イエ・ルポ #033 家族から、家族への忘れられない贈り物
こんにちは、ハザマです。台風シーズンで大雨が降ったり急に晴れたり、ジェットコースターのようなお天気ですね。台風も被害さえ出なければ、恵みの雨で植物たちはすくすく。うちの屋上でもゴーヤは伸びつづけ、オリーブたちも若い葉を広げ、アイビーや多肉植物も緑鮮やかです。ささやかなガーデニングでも水と太陽が生命を育むことを実感させてくれるんですね。先日は、ゴーヤの花に小さなハチがきてくれてうれしかったです(^^)。
さて、今日は“イエ・ルポ”#033のはじまり。今回のテーマは「家族から、家族への忘れられない贈り物」です。これまでに贈ったもの、プレゼントしてもらったもの、その思い出のエピソードを聞かせて下さい。今回もハートウォーミングなお話がたくさん出てきそう。みなさまのルポ、楽しみにお待ちしてます!
#033 お題「家族から、家族への忘れられない贈り物」を教えて下さい
今までには“リブ・ラブ・サプリ”の母の日・父の日テーマの時に贈り物の話題がいろいろに出て、心に残っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。でも、もらった思い出や、兄弟やおじいちゃま、おばあちゃま、奥様や旦那様、甥っ子や姪っ子への贈り物のお話をするのは初めてですよね。
お誕生日やクリスマス、子供の日、成人の日、敬老の日…。子供の頃には初めての自転車が最高にうれしかったし、男の子はバットやグローブ、大きなものではピアノなどの楽器もありますよね。私は小学校4年生の時に「サンタクロースさんに万年筆が欲しいとお願いした!」とすごく早くから父母にアピールしたりして、可愛くない子供でした(笑)。今も残っているもので、一番大切にしているのは書き込みがたくさんの「おいたち」アルバムかな…いつもらったというものではないですが。あと、無形の贈り物というのもありそうです。先日TVである俳優さんがお父様の口癖のような座右の銘が一番の贈り物、それが今までの自分を支えてくれたとおっしゃっていて、ちょっと感動してしまいました。
贈り物ばかりはみなさんそれぞれ違ったものや思い出が多いでしょうね。ぜひじっくり思い出して、ずっと心に残る贈り物のお話、聞かせて下さい。
「果たしたかった娘三代の温泉旅行」
ちょっとしめっぽい話になってしまいますが、今でも忘れられない贈り物の記憶があります。それは今から10数年前、本家に住む母方の祖母と母と私の3人で行くはずだった温泉旅行。祖母の足腰が弱って痛いと言いはじめた頃、これはと思い立って、当時私が住んでいた京都にふたりを招待して3人で鞍馬温泉に行こうと計画を立てました。ふたりとも喜んでくれて、宿も取り、3週間前に新幹線チケットも送りました。
ところが、直前になって祖母の体調が良くないと連絡があり、一旦取りやめに。以前から病院通いしていた糖尿病の加減が一時的に悪くなったのでした。その後、様子をみていたのですが、足腰の痛みも強くなる一方で、旅行は不安な状態がつづき…ある夏、祖母は急に倒れてそのまま逝ってしまいました。
倒れる夏まで、お盆とお正月はかならず会ってひとまず元気に話はしていました。けれど、母が嫁に出て一度も一緒に住んだことのないこの親子3人の水入らずの旅行は、私には少し特別なものでした。もちろんこれまでの感謝もあります。でもそれ以上に、おばあちゃんから出てきたお母さん、お母さんから出てきた私、と産んでくれてつながっている不思議な娘関係、本当の水入らずで一度数日を過ごしてみたかった。3人で一緒にお湯につかって、3人並んで背中を流して、宿でゆっくり聞いたことのない昔むかしの話を聞きたかった。おばあちゃんのお母さんの話も、娘時代の話も、お母さんが子供の頃の話も。
今思えば、京都でなくても実家のどこか近くでも行っておけばよかったな。果たしたかった、たった一度の娘三代旅行のプレゼント。今はこれも思い出に、母と一緒におばあちゃんを懐かしみたいと思います。
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いわしの回答(転記)
