「かわいい子には○○させろ」by id:TinkerBell


これがずっと前からの母の口癖でした。
「かわいい子には早寝させろー」
「かわいい子にはお手伝いさせろー」
「かわいい子には勉強させろー」
何でもこれです。


小さなころからこれでしたので、おかげで本当の「かわいい子には旅をさせろ」も、母が作った口癖の一種なのかと思っていた時期があるくらいでした。


でも高圧的に「何々しなさい」と言われるより、この方がずっといいですよね。
子供は、頭から「こうしなくちゃだめ」と決めつけられることに一番反発するんです。
言われたことをしたくないわけじゃない。
何々でなければだめと決めつけるような言われ方がいやなんです。


最近、地域の子供活動のお手伝いをさせていただくようになって、そのことを実感しました。
たとえば子供がケンカをはじめちゃったとします。
そういう時「こら、だめ」と割って入ったら、たとえ子供のケンカはおさめられても、根本は何もおさまりません。
ケンカの怒りが不満に変わって、大人に向けられていくだけです。


子供だって、ケンカはだめだっていうことくらい知っています。
でもそれを知っているのに、それでもおさえきれない事情があったということ。
それはよくよくのことだったんだなぁという理解を持ちながら近付いていかないと、子供の心に触れる前に拒絶されてしまいます。


また、小さな子供はまだよく限度を知りませんから、悪気はないのにお友だちを泣かせてしまったりすることもあります。
こういう時も、泣かせた方が悪いと決めつけてかかったりすると、些細なトラブルが子供の心に深い傷を負わせる大事件になりかねません。
もちろん「あんたもすぐ泣くから面白がってやられちゃうのよ」なんて決めつけたら最悪です。


子供は泣いたり泣かされたりして当たり前。
子供の世界に善悪なんてない。
でも、みんなが笑顔で過ごせるにはどうしたらいいか、一緒に考える時間を持ちたいな。
そんな気持ちで近付いていくことがとても大切だなと痛感させられることが何度もありました。


繰り返し高圧的な決めつけを続けていれば、子供は大人に、表面的には従うようになるでしょう。
それが大人にとっての「いい子」なのかもしれません。
でもそれじゃ、大人の指導が機能しないところでは「悪い子」でいてもいいんだと、大人自らが認めてしまうことになります。


しばらく前、規範意識が国作りの柱なんだみたいなことを言っていた人がいました。
でもそれって、規範の例外が認められる場なら何をやってもいいということ。
世の中には国中が軍隊調で、とても規律がしっかりしている国もあります。
でもそういう国は、とても戦争をやりたがります。
国の中では規律が守れるのに、国の外に向かっては平気で殺し合いをしたがる人たち。
監視されているところでは模範的でなければだめ。
そうでない場所なら何をしてもいいから。
そんな人を育てる規律なら、そんなものいりません。
話が急に大きくなってしまいましたが、「こうでなければだめ」と決めつける子供への接し方は、突き詰めていけば、社会や世界のあり方だって左右してしまうくらいの重大問題だと思うんです。


母の「かわいい子には…」も、言い方によっては、こうしないとかわいくないんだから、みたいな誤解を与える恐れもあるかもしれません。
でも、いつも小さかった私を抱きしめて「かわいい」と言い続けていてくれていた母の言葉でしたから、言いつけを聞かなかったらその愛情が消える、なんて思ったことは一度もありませんでした。


今も母は「かわいい子にはごはん作ってほしいなぁ」なんて言っています。
おいしくできると、立ち上がって両手を広げて、
「かわいい子は抱きしめてあげる!」
なんて言い出します。

「いいよぅ、はずかしい」
「あら、かわいくなーい」
「じゃ明日はお母さん作ってよ、おいしかったら抱っこしてあげる」
「槍が降っても作りません!」


こんな会話がいまだにできる家族がいて、とっても幸せな私です。


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