどうしても勇気が出せずに、ただマチをうろついただけで挫折でした。
後日再び意を決して出動。今度は例の良くできた男性を思い浮かべ、世の中にはああいう人もいるんだから負けちゃいられないぞと自分に言い聞かせて駅前へ。今度はしっかり活動することができました。
一度こうして何かを一つ乗り越えると、色々勇気が出てきます。今までは、あの人何か困っていそうだなと思っても、一声掛ける勇気が持てませんでした。困っているように見えるのは気のせいで、本当は何でもないんだ、そうだ、そうに違いないなどと無理に思いこんで無視してしまうのが常でした。しかし一つ乗り越えると、すぐに声が出るようになります。
「失礼ですが、何かお困りですか?」
こんな勇気が持てるようになったのも、世の中にはああいう人もいるんだから負けちゃいられないぞと、自分を奮い立たせることができたおかげです。彼はそんなふうに私を育ててくれた、名も知らぬライバルと言えるでしょう。
世の中には、他人に迷惑をかける行為や、自分のことは棚に上げて他人を非難するためなら、おどろくほど積極的に行動できてしまう人が少なくありません。しかし善意や思いやりに基づく行動は、勇気が持てずに躊躇してしまいがちだと思います。それを堂々と、しかもかっこよくやって見せてくれた彼は、どこの誰なのでしょう。あれから数回電車の中で見かけました。特に何か特別なことがあったわけではありませんが、鞄や傘の持ち方ひとつにも配慮が行き届いている雰囲気が伝わってきます。ああいう人を紳士と呼ぶのでしょう。これからも勝手にライバル視して、少しでも近付かせてもらいたいと思っています。
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「隣に住んでた幼馴染」by id:choco-latte
私が小学4年のときに隣の家に同じ年の女の子が引っ越してきました。
ショートカットで、目が大きく、ハーフのような顔立ちの可愛いAちゃん。話してみると、とてもいい子で、仲良くなるまでにそう時間はかかりませんでした。
学校でも一緒、帰ってきても一緒、寝るとき以外は別々。
ってくらい毎日一緒にいるのが当たり前の存在でした。・・・続きを読む
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「ギャグのライバル」by id:atomatom
高校生のころ、モテるには運動ができるか、頭がいいか、あるいは話が面白いか、この3点が大事な要素だと思っていました。
あ、もちろん、見た目が麗しいというのも大きなポイントではありましたが。
で、ぼくがなんとか磨くことができそうなのは、話を面白くする、その1点だけだったんですが、クラスにトークの名人がいました。
そんじょそこらのお笑い芸人よりもずっとずっと面白いヤツって、ときどきいますよね。・・・続きを読む
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「料理のライバル」by id:TinkerBell
最近ちょっとしたきっかけで、高校生の男の子と知り合いになりました。
この子がすごいんです。
とあるボランティア活動で一緒になった人なんですが、
活動のたびに自慢の料理を折り詰めにしてきてみんなに振る舞うんです。
それがすごくおいしい!!・・・続きを読む
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「猫のライバル」by id:Oregano
知り合いの家に、それは気だてのいい猫がいます。飼い主をとても信頼していて、普通なら嫌がる病気の時の投薬などもいい子でサッとさせますし、猫にありがちな人見知りもなく、来客にも愛想を振りまきながら、猫好きを増やすのに一役買っています。
それもそのはず、この猫はJAHA(日本動物病院福祉協会)の人と動物のふれあい活動(CAPP:Companion Animal Partnership Program)に参加しているボランティア猫ちゃんなんです。・・・続きを読む
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「恋のライバル」by id:twillco
学生時代、すっごく大好きな片思いの彼がいたんですが
友人に話してみた所、まったく同じ人を友人も好きだという事が判明。
それ以来、どっちが先に告白するかで揉め
結局、2人同時にバレンタインデーに告白しよう!と決めました・・・続きを読む
「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」
「玄関チャイム」
日本でいう風鈴みたいなものでしょうか?10年以上も前に、友人からもらったタイランドのお土産です。
玄関ドアを開けるたびに、真ん中にある木のボールが金属パイプを♪リンロ〜ン♪と鳴らします。
その友人は東南アジア方面への旅行が大好きで、いつも私好みのおもしろい雑貨を見つけてきてくれます。
そういえば、喫茶店などお店のドアではこんなチャイムの音をよく聞きますが、
一般のイエではあまり付けているお宅がないような気がします…あると楽しいのに!
私は一人暮らしのマンションですが、猫たちのお迎え合図に(?!)さっそく付けてみます♪
−ハザマ−
»“リブ・ラブ・スナップ”今回のテーマはコチラから
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