実は、私には妙な記憶がありました。それは、一度も、どこでも聞いたことのないような子守歌の記憶でした。
ある時それをふと口ずさんだら、それはまだ私が生まれる前に、母がお腹の中の私に歌って聞かせてくれていた歌だった、ということが分かりました。もちろん母の自作です。でもそれは、私が生まれてからは一度も歌ったことは無いと言っていました。
お腹の中でもちゃんと音が聞こえる。そしてその時の記憶はずっと残っている。話しには聞いたことがありますが、本当に私はその体験をしたわけです。
母の歌は、素朴ですがとても美しいメロディです。歌詞はまったく覚えていませんし、母もそれを教えてはくれませんでしたが、きっとお腹の中の私に優しく語りかけてくれるような詩だったのでしょう。その愛が、私のもらった一番最初の、そして最高の贈り物です。
メロディは今でもしっかり覚えています。いつか何かの形で残していきたいと思っています。ピアノ曲にしようかな。母はピアノが好きでしたから。
ちょっとクサい感じに思われるかも知れませんが・・・
子の立場からはこれに勝る贈り物は無い。そう思っています。
意見が合わなくてけんか状態になったときでも、何かにつけ親の心の大きさを感じます。
忘れようったって忘れられませんよ!ね!
親の愛。大人になって初めてわかりました。自分がどんなに愛され、守られて育てられてきたかが、大人になってやっとわかりました。ずいぶん親とはけんかもしてきましたが、今になってその愛の大きさがわかります。親の愛は最高の贈り物ですね。
父の還暦の時撮った家族写真を年賀状に送ったところ何故だか良く分かりませんが絶賛されました。
(本当にお世辞ではないと思います)
よく見返してみると何の変哲も無いけど誰も力まず笑顔というのがいいのかな?
両親ともに良いプレゼントができて嬉しい限りです。
お父様の還暦はすばらしい記念ですから、
その時の写真を喜んでもらえたら最高ですね。
家族の肖像がプレゼント。
いいなぁ。こういうの、すごくいいと思います。
きっとご両親は今も時々その写真を取り出して、
幸せな気持ちを味わっていらっしゃるでしょうね。
小学校に行けるというだけでもウキウキ気分な私に両親は机を買ってくれました。大きなものが自分のものになったんです。嬉しいですよね。更に嬉しかったのはランドセルです。優しい祖父母と私が一緒にデパートに行って選んで買ってくれたんです。祖父母はこの為だけに遠路はるばる来てくれました。盆と正月が一緒に来た様、という言葉がありますが、私にとっては正にこのときがそうでした。
手作りの、最高のプレゼントですね。
お母様を思って一生懸命に作ったカーネーション。
きっとどんな宝石より輝いて見えたに違いないと思います。
私も今年、十何年ぶりという感じで母の日にプレゼントを贈りました。
たいしたものは贈れませんでしたが、
とても喜んでもらえました。
その喜んでくれる様子が、自分にとっての何よりのプレゼントでもありますね。
私もそれをすごく感じました。
もう半世紀以上昔のことです。でもいまだに覚えているのですから強烈な印象だったのでしょう。
今のようにクリスマスと言っても華やかなものではありませんでした。「サンタクロースがくつしたにプレゼントを入れてくれる」と言うことをどこかで聞いてきたのでしょう、家族で話したのだと思います。でも、そのころの家は質素な暮らしをしていましたから、プレゼントなどと言うもの自体、遠い存在でした。クリスマスにもどんなことをするのかよく知らなかった時代です。
クリスマスだとはしゃぎながら寝てしまった幼かった私は、翌朝目を覚ましたとき、枕元にくつしたが置かれているのを見つけました。初めてのプレゼントだったのかも知れません。靴下の中には蜜柑が2,3個入っていました。何が入っていたかと言うことよりも、クリスマスのプレゼントということでとても嬉しかったのを思い出します。
今はものが豊かになりましたがが、そのせいでものの価値がなくなってしまったように思います。どんなに高価なものにも満たされない心になっているようです。
幼い子どもを喜ばせようとしてくれた、母の心遣いにほのぼのとした気持ちになります。
あっ、自分の部屋をもらったのが一番うれしかったです!
