イエ・ルポ #031 あなたの子供の頃のイエの思い出
こんにちは、ハザマです。一昨日、はじめて使いました、マイ箸!箸袋を作って持ち歩いていたのですが、やっとチャンス到来。父が東京出張の時はうちにお泊り、そして浮いた宿泊代で美味しいものを食べに行く、というのが恒例なのですが、久々に来たー。で、大好きなタイ料理を食べに行きました。父のと二膳持参して、シャキーン!と取り出したマイ箸。タイ人のご主人もイイネ!とニコニコしてましたよ(^^)。
さて、今日は“イエ・ルポ”#031のスタート。テーマは先日予告の「あなたの子供の頃のイエの思い出」です。一人遊びで、家族で、キッチンで、お風呂で…みなさん懐かしく思い出す情景や出来事ってありませんか?ぜひ今回も面白いルポを楽しみにお待ちしてます!
#031 お題「あなたの子供の頃のイエの思い出」を教えて下さい
以前の“イエ・ルポ”#010では、「あなたの記憶に残るイエの情景」というテーマでお話しましたね。その時も「屋根に上がって」とか「大雪で停電の夜」、「おじいちゃんと眠った部屋」「父の手作り鉄棒」「裏山でかくれんぼ」などなど、子供の頃のエピソードをたくさん出して頂いて、とても心に残っています。やっぱりイエの思い出って、子供の頃の記憶が多いんだなぁと、まだまだありそうな気がして、今回のテーマにしてみました。
思い出深い場所、今ではなくなったイエの風景、イエでの出来事、色々ありそうですよね。私のイエの楽しい思い出は部屋にいっぱい飾りつけをして友達が集まったお誕生日会。そして怖〜い思い出は、母に叱られて閉じ込められた暗い押入れ!(笑)また、子供の頃の一番好きな写真に、昔の家でオモチャ箱があった遊び場の廊下で、大きなお人形を背にくくってぬいぐるみを抱いた姿のがあります。昔のアルバムを開くと忘れていた景色も出てきて懐かしい(^^)。
家族や兄弟と過ごした日々にも思いをめぐらせながら、あなたのイエと出来事のエピソードを聞かせて下さい。
「プールの後のお昼寝、みんな顔に同じ跡がついてるよ」
小学校の夏休み、学校が開放してくれるプールによく行ってました。父兄同伴でないといけないので、母と弟と一緒に。そしてさんざん遊んで帰ってくると、疲れを取るために必ずお昼寝をしないといけないんですね。どこでお昼寝するかというと、ダイニングキッチンの床にビニールのゴザマットを敷いて3人で川の字。
暑い夏、クーラーもまだなかった頃の昔の家。二階は暑いので一階で、しかも涼しい板の間はダイニングだけ。居間はカーペットだし、今のようにフローリングなんてなかったですもんね。板の間のダイニングテーブルの脇、ナンデこんな変な場所に寝るの?と母に聞くと、ここが一番涼しいでしょって。うん、たしかに。ホントはまた今すぐ遊びに出たいのに、仕方なく、お腹の上だけタオルケットを掛けて1、2時間寝てました。
そして誰からともなく起き出すと…お互いの寝ぼけ顔を見てキャハハ!3人揃ってハンコを押したように片方のほっぺたに同じゴザマットの跡。顔が畳のようなシマシマ模様です。オマケに腕や脚にも。こんなの付いてたらもう外に出られないよぉー!いつも同じことになるのに、ナゼかお昼寝に枕はナシで、ゴザマットのひんやりした感触が気持ちよくてそのまま寝てしまってました。
今はクーラーがあるからどの部屋でも快適に過ごせるけれど、子供の頃の家では母がこんな工夫をしてたんだなぁ。キッチンで寝るなんて今考えたらとってもヘン!しかも川の字で。でもこれがひんやりと忘れられない夏休みのイエの思い出なんですよね(^^)。
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※今回の「いわし」ご投稿は7月26日(木)正午で終了とさせて頂きます。
いわしの回答(転記)
庶民的な家なので小さなお庭です。園芸好きな母は季節のお花やちょっとした果物や野菜を育てていました。夏は暑いです。夕方の水やりタイムには私たち子どもはお花と一緒に水をかけられるのが楽しくて、右へ左へと駆け回っていました。能天気な子ども時代ならではです。
