イエ・ルポ 2 #001
みなさまこんにちは、ハザマです。2年目リニューアルの「イエはてな」もおかげさまで順調にすべり出して、ホッとひと心地(^^)。なのですが、今“イエコト・ミシュラン”と“リブ・ラブ・サプリ〜SEASON”のいわしが進行していて、今日はさらに“イエ・ルポ 2”#001のはじまりです。1週目はスタートが重なって、書き込み頂くのも忙しい?!今日から月曜日までは3つのいわしが走ることになりますね。この土日、ぜひ「イエはてな」いわしめぐりでゆっくりお過ごし下さるとうれしいです。
そんなわけで、今日からはじまる“イエ・ルポ 2”。これまでの“イエ・ルポ”のつづきとして「イエとマチのものがたり」にフォーカスしてお話を深めていけたら、と思っています。#001のテーマは「あなたのお仕置きの思い出」。今までにも、ごはん抜きや閉め出し、押入れに入れられる!など、子供の頃の思い出話が出てきましたよね。うちでのお仕置きってどんなのがありましたっけ?ぜひ、その時のエピソードを思い出しながらルポしてみて下さい。今なら笑える!お仕置き話、みなさまからの面白いルポをお待ちしています!
今なら笑える!あなたのお仕置きの思い出
「今なら笑える!あなたのお仕置きの思い出」を教えて下さい
“ルポ・タイトル”
「〈やいと〉をすえたら賢くなるから!」by ハザマ
“ルポタージュ”
子供の頃のお仕置きといえば、うちではたいてい真っ暗な押入れに入れられたものです。しかも、中から開けて出られないように、母の着物の腰紐で手錠されて(笑)。暗くて怖くてエンエン泣いてました。
それと同じくらい恐ろしくて忘れられないのが〈やいと〉です。〈やいと〉とはお灸のこと。よく遊びに行っていた親戚のうちで、いとこたちがいつも「やいとすえるよ!」と叔母にやられていたのですが、ナゼか一人が悪さをすると一蓮托生でみんなすえられるんですよね。だから私たち兄弟が行っている時は「あんたちらもおいで!」と言ってついでにやられる!なんで〜?って言ったら、決まって「やいとしたら賢くなるから!」と返ってきました。
みんな順番に正座させられて、片手の人差し指を折って台のようにして、その上にもぐさを山盛り。お線香で火をつけると、じわじわと熱さが下りてきて、アツッアツッ、アツツツツッ…!それでも最後までもぐさを落とさないように顔を真っ赤にしてぐーっとガマンするみんなの姿…。今思うと笑える映像です。指で燃えるもぐさを凝視しながら、ウゥーと唸りつつふんばっている(笑)。私もひとごとではありませんから当時は笑えませんでしたけど…。
その頃はおばあちゃんや叔父、叔母が腰痛や痛いところによくお灸をしていたので、いつでももぐさがあったわけです。お灸は悪いところ何にでも効くとでもいった具合に万能に使われて、「子供が賢くなる」お仕置き道具でもあった!考えてみると、おねしょをしてもやられてましたから、指のお灸に何らかの効果はあったのかも知れません。それにしても、ついでのお仕置きには熱すぎた…。今でもいとこたちとの語り草です(笑)。
※今回の「いわし」ご投稿は11月15日(木)正午で終了とさせて頂きます。
いわしの回答(転記)
子供の頃、叱られて淋しくなった時は家のわんこのところに行っていました。犬小屋に入り込んでわんこをなでてみたり、抜け毛の季節だったら毛を抜いてみたり。普段からよく犬小屋で遊んでいたのですが、へこんだ時わんこの近くに行くと何故か落ち着けました。
犬は躾が出来ますし、また、躾が大切だと聞きます。
でも、猫は野生の性質を色濃く残しているため、人間がしつけることは難しい、と聞きます。
しかし、人間と一緒に暮らしている以上、どうしても「やっちゃだめ」なことはある訳で・・・
実は、うちの猫は、ある時から台所にひょいと上るようになってしまいました。
最初はあまり気にしていませんでした。衛生上云々はあまり神経質ではない方なので。
でも、あるとき、危ないことがあったのです。
ガステーブルに火がついていて、大きな鍋を載せていた時。
これは危ないと思いました。
鍋をもひっくり返したら大変だし、猫の毛に着火などしたらもっと危ない。
これは何とかしなくては、ということになりました。
それで、ある時再び、猫が流しに飛び乗った時に、こういうことをしました。
(1)猫を捕まえる。がっちりと。
(2)ガステーブルを点火。炎は弱めに。
(3)安全な距離は確保しつつ、猫に炎を見せつける。そして、大きな声で「ダメ!ほーら!怖い怖い!怖い怖い!」と叱る。
動物は炎を怖がると聞いていたので、あるいは、この方法で「ここは乗ったら怖いところなんだ」と覚えてくれるのではないかと。
あれから1ヶ月くらい経ちますが、以来、うちの猫は台所には来るけれど、流しに飛び乗ることは、しなくなりました。
しかし、これで本当に覚えてくれたのだろうか?