今の子供は小さい頃から自分の部屋があるけれども、昔はそうではなかったんですよね。
家を増築して、自分の部屋が出来たときはうれしかったです。
初めて自分の部屋ができたときは、子供ながらに秘密基地ができたような気がして本当に嬉しかったですね。
漫画を読んでて親の足音が聞こえたら急いで勉強しているふりをすることなどを覚えました(笑)
私が子供の頃は、今みたいに簡単におもちゃを買っては貰えませんでした。
誕生日でも、必ずしも貰えるとは限らなかったです。
あるとき、私が三日ばしか(風疹)にかかって具合を悪くしていると、
父がお人形を買ってきてくれたのです。
こんなことは、めったにありませんでした。
すごく嬉しくて、病気の具合悪さも忘れてしまいました。
本当に嬉しかったなぁ?♪
病気も忘れて喜んでしまったなんて、本当にうれしかったんですね。風疹は私もかかったことがありますが、発熱している時は辛いし、後で痒いのも辛いし、そして体は元に戻ってもしばらく外に出られないのも辛かった記憶があります。そんな時に新しいお友だちとして人形が来てくれたら、本当にうれしいですよね。お父様の愛が感じられます。
子供から、0時になると同時に送られてきた、
「誕生日おめでとうメール」
保護して消さずにとっておいています。
他にも嬉しいメールは、なかなか消せないです。
機種を変えちゃうとメールもなくなっちゃうので、
PCに転送して大切に保存しています。
メールも心がこもっていたり思い出があるものは、
手紙と同じで消せませんね。
残念ながら、その腕時計は、なくなってしまったので手元にありません。
デジタル式のカシオの腕時計を 買ってもらいました。
田舎なので買ってもらった店をあかぬけてないお店でしたが
時計をもって常に時間をチェックできるのは うれしいことでした。
中学校入学当時は、ほかに 自転車など(通学用)も買ってもらい
今から 思えば いろいろお金がかかったことだと思います。
着物は古くなると着られなくなるものですが、祖母、母、そして我々の世代に順番に捨てることなく受け継がれています。
母が若いときに誂えたド派手な着物!
赤地に松竹梅とキジ(鳥の)柄で、ものすごいインパクトのものです
母が一目ぼれして「他のものはいらないからこれだけは買って!」と祖父母にお願いして買ってもらったものだそうです
すごく凝った柄で、今じゃなかなか作れない柄だろうね と言ってました
持ってる着物の中で一番のお気に入りです!!!
