「虫の音を聴きながら和歌を詠む」by id:SweetJelly


以前、新聞のコラムで、こんな話を読んだことがあります。万葉集には秋の虫のことを詠んだ歌が少ない、それが古今和歌集の時代になると増えてくると。
これには平安時代に成熟していった国風文化とも関連があります。奈良時代はまだ、進んだ文化は大陸に学べの唐風文化の時代でした。そんな中で、少しずつ日本独特の風土や情操を大切にする文化を作っていこうという動きが始まります。この国風文化が成熟してくる平安時代になって秋の虫を詠む歌が増えてきたという日本の歴史。つまり、秋の虫の声に耳を傾けて独特の風情を感じる心は、どこの国の文化の影響でもない、日本独特のものなのだと言えそうです。


それでは古今集から、秋の虫を呼んだ歌を眺めていきましょう。


「きりぎりす いたくな鳴きそ 秋の夜の 長き思ひは 我ぞまされる」(藤原忠房
コオロギさん、そんなに鳴(泣)くなよ、この秋の夜のように長い(そして切ない)思いは、私の方がずっとすごいんだぞ。
忠房は笛の名手で、胡蝶楽などの作曲者でもあります。もしかして、こんなMCを入れながら、「それじゃ次の曲、いってみましょう」なんて、秋の虫の声をバックに笛を吹くライブをやっていたかもしれませんね(笑)。


「秋の野に 人まつ虫の 声すなり 我かとゆきて いざとぶらはむ」
これは詠み人知らずの歌です。マツムシを「待つ虫」とかけて、 秋の野に誰かを待っている虫の声がするぞ、私を待っているのかな、さあ行ってみよう、と歌っています。無邪気に自然と戯れる歌ともとれますし、人待ち顔で佇みつつ何かのメロディを口ずさんでいる人を見て、そこに生まれた恋心を詠んだ歌とも捉えられます。なんか絵になるって思いませんか?


「もみぢ葉の 散りてつもれる 我が宿に 誰をまつ虫 ここら鳴くらむ」
これも詠み人知らずの「待つ虫」シリーズです。紅葉が散り積もる我が宿。つまり誰も庭を歩く人がいないという描写ですね。そこでしきりに鳴く「待つ虫」さん。いったい誰を待って鳴いているのでしょう…。これも切なさが伝わってくる歌ですね。


平安時代と今では、キリギリスがコオロギのことだったり、マツムシがスズムシも含んでいたりと、ちょっと虫の名前の呼び方が違いますが、でもこの感性、今の私たちと変わりませんよね。さぁ、私達も秋の虫の音から感じる心を、何かの言葉にして詠んでみませんか。虫の声を聞くと、渇いた心もしっとりと潤ってくる。切なさ、人恋しさも込み上げてくるけれど、一人で過ごす夜長も悪くない。そんな風情を平安の昔から感じ続けてきた私達。きっと何か素敵な歌が生まれてくるに違いありません。


最後に、いつも和歌メールをやり取りしている中学生の女の子が詠んでくれた歌をご紹介します。
「ひとりでも 泣いたりしない この声は 私じゃないよ 秋の虫だよ」
夏の恋が…終わっちゃったんですね。虫の音に寄せる、平安の昔から変わらない感性が、ここにもひとしずく。素敵な歌だと思いました。


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