いわしの回答(転記)
小中学校の頃にすごく仲よかった友達が引っ越してしまって
悲しい思いをしたことがあります。
今だったら携帯とかメールがあるので簡単に連絡をとりあって
関係を続けることができたんじゃないかなと思います。
当時は、手紙なんてめったに書いたことなかったし
電話も、家の電話なので特別用もないのにかけるのも
気が引けて、そんなことを考えていたら結局連絡を
とることもなくなってしまいましたね。
○美ちゃんは女の子です。しかし最初は男の子だと思いこんでいました。通っていた幼稚園は普段は半ズボンの体操服なので、服装では男女の見分けが付きにくくなっています。それに○美ちゃんは活発な子で髪も短かったので、私は何の違和感もなく、○美ちゃんのことを大好きになりました。○美ちゃんも私のことを気に入ってくれて、私たちはいつも一緒に遊ぶ大の仲良しになりました。
○美ちゃんは、とてもかっこいい子でした。誰かがいじめられていたりすると、すぐに駆け付けて、泣いている子を守ってあげようとするのです。私はそんな○美ちゃんが大好きでした。
ところがある日、○美ちゃんがケンカに巻き込まれてしまったのです。5人くらいの男の子に囲まれて頭をこづかれたり足を蹴られたりしています。私はいつもの○美ちゃんのように、ケンカをやめさせようと駆け付けましたが、あまりにひどい言葉が○美ちゃんに浴びせられているのを聞いて、逆に思わず手を振り上げようとしてしまいました。その時、○美ちゃんの手が私の腕を掴みました。そして首を横に振りました。無言でしたが、だめ、という言葉が聞こえてくるようでした。それから○美ちゃんは、いじめている5人に向かって、ごめんなさいと頭を下げました。それはおそらく私に暴力を振るわせまいとして…。私の腕を掴んでいる○美ちゃんの手が震えていました。今でもそれをはっきりと憶えています。
みんながいなくなると、○美ちゃんは声を殺して泣いていました。私も○美ちゃんの手を握り替えして泣きました。私は心の中で何度もごめんなさいとありがとうを繰り返しました。○美ちゃんも泣きながら小さな声で、ごめん、でもありがとう、と言ってくれました。その時私たちの心は一つでした。その時、私たちはたしかに親友でした。
卒園を迎えるころ、○美ちゃんはずいぶん髪が伸びていました。もうそのころには○美ちゃんが女の子であることをわかっていました。でも私たちの心は変わりませんでした。一番の仲良しで、一番心が通じ合う親友でした。卒園式の日、○美ちゃんは髪にリボンを付け、スカートでやって来ました。女の子ってかわいいなと思いました。
○美ちゃんと会ったのは、その日が最後でした。お互い別々の小学校に上がったからです。それぞれ親に手を引かれながらバイバイと言ったのが最後の言葉になりました。中学はいくつかの小学校から集まってくるので、もしや○美ちゃんがいるかとも思いましたが、それらしい女子はいませんでした。今はどうしているでしょうか。
小学生の夏休み。いつもの遊び仲間に加えて、その中の一人のお姉さんを交えて遊んでいました。ところがちょっとした切っ掛けからそのお姉さんと、弟である友人とが大げんか。取っ組み合った拍子にお姉さんが派手に転んで顔から地面に激突。おでこやあちこちを擦り剥いて、血を流してしまいました。
お姉さんは激怒して弟を追い回します。おでこから流血しているので、そのビジュアルたるや、すさまじいものがあります。あまりのすごさに友人である弟は逃走。一緒にいた友達も散り散りになってしまいました。ケガをしたお姉さんが心配で探しに行くと、すぐ近くの道端でうずくまって泣いていました。
とりあえず傷の手当てをと家に連れて帰ると、あいにく家には誰もいません。傷口を洗って傷薬をつけて、冷蔵庫から麦茶を出して勧めましたが、何としても泣きやんでくれません。
こういう時に限って、親はなかなか帰ってきません。そのうち夕立が降ってきました。すごい雷になりました。泣いて心がしぼんでいるお姉さんは、きっといつにも増して雷が恐かったのでしょう。あまりの怯えようを見かねて近くに寄ると、お姉さんは私の手をぎゅっと握って離してくれなくなりました。
夕立が去って、どこかで雨宿りしていたであろう母が帰ってきたのは、もう一番星が出る頃でした。母が、あらあら可愛いお客さんねと話しかけると、お姉さんは何を思ったか開口一番、「今夜ここに泊めてください」。
え、ええーーーーっ?!