別のツリーでも書きましたが、本日は私の誕生日です。
便乗しちゃいましたが、本当にありがとうございます。
そして本日は広島に原爆が投下された日でもあります。
以前イエはてなで戦争が話題になっていたときに書いたのですが、自分の誕生日が原爆の投下された日で、「この日がきてほしくない」とインタビューで答えていた人の話を小さい時に聞いてすごいショックでした。
その頃は誕生日が来るのが待ち遠しかったから。
なんでこんな日にうまれちゃったんだろ?って正直思いましたが、そのせいか小さい頃から人一倍戦争や原爆といういうことばに敏感でした。
とかく小さい頃から原爆に関する小説や本などは、自分から読んでいたような気がします。
しかし、戦争がどんどん記憶から忘れ去られようとしているときに、この日に生まれたということは、絶対に悲惨な戦争のことを忘れるな!という意味だったのかなぁ?と考えるようになってきたのです。
それに気づかせてくれたのはイエはてなでした。
そういう意味で、昨日でもなく明日でもなく、今日に両親が生んでくれたことに感謝したいです。私にとってはすばらしい贈り物だと思います。
もし、誕生日が今日でなかったら、きっと私はそれほど深くは考えていなかったと思うんです。
私にはなにもできないですが、できることをやって戦争について考え、伝えていきたいと思います。
私も今日、全国の皆さんと共に、広島に向かって黙祷を捧げました。職場の全員で行いました。きっかけは、やはりちょうど今日が息子さんの誕生日という上司がいたからなんです。
終戦の年の今日、広島ではたくさんの人が一瞬にして殺された。いったい今日は何人の人たちの命日になるだろうか。うちの息子はその日に生まれた。うまくは言えないけれど、二度と生まれた命が戦争で殺される時代にしたくない。今日息子は家で黙祷すると言っている。私もここでやりたい。みんなも一緒にやってくれないかと。上司が突然そう言い出したんです。
私はvivisanさんのことも思い出しました。そしていつもカバンにラジオを入れているので、ラジオありますと言って取り出して広島からの中継を流して、皆で黙祷を行いました。
今は国を守るためなら戦争をしてもいいと考える人が多くなり、国は戦争では守れないということを嫌というほど経験してきた歴史が忘れ去られようとしています。今日、そして9日、15日という節目を通して、私ももう一度歴史を見つめ直してみたいと思います。
そんなわけで、兄からは私が前に食べたいと言っていたオーオンビュータンのクッキーを、母からは「好きそうだと思って」と私の好みビンゴ☆のストライプ柄のパジャマをもらいました! 父からは・・・アレレ?
二人とも、私が前に言ってたこととか私の好みを覚えててくれてたことがうれしかったです
朝からメールをくれた友達もうれしかったです!! みんなありがとうーー
毎年、僕の誕生日になるとプレゼントと一緒に手紙が入っていました。
年をとるにつれて文章は短くなっていったものの、プレゼントよりも手紙のほうを今でもずっと残しています。
逆に僕が小さい頃に母の誕生日に渡したらしい手紙も残しているようです。
贈り物ではないかもしれませんが、手紙が一番思いで深いものかもしれません。
旦那さんと付き合ったばかりの時の誕生日に
ネックレスと詩をもらいました。
二人ともフジテレビの「あいのり」が大好きで、
意中の相手に時々詩とかを相手のために読んだりするのを真似て、
詩を読んでくれました。
私の事を小さな花に例えた言葉が並び、読まれている間、照れ恥ずかしくて、溶けて消えてしまいそうに体の力が抜けましたが、もう二度と貰えない大切な大切な詩です。
今旦那に見つかったら、恥ずかしくて衝動的に燃やされそうなので、奥の奥に直してあります。
私も詩を書いたり読んだりするのが大好きです。
詩って、心が伝わりますよね。
っていうか、心の中にあって、
でも口には出して言えないような言葉を綴るのが詩かなぁ、
なんて思います。
すてきな贈り物。うらやましいです♪
今年から就職しました。
私は病気してきたため、親に苦労をかけてきました。
なので初月給で家族をお寿司屋さんに連れて行きました。
いつもよりお寿司がおいしく感じられました。
うわぁ♪ご両親への何よりの贈り物になりましたね。
きっとご家族の皆さん、喜ばれたと思います。
私も何かと親には苦労をかけましたが、
