いわしの回答(転記)

学びの心:「他人のふり見て、我がふり直せ。」 NazeNani2pt

愚痴を言ったり他人の悪口を言うのではなく、それは自分がより良い人になるための学びの教訓であると教えられました。

「他人のふり、見て、我がふり直せ」 otayori1pt

母がよく言っていました。

良いことも悪いことも他人の行動は学ぶこと多いですね。

自分も見られてるって緊張感でてきます。

継続は力なり NazeNani1pt

子供の頃、色々な習い事をしましたが、たいていが三日坊主だったからか、親によく言われていました。確かに習い事などで上手い人は、根気よく継続している人が多かったので、大切なんだなぁと実感していました。

ありがとう willingness9pt

家族の中でも、「ありがとう」がいえると非常に関係が円滑になるということを成人してから学びました。中学生や高校生の時には、中々照れくさくて家族にお礼をいうことなんて無かったですが、ちょっとした感謝を感じたときにそれを口にだすということは、お互いを幸せにしてくれると思います。

良い言葉 rizumu2331pt

確かに「ありがとう」は良い言葉ですよね。

同じ aosdnb2pt

外でも内でも同じにする

でもけっこうむずかしい masa12191pt

んですよね。外ではきっちりしてそうでもどうしても家の中だとぐだっとなちゃいます

幸せそうな姿を見れることが幸せ siuajj221pt

両親が昔から言ってくれている言葉です。

他人の幸せを心から喜んだり、一緒になって気持ちをシェアすることは簡単なことでは無いです。

幸せを願ったり、喜んでいるようで、それは心底感じれているものでしょうか?

しかし、心底感じて相手の幸せを自分の幸せのように思えることが出来る対象がひとつだけあります。

それが「家族」では無いでしょうか。

無条件に愛し、無条件に受け入れることのできる存在。

両親は昔から私に言ってくれていたのが、「幸せな姿を見れることが幸せ」

この言葉の意味、小さい頃は解らなかったです。

でもおとなになって、今また言ってくれた時、初めてその言葉の真意を理解出来ました。

親子というのは不思議なもので、そこには相手の幸せにたいする嫉妬は無いもの。

子供が幸せで居てくれると、それと同時に親心としても幸せになれる。

ある意味一心同体な存在なのかもしれません。

私がとても幸せそうに楽しい話しをしていたり、胸をときめかせて過ごしていると、両親もその時とても幸せそうな顔をしてくれます。

私が幸せだと家族までもが幸せになれている気がするのです。

その家族の幸せそうな姿を見て、私はまた幸せになるのです^^

お互いがそうして幸せを感じ会えるそんな家族という存在は大事な大事な宝物です。

感動した言葉 baystarsfan1pt

「世界中の人から攻められても必ず味方するからな」

この言葉には感動しました!

愛情が伝わってきます!

感動した言葉 baystarsfan1pt

「失敗は成功の元」

たとえ失敗しても、その失敗は成功へつながる…

そして成功した時の感動…

実に感動します!

挨拶はしっかり! twillco1pt

うちは挨拶はしっかりしなさいと

子供の頃から何度も言われてきました。

内気な性格だった為、なかなか恥ずかしがって挨拶が出来ない私に

何度も何度も口酸っぱく言われてきた言葉です。

おかげで、今では内気な性格はあまり治っていなくても

挨拶だけはちゃんと出来るような大人になったつもりです。

挨拶って、やっぱり第一印象が決まる大事なものなので

大きな声で笑顔で挨拶するだけでも、その後の空気が違います。

そんなに仕事がいいなら仕事の家の子になればいいでしょ! aside1pt

父も母も多忙で帰宅が夜遅く、出張が多かったです。

留守番も多かったですが、近くの家や、祖父母の家にやっかいになることも多かったです。

親が迎えに来た時に、自宅に帰るのをむずがることも多かったので、

「そんなに○○の家がいいなら○○の家の子になればいいでしょっ!」と言われたのですが、

それに対して「うん、そうする〜」と返事し、意気揚々と自宅の荷物をカバンに詰めだして

さらに叱られたりしました。

そういったことが続いたある日、また、

「○○の家の子になればいいでしょ!」を言われたのですが、

そこで弟が返したのが

「だったら父ちゃんも母ちゃんも、そんなに仕事がいいなら仕事の家の子になればいいでしょ!」

です。これに対しては親も「ごめんな…」と謝ってました。

仕事か団らんか、なかなかバランスをとるのが難しいと思います。

そして1カ月後・・・そこには一家団らんで旅行に出かける家族の姿が!