事情を話すと、母は「それじゃお家の人にお話ししましょうね」と電話をかけにいきました。
「ほんとに泊まるの?」
「当たり前でしょ、今日からあんたが弟だからね」
「え・・・・」
「それじゃ・・・・ここに住むの?」
「そうよ、今日からお姉ちゃんと呼びなさいね」
「え・・・・」
父が帰ってきて、事情は母から伝えられました。こっそり聞き耳を立てていると、どうもお泊まりは決定になってしまったようです。弟である友人がこれまた頑として俺は悪くないの一点張りで親と激しく対立、手が付けられない状態なのでお姉さんまで手が回らない、一晩うちで預かってくれればありがたい、といった向こうのご両親のご意向らしい話でした。
立ち聞きしているのがバレてしまった私は父に手招きされ、「そういうわけだから優しくしてやらないとダメだぞ」。う、うわ・・・・、大変なことになってしまいました。
夕食が済んでテレビを見ていると、お姉さんは母と一緒にキッチンに行ってお手伝いをしています。あらあら偉いわねえと大絶賛。終わると父にお茶まで運んできます。そしてお姉さんは私の隣に座るとこっそり耳打ち。「いつまででも好きなだけ泊まっていいって」。
え・・・・。
そんなこんなで、お姉さんのお泊まりは3泊4日におよびました。その間私は弟として連れ回されて、もうへとへとです。いいかげん困ってしまって、私はお姉さんが母と買い物に行っている隙に友人と会い、頼むからお姉さんに頭を下げて連れて帰ってくれと懇願しました。
友人もあまり長くお姉さんが帰ってこないので心配していたらしく、快く応じて一緒に家に来てくれましたが、ここでまた大問題です。「俺が悪かった」と友人が素直に謝って姉弟ゲンカは無事終結しましたが、今度はお姉さん、住み着いてしまった私の家から離れがたくなってしまったらしく、淋しい、帰りたくないと大泣きです。母が間に入って、夜だけ帰りましょう、昼間は一日中ここにいていいからね、で何とか決着。お姉さんは母の胸にしがみついて泣いていました。
翌日からは毎日のように、朝も早よからお姉さんがやってくる生活が始まりました。そして昼頃になると友人もやってきます。すっかりお姉さん一人に弟二人のトリオが結成されてしまいました。おかげでそれまではごく普通の友人の一人だったそいつとも、まるで双子の兄弟のような友情が生まれました。二学期になってやたら仲良しになってしまった二人を見て、クラスの連中はビックリ。放課後になると僕らの姉ちゃんが迎えに来るのは言うまでもありません。楽しかったあの頃。懐かしいです。
小学校の高学年の時、転校する事が決まった同級生の友人が居ました。
クラスのみんなで考えて、お別れに野球の試合をする事になったのです。
普段はみんな公園の隅で野球をしていましたが、その日は公園の野球場に申し込み、ちゃんとした野球場で試合をしました。
試合は何事も無く終わりましたが、最後に友人が、
「転校したくないよー」
と、泣いてしまいました。
みんなも一緒に泣いてしまいました。
まだ私が小学生だったころですか、公務員官舎に住んでいまして、向かえの家に同じ学年の子が越してきたんです。クラスは違ったんですが、すぐに仲良くなりました。
で、あるとき、その子が虫取りあみと虫かごを買ってもらったっていうんで、2人で虫取りに出かけたんです。
とりあえず遊ぶ場所といったらいつも公園だったんで、なんにも考えず近所の公園へ。遊具が2、3置いてあるだけの小さな公園です。
「砂場の中にいるんじゃね?」なんて砂場を掘り返してみたり、「ジャングルジムから見たら見つかるかも!」と訳のわからない事を言いながら登って見渡してみたりしたんですが、さっぱり見つからない。
そのうちに5時のチャイムが鳴って一匹も見つけられないまま帰らなければならなくなりました。
「虫取りの道は厳しいな」なんて言いながらとぼとぼ歩いていると、ちょうど官舎の前の植え込みに結構大きな虫がいたんです。もう二人であみをばったんばったんやりながら一生懸命になって捕まえました。