猫に、躾のための「お仕置き」はどこまで有効なのだろうか?
もし無効だとすれば単なる動物虐待になってしまうのだろうか?
私自身まだよくわからないのですが。
ここにはもっと猫に詳しい人がいますから、きっと後で詳しいことを書いてくれると思いますが、猫にもしつけはもちろんできます。ただ犬と違うのは、猫はボスに従う習性がないということです。ですから「罰」を与えても、あまり効果はありません。
動物に対する罰の効果は、ボスの権威をそれによって示すという意味での効果です。動物に善悪の判断はありませんから、いくら罰を与えても「悪いことをしたから叱られた」という反省は有り得ません。ただ「こういうことをすると強いボスに牙をむかれる」という経験が残るだけです。ところが猫はボスに統率されて群れで行動する動物ではありませんから、こういうことをするとボスに牙をむかれるという教訓すら残らないのです。
もちろん危険を体験させるのは多少の効果はあると思います。でも、ガスの炎を見せるやり方では、もしかするとその場所が危険だという理解ではなく、押さえつけられると恐い思いをするとかといった、別の誤解をしている可能性もあります。
できれば「制止の合図」を決めて、その合図に従わせるといったしつけ方のほうが、なにかと他のことにも応用がきいていいのではないかと思います。たとえば頭のてっぺんを押さえて「ダメ」というような合図を決めて、飛び上がりそうになったらそれを繰り返していくような方法です。行動と言葉をセットにして、毎回必ず同じ合図にしていくのがコツです。熱心に繰り返していれば、この場所に飛び乗ろうとすると制止されるということをおぼえると思います。
今考えると子供のことに随分理不尽なお仕置きをされた記憶もありますしまたそれとは逆にお仕置きをされたことで学んだり知ったことも多くあると思います。
最近、すぐにお仕置きしたりすると保護者が抗議したりするので教師がお仕置きができなくなって子供が悪いことをしても反省する機会がなく、
また教師の立場弱くなったために理不尽な要求する親(モンスターペアレント)が多く現れてしまったんでしょう。
こういう時代だからこそ今こそ笑えるお仕置きって必要なのかもしれないですね。
モンスターペアレントっていうんですね、そういう理不尽な親。
たけしさんのお母さんを少しくらい見習ってほしいですね。
たけしさんが報道がひどかったからか、暴力事件起こしたことがありましたよね。
たけしさんが、お母さんが警察に「死刑にしてやってください」
と言ってたエピソードをいつも笑いながら話すのを思い出しました。
本気じゃないとわかるくらい愛情を知ってるから、
「死刑」という極端な言葉がユーモアになっちゃうんですよね。
自分が叱るだけじゃダメ、他人に制裁を加えられるくらい
息子が迷惑をかけたことを受け入れる、立派なお母さんでしたね。
本当はつらかったでしょうに。
高校3年生の夏休みの事です。
一学期の終業式を終え、担任の先生が個別に数名の生徒を呼びました。
私を含め、テストのできの悪い者たちに通常の宿題より倍の宿題プリントを渡すのでした。
担任の先生は数学の先生なのですが、おせっかいにも英語、物理のプリントも入っていました。
え???と思ったのですが、中身は中学校の内容も入っているような基礎的な問題集でした。
完全になめられた私たちに、
「どうせ、宿題をしないだろうけど、このプリントだけはやってこい!!」と熱く激を飛ばされました。
えーとは思ったものの数学の授業だけでも大変なのに他の教科までできの悪い私たちを見捨てずに面倒みてくれる担任の情熱に、
特別宿題を貰った友達どうしでは「うざ??」と言ってましたが、ちょっと照れ嬉しかったのを覚えています。