弟「もうよその子になるなんて言ったりは絶対にしないよ」

ご飯を残さないように mandoto5718pt

ご飯を残さないようにはよく言われました。

貧しい国で食べられない人がいるとか、お百姓さんが一生懸命作った米だとか。。。

これは良く言われた・・・ to-ching17pt

今も努めて守っています、若い人は??ですね〜

お前が生きてるだけで、俺たちは幸せなんだからな willingness9pt

と、大学に進学して実家を離れるときに、酒を飲んでる父にぽつりと言われました。あまり深刻そうに言わなかったし、さらっと流してしまったけれど、自分の中では熱い想いがこみ上げてました。自分も息子・娘をもったら、彼らの存在があることをシッカリと幸せに感じることができればと思います。

何よりも生きていること meizhizi878pt

私の家でも「生きていることが一番大事」と何度も行っています。どんなにつらいことがあっても人間は生きて行かなきゃいけないんだよと教えられました。大事MANブラザーズの「それが大事」という歌の中に、高価な墓石を建てるより安くても生きてる方がすばらしいという歌詞があり、安室奈美恵さんの「NEVER END」という歌の中には、生きてかなきゃいけない涙の日でも、という歌詞があります。全くその通りだと思います。日本は毎年3万人以上の人が自殺しています。いつも胸が痛みます。誰でも泣きたいことやつらいことはあります。だからこそ、命はたった一つでかけがえのないものということを忘れてはならないと思います。

なるようになるさ・ケセラセラ oneness11pt

困難な状況の時、私達夫婦の精神安定剤です

同感の人は返信を iklpp-222pt

一度使ったものは使ったら使う前よりもきれいにする。

同感ですが oneness11pt

実践できてないのが情けないです

無駄遣いをするな ttz1pt

昔っから節約志向の両親。今さらエコだの何だの言われなくてももうとっくに実行してた!という感じです。無駄遣いをするなは、お小遣いでもそうだし、電気だってそうでした。トヨタの「もったいない」精神もそうですが、日本人なら誰にでも少しくらいはエコ精神が根付いているんでしょうね。

○○の人は食べたくても食べられない ttz1pt

つまり、ご飯を残すな、ということですが、そういう例えって昔はよくありました。今は、不適切??

遅刻はするな powdersnow2pt

時間を守れないというのは、とても信用を失うと教えられてきました。

相手を待たせるよりは、自分が先に着いているようにしろと。

そのお陰で、これまでに遅刻をした経験は、よほどの交通機関の乱れを除けば全くありません。

逆に数分なら遅刻のうちに入らないというような感覚の人は、どうなんだろうと思ってしまいますね。

自分が遅れたら、相手の時間を無駄にしてしまうということは、余り考えられないことなんでしょうか。

社会的にも、人間関係的にも、時間を守れるかというのは、

その人の評価に直結する大きなポイントだと思うのですが。

時間厳守 ttz1pt

社会に出るとさらに重視されますね。時間にルーズな人は信用が得られない。

人生 ta90-311pt

人生には、いいことがたくさんあるから、長く生きろー。

うちの息子、もうすぐ一歳半年の口癖 taknt3pt

何か残念かなと思うようなことがあるとすぐ「あ〜あ」と言います。

まだ、言葉がしゃべれないのですが、この「あ〜あ」というのだけは言えます。

その「あ〜あ」には 感情がこもっているような雰囲気な割には、

本人は たいして気にもせずふりまうところが とても かわいいです。

今のところは「あ〜あ」しか言えませんが、もう少ししたら いろいろ

名言を出してくれるのかなと期待しています。

あ〜あ to-ching2pt

私の場合はため息の「あ〜あ・・・」ばかり、反省だな・・・

hjkjfkghy rizumu2331pt

sr、mgcghddytdkd

ウチは貧乏 ttz2pt

子供のころに親によく言われたことです。贅沢は出来ないとか、他の家がやっているからって比べるなとか、よく言われました。欲しがっても、そんなに買ってもらえなかったし、いろんなオモチャを持っている友達がうらやましくもありました。今、なんとなくその言葉の意味が分かるような気がします。

