「祖父と過ごした夏の光景」by id:Catnip


短期間ですが、わが家に祖父が滞在していたことがありました。祖父は見るからに厳格な雰囲気で、近寄りがたい感じの人だったので、その祖父としばらく同じ屋根の下と聞いて、私はかなり緊張していました。ところがです。一緒に暮らしてみると見かけとは全然違って、優しくて面白くて、私の知らないことを何でも知っている、素晴らしいおじいちゃんだったのです。私はすぐに祖父の大ファンになりました。


今でもわが家には、そんな祖父の思い出につながる場所がたくさんあります。リビングの掃き出し窓の下には、祖父が瓶ビールのケースを置いて板を渡した、即席の濡れ縁がありました。そこで食べたスイカの美味しかったこと。祖父と種の飛ばしっこをしましたが、私はプッと吹いてもなかなか種が飛びません。
「なんでおじいちゃんそんなに上手なの」
「なぜかな、小さい頃から歯を大切にしてきたからかもしれないな。ほれ全部自分の歯。この年になっても一本も入れ歯がないんだぞ」
この日から私は、きちんと歯磨きをするようになりました。


祖父は何かの用事でわが家に滞在していたらしいので、昼間はほとんど不在でしたが、何も予定がない日には私の夏休み工作なども手伝ってくれました。というより、祖父は祖父で別の工作に熱中していたというのが本当なのですが。
祖父は日曜大工程度のわずかな道具を駆使して、すごい御神輿のミニチュアを作ってしまいました。祖父は子供の頃、模型作りが大好きだったそうです。しかも時代が時代ですから、素材は木。パーツも一から手作り。学校で借りた本を見ながら、御神輿だの、お城だの、船だの飛行機だのと、様々な模型を手作りしては楽しんでいたそうです。その時の立派な御神輿のミニチュアは、今も私がその時作っていた工作と並べて飾ってあります。


柱の傷はおととしの…という歌がありますが、それと同じような印が、わが家の壁にも残っています。壁の角になった部分に、よくよく見なければ見つけられないような、小さな小さな印が二つ付けられているのです。それは、祖父と私の背の高さの印です。
お前がここ、おじいちゃんがここ、お前がここを越す時、おじいちゃんはまだ元気でいられるかな。
そんな言葉に私は少しべそをかいて、当たり前だよ、ぼくはすぐこれを追い越す、おじいちゃんも長生きしないと追い越し返せないよ、なんて言っていたのが昨日のことのように思い出されます。


祖父とこのイエで過ごしたのは、三週間にも満たない短い間の出来事でした。しかしその記憶は、今でもこのイエの中にたくさん刻まれています。祖父が置いてくれたビールケースの濡れ縁があった場所には、今は私が作った濡れ縁が置いてあります。今年の夏もそこでスイカを食べることでしょう。今はかなり上手に種が飛ばせます。


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