お礼、してないなぁ…。
逆に就職した時、お祝いだって食事に連れて行ってもらっちゃいました。
今度改めてお礼しなくちゃと思います。
PARKER 万年筆 ソネット シズレ GT (色:シルバー 材質:スターリングシルバー ペン先:18K 太さ:中字)
- 出版社/メーカー: PARKER
- メディア: エレクトロニクス
これじゃなかったけど(これ、かっこいいですね)。
中学校の入学祝いに買ってもらった。
それまでにも、万年筆は商売をしていた親父が手紙や請求書の宛名を書くときに使ってたので、ときどき興味本位で貸してもらって「ふむふむこれが万年筆か」みたいに思いながら字を書いていたので、全然初めて見た、触ったってわけじゃないんだけど「自分専用のだ!」というのがものすごくうれしかった。
最初は妙にハイになってノートとか紙に名前を書いてみたり「あああああああ」とか書いてみたりして「これで俺もオトナじゃん」みたいに思ってて感激していたのだが。
中学生が主に使う筆記具ってやっぱりシャーペンなのであった。よくてサインペン。手紙を書くのが趣味ですみたいなわけでもなく、そういや今に至るも字は下手だ。
なのですぐに飽きて(使うあてもないし)、引き出しの中にしまったままになってしまった。
それでも大人になってから趣味で(これまた長続きしなかった。学習能力のない奴)買った万年筆よりも、もらってドキドキしたのはあの万年筆だった。
あの万年筆、どこに行ったのかなあ。
インクが乾いてしまったり、無くすと恐いしで、
なかなかうまく使いこなせないのですが、
旧姓の名前の彫られた万年筆とシャーペンのセット、
うれしくて今もとってあります。
実はその後1本だけ万年筆を自分で買いました。
今後甥や姪や従兄弟や孫に万年筆を送る人、
慶弔用の毛筆万年筆はいかがでしょうか?
スポンジ筆先の筆ペンよりかなり綺麗にかけるし、
毛筆筆ペンとくらべてもインクカートリッジの入れ替えで永遠に使えます。
大事にすれば永遠につかえる筆軸がうれしいかも。
筆先が結構ちゃんと保つので(ふたのおかげ?)びっくりしています。
たまに、実家の猫がクモや虫、トカゲなどを部屋の前や廊下に置いていってくれます;;捕るのなら自分で食べて欲しいと思うのですが、あの得意そうな顔を見るとしかれなくて、庭の隅にそっと置きに行きます。
子どもの時、本当に保育園に入った頃でしょうか、
長い髪を切って、それをそのまま筆にして頂きました。私はその時は筆にした事も分からなかったのですが、15歳になった時に、着物と一緒に母から贈られました。
筆はまだ子どもの頃のやわらかい毛で作られているからでしょうか、とても自分の髪とは思えない手触りです。一度も使えずにいますが、使ってこそだと思いますので、いずれ機会を設けたいなと思いました。
髪の毛を筆にできるんですね、知らなかったです。
こちらも自分の子供ができたときに是非参考にしたいです。
自分が貰っていたらきっと使えない保存版になりそうですが、本当に貴重なものですね。
私が小学生の頃、母が本を買ってくれました。
今でも良く覚えている「シートン動物記」と「ファーブル昆虫記」の子供向けに編集したシリーズ全巻でした。
動物や昆虫が沢山出て来る、とても面白い本だったので、夢中で読みました。
気が付くと本が好きになっていました。
私に読書の習慣が付いたのは、その時の母のプレゼントのお陰だと感謝しています。
初めて書いてくれた、ぐちゃぐちゃなパパの絵。
初めて書いたお父さんの絵は、
お父さんどころか何を書いているのかわからない、
ぐちゃぐちゃのクレヨンの線でした。
でも使っている色がお父さんの服の色…だったらしいです。
今でも残っています。
はずかしー。
私が学生の時、下宿を訪れた私の母親がこっそり入れておいたものです。数ヵ月後手紙に書いてあり、とっても嬉しく、助かりました。
プレゼントでは無いのですが・・・
これには頭が下がります。小学校時代の教科書ならまだしも、ノートまで取ってあるんですから。学級通信まで。何度が引っ越しているんですが、必ず持っていくみたいです。
これも親にとっては、ある意味、忘れられない贈り物なのかも。
たまに、「小学生のころの自分のノートを見てみたいなあ」と思うことがあります。
そこまで取ってらっしゃる家庭も珍しいのでは?!
うちにはノートはおろか、教科書まで手元に無いので羨ましいです。