ああ、うちもそう思い込まされていました。 atomatom1pt

うちもよく「貧乏、貧乏」と親が言っていました。

実際はそこまで貧乏でもなかったはずなのに、子供には節約を奨励していましたね。

いまだによく覚えているのが缶ジュースを5人で一口ずつ分けて飲んだことです。

大人になったら、1人で1本、飲みきりたいなあと憧れていました。

今の子供はそういう「大人になったら」がないからかわいそうですよね。

ぼくらなんかは「大人になったら」マクドを腹いっぱい食べたいとか、お寿司をイヤと言うほど食べたいとかいろいろ目標がありましたからねえ。

子取りが来るぞ。ガーコが来るぞ。 atomatom1pt

子取りといってもなんのことかわからない方のほうは多いでしょうが、昔は恐れられる存在だったのです、子取り。つまりは子供を取りに来て、どこかに売り飛ばしてしまう、そういう悪い商売をする人のことをそう呼んでいました。

実際にいるのかどうかはともかく、子供のころ、ちょっとでも悪いこと、親の気に入らないことをすると「子取りが来るぞ」と脅かされたものです。

子取りが理解できないもっと小さな頃は、ガーコが来るぞと脅されていました。

たしかアヒルのおもちゃだったと思うのですが、なぜだかぼくはそのおもちゃを怖がってたんですね。それで怖いから押入れにしまってあるはずなんですが、そのおもちゃを出してくるぞ、と脅かされていたわけです。

まあ、親もいそがしかったし、他の子供にも手がかかったし、そういう子供の恐怖心を利用したしつけも仕方なかったのかもしれませんが、子取りに連れて行かれるイメージは恐ろしかったなあ。

時間、金、女(異性)にルーズになるな takodam1pt

他人から信用を失うのはこの3つにルーズな人間。

wwwwwwww aosdnb2pt

決心

wwwwww gettuge3211pt

短いですね!www

好き嫌いをするな・・・など食事に関すること ttz1pt

好き嫌いをするな、一つのものばかり食べずに「三角食べ」をしなさい、飲み物で流し込むな、クチャクチャ音を出して食べるな、などなど、数えればきりがないくらい、食事に関してはかなりいろいろなことを言われましたね。まあ、どれも子供のうちに身に付けなければいけない事なんでしょうね。

親しいなかにも礼儀あり、 gettuge3211pt

親しい人にも礼儀あり、

家族の中でも、ありがとうが、いえることは,いいと思います

座るな!しゃがめ! motsura1pt

親父が言った唯一のいい格言。座るとおしりに根っこが生えて動きたくなくなるので、なるべくしゃがめ、と。

でもうち洋式トイレだったから長時間しゃがめないんですよね……

「人生は甘いものにせよ 苦いものにせよ 好ましいものとして役立てよう」 momokuri31pt

色々悩んでいた時期がありました。そんな私を察してか、父の部屋からこんな曲が流れてきたんです。

この暗い時期にもいとしい友よ

僕の言葉を聞いてくれ

だましたり苦しめたり はずかしめたり

見放したりおどしたりなどはしないから


音楽好きの私の耳は、どんなに悩んでいても、音楽に引っ張られます。私はこの初めて聴く歌に耳を傾けました。

そして、この歌の歌詞は3番までありますが、

(歌詞の全体はこちらをご覧ください

http://www.evesta.jp/lyric/artists/a323725/lyrics/l80107.html

いつの間にか、その3番が頭の中でローテーションし始めました。

陽の輝きと嵐とは同じ空の

違った表情にしかすぎない

人生を明るいと思うときも暗いと思うときも

僕はけっして人生をののしりたくはない

人生は甘いものにせよ 苦いものにせよ

好ましいものとして役立てよう


歌の歌詞には、わざと訴えたいメッセージの逆の言葉を盛り込んで、肯定するふりをしながら否定するというのがありますから、素直に歌詞の内容を受けとめたわけではありませんでした。でも、ブルースっぽい、絞り出すような素朴な歌い方に、だんだん引き込まれていきました。

あぁ、その通りかもしれない。明るく希望に満ちている時も、暗く沈んでいる時も、どちらも同じ自分の人生。同じ時間の軸の右・左。道が分かれて迷い込んだ場所じゃない。行き着く先が違うわけでもない。

