「家族会議という団欒のカタチ」by id:tough


ぎりぎりまで、何を書こうか迷いました。イエはてなと共に過ごしてきたこの三年間は、私にとってかけがえのない転換の三年間でした。学生時代から体育会系一筋で過ごしてきた無粋な私が、今は絵を描き、ギターまで爪弾く文化生活(笑)。もちろん上手下手は別問題ですが、暮らしに様々なアートを取り入れて楽しく毎日を送っている皆さんの姿に刺激されて、いつのまにか私の毎日もこんなに豊かになりました。
でも一番の変化は家族との時間。特に、かつてないほど両親との語らいの時間が増えたことが、私にとっての大転換でした。私もおそらくそのうち、新たな家族を得て独立する時が来ると思います。成人して、同じ大人として両親と接しつつ、同じ家に住む家族として過ごしていく期間。それはけっして長い時間ではないと思います。その貴重な時間をこんなにも豊かにしてくれるイエはてなの存在。それが私にとって最も大きな実りです。


きっかけは、このいわしでした。


■ 選挙前の家族討論会
id:MINTさん

情緒ないですけど…。ベルマーク集め会議が恒例のわが家では、選挙が近くなると家族討論会も開かれます。これは私や弟がまだ選挙権の無かったころからの恒例行事で、生きた社会勉強をさせたいという父の発案で始まりました。
(略)
ルールは、誰がいい、誰が悪いと言わないこと。候補者はみんな自分の考えがいいと思って言っているので、それをけなすのはルール違反です。ただ誰がどんなことを言っているのかの比較だけを話し合います。


今どきこんな真面目な家族の集いを行っている家があるのかという驚きは大反響を呼び、ツリーはどんどん大きく育ちました。しかし私がすばらしいと思ったのは、こんな固い話し合いなのに、それが家族の楽しい団欒の中で行われていたことでした。

そして、テーブルの上にお菓子を並べて、お茶を飲みながら会議が始まります。

一通り比較検討会が終わったら、残ったお菓子をみんなで食べて終わりです。


そして、この書き込み。


■ わっしょい!!
同じくid:MINTさん

家訓というか、わが家の合い言葉が「わっしょい」です。なにかをする時はみんなでテーブルを囲んで輪になって、せえの、わっしょーい!!
父が言うには、わっしょいの語源は和一緒で、和をもって一緒にやっていくという時のかけ声なのだそうです。本当かどうかはわかりません。でも、私の家ではそういう意味に使われています。
わが家のなんでも家族会議の習慣も、わっしょいの心からうまれてきたものです。


選挙前の家族討論会だけでなく、何でも家族会議。その根底にあるのは「わっしょい」の心。これに感動しました。私もこんな家族生活がほしいと思いはじめました。この頃、親しい友人が次々と一人暮らしに移行しはじめていましたので、私もこの家にいる時間が有限であることを、そろそろ感じはじめていたのかもしれません。


父も母もネットを使いますから、まずはじめにイエはてなのことを紹介してみました。もちろん自分が参加していることは最初は伏せておきましたが、「わっしょい」のツリーがあったイエ・ルポ #016 THEME「いつも心に!我が家の教訓・家訓&注意書き」


http://q.hatena.ne.jp/1174023489
などは、家族の話題にぴったりでした。父も母もイエはてなのいわしを覗いて、それぞれに興味を持ってくれたようでした。


父が晩酌を傾けながら、


■ 恋は命とおなじ
id:TinkerBellさん

古い歌の歌詞の一節だそうです。
父と母がまだ結婚前、何かで大げんかをしたことがあるそうです。
二人とも、もうこんな相手とは一緒にいられない、別れようと思ったそうです。
その時、この歌詞が流れてきて、二人とも、
恋は命と同じで一度失ったら二度と取り返せないんだと思ったそうです。
そして、母は父が最初に口を開いたと言います。
父は母の方から言い出したのだと言っています。
ごめん、って。
それから話し合って、二人が同じことを同時に考えていたとわかって、仲直りできたのだそうです。
以来、何かがあるとこの言葉を思い出して仲直りする、父母の間の家訓のような言葉になっています。
私に対しては、母は、恋は命と同じだから誰にでも必ずあるのよ、と言います。
どんな人でも必ず誰かに愛されるという意味に考えても、すてきな言葉ではないかと思います。

この書き込みのことを話題にしはじめました。「俺たちにもこんな時代があったな」と言うと、母が真っ赤になっていました。その時、世代が違い価値観も違うと思っていた父母が、とても身近に感じられたのです。

部屋に上がって前述のMINTさんの2つの書き込みをプリントアウトして戻り、こういう家が増えたら社会が変わるねと言って見せると、すぐに「わが家から変えてみるか」と合意が成立。これが記念すべきわが家の最初の家族会議になりました。