虫を捕まえられたのがうれしくてうれしくて。急いでうちの母さんに見せに行ったら、母さん悲鳴あげながら「捨ててきなさい!」だって。
ゴキブリだった。
今でもゴキブリを見るたびに思い出します。
夏休みに、父の田舎に連れていってもらいました。するとちょうど到着した時にご近所の人が来ていて、私と同じ学年の子供がいるからあとで遊びにこさせると言ってくれたのです。しばらくしてその家の子がやってきました。同じ学年なので私たちはすぐにうちとけて、一緒に外に遊びに出かけました。色々な所を案内してくれて、一緒にアイスを食べたり、畑で売っている一かご100円のトマトを買って食べたり、とても楽しい一日を過ごしました。
別れ際にその子は、びっくりな提案をしてきました。あさってが学校の登校日なので一緒に行こう、みんなに紹介してやるよと言うのです。私は勝手に学校に行ったらまずいだろうと断ったのですが、大丈夫だから行こう行こうと何度も何度も誘ってくれます。そこで私もドキドキしましたが、わかったと返事をして一緒に学校に行ってみることにしました。
翌々日の朝、その子が迎えに来てくれました。見知らぬ通学路を二人で登校です。校舎が見えてくると、とても緊張してしまいました。しかし校門の近くでその子の友だちが声をかけてきて、私を含めて5人くらいで校舎に向かうことになりました。昇降口を上がる時に上履きが無いことに気が付きましたが、親戚の家に行っていて欠席だという子の上履きを借りてしまいました。
教室に入るともう子供がたくさん集まっています。私を誘ってくれた子が大きな声で「ちゅうもーく」と叫んで、みんなに私のことを紹介してくれました。さっそく、どこから来たの、いつまでいるのと、まるで転校生みたいな歓迎です。
教室に先生がやってきました。一瞬逃げたくなりましたが、すぐにその子が先生に私を紹介してくれました。先生は優しそうな中年の男の先生で、○○さんのお孫さんか、○○さんなら先生もよく知っているよと、やさしく声をかけてくださいました。黒板に名前を書いてみんなの前で自己紹介をして、私は一日だけのクラスの一員になりました。
登校日の行事はすぐに終わって下校ですが、みんなそのまま学校に残って校庭で遊びます。私も入れてもらって、みんなで遊びました。校庭は照りつける日差しで焼けるようで、みんな頭から水道の水をかぶります。私もバシャバシャかぶりました。すっかりみんなと仲良くなって、夕方のチャイムが鳴るまで遊びました。帰ると腕も顔も日焼けしていて真っ赤でした。
そして今日帰るというその日、クラスのみんながやってきてくれました。みんな、来年も来いよ、待ってるぞと言ってくれて、ハガキ大の紙ですが、なんとみんなの寄せ書きまで贈ってくれました。まるで転校していく生徒のようで、私はちょっと涙ぐんでしまいました。一日だけ机を並べた級友。でも本当の私のクラスの級友に勝るとも劣らない大切な大切な級友たちに、私は心からのありがとうを言って別れました。
男子にもこういうの、よくありました。俺長距離苦手なんだよな、俺もだよ、一緒に走ろうなスローペースで、おぅ、なんて約束しておきながら、途中で相手はどこへやら。あるいは追い抜くんじゃねぇ、お前こそ俺の前を走るなで約束のスローペースはどこへやら。コースの途中でバテて共倒れ、なんていうこともありました。
大学時代の友だちはこれにつきます。新しいお店ができると、どれどれ……みんなで出かけて、星の付け合い。あそこがいい、ここがいいと盛り上がりました。ちょっと幼いかもしれませんが、あの頃は雑誌「オリーブ」に夢中になっていて、それ系のかわいいお店で時間を過ごすのが好きでした。
クラスで七夕にお楽しみ会をやろうと決まり、
3バカトリオの異名をとる仲良し三人組で笹を準備する役を引き受けました。
さっそく笹の切り出しです。
ノコギリを持って近くの竹林に行って、なかなか立派な竹を切ってきました。
ところがです。翌日、一緒に竹を切りに行った一人が、