俺は何を悩んでいるんだ。あぁ、違う。悩むのはいいことだ。そうだ、悩むことを嫌がるな俺。希望に膨らますも重く詰まるのも同じ俺の胸。明るく輝くも暗く伏せるも同じ俺の目。だから俺の頭よ、明るいと思う時も暗いと思う時も、どちらも好ましいものとして受けとめろ。

だんだんそんな気持ちになってきました。よく人は、明けない夜はない、なんて言います。でも深く心が沈んでいる時には、自分自身が夜明けを望まなくなってしまうのですから、そんな励ましも届かないことがあります。

しかし、光り輝く昼間の空も、暗い夜空も同じ空なんだ、なぜ同じ空の一方の姿だけを嫌がる必要があると言われれば、それはインパクトがあります。

心が明るく軽くなったとは言いませんが、何となく気持ちの整理が付きかけて、自分の部屋を出てリビングに行きました。すると父も入ってきて、いい歌だろうと、録音した物を渡してくれました。

「元がアナログ盤だから、さっきもそれで聴いてたんだ。それやるから気に入ったら聴いてくれ」

それだけの言葉でしたが、何時間親身になって話を聞いてもらっても得られないようなものが伝わってくる気がしました。

「人生は甘いものにせよ 苦いものにせよ 好ましいものとして役立てよう」

父の直接の言葉ではありませんが、これが私の心に強く響いた父からのメッセージです。

最近ギターを弾きはじめた私は、時々この歌を、無意識のうちに歌っていることがあります。父がいる場所で口ずさんでしまって赤面したこともありましたが(やはり父の術中にはまったことがバレたみたいで恥ずかしい)、素知らぬ顔で続きを歌っていたら、最後のリフレインの所で父がコーラスを付けてきて、即興のセッションのようになりました。父は元バンド屋ですから、こういうのはうまいんです。

以来、

「人生は甘いものにせよ 苦いものにせよ 好ましいものとして役立てよう」

このフレーズは、親子の口癖ならぬ「歌癖」になりつつあります。

※引用歌詞出典

文中の歌詞(書き込みタイトル部分を含む)は「この暗い時期にも」(作詞・作曲 生田敬太郎)より引用

この暗い時期にも(紙ジャケット仕様)

この暗い時期にも(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト: 生田敬太郎
  • 出版社/メーカー: バップ
  • 発売日: 2006-01-25
  • メディア: CD

オリジナル盤は1971年、エレックレコードよりリリース

いただきます、ごちそうさま powdersnow8pt

毎日、欠かさずにとる食事において、「いただきます」と「ごちそうさま」の挨拶は、欠かせませんね。

最近、外食などでは、お金を払っているのに言う必要はないなんていう人もいるようですが、

個人的には、それは全く違う話かと思ってしまいます。

食前、食後の挨拶は、やっぱり毎日の食事への感謝、食材に対する感謝も含まれていると思うんですよ。

お金を払っているからとか、そういうモノではないと思うんですよね。

そういった感謝の気持ちは、きちんと持てた方が良いと思いますね。

全く同感 to-ching7pt

つい、感謝の気持ちを忘れがちですが、大切なことです。

俺はみんなと静かに暮らしたいんだ offkey2pt

これは家庭でなにか揉め事や、トラブルが起こったときに父がいう言葉です。

家族同士がいがみあってたわけではないのですが、個人的心情からどことなくぎくしゃくして、

生活のことでいろいろ意見が食い違う時期がありました。

私が片意地はっていたこともあって、このすれ違いはなかなかいい方向へ向かないうちに、

私自身が病気になったり、他の家族が心労で疲れたりと、当時は大きなトラブルではないものの、

結構深刻的でありました。

あのころのトラブルをどう克服していったのか、今ではよく思い出せないのですが、

やがて薄皮をむくように、事態が好転し始めた頃、

家族が集まったときに父親が

「俺は特に大きなことは望まない。ただ、みんなと静かに暮らしたいんだ」

と静かに言ったのです。

この言葉を聞いて、私は今までわがままいっぱいで、全然親孝行してなかったことに恥じ入りました。

その後も、言葉はそのときによって違いますが、家族同士でなんらかの喧嘩があったりすると、

この言葉を口にすることがあって、もしかしたら、最初に気が付く前からこういう言葉を誰かにちょくちょく吐いてたのかな、と

父の家族を愛する思いの深さに、自分の至らなさを感じた次第です。

家族の正直な気持ち jozetora1pt

これは近くにいるからこそ、なかなかきけないのかもしれませんよね。こんな思いを持ってたんだとか、あの時コウ思ってたんだとか後で知ることの方が多いですね。

hiroya2281pt

「愛」が 必要 以上!!