それで、夏休みこの宿題だけはしないといけないと感じ、早々にやっつけていきました。
すると、プリントはコピーしただけの物ではなく理解しやすい順番に上手く構成されていて、すべて解き終わるとみんなと同じ宿題まで解けるようになっていました。その時、「基礎が分かっていなかったんだ」と実感しました。
夏が終わり、私は進学をあきらめていたのですが、それをきっかけにもう一度受験勉強をする気が起こりました。
おせっかいな担任のおかげで、無事進学もでき、あの夏の愛の宿題がなければ未来は変わっていたなと時々思い返す時があります。
うちのクラスなんか、出来が悪ければプリント山盛り。
がんばっていい成績になれば、良くできた君にさらにプレゼントだとまた山盛り。
良くも悪くもないと、これまた君はあと一歩なんだからとプリントどっさり。
けっきょくクラス全員が山のようなプリントをもらうんです。
でもその先生のプリントは全部で五種類くらいあって、
一人一人に合ったものを選んで渡してくれていました。
こんなに私たちのために手間をかけてくれていい先生だと思う反面、
こ、これじゃ友だち同士見せ合って終わらせることができなーい!!
これでは同じプリントセットの友だちを探すのが一苦労です(笑)。
それでもみんな、がんばったなぁ。
一人一人に合わせたプリントは、ちゃんと自分のことも見てくれているんだということ。
その気持ちに何とかこたえたいと素直に思えて、みんながんばっていました。
もちろん私も自分だけの力でがんばりました。
ある日母が小さな座布団のようなものを10枚作りました。
そして一枚をテレビの上に置いて、
そこに私が小さかった頃かわいがっていた縫いぐるみを乗せました。
これ何?と聞くと、
お前がいいことをしたらここに座布団を一枚足す、
悪いことをしたら一枚取る、
十枚たまったら何でもお前の好きな物を買ってあげる、
でもゼロ枚になったらその日から次に十枚たまるまでお小遣い停止だからね、と。
なんと笑点式です。
家の手伝いをすると1枚。
言われなくても家の役に立つことが出来ると特別に2枚もらえたりします。
しかし何か悪いことをすると座布団はすぐに減らされてしまいます。
座布団ゼロは小遣い停止ですから、これは子供にとっては死活問題。
座布団を取られてしまうことが何よりのお仕置きでした。
残り座布団1枚というある日、家に誰もいない時に親戚がきたので
子供ながらにお茶を出したりして接待していたところ、
その親戚がいたく私を褒めてくれたおかげで座布団10枚達成、
ほしかったゲームを手に入れたことがありました。
しかし学校でケンカをして親に電話がかかってしまった時には全て座布団を取られました。
この時は小遣い復活の10枚をためるのに三ヶ月くらいかかったと思います。
もうこの座布団制度はありませんが、今でも時々父母の口から、
座布団一枚といった言葉が飛び出すことがあります。
子供時代の懐かしい思い出です。
1991年頃だったと思う。
その日は朝から端末のトラブルやら何やらで私もいら立っていた。
というか、もともとストレスフルな職場だったから、いら立っていない日の方が少なかったかもしれない。
へろへろになって帰宅する電車の中。JR線の快速。家族連れがいた。ロングシート(長いタイプの座席ですね)に並んで座っていた。
父親は30代くらい、母親もそのくらいか。間に子供が1人居た。子供は3歳くらいだったと思う。多分、初歩的な日本語はわかるんじゃないかというくらい。
別に席を譲ってくれなんて言わない。私も20代で、そこまでへばっていなかった、いや、へばってはいたけれど、立てないというほどでもなかったし、平日に家族連れなんて、たまの(親父の)年休か何かで、貴重な時間を過ごしていたのだろうから、その邪魔をしたいとも思わなかったし。