あそこは少し離れたお寺さんの土地だから勝手に切ったらまずいだろうと親に言われたというのです。
私たちは崖っぷちに生えている誰の物でもない竹だと思っていたのでびっくりでした。
せっかくのクラスのお楽しみ会に盗んだ竹を使ってはまずいだろうということになって、
私たちはおそるおそる、その土地の持ち主だというお寺をたずねました。
しかしお寺は普通の家と違い、どこが住まいでどこが玄関なのかよくわかりません。
境内をうろうろしているうちに日が暮れかかってきて、
場所がお寺ですから何となく恐くもなってきて、みんな半分涙目でした。
その時、「君たち何か探し物かい」と、お寺の和尚さんが出てきてくれました。
優しそうな和尚さんなのでホッとしましたが、なかなか用件がうまく話せません。
3人で断片的に事情を話しましたが、話が伝わるのにずいぶん時間がかかりました。
まぁまぁ君たち落ち着いてと部屋に上げていただき、お茶まで出していただいて、
やっと、自然に生えている物だと思って勝手に切ってしまったことのお詫びを言い終えると、
和尚さんは笑いながら、そうかいそうかい、かえって気を使わせてしまって悪かったねと言って、
便箋を取り出して、この竹は○○寺からクラスへの贈り物です、七夕を楽しんでください、
みたいな手紙を書いて渡してくれました。
そして、硯と筆を取りだして和歌を書くような立派な短冊に「学業成就」と書いて、
これを笹に下げてください、私からクラスの皆さんへの気持ちですと渡してくださいました。
短冊には鮮やかに朱色の印も押されていました。
翌日、ことの顛末を帰りのクラス会で発表すると、先生が手紙と短冊を見て大感激してくれました。
お楽しみ会が終わったあと、学業成就の短冊は、先生が用意してくれた額に入れられて教室の壁に飾られました。
私たち3バカトリオには、テストの点が悪かったりするといつも先生に、
「もっと頑張らないとあの短冊を書いてくださった和尚様にもうしわけないぞ」
と言われるおまけがつきました。
3時間以上歩いた思い出があります。
友達と、Aちゃんの家に行った帰りに、Bちゃんの話をしながら、どんどんBちゃんの家の方に行き、歩いて3時間ぐらい、Bちゃんの家までそのまま遊びに行ったことがあります(笑)
夕方近くになったけど、すっごく楽しかったし、道が続いているのを実感できました。
いつの間にか何時間も経ったりしてますよね。
小学校の頃通学に1時間以上かかるところに住んでいたのですが、友達と話しながら歩いていたからか、あまり長い距離を歩いているという感じがしませんでした。
A君は大人に対して極めて反抗的な中学生で、授業は受けない、隠れてタバコを吸う、蹴飛ばして金属のロッカーをへこますなどして、先生方からも生徒からも恐れられていました。でも本当はいいやつで、行動は乱暴ですが、人に対して暴力をふるうことは一度もありませんでした。私はそれをよく知っていましたので、A君とはいい友だち関係でした。
そのA君に転機が訪れました。なんと彼は恋をしたのでした。相手は一学年下の見るからにかわいい女の子です。A君は、勇気を出して声をかけようとしたが、引きつったような顔をして逃げられたと、思いあまった顔で私に打ち明けてきました。
それは当たり前です。学校一のツッパリ少年と評判の上級生が近付いてきたら、普通男子だって逃げるでしょう。お前、生まれ変わるしかないだろと言うと、A君は、そうだよなとうなだれていました。
翌日A君は、生まれ変わりたいからまず部活をやる、真剣に部活に取り組むことで自分を変えると言ってきました。しかし年度の途中で、それも学校一のツッパリ少年など入部を許可してくれるクラブなど無さそうです。そこで私は自分の入っていた部の顧問の先生に事情を相談することにしました。その先生は私たちの学年の教科担任でもありましたので、一週間授業態度を見て考えると言ってくれました。A君にそのことを話すと、明日から授業は全て真面目に受ける、タバコもやめた、お前にやると、ポケットからタバコとライターを出して私に押しつけました。とんでもないものを受け取ってしまいましたが、A君の決断に私はかなり感動しました。
