いわしの回答(転記)
いつからの流行かよく分かりませんが、室内の観葉植物が気に入っています。まあ、今のイエには庭もなければまともなベランダもないので、室内に置くしかないのですが。子供のころの思い出で言えば、オジギソウがあったので触って遊んでいた事を思い出します。今はいくつか緑を置いていますが、子供のころは分からなかった緑の良さが今はよく分かります。
我が家にも色々おいてあります。
家の中に植物をおくのは、風水でも良いんですって!
逆に枯れた花のドライフラワーは運気が余りよくないんだとか。。
我が家では、お客さんをお迎えする玄関には必ず一輪の花を飾っています。
花って結構高いので束ではなかなか変えませんが
一輪だけだとお金も苦しくないし玄関もぱーっと明るくなります。
また風水でも花を飾るのは良いとされているので
来た人にも少しでも幸せな気分になればと思って続けています。
私が好きなのは、家族で囲む食卓ですね。
最近は、私が仕事で帰るのが遅かったり、兄は一人暮らしをしていたりと、なかなか家族揃って食事するということは難しいのですが、週末兄が帰ってきたりすると一家揃って食事をします。
食卓には、祖母が畑で野菜作りをしている関係で、季節の野菜料理が並ぶことが多いですね。
白菜やネギを鍋に入れたり、茄子を焼いて田楽味噌をつけたりして食べたりもしますが、トマトがそのまま置いてあって丸かじりしたり、白菜やキュウリに味噌をつけていただいたりと採れたての新鮮な野菜をそのままいただくこともあります。
そんな季節の野菜が並ぶ食卓では、ビールやワインを飲みながら、親父が良く、仕事であったおもしろエピソードや、自分が今まで経験してきたことなど様々な話をしてくれます。
社会人経験の少ない私にとっては、そういった話はとてもタメになり、勉強になります。
毎回、親父は話しだすと止まらないので、2〜3時間ほど話します。
そして、食後は家族でテレビを見たり、ダウンライトのみにして、JAZZなどのBGMを流しながらゆっくり過ごすこともあります。
普段、忙しく仕事してる自分にとっては、そんなゆっくりした休日の過ごし方が、好きなイエの光景ですね。
家と家族の思い出は小さなことから大きなことまでいくつかありますが、家族全体が団結して一つのことをしたという点では家の新築というのが一番大きいです。
建築業を営んでいた父はある日宣言します。
「新しく家を建てようかと思う。」
ああ、そうなんだな、引っ越すんだなあ、と漠然と考えていたときに父はさらに家族に
「だから、ちょっと見取り図をみんなで考えて欲しいんだ。」
とはいっても何をどう考えたらよいのかさっぱりわからずに戸惑ってると、方眼紙をもってくるようにといい、その方眼紙を使って一メモリをだいたい一尺として部屋割りを考えればいいのだ、と線を引き始めます。
土地に対して使える面積をだいたい割り当てて、適当でいいからとみんなを促しました。
さて、それから毎日、方眼紙の見取り図を見てはああでもない、こうでもないとかしましく線を書いたり消したり。当時はチラシに出てくる不動産物件の見取り図を見るのも楽しんだものです。
こうして出来上がった見取り図は専門家から見ると不恰好ではありましょうが、とりあえず設計にまわし本格的な着工へと移りだします。
見取り図だけでも十分楽しんだ私は、あと家ができるのを楽しみにしてましたが、まだまだいろんなことを決めるための仕事が残ってました。
外壁を何にするか、床は?内装は?