父と母と三人で花火をやっていた時のことです。私は木の枝に止まっていた蛾に花火を向けて「光線銃ー!!」とやろうとして、父に「生き物に何をする!!」と、こっぴどく叱られました。父の怒鳴るのが早かったので、蛾は無事飛んでいきましたが、私はせっかくの楽しい花火が台無しになってしまって、しょんぼりでした。
気を取り直して、ちょっと心が沈んでいたので、派手な花火はやめにして、線香花火に火を付けました。ジジ、ジジと音を立てて広がる光を見つめていると、生きている命を遊びで焼き殺そうとした残酷さがだんだん理解できてきて、取り返しの付かないことになる前に叱られて本当に良かったと思えるようになりました。
そこで素直に「お父さんごめん」と言おうと思って顔を上げた直後…。線香花火の熱い玉がポトっと落ちて、サンダル履きの足の上に!!あちー!!私はそれこそ火のついたように泣き出しました。泣きながら、もしあの時蛾を焼き殺していたらあの蛾はこんな苦しみを受けたんだと、心から反省しました。父もきっとそういうことを言いたかったと思いますが、それには一言も触れずに、やさしく冷やして手当てしてくれました。
線香花火はだれでもやったことがある花火ですよね。
でも、おおきくなった玉を落とさないようにするのは、
なんというか一種の精神力というか、忍耐力というか、
じっとしている力が必要ですよね。
私は虫に花火を向けたことはありませんが、草に花火をかけた記憶はありますね。
そのときはやはり火事になったらどうすると怒られました。
何を売りに来たのか、覚えてません、小さかったから・・・しつこく何かを売りつけようとした挙句、完全に断られたと悟った途端に凄い剣幕でドアを蹴り飛ばして帰って行きました・・・怖いのなんの!!!!!今でも訪問販売というとこのイメージが強くて大嫌いです。
田舎のほうに引っ越してからですが、庭が少し広くなったので、親父がブロック買ってきて適当な金網を挟んでバーベキュー用のコンロを作ってくれました。
ちゃんと炭を使って火を起こして肉とか野菜とかじゅうじゅうと。
暑いんだけど夏にやったことが多かったかな。親父は食べるより飲む方優先でビールがどんどん空いてました。それでビールがうまい夏にやったのかな。
そういえば確か一度やってる最中に夕立が来て、大慌てで撤収したことがありました。
懐かしい思い出です。
うちは騒げるほど庭が大きくないので、
もっぱらバーベキューは川原に出かけてやっていました。
でも今年は脱臭用に炭を使い始めましたので、
炭がたくさんあるんですよ。
もちろん今年も川原でバーベキューをすると思いますが、
庭でもぜひやってみたいですね。
家でやれば酔っぱらってもその場で寝られますから、それが魅力です。
今思い出してみると、小さい頃住んでいたアパートにはシャワーがありませんでしたので、
風呂桶からお湯を汲んで身体にかけたり、髪の毛を洗っていたような記憶があります。
今ではシャワーのない風呂場って想像できませんが。
皆さんのお風呂場には、小さい頃からシャワーがありましたか?
自家製のパンが大好きです。機械のホームベーカリーで作るパンではないのがいいです。でも、自家製パン作りの方法なんか知らなかったおばあちゃんの「ふわふわパン」が何よりも一番好きです。今もおねだりします。作っているのをそばで見ていると普通のフレンチトーストなんです。本当に小さい頃には「ふわふわパン」だと言っておばあちゃんが作ってくれました。どんなカフェのフレンチトーストよりとびきり美味しい!そんなふわふわパンです。
祖父宅の裏に竹林があって、春になると祖父と父と私たち孫でたけのこ掘りに行ったものです。子供はタケノコ発見係。祖父か父を呼んで掘ってもらいます。とっても立派な大きなタケノコをたくさんとってきました。
祖父宅に帰ると、祖母がさっそく湯がいてくれて、すぐにおいしいタケノコが頂けました。私の好物はタケノコのお味噌汁でしたねえ。
祖父も他界した今は、掘りにいくこともなくなってしまいました。寂しいなあ。
筍掘りは春の恒例行事でした。私の好物は筍ご飯!!
