いわしの回答(転記)
ゆっくりお風呂に入れるときは、バスタイムは体への「ありがとう」の時間です。
足の指の一本一本、足の裏、足の付け根、くるぶし、すね、一つ一つをマッサージしていって
「今日も動いてくれてどうもありがとう」とお礼を言います。
一度怪我で入院してトイレにも行けなかった事があるので、普通に歩けることは本当にありがたいんですよね。
それと、指は神経が集中しているので、指の横を押すと、押した瞬間に脳に刺激がいくらしく、脳が活性化されるそうなのですよ。
又、老廃物は指の先など心臓から遠いところにたまってることもあり、リンパの流れに沿ってからだの遠いところから中心に向かってマッサージしていくととても血行がよくなり、すっきりとします。
以前会社でストレスマネージメントのような研修に言ったことがあるのですが、そこで先生が教えてくれたのがその指圧方法だったんです。
いたって簡単で足の指、手の指、遠い方から順に一つ一つマッサージしていくだけなのですが、「痛風」などが悪化して変質してしまった指が治ったり、病気で切断を宣告された人が治ったりしたそうでした。
ポイントはありがとうありがとう。と、労ること。と教えてもらいました
お風呂の上がり際には、水や世界にもお礼を言います。
以上、毎日はできないのですが、余裕があるとき実行しています。
気持ちいいので人にもやろうと、昔おばあちゃんにしたら「痛いからいらない」といわれてしまいましたが(^_^;)
海苔を買ってきて、縦半分に切って、おにぎり一個分くらいのご飯を縦に置いて、ふりかけや野菜など好きなものを挟んでくるっと巻くだけ^-^
出来立てのぱりぱりもおいしいですよーー!
中国地方の一部の習慣らしいです。豆はまかずに四方に置きます。ちょうど結界を張るような感じです。友達に教わりました。
この歳になってしまうと、もう鬼のお面をかぶったり豆をまいたりということはしなくなってしまいます。でも豆を買ってきて四方に置くだけなら一人でもできます。
私は自分の家の四隅に豆を置くだけでなく、町の四隅にも豆配りに行きます。地域を取り囲む道路の四隅にあたる交差点に、今年一年この町が幸せであるようにと願いをこめながら、密かに豆を置いてきます。最近は地域に不審者の噂などもありますので、今年も念入りに豆を置いてこようと思っています。
私の愛用の化粧石鹸にも、原材料に糖類が入っています。
DHCの石鹸もハチミツ入り。
http://top.dhc.co.jp/shop/link_basket/subeset/#soap
実はそのハチミツ入り石鹸がきっかけで、
効果あるけど高いなあと思って、
似た成分でできている別の石鹸を探して愛用しているのです。
知り合いの女性は、普通の固形石鹸に
ハチミツを1滴たらしてあわ立てて顔を洗うそうです。
(普通にあわ立つそうです)
簡単ですからお試しあれ。
(いきなり糖類でびっくりしたでしょうが、
グリセリンと糖類はいずれも甘みと保湿力がある
「多価アルコール」という共通点で自然に連想してしまいました。)
日課というか、なんというか。
朝起きて『おはよう』は欠かした事が(あんまり)ありませんね。
親とかにはちゃんと「おはよう!」は言えるのですが、幼稚園の先生には、男の子の恥ずかしさやテレがあるらしく、毎朝ごもごも・・・と。
最近は、手話で「おはようございます!」と先生に向かってやっています。
でも、仲良しのお友達には、おはよ??とちゃんと言ってます。
恥ずかしいんでしょうね、先生には。
5歳の息子は目覚めが悪いので、起き抜けにチョコレートをひとかけだけ口に入れます。
甘いものを食べると脳が起きるようで、寒い朝には必需品のひと口チョコレートです。
お友達の家では、ひと口チョコを食べて、100マス計算をさせるそうです。
小学校に行く前のお勉強に、朝チョコは必要です。
わたしも目覚めが悪いので…朝は甘いもので脳を起こします。
チョコレート・クッキー・ホットケーキ…トーストの場合はジャムをたくさん塗って
あまーくして食べます。
お仕事前にはスイーツが必要です。食べないと午前中は人として機能してません…
朝はカーテンをさっと開けて庭を覗き込みます。
するとたいていまだ庭にエサがでていないのに、野鳥が既に来ています。
そして木の高いところから、エサがないぞうって顔でエサ台を覗き込んでいます。
(夜ネズミが来てエサを食べていたような形跡があったので、夜中は小屋にエサをしまっています)
ごめんよ、次の日はきっともう少しエサを早く出すから・・・
と思うのですが、鳥より早起きは難しいです。
今年は 節分の日が 土曜なので、初めて 神社に行こうと思っています。
毎年、神社で 節分の日は 豆まきや お菓子 おもちゃなどが まかれます。
中には くじがあるところもあるようで、神社によっていろいろ違いがあるので いろんなところに 行ってみたいです。
今までは 妻が 行ってましたが、今年は 一緒にいけそうです。