かわいい子には○○させろ TinkerBell1pt

これがずっと前からの母の口癖でした。

「かわいい子には早寝させろー」

「かわいい子にはお手伝いさせろー」

「かわいい子には勉強させろー」

何でもこれです。

小さなころからこれでしたので、おかげで本当の「かわいい子には旅をさせろ」も、母が作った口癖の一種なのかと思っていた時期があるくらいでした。

でも高圧的に「何々しなさい」と言われるより、この方がずっといいですよね。

子供は、頭から「こうしなくちゃだめ」と決めつけられることに一番反発するんです。

言われたことをしたくないわけじゃない。

何々でなければだめと決めつけるような言われ方がいやなんです。

最近、地域の子供活動のお手伝いをさせていただくようになって、そのことを実感しました。

たとえば子供がケンカをはじめちゃったとします。

そういう時「こら、だめ」と割って入ったら、たとえ子供のケンカはおさめられても、根本は何もおさまりません。

ケンカの怒りが不満に変わって、大人に向けられていくだけです。

子供だって、ケンカはだめだっていうことくらい知っています。

でもそれを知っているのに、それでもおさえきれない事情があったということ。

それはよくよくのことだったんだなぁという理解を持ちながら近付いていかないと、子供の心に触れる前に拒絶されてしまいます。

また、小さな子供はまだよく限度を知りませんから、悪気はないのにお友だちを泣かせてしまったりすることもあります。

こういう時も、泣かせた方が悪いと決めつけてかかったりすると、些細なトラブルが子供の心に深い傷を負わせる大事件になりかねません。

もちろん「あんたもすぐ泣くから面白がってやられちゃうのよ」なんて決めつけたら最悪です。

子供は泣いたり泣かされたりして当たり前。

子供の世界に善悪なんてない。

でも、みんなが笑顔で過ごせるにはどうしたらいいか、一緒に考える時間を持ちたいな。

そんな気持ちで近付いていくことがとても大切だなと痛感させられることが何度もありました。

繰り返し高圧的な決めつけを続けていれば、子供は大人に、表面的には従うようになるでしょう。

それが大人にとっての「いい子」なのかもしれません。

でもそれじゃ、大人の指導が機能しないところでは「悪い子」でいてもいいんだと、大人自らが認めてしまうことになります。

しばらく前、規範意識が国作りの柱なんだみたいなことを言っていた人がいました。

でもそれって、規範の例外が認められる場なら何をやってもいいということ。

世の中には国中が軍隊調で、とても規律がしっかりしている国もあります。

でもそういう国は、とても戦争をやりたがります。

国の中では規律が守れるのに、国の外に向かっては平気で殺し合いをしたがる人たち。

監視されているところでは模範的でなければだめ。

そうでない場所なら何をしてもいいから。

そんな人を育てる規律なら、そんなものいりません。

話が急に大きくなってしまいましたが、「こうでなければだめ」と決めつける子供への接し方は、突き詰めていけば、社会や世界のあり方だって左右してしまうくらいの重大問題だと思うんです。

母の「かわいい子には…」も、言い方によっては、こうしないとかわいくないんだから、みたいな誤解を与える恐れもあるかもしれません。

でも、いつも小さかった私を抱きしめて「かわいい」と言い続けていてくれていた母の言葉でしたから、言いつけを聞かなかったらその愛情が消える、なんて思ったことは一度もありませんでした。

今も母は「かわいい子にはごはん作ってほしいなぁ」なんて言っています。

おいしくできると、立ち上がって両手を広げて、

「かわいい子は抱きしめてあげる!」

なんて言い出します。

「いいよぅ、はずかしい」

「あら、かわいくなーい」

「じゃ明日はお母さん作ってよ、おいしかったら抱っこしてあげる」

「槍が降っても作りません!」

こんな会話がいまだにできる家族がいて、とっても幸せな私です。