「花は置かれた場所で咲く」by id:tough


私は浪人こそしませんでしたが、受験失敗組でした。あんなに頑張ったはずなのに志望校は全滅。結局一つだけ辛うじて受かった地方の大学に行くしかなくなりました。地方は別にいいのです。一人暮らしも魅力的です。しかし学部が自分の希望とまるで違っていました。入学を見送って一浪するしかないかとも悩みました。
そうした迷いを抱えながら、大学での新生活が始まりました。この大学に入りたかったわけではない、ただ浪人が嫌でここまで来た。その思いが、せっかくの楽しい新生活を色褪せた物にしていましたし、当然勉強にも全く身が入りませんでした。本当なら輝きに満ちていたであろう新たな友との出会いも何となく煩わしく、私は入学一ヶ月にして付き合いにくい奴ナンバーワンになっていたようでした。中学高校時代は恥ずかしいくらいに昔の青春ドラマ路線をひた走っていた自分が、他人のように思えました。完全に無気力になっていました。
そんな時、母から電話がかかってきたのです。用件は、何か欲しい物、要るものがあったら送ってあげるけど何がいい?というものでした。母は、新しい生活が始まってしばらくするとあれこれ足りない物に気が付いてくるでしょう、遠慮しなくていいわよ、少しくらい高い物でも遠慮しないで言ってごらん、こういうときにねだっておくのがお得よと、やたらテンション上がりまくりです。しかし私は、気のない返事を繰り返すばかりだったようです。
そんな私の様子に気付いた母は、どうしたのと聞いてくれました。母に話しても何もならないとは思いましたが、母は私の体に何かあったのかと心配していた様子だったので、そうではないと言う意味で、ここまで志望とかけ離れた場所では何もかもに身が入らないんだというようなことを打ち明けました。すると母は、「そうなの、でも、花は置かれた場所で咲く、とも言うわよ」と言葉をかけてくれたのです。
辛かったら一度帰ってきてもいいわよ、大学なんだから一ヶ月くらい大丈夫でしょうとも言ってくれましたが、電話を切ってから、「花は置かれた場所で咲く」という言葉が妙に心に残りました。
翌日キャンパスに立つと、そこは意外に素晴らしい所に見えてきました。そうだったんだ、俺という種はここに飛ばされてきた、それは俺の意志ではなかった、でもここで俺は根を張ることが出来る、伸びることが出来る、花を咲かせることが出来る。どんな場所でも俺の咲かせる花は変わらない。タンポポの種が落ちた場所によってススキになったりカヤツリグサになったりすることは有り得ない。ここで咲かせてみよう俺の花をと素直に思えるようになっていました。
そこから私の一足遅れの大学生活が始まりました。素晴らしい友に恵まれ、良い恩師に恵まれ、親元を離れていなければ体験できない様々な経験も積みながら、本当に充実した四年間を過ごすことが出来ました。あの時母の「花は置かれた場所で咲く」という言葉がなかったら、私の大学生活は全く違ったものになっていたと思います。今でもこの言葉は、ちょっとした私の座右の銘になっています。


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