「人は生まれながらにして独りではないということ」by id:TomCat


ドラマなどで主人公がニヒルに「生まれる時も死ぬ時も、どうせ人は独りじゃねえか」などと言うシーンがあると、決まって父は「それは違う」と口を挟みました。そしてひとしきり演説が続きます。


「あらゆる生物には個体群という集合がある。群内の個体はそれぞれ必ず何らかの形でつながっている。たとえ群れを作らない生き物だって、個体群というネットワークでつながっているんだ。ましてや群れを作る習性を持つヒトが独りだなんていうことは有り得ない。人は生まれながらにして独りではないんだ!!」


わーぱちぱちと母。息子は、またこれかよとあきれ顔。


TV「人はすぐ裏切るし嘘を付く、俺はどうせ独りなんだ」
父「それは違う、あらゆる生物には個体群という集合が・・・・」


TV「社会なんて孤独な人間が群れているだけさ」
父「それは違う、あらゆる生物には個体群という・・・・」


TV「もういい、私は生まれた時から独りぼっちだったのよ」
父「それは違う、あらゆる生物には・・・・」


あー、もう、テレビに突っ込むなよ、ってなもんです。でも野鳥保護活動にたずさわっていた父にとって、生物は個体群の中で生きている、単独では決して生きられないんだという認識は、譲れない一線だったんでしょうね。


個体群は通常、繁殖の単位となります。個体の数、分布域、それらから割り出される密度、齢構成などの属性によって、出生率や死亡率などが大きく変わってきます。父はこれを個体群の質と呼んでいました。


生まれる時は独り? いいえ、違います。個体群の質によっては、生まれ得ない命だってあるんです。ひとつの命が生まれる時、そこには必ず、その命を生み出し得る質を確保してくれた、個体群の恩恵というものが存在しています。


死ぬ時は独り? それも違います。個体の死は、必ず個体群全体の属性に何らかの影響を与えます。そしてそれが次の命の出生に影響していくんです。だから、死に方が大切なんですよね。個体がどんな最期を迎えるかで、個体群の質が変わってくるんです。


こういうことが分かってくると、
「人を殺しちゃいけないなんて誰が決めた」
「俺の命を俺自身が断って何が悪い」
なんていう倫理上の難問にも、簡単に答えが出てきます。きっと父は、そういうことも含めて、色んなことを私に教えたかったのでしょう。


人も生物。私も生まれる前から、大きな個体群という命のネットワークの中にいたんですね。母を亡くし、父を亡くし、人はこうやって孤独になっていくのかなあ、なんて考えたこともありましたが、でも、今なら分かります。私がもし本当に孤独な存在であるとするならば、その命は最初から生まれてこなかったはずだと。つまり、生きていることそのものが、孤独ではないことの証明だったんです。


よく社会的な人のつながりを指して「人は一人では生きられない」なんて言われますが、それ以前に、生物学的な同種個体間関係で結ばれたたくさんの人々とのつながりがあって、はじめてこの世に生を受けることが出来たということ。父の口癖が与えたくれたこんな気付きが、どれほどに私の人生を支えてきてくれたか、それはもう計り知れません。


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