地面がちょっと「もこっ」っとなっている所を探すんですよね!それでまわりの土/落ち葉を除けて掘っていき、最後に「ざくっ」と根っこを切り取って。ちゃんと「筍掘り」用のシャベルというのもありました。普通のシャベルに比べて長細いやつ。懐かしいなー。ここ数年は筍掘りはずっと人任せです。行きたい、行きたいと春になると毎日の様に思うんですけれど。。。
三才位の小さい頃に引越しをしました。
前のイエはアパートだったようです。
あまり覚えていませんが、確か部屋は二階で窓からは野原がみえていたような気がします。
そばには電車の踏み切りがあり、背の高い草が生い茂っていたような・・・。
今でも踏み切りのそばに在るアパートなどを見ると、懐かしいような感じがします。
父のこだわりで、実家のお風呂はこれです。薪で焚くため少し手間と時間がかかります。でも燃料費はタダ同然で、冬場は暖まります。是非、今の家にも付けたいのですが、嫁さんが猛攻に反対しているため、実現は難しい情勢です。いいのになぁ・・・
友達と遊ぶのに約束をしてから、というのが親や教師たちの言い分でしたが、子どもですからそんなことはどうだっていい。約束なんてしてなくたって遊びたい相手は居ますよね。
そこでアポ無し突撃。
なんですが、居ないときがあります。呼び鈴を押してから誰も居ないのが分かる方がなぜかとてもがっかりしました。段々手馴れてきた小学生は呼び鈴を押す前に友達の家に誰かが在宅かどうかを知る方法を考え付きます。
例えば、外に見えるところについている電気メーター。回転速度が速いと居る確率が高い・・・とか、いろいろ考えて、呼び鈴を押すか押すまいかを決めていました。
時々、怪しい人を取り上げたテレビ番組で家宅侵入の手口を公開していますが、こんなネタを何も知らない小学生が独自に似た様なことを発案していたんですね。もちろん目的が家宅侵入ではないので安全な存在でしたけど。
私の家は、最初は1階が3部屋くらいしかない小さな家でした。2階も1部屋だけ。おそらく当時、中古住宅を買ったのだろうと思います。そのかわり庭は広かったので、庭に物干し台がありました。一昔前の漫画に出てくる風景そのままです。
周囲に家が少なかったので庭の日当たりも良く、母が洗濯物を干している横を三輪車でグルグル回ったりして、それがとても楽しかったのを覚えています。私はなぜか三輪車を物干しにぴったり寄せて止めておくのが好きでした。そこが三輪車の定位置でした。夕方になると母が軒先にしまってくれますが、昼間はいつも物干しの横に三輪車が置いてありました。
その後、家を改築して庭が手狭になり、周囲にも家が建て込んで庭の日当たりが悪くなったこともあって、今はベランダが物干しになっています。時折、昔の庭を思い出すと、とても懐かしくなります。
昔は物干しというと庭にあるのが相場でしたね。
セメントの台のついた物干し台などが必ずどこの家の庭にもあった気がします。
いつの間にか、物干しのあった所は車の駐車スペースになってしまいました。
小学校に上がるちょっと前、いわゆる学習机というものを買ってもらいました。生まれて初めての本格的な家具です。しかも大物。引き出しが一杯有って楽しい楽しい!何も入っていないガランガランの引き出しに何を入れようか・・・思いっきり悩みました。おもちゃやガラクタを入れても一杯にならない。この頃、机の引き出しは無限の四次元空間でした。
これほど嬉しかったものはないですね!
当時など大してしまうものなど無いのにやたらと大きい引き出しがあったりして。
僕のにはついてなかったんですが、鍵付きの引き出しはすごい羨ましかったな〜
最初住んでいたところは社宅(アパート)で、
そこでは飼ってはいけないウサギを飼っていました。
ベランダ越しに他所の家のベランダにウサギが逃げてしまったことを思い出します。
大変!!うさちゃん、つかまりましたか?
集合型の住宅って、動物飼えないところがまだまだ多いですね。
私のマンションでもまだ許可になりません。
今はペットOKの所も多くなっているのに、
何が違うからだめなのかがよくわかりません。
私も動物飼いたいよー。
逆上がりができなくて・・・家の前の公園の鉄棒で特訓させられました。明るいうちから暗くなってからも・・・あ?辛かった!
私も逆上がりができなくて、父に特訓してもらったことがありました。人間誰でも得手不得手があるのに、なぜ苦手な人にまで逆上がりを強制するんだー!!と心の中で叫んでいました。手の皮がむけて痛かったです。大人になった今、逆上がりのできる人ってどのくらいいるでしょう。あれって何かの役に立ったのでしょうか。なんか納得いきませんが…。でも父に教えてもらったのはいい思い出です。
子供の頃というと、花がたくさん咲いていた庭を思い出します。
たとえば矢車草とかハイビスカスとか。
昔住んでいた家は日当たりがよいので、
さまざまな花が咲いていました。
(今は日当たりが悪いので日陰でも大丈夫な花しか育ちませんが)
花いっぱいのお庭が思い出とは。
なんてすてきなんでしょう!!
ハイビスカスまで咲いていたなんて!!