それからは色々なことを話し合ってきました。わが家の家族会議のスケジュールは、たいてい週末です。父も私も外の付き合いがありますから毎週というわけにはいきませんが、今週は語り合うかと予定がまとまると、父母と私が交代で飲み物食べ物を用意します。
「これが今話題のスイーツという物らしいぞ」
「こ、これはもしや」
「なんとか言う格闘家が大好きだというねんりん家のマウントバームだ」
父のチョイスはなかなか凝っています。家族会議のために、会社で若い社員から熱心にリサーチしてくるのだとか。
私はワインとそれに合わせたチーズなど。
「お前が用意する日は酔っぱらって討論にならんな」
「そりゃ飲み過ぎだって」
楽しいひとときが繰り広げられます。
もちろん母が担当の時には、腕によりをかけて色々な料理を用意してくれます。イエはてなでも話題になっていた秋らしい炊き込みご飯は、わが家ではこの家族会議に登場しました。


議題に上った話題は、地球温暖化問題から部屋の模様替えに至るまで様々でしたが、最も盛り上がったのは、父の故郷の合併問題でした。父は、懐かしい町の名前が消えることを、とても残念だと嘆いていました。親戚に聞いてみると、もううちの町は限界だ、隣の大きな市の財政力に頼るしか活性化の道はないと言います。しかし別の親戚は、隣の市だって財政が苦しいんだからこっちの面倒まで見てくれるはずがない、合併すれば今の町の主体性が無くなる上に財政の保証までなくなると心配していました。町内会長をしている親戚は、町内会としてのタテマエは賛成、でも住民の気持ちは反対、政治の駆け引きがあるから嫌を嫌と言えない空気があると、内情を説明してくれました。そういう親戚の生の声を聞いて、家族で話し合い。父は、いつか生まれた町に戻りたい、退職後は故郷の町おこしに新しい生き甲斐を見つけたい、今はそのための帰れる町が残っていくよう、外から応援するしかないと言いました。今私は、そんな父をどう応援するかを考えています。


もちろん家族会議には、家のメンテナンス計画なども話に上ります。私もDIYは大好きですから、こういう話題は燃えてきます。たとえば、こんなツリーが話題に上りました。


■ 玄関先の段差を無くす
id:C2H5OHさん

たいていの家の玄関は、ドアの前が一段高いコンクリートのタタキになっています。友人の家ではタタキの周りに土盛りをして、この段差を無くしてしまいました。現在は実験中ということで将来的には盛った土を取り除いて元に戻すことも有り得るとのことですが、庭との急激な段差がない玄関はとても安心感があり、重い荷物をキャスターで運び入れるのも楽々です。また庭とタタキがなだらかなスロープ状の盛り土でつながれたとはいえ、玄関が一段高いことには変わりがありませんから、雨が降っても雨水が玄関に流入することはありません。
友人は、なぜわざわざ玄関先に段差をつけるのかその必要性が分からない、スロープ状上がり口が普通になれば車椅子の人も楽だし、酔っぱらって玄関でけつまづく人もいなくなってみんな幸せになれるのにと言っています。

玄関のタタキの段差解消は、大いに興味をそそられるテーマでした。
「すりつけというやつだな、道路工事の時など、一時的に段差が出来る場合は、このすりつけの施工が欠かせない」
「車道はもちろん、歩道などにも段差を無くす土盛りや一時的なアスファルトの仮設があるね」
「安全のためには段差解消が欠かせないという常識があるのに、それが家に適用されていないとは、考えてみればおかしな話だ」
「よし、わが家でもやってみようよ」
わが家ではごく簡単に、ホームセンターなどで売られている歩道用段差解消スロープを設置することで対処してみました。
例 http://www.j-sanyou.co.jp/smile/kaiteki/rcl_roadupg.html
玄関のタタキの高さは歩道の段差とは違いますが、それは土盛りをしたり土を削ったりすることで調節出来ます。
この試みは大成功で、キャスター付きの旅行カバンも、買い物用のキャリーも運び入れ楽々。バリアフリーはそれを必要とする特別な事情の人だけでなく、あらゆる人に便利なんだと実感することができました。


イエはてながわが家にもたらしてくれた、語らいという習慣。家族会議という一見固い行いも、イエはてな流になるとこんなに楽しい団欒になり、そこから色々な行動が広がって、大きな実りにつながっていきます。イエはてな4年目のこれからは、できれば父や母にも書き込み参加を勧めたいと思っています。そうすれば、仮に私が今の家を出て独立したとしても、いつもイエはてなという同じ屋根の下で一緒の語らいが続けていけます。。


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