父親は徹底的に家族と相談して決めようとするのです。
いろんなカタログや見本を毎日のようにあきもせず眺め、あれがいいとかこれがいいとかひたいを寄せ合って相談するのもまた楽しい。
特に外壁などは見本だけでは全体の様子がわかりにくいので、父親がそれを使っている家まで車で家族全員を連れてゆき、見学させます。
こうして決めてる間に少しづつ家は建ち始めましたが、仕事の関係で自分の家は後回しとなるために、通常よりもかなり長い間時間がかかりました。その期間およそ半年以上。
現場は当時住んでいた家からそれほど遠くないところだったので、毎日建築現場を見学しにいったりもしました。
他の仕事が忙しくて職人さんがこない日には、父親が中に入れてくれたりして、作っている途中の、梁や柱がむき出しになってる家をのぞいたり、雑用をかたづけたりと、世の中にこんなにわくわくすることがあるとは、と毎日がうきうき気分。
大工の子どもでよかったなあ、とあのときほど思ったことはなかったでしょう。
家族が揃うリビングで、すーすーと寝息を立てている猫。よく見ると、時々ヒゲがピクピクと動きます。誰かが「夢を見てるんだね」と言うと、猫は口をペチャペチャペチャ。あはは、食べ物の夢だ。こんな猫と家族の揃う部屋が、私の大好きなイエの光景です。
うちの猫はいつも寝てばかりですが、外の物音にだけは敏感です。庭で足音が聞こえると、寝ていてもピクッと耳が動きます。そしてガチャッと玄関の鍵を開ける音がすると、俊敏に立ち上がって、シュッと玄関に駆けていきます。そして猫なのに背筋を伸ばしていい姿勢で座って「にゃぁ〜」。礼儀正しい猫のお出迎えです。私も父も、毎晩このお出迎えを受けています。
その場で抱き上げたい気持ちをグッと堪えて、服を着替え、手を洗います。人間の風邪予防に手洗いが欠かせないのと同じように、猫の病気予防にも、こうした注意が欠かせません。外から帰ったら、猫に触れる前に必ず手洗いと着替え。これが鉄則です。その間に猫はリビングに戻って待っています。
でも、あらためて「ただいまー」と声を出しながらリビングに入っても、猫が喜んで飛びついてくることはありません。もう自分専用のクッションに乗って寝ているのです。まるで大仕事をやり遂げた満足感に浸っているかのよう。「せっかく帰ってきたんだから遊ぼうよ〜」と頭を撫でても、寝たままゴロンとお腹を上に向けるのが最大限のお愛想です。横着なやつw
こうして家族全員がリビングに集まってくつろぎはじめる夜。誰かが人差し指を口に当てて、しーっという動作をします。
「聞こえるね」
「聞こえる聞こえる」
みんなが猫に注目します。
寝ている猫の喉が、小さく密かにコロコロコロ…と鳴っているのです。こういう、撫でられてもいないのに鳴らす喉の音は、誰かが一人でも欠けていると聞こえてきません。家族全員が揃っている時だけに鳴らす、特別な音なんです。
犬は飼い主を群れの統率者として認識するそうですが、猫は飼い主を母親と認識すると言われています。うちの猫の場合は、家族全員が揃って、はじめてお母さんが帰ってきたと認識するのでしょう。誰かが一人でも欠ければ、それは100%のお母さんではないのです。とにかく家族全員が揃っている時の、猫の幸せそうな様子といったらありません。
そろそろ私も結婚をして独立を考える年齢ですが、こんな猫を見ていると、どうもこのイエを離れられそうにありません。結婚を申し込むより、両親と猫との同居を承諾してもらう方が何千倍もハードルが高そうだなぁと悩んだりしますが、それは今がこんなにも幸せだという証拠ですから、とても贅沢な悩みなのかもしれません。
ある時、父が首だけ窓の方に向けて、「こいつが野良だったころは、あそこに置いた段ボールの中で寒さをしのいでいたんだよなぁ」とつぶやきました。すると母が言いました。「人を恐がらない子だと思ってたけど、今思うとやっぱりいつも周りにビクビクしてたみたい」。
「そうだよな、そっと箱の中を覗くと、いつも縮こまって寝ていたよ」
「それに、ちょっと物音がすると、寝ててもピクッと耳が動くのよ」
身の安全を守るために、寝ている時も神経を研ぎ澄ませていた野良時代。それが今は、愛する家族の帰りを待つためだけに使われています。よくぞこんなに幸せになってくれたと抱きしめたくなってしまいますが、せっかくスヤスヤ寝ているのを起こしたら可哀想ですから、そーっと手の平を背中に乗せるだけにとどめます。
あーっ、でもたまらん、猫と遊びたい!そういう時は猫缶を手にとって、軽くコンと指で弾きます。とたんにガバッと起きあがる猫。続いて、早くくれくれと伸び上がって大騒ぎ。起こそうと思ったんじゃないよ、ちょっと手が滑って音がしちゃっただけなんだよと嘘の言い訳をしながら、しばらくこのかわいい猫のくれくれダンスを楽しんでから、缶詰をお皿に空けてあげます。
寝ている時の猫もかわいいですが、一心不乱に食べている猫もかわいいですね。こうしてわが家では、毎日同じだけど毎日が新鮮、そんな猫のいる光景が繰り返されていきます。猫のお陰で、わが家もこんなに幸せ家族になりました。ありがとう、猫!!
日が長くなりますね、これが何とも言えなく好きです。夕食終わってもまだ外は明るい、冬は4時頃になるともう真っ暗、夏は一日中網戸を解放しますが、そこから夕方まだ明るい外の光が入ってきて大好きです。しばらく部屋の照明を付けずにすごします。それと夏の匂いが網戸からしてきます、多くは草の匂い。好きですね〜この季節。