私は庭のある家に住んだことがないので、とてもうらやましいです。
私も花壇に囲まれたような家に住んでみたいです。
遠足のお弁当を作るとなると、うちの母は妙に張り切る人でした。いつもはぐうたらしてるのに、朝5時に起きて正に「精魂こめて」お弁当を力作するのです。小学校時代限定でしたが、今思い出しても極上のお弁当ではありましたよ。
4回目に住んだ家には天井裏がありました。
でもその天井裏に上るにはいろいろとコツがあって、
なんとなく一人になりたいときなんかに上ったり、
ちょっとスリルを味わいたいときに、上ってみたりしたことがあります。
小さい頃の家は、縁側があって
ちいちゃい庭に、向かい合って座るブランコがありました。
よく、縁側に座って足をプラプラさせていたのを覚えています。
もう、その頃の家は今はないんですけど、懐かしい気持ちが大きいです。
私の家にはありませんでしたが、友だちの家にありました。なんだか遊園地にある乗り物のように見えて、とてもうらやましい物に思えました。そこの家には小さな妹がいて、よくぬいぐるみと一緒にキコキコ乗っていました。時々私も乗せてもらいましたが、強く揺すりすぎて恐いとその妹さんには不評でした。
友達の家にはじめて遊びに行くときなどは、とてもドキドキした記憶があります。
でも、自分の家の匂い、畳、布団、、、全部好きでした。何故か落ち着く。
小学生のときうちの庭にノラ猫一家がやってきました。
動物嫌いのうちの母親もノラ猫一家が子育てしている時だけは見て見ぬふりをしてくれていました。
えさをやってはダメと言われていたけど弟と一緒に母のいないときに人肌にあたためたミルクや、のこったご飯に鰹節をかけてもっていったりしていました。
そんなある日いつも3匹寄り添って寝ている猫の姿が無くなっていていました。
慌てて母親に「猫追い出したの?」と聞くと「もう子育てが終わったみたいだから引越ししていったのょ。うちは日がよく当たってあたたかいから猫が来るの。子育てが終わるまではあの場所を開放してあげてるだけだよ」
と…。「そうなんだぁ。それじゃうちは猫のホテルなんだね」と私。
それから1?2年に1回 うちの庭で猫達が子育ての場になっていましたが、うちで犬を飼うようになってからピタリと猫一家がやってこなくなってしまいました。
物置で子猫が産まれたことがありました。父も母も、子猫は引き取って飼ってやろうと言っていたのですが、いつの間にかいなくなっていました。父が、猫は安全な所を探して引っ越すんだな、ここも安全なのに、やはり一個所に長くとどまるのは不安だったのだろうと寂しそうに言っていたのが思い出深いです。
わが家の居間には、型板ガラスのはまった窓があります。4枚続きの掃き出し窓なのですが、一枚だけガラスの模様が違います。
よく漫画で、ボールを窓にぶつけて割ってしまうというシーンがありますが、ガラスなんてそう簡単に割れる物ではないというのが私の考えでした。たまたま道を歩いていると野球のボールが転がっていたので、私はそれを拾ってきました。そして試しに窓に向かって投げてみました。そうしたら…。割れました。いかにも厚みがあって頑丈そうだと思っていた型板ガラスが、見事に割れてしまいました。予想ではポーンと跳ね返って、ほら、窓なんてそう簡単に割れるはずがないんだとなる予定だったのに、力を入れて投げすぎてしまったのか、ちょうどガラスのど真ん中に当たってしまったのがまずかったのか、とにかく窓は割れてしまいました。
今思うと、あのボールは硬球だったのでしょう。それを思い切り投げつければ、やはり割れますね。
私は慌てて逃走しました。そしてどきどきしながら夕方家に帰ると、窓にビニールが貼ってありました。母は、やーねぇ、近くにボールが転がっていたから、きっとそれで割られちゃったのよ、どこの悪い子かしらと言っていました。私はばれずに済んだと喜びましたが、やはり良心の呵責に耐えきれなくて、翌日くらいになって、ごめん、それ僕、と謝りました。
同じ型板ガラスはもう製造中止とかで、窓には一枚だけ違うガラスがはまりました。そのガラスは今でもそのままです。そして今でも時々、お前はガラスを割って逃走したと両親にいじめられます(笑)。
勝手に入って勝手に遊んで、家の周りではお母さんたちが井戸端会議でワイワイガヤガヤ。鍵をかけるのは夜寝るときだけ。今となっては考えられないような環境でしたね。
実家が、商売をしていたため、
生活部分に使える部屋が少なく、
自分の部屋がありませんでした。
せいぜい、自分の勉強机があるだけでした。
友達で自分の部屋があって、ベッドがあったり、
お洒落な部屋の子がすごく、羨ましかったです。
こんな風に思ってます。
居住空間のデザインなどには流行があるんだそうです。(いつごろか定かじゃないですが)昔は玄関入ってすぐに個別の部屋に分かれるのが好まれたそうです。今もこのタイプは多いのですが、人間関係が疎遠になるとの問題点も指摘されているそうですよ。
ある意味、お洒落に見えた部屋より勉強机が自分の大切な空間だという自分のイエは実は素敵な空間だったのかも知れませんね。