「大きく響く輪転機の音」by id:watena


軽オフセット輪転機というものがあります。大きさは机の上に乗せられる程度。でも印刷の仕上がりは、ちょっとした商業印刷物と変わらない出来映えです。一時代前には、大量の印刷物を作る必要のあるオフィスなどで盛んに使われていた印刷機でした。


その中古が、わが家にやってきたのです。父は地域の文化や歴史を研究するサークルを作っていましたので、その会報をこれで印刷しようというのでした。これさえあれば何百部でも刷れるぞ、町中の人にだって配れるぞと父は上機嫌でした。


しかし、ただ同然で頂いてきたジャンクですから、まともに動くはずがありません。モーターは生きているので主要部分は動きますが、紙送りのローラーが動きません。
機械の横には自動車のシフトレバーのような物が付いていて、それを切り替えることによって、インキ練りだけの動作、印刷原版のドラムを回してインクを乗せる動作、そして紙送り機構も動かして印刷する動作といったモードが選べるようになっているらしいのですが、そもそもマニュアルが付いていないので、操作の方法からしてよく分かりません。


私も印刷機が有れば色々遊べそうなので、修理を手伝うことにしました。しかしいくら機械物が好きだと言っても、当時の私はまだ中学生です。文系で機械関係には詳しくない父と、ちょっと前までは小学生をやっていた子供が、機械油と印刷インキにまみれて大奮闘。でもそれはとても楽しい時間でした。どちらも全く未経験のことに取り組んでいますから、親だから教える側、子だから教わる側といった図式がないのです。二人で考え合い、二人で壁に突き当たって、それを二人で乗り越えます。こんなに楽しい親子の時間を過ごしたのは初めてでした。


休前日の夜は徹夜をしてしまったこともありました。気が付くと朝。お腹空いたなと父が台所で作ってくれた焼きうどんは最高でした。母が起きてきて、あららら、このイエにはおっきな子供が二人いるのねと苦笑していました。


こうして一週間以上の悪戦苦闘の末、複雑な機構を全て把握し、装置の隅々まで知り尽くした上でのオーバーホールが完了しました。
印刷原版は紙版といって、普通のPPCコピー機で作ることが出来ます。インキを弾く加工が施された原版をコピー機に通すと、トナーが乗った部分にだけインキが付着するようになります。それをゴムローラーに転写してさらに紙に転写する。これが紙版オフセットの印刷原理です。


行くか。テスト用の印刷原版を作りに、二人でコンビニに走りました。しかし純正の紙以外使わせてくれないコンビニばかりで、どこに行ってもオフセット用原版へのコピーは断られてしまいました。仕方なく二人でアイスを買ってしゃぶりながら帰宅。翌日父が会社のコピー機で原版を作ってきてくれました。


いよいよテスト印刷です。インキと原版をセットし、スイッチを入れます。シフトノブをインキ練りモードにすると、ガシャコンガシャコンと大きな音を立てながら印刷機が動き始めました。よし、転写するぞ。原版をセットしたドラムと印刷のためのローラーが回り始め、一層けたたましい音になりました。全てが機械式ですから、とにかく音が大きいのです。
「大丈夫だよね、壊れないよね……」
「だと…思うんだけど……」
なんとも心許ないですが、本当にそんなに不安になってしまうほど大きな音でした。


さあ、刷るぞ。印刷枚数をセットして…。レバーを印刷モードにすると、大成功でした。紙送り機構の動作がいまいちでしたが、タイミングはしっかり合っていたので、給紙ローラーの圧力調整で快適に動作するようになりました。大成功です。こうして親子の印刷室がわが家に登場することになりました。
それからは色々な印刷物を刷りました。印刷という手段が手に入ると、それは広報という力を得ることになります。父も私も、そして母までもが、この印刷機に様々な活動を広げてもらいました。


大きな音を立ててガシャコンガシャコン。もうポンコツ丸出しの音を立てて動く印刷機ですが、旧式の機械は頑丈ですから、メンテナンスさえしっかり行っていれば、十年でも二十年でも動いてくれます。旧時代の印刷機なので段々消耗品が入手しづらくなってきましたが、それでもまだまだ現役として十分使える動作をしています。


わが家に響くこのカシャコンガシャコンという大きな音が、父と子の絆の音、そして家族の元気の証しの音でした。きっとこれからもこの印刷機は活躍し続けてくれると思います。


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