どんな感じなのか 見てきたいですね。
あと、豆のとりすぎにも注意ですね。
たくさんもらっても、食べきれないですから。
お風呂で使えるクレヨンみたいな石鹸があるのですが、甥っ子はそれでいろいろ絵を描いて遊んでいるそうです。最近はいろんなお風呂おもちゃがあって、おとなしくお風呂に入ってくれるのは助かりますね。
寝てる間に人間は口の中の細菌をやっつけてくれる唾液がほとんど分泌されないので、口臭の原因になる細菌が口の中で増えます。前夜に歯磨きを怠って朝起きたら少し口臭がきになると思ったことないですか?口の中で増えた細菌は朝一にうがいとぐちゅぐちゅをすると良いんですって。TV番組で見たんですけど朝起きた時の口の中の細菌の量はOOOの10倍だそうです。寝る前の歯磨きは大事ですね。
学生時代はコンビにでバイトをしていて、期限切れでもらったチョコケーキ2個なんかを平気で平らげてました
とにかく起きて一番最初に食べることを考えてて
今でも起きぬけのカレー、起きぬけの焼きそば、起きぬけのうまい棒、何でもいけます 焼肉だってきっと大丈夫
父親は熱いお風呂が大好きでした。家中の人から「父ちゃんの入った後のお風呂は熱い!」とブーイングされていましたが、本人にとっては、そのブーイングさえも誇らしいようでした。
家中の誰よりも熱い風呂に入っている、という事が彼の自尊心をくすぐっていたのでしょう。
小学生になると、僕も熱いお風呂にすっかり慣れてしまい、父親と同じくらい熱いお風呂に入れるようになりました。
あれって、”慣れ”なんですね。
でも、風呂上りは毎回のぼせていた気がします。
話は変わりますが、父親は大のいたずら好きでした。僕がお風呂に入っていると、突然「お?い、○○!」と言って僕を呼ぶので、何かと思ったら、突然冷たい水をかけられたことがあります。慌てふためいている僕を見て父親は大笑いしてました。
節分の鬼より父親のいたずらの方が怖かったです。
朝起きたら、ベランダにでて、植物に挨拶します。
「おはよーー」 太陽をみて今日も朝が来たことをありがたいと思い、ちょっと伸びや深呼吸をしたりして、植物の様子をみて、水がほしそうだったら水やりします。
植物は光が当たった分、葉から蒸散していき、ストローのようにその分の水が下から上に上っていくので、これから暗くなる「夜」にあげても根が冷えてしまうので、朝に水やりするのが喜びます。
昼に水をやると、熱い時には熱湯になってしまったり根がいたんだりするので、涼しい朝のうちがベストです^-^
土の小さな粒の間にたまった水の中で、「自由に動ける水」が植物に使える水だそうです。
ぽたぽた落ちる、動ける水です。
湿度と同じ程度に湿っていても、植物はその水を使いにくいそうです。
又、しじゅう湿っていると根腐れの元なので、ある程度水はけを良くして、水をあげるときはたっぷりやるのがいい方法です。
多くの植物は、冬だから「少量」あげるのではなく、冬でも底から水がでるくらい「たっぷり、きちんと」あげる。ただ、夏よりは「日にちの間隔を」あけ、、乾燥気味にして水遣りするのがいい方法だそうです。
(注:特殊な品種はこれに適さないのでその植物によりますが。)
朝、植物に会話をしてもらっているhanatomiでした。
おまけに水やりのノウハウがとてもよくわかりました。私も朝、植物たちと会話します。朝日も浴びられるし、とても爽やかな一日のスタートができますね。
土は湿っているだけではだめなんですね。というよりただの湿り気は根腐れの原因になるだけで植物は喜ばないということなのでしょうか。
冬場は水やりをひかえるとよく言われますが、私はちょびっと水をかけると誤解していました。勉強になりました。
「泣いた赤鬼」の話を読んでから、私は鬼に豆をぶつけることが出来なくなってしまいました。そのことを親に話すと、父はこんな話をしてくれました。
鬼というのは平安時代に考えられていた病気や災害の原因のことだけど、それ以前は「おに」というのは「御二」、二番目にやってきた神様という意味だったらしい。きっと三番目の勢力が政権を取った時に、前の権力者を追い出した故事が「鬼は外」になったんだと思うよ、と。
そして、柊の枝に魚の頭を刺すのは、敵の首を取ったという形の名残だったのではないか、とも話してくれました。
以来わが家では、「お庭に福ー♪」。鬼に豆をぶつける攻撃型豆まきをやめにして、庭に鳥のエサを撒いて小鳥たちを呼び、いつまでも美しい自然が守られるようにと願う、一風変わった豆まきに変わりました。
本来「節分」というのは、春の訪れイブを祝う日です。立春を年の初めになぞらえれば、いわば節分は大晦日。その本来の節分の意義をしっかり受け止めていれば、形はそれぞれの家で色々あっていいわけです。
「お庭に福」の鳥を呼ぶ節分で、きっと今年もいい春がやってきてくれると思います(^-^)
ホントにいい話。私も泣いた赤鬼読んで泣いたことがあります。あれ本当に泣けますよね。