翌日からA君は真面目に授業に出てくるようになり、人が変わったようになりました。やがて入部も許可され、A君は遅れて入った差を縮めるんだと誰よりも熱心にトレーニングに励むようになりました。結局A君の恋はみごと玉砕しましたが、玉砕決定の後、俺って頑張ったよな、悔いはないと、いい笑顔で報告に来てくれました。
私も色々なことでくじけそうになったり、投げ出したくなることがありましたが、そのたびにA君のことを思い出すと頑張れました。今も辛いことがあるとA君のことを思い出します。彼のことを思い出すと、もう一踏ん張り、玉砕しても俺って頑張ったよなと爽やかに笑える努力くらいはしようと自分を励ますことができます。A君は同級生ですが、私の人生の師でもあります。
自分を変えるのって一番パワーがいって大変なんですよね。
それが出来るA君はすごいと思います。
それにしても恋の力を+に変えられるってすごい。
なんか、こう、見習わなくっちゃですね。^^
NHKの教育テレビか何かで見た「縄文人の生活」にめちゃくちゃ憧れ(ナゼだっ?!)「秘密基地」を一緒に作った仲のいい友達4人で縄文人が食べていた、というどんぐりパンに挑戦した事があります。
どんぐりを集めて、皮を剥いて、砕いて、水でさらして、乾かして、すり鉢ですりおろして(すり鉢の目に泥が詰まりまくって後でこっぴどく怒られました)、つなぎに卵を入れて、泥が付いた手でこねてこねてこねて、アルミで包んで、落ち葉で焼いて、見目恐ろしい茶色い物体を作り上げました。
そこで止めときゃよかったのに、興奮していたので「く、食える!食えるぞ!」と芝居がかって完食。その夜全員が「原因不明」の腹痛と高熱に襲われました。私の症状は特にひどく、病院に担ぎ込まれる騒ぎに。翌日になってその日一緒に遊んでいた子供が全員腹痛に襲われていたことが発覚、「縄文クッキング」を白状させられて皆こっぴどく叱られました。
多分、「叱られても懲りずにまた何かやるだろう」という不安が両親にあったのだと思います。その年の誕生日プレゼントは「冒険図鑑」でした。
家出を1度だけした。
中学時代、閉塞感と何かやりきれない思いにつぶされそうになり、隣の中学の友達と男女7人くらいで家出した。
家庭的に辛い思いをしている友人、理解してもらえなかったりうまく表現できない思いを多く持つ友人もいた。
みんなで夕陽をみながら延々歩き堤防添いをどこまでも進んだ。遠足で行くよな遠い場所まで着きすっかり夜は更けた。
「今日はどこで寝ようか」金もなかったので、静かにそのままどこかのマンションの階段の一番上のエレベーターの音がする隅に分かれてうずくまった。そして、ただ、朝が来るのを待った。とにかく寒かった。
朝が来、ばらばらと自分たちの住んでいた所に戻った。どうやって帰ったのか、電車を使ったのかすらよく覚えていない。
私は地元の公園で時間をつぶした。
理科の先生が突然現れ、とても穏やかに
「もう……帰ろう……。」
そして学校に。
集められ多くの人に怒られ一晩何をしていたのか尋問された。誰も語らなかった。自分たちはただ固まって休んでいただけだった。
ちょうど当時は積み木くずしなどが放映されるよな荒れていた時期だった。ただそれだけの家出でしたがなぜか今でも心に残った。
家出はどれくらいの割合の人がすんだろ。
今自分が大人になり思い出すと見守ってくれていた多くの大人がありがたい。
男女の友情は成立しないって言う人もいますが、私は成立すると思う派です
女同士・男同士だといい意味でライバル意識が底の方にあるのですが(火花バチバチ系じゃなく、人生のステップの平均値を計る感じで)、異性だとそういうのがないし、男女平等とは言えやっぱり社会的立場やものの見方が微妙に違うから新たな発見がけっこうあります
