「母の弾くオルガンの音」by id:TomCat


母はピアノが大好きでした。しかしわが家にピアノがやってきたのは、私がずいぶん大きくなってからのことでした。それまで母が何を弾いていたのかというと、オルガンです。電子的なキーボードじゃありません。リードオルガンだったんです。空気の力でハーモニカやアコーディオンと同じ構造の「リード」という金属片を振るわせて鳴らす楽器。あの、アコーディオンと同じような音のする楽器ですね。


もちろん当時も電子オルガンはありましたが、父がどこかからもらってきてくれた古い古い、それは古いリードオルガンを、母は大切に弾いていたのでした。


しかし、ピアノとリードオルガンで同じなのは鍵盤の並び方だけ。全く異なる楽器です。それでピアノ曲を弾こうとすれば、普通はかなりとんでもない演奏になってしまいます。ところが母は、ショパンでも何でも、まるで最初からオルガンのために作られたかのように弾いてしまうのです。幼い私は元々そういう曲なんだろうと思って聞いていました。


「楽しい曲だね」
「わかる?」
「うん、ちっちゃなわんこがコロコロ転がってるような感じ」
「まー、この子は天才かもしれないわ!!」

 
親バカ・・・・w


そうです、この時弾いていたのは「子犬のワルツ」。今になって思います。あのまともに調整もされていないガタガタ鍵盤で、よくもあんなに早く滑らかに指が動かせたものだと。そして、右手の流れるようなメロディを支えていくのが左手の豊かな響きです。それを鍵盤を離せばブツリと無粋に音が途切れるリードオルガンでよく表現できたものだと。私こそ「子バカ」かもしれませんが、リードオルガンで子犬のワルツを完璧に表現して聴かせてくれた母は、稀に見る天才だったと思います。何も知らない子供の心にショパンの世界を映し出すなど、本物のピアノを使っても難しいことなのに、それをオルガンで・・・・。


そんなプロにだってなれたはずの表現力を持った母が、深い愛情を込めて弾いてくれるのですから、それを聞いて育つ子供が音楽を好きにならないはずがありません。私は毎日母のオルガンに合わせて歌を歌ったり、母の伴奏に合わせてたどたどしい手つきでメロディを弾いたりして、楽しい遊びに夢中になっていました。


中でも面白かったのは、オルガンの音でおしゃべりをする遊びでした。日本語は音程のアクセントが主ですから、けっこう言葉をメロディに置き換えることが出来るのです。


「ぶぶ、ぶぶぶ?」
いま何時?と聞いています。まだ時計、よく読めないのに・・・・。えーとえーと、
「ぶぶぶ、ぶーぶっぶぶ」
さんじ、じゅういっぷん。
「ぶぶぶー」
あたりー。


「ぶー、ぶぶぶー」
ねー、おやつー。
「ぶぶぶぶ」
はいはい。


親子だから、こんな音で話が通じたのかもしれません。でもこれで、私は作詞作曲の基礎を身につけたように思います。言葉にはメロディがある。メロディの中にも言葉があるという気付き。それは今でも私の宝物です。


さらに面白い遊びは、メロディのキャッチボールのようなものでした。母が短いフレーズを弾きます。それを私が受け取って、続きのメロディーを考えて返します。すると母はそれをサッと楽譜に書き留めて、さらに続きのメロディを返してくれます。こうやってしばらく音のキャッチボールを繰り返していると、それが一つの曲になっていきます。


たいていは辻褄の合わない変な曲になって、続けて弾くと大笑いでしたが、時には素晴らしいメロディになっていることもありました。そんな時はそれに歌詞を付けます。


「ねえ、このメロディから何を思い浮かべる?」
「うーんとね、おいしいお菓子。こないだ食べたおさとういっぱいのドーナツみたいなの」
「よーし、じゃドーナツの歌にしよう」


こんなふうにして、何曲かのわが家のオリジナル曲が生まれていきました。あの頃の楽譜、どこにいってしまったんでしょう。母は楽譜をとても大切に扱っていましたから、子供との遊びの時のメモだって、粗末に扱ったりはしていなかったはずなんです。探せばきっとどこかに保存されているはず、と思うのですが、どんなに探しても見つかりません。思い出したいのに、ここまで出かかっているのに出てこない、そんな母と私のオリジナル。いつかきっと記憶をたどって、蘇らせてみたいと思っています。


こんなふうに、幼い私に、かけがえのない大切な宝物を贈り続けてくれたオルガンの音。母の愛を、そして母から受け継いだ音楽への思いをしみじみ感じる時、いつも私の心の中には、あの懐かしいリードオルガンの音色が響いています。


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