鬼だからって鬼じゃないんだもの。
鳥を呼ぶ節分なんて良いですね。
とりも嬉しく、皆に楽しい節分ですね。
うちの子(犬)がまだ小さい頃(4ヶ月目)の節分。
赤い鬼のお面にはビックリしていなかったのですが、床に投げた豆を拾い食いし部屋中を練り歩いてました。
しかし、次の年から「福はうち」といったあとすぐにワンコの口がモグモグ。
拾い歩くのが疲れたのか、投げた豆を口で直接キャッチするようになりました。
それからというもの毎年豆を手に持つと後ずさりしはじめ、豆が落ちるであろうという場所の前でじーっとしていて、豆が投げられると大きな口を開けてモグモグ。
たまに意地悪してとんでもないところに豆を投げると、豆をおいかけスライディング(笑)豆が冷蔵庫の下に入ると床に寝そべり鼻先と手を冷蔵庫の下に入れてひっぱり出してモグモグさせています。
わが家の節分は「鬼は外、福は内。でなくて鬼は外、福は口」になっております。
父がずっとそれをやっていました。朝一番の水は胃を強くするのだそうです。それにならって、私もいつのまにか、起きたらまず冷たい水を一杯飲む習慣がつきました。全身に染み渡る感じが目覚めをとてもすっきりさせてくれます。朝食もおいしく食べられます。これも朝日と同じで一種の体のリセット効果があるような気がしています。
炒った大豆を撒き、蒔かれた豆を、自分の年齢(数え年)の数だけ食べる。豆を撒くことには、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある。これは、中国から渡来して宮中で行われていた悪鬼・厄神払いの行事と、寺社が邪気払いに行った豆打ちの儀式が融合した物とも言われている。
豆を撒く際には掛け声をかける。掛け声は通常「鬼は外、福は内」であるが、地域や神社によってバリエーションがある。鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方避けの寺社では「鬼は外」ではなく「内」としている。
埼玉県比企郡嵐山町の鬼鎮神社では「福は内、鬼は内、悪魔は外」
などである。家庭での豆まきでは、「鬼」の付く姓(鬼塚、鬼頭など)の家で「鬼は内」の掛け声が多いという。
小学校では5年生が年男・年女にあたる。そのため、5年生が中心となって豆まきの行事を行っているところも多い。
関西でも起源は江戸時代末期というのが有力説のようですが、一旦廃れて、再度はやりだしたのは1970年代後半に大阪のノリ業界が行ったキャンペーンがきっかけだそうです。
http://gogen-allguide.com/e/ehoumaki.html
その後、1989年にセブンイレブンが広島で紹介して、それをきっかけに98年に全国に広まったようですね。
http://www.sej.co.jp/oshiete/mame/mame14.html
一方、豆まきの方は「続日本紀」に書かれてた、慶雲3年(706年)に疫病をおさめるため、鬼を追い払う儀式が宮中で始められたのが最初とされ、
豆を使ったのは「看聞(かんもん)日記」の1425年(応永3年)に書かれているようですので、こちらの方がずいぶんと古いようですね。
私はサウナが好きなのですが、サウナで一番気持ちがいいのは、サウナ室から出た後に浴びる冷水です。あの気持ちよさを家でも味わいたくてはじめたのが、風呂上がりに冷水シャワーを浴びることでした。
風呂上がりに水をかぶるというのは昔から健康法の一つとしてあったらしいですが、不思議なことに、冷水を浴びた後は、かえって体がほかほかします。もちろん冷水は、体を冷やさない程度にさっと浴びるだけです。すぐに体を拭きます。そうすると、冷水摩擦と同じ原理なのか、長風呂ののぼせ感はさっと引きますが、体は芯からほかほかしています。
血圧の高い人や心臓に問題のある人はやってはだめだと思いますが、サウナが大丈夫な人なら、これは風呂上がりのビール以上に気持ちがいいと思います。
これは確かに気持ちいいですね。
水をかぶることで抹消の血管が収縮するので、熱放散が減少し、
体温を内に閉じ込めるので、湯冷め防止にもなるようです。
そのため、ホカホカ感も出てくるようです。
私も以前やっていましたが、そのころは風邪引きにくかったですね。
歌を聞いて、あ、かっこいいーと思って、やってみました。
父の後にお風呂に入ったら、タイルは泡だらけ、あっちこっちに抜け毛もちらばってすごく汚かったので、こういう時こそルージュの伝言と思って、鏡に、出る時はきれいにしてから出ましょうと書いてみました。ルージュじゃなくて水性ペンでしたが。
そしたら翌日、その下に母の字で、「そのとおり」と追加の伝言。お風呂に入った父は出てきて、今日はきれいにしたからとあやまっていました。
それからも父に言いたいことがあると、時々鏡に伝言を書いています。父はうちには魔女が複数いるから逆らえないと言っています。