「ああ私はこの人を応援したいし糧にもしたい 恋愛感情はもてないけど☆」と思える異性がいることってものすごい財産だと思います まあ、あらぬ誤解を受けることもあるのですが・・・
二ヶ月に一度ぐらい友達の家に集まってお菓子作りイベントをしていました。
集まる前に何を作るのかみんなで決めます。集まるイエは持ち回りでした。
当日は材料を持ち寄って集まる。
ないものに関しては、みんなでスーパーまで買い物にいって、あーだこーだいいながら買い物。これも楽しかったですね。意外にこの買い物の時間がかかってしまうんですw
友達の家についたら、キッチンは貸切状態です。役割分担を決めてみんなでつくりました。スポンジ担当、デザイン担当・・いろんな担当がありました。
本当にうまくできたのって数えるほどしかなかったんだけど、一生懸命つくったものはおいしかったです。
その後の反省会もたのしかったなぁ。いい思い出です。
まだ小学生の時のことです。たいして親しくないクラスのやつから、夏休みになったら星を見ないかと誘われました。流星群が来るから流れ星を一緒に見ようというのです。一緒に図書室に行って星の本を見ながら、この流星群だよ、これは一年のうちでもたくさん星が流れるので有名なんだ、ぼくは去年見た、きっと今年もたくさん見られるぞと熱っぽく語っていました。なぜ普段そんなに親しくない私をと思いましたが、面白そうなのでOKしました。そいつは、直前になったら電話するからと言っていました。
夏休みになって、電話がかかってきました。来週がちょうど一番たくさん星が流れる日だからその日に見よう、家の人にOKをもらってくれと言っています。私はいったん電話を切って、近くにいた父に了解を求めました。さすがに夜遅くに小学生だけというのはOKしてもらえませんでしたが、近くまで車で送ってやる、見終わるまで車で待っていてやるという半父兄同伴を条件にOKがもらえました。
当日、父の車で約束をした場所まで行きました。そこは広い公園で、その一角に小高くなった小さな丘のような所があります。私が行くと、そいつはもう来て待っていました。私がおーいと声をかけると、うれしそうに手を振ってくれました。それから二人で夜空を見上げました。そいつは星のことをとてもよく知っていて、あれが夏の大三角だとか、あれが何座だとか色々教えてくれました。流れ星が流れました。「見た?」「見えた」「何か願い事した?」「してるひまなかった」と二人で大騒ぎです。それからは星が流れるごとに二人で興奮しまくりました。
しばらくしてそろそろ父と約束した帰りの時間が近付いてきたのでそのことを言うと、そいつは神妙になって、いい思い出ができた、と言いました。え?と聞き返すと、実はそいつは二学期から転校が決まっていて、もうすでに引っ越した後だと言うんです。ほら向こうの駐車場にうちのお父さんの車が止まってる、今日は君に会いに引っ越し先から車で乗せてきてもらったんだよと。あまり親しくなかったが、私とずっと仲良くなりたいと思っていた、最後にいい思い出ができたよと言ってくれました。私は何と返事をしていいかわからず、両手を握って半べそをかいていました。
最後にもう一つ流れ星を見たらさよならしようということになって、二人で夜空を見上げました。私は涙でよく空が見えませんでした。公園の出口まで一緒に行き、それじゃあと別れました。そいつは、最後の流れ星に君とのことをお願いした、手紙を書くよと言ってくれました。
父の車に行くと、何お前べそかいてるんだと言われましたが、ただあったことを話しただけでは今の自分の気持ちを表現できないと思い、黙っていました。父はちょっと心配していたみたいでした。
しばらくしてそいつから新しい住所の書かれた残暑見舞いが届きました。父にそれを見せて、実はあの時これこれこうだったんだよと話すと、離れているがその子は親友だなと言ってくれました。親友への特別な気持ちを込めて返事を書きました。夏になるとどうしても夜空が見たくなるのは、そいつの思い出があるからです。