ただ、気に障ることがあった。問題は、子供がはしゃぐことだった。
最初は、座ったまま声をあげながら父親をつねったりひっぱったりしていた。父親はそれが嬉しいのか、にやにやしていた。母親は寝ていた。
子供の行動は徐々に拡大の方向にあった。声は大きくなり、行動もグーで殴るという感じになっていた。
グーで殴るのは別にいい。所詮子供の力だし、第一、仮に怪力であったとしても他人の私がどうこうこう問題でもない。父親は相変わらずにやにやしていた。
ただ、大声は勘弁して欲しかった。いら立っていた私のカンに触るものがあった。
しかし、両親はもちろん、周囲の大人たちは皆、黙っていた。
ここで(私が)怒りだすのも、かえって大人げないというものかと思うことにした。
子供の行動はさらにエスカレートし、ついには座席に土足で上り、奇声を発しながら父親の頭を殴り始めた。
これにはキレた、が、理性が私を引き止めた。
キレているのは、周囲を見渡す限り(当事者親子=父親・母親を含めて)、私だけという感じなのだ。大人は大勢居た。誰もが意識の扉を閉め切ったように、無視をしていた。
理性が私を引き止め、理性ならぬものが子供をエスカレートさせていくという状況がしばらく続いた。
こうなってくると、これはもう私個人の問題だけではないのではないか?車内の誰にとっても迷惑な状況ではないか?
だが、車内の(少なくとも表面的な)世論は「無視」、その状況から察するに「許容範囲内」であった。滅多にあることじゃない、他人に関わるのは面倒だし、まあいいじゃないか、と。だからこれくらいは「許容範囲にしようよ」と。
だが私は「許容範囲を超えている」と考えた。私は作戦を考えた。
幸い、快速は私の下車する駅に近づいていた。沿線風景から見て、あと5分くらいか。
5分待った。5分。子供は奇声を上げ、父親はにやにやし、私はつり革につかまって、ただ、じっと子供を見ていた。子供は私を見ていなかった。
快速がブレーキを掛け、おそらく時速20kmくらいにまで減速した時、私は声を出した。結構大きな声だったと思う。
私は子供を呼び止めた。
「君!」
子供は私を見た。父親は正面を向いたままにやにやしていた。子供が呼び止められたことに気づいていなかったかもしれない。
「君!車内で大声を出すのは止めなさい!それから、土足で椅子に上るのは止めなさい!」
鋭いいくつかの視線を感じたが、その時、快速は既に停車してドアを開けていた。
私は素早く快速を下車した。脱出だ。
子供が一瞬固まったのを視界の隅でキャッチしたような気はした。両親の表情を見る余裕はなかった。
そのあと子供がどうなったかは知らない。
お仕置きというにはあまりにも不完全だろう。叱られた内容がどこまで子供にちゃんと伝わったかだろうか。
脱出の前に、あまり早いタイミングで叱り始めると、両親や周囲の大人が私に反撃してきそうな気がした。毎日使う通勤電車でいざこざは起こしたくはなかった。後々の仕返し等を恐れて「両親には私の顔を覚えて欲しくなかった」というのもある。
あの時は、そうするほか思いつかなかった。
だが、あれでよかったのだろうか?そうでもないような気がする。
もっと良い方法はなかったのだろうか?
周りの、のっていらっしゃった方もホッとしたと思いますよ。
よかったと思います。
もっとよい方法・・?
私だったら、「すいません。静かにしてもらえませんか。」というかもしれません。
でも、その後どうするかおもいつきません。
以前電車で足を投げ出してる人に、おじさんが、「兄ちゃん悪いけど、その長い足をちょっとしまってくれないかな。」と言ってるのを聞いたことがありますが、他に電車の注意は聞いたことがないんですよね。
友人の親が、道端で座り込んでいるタバコ吸ってる子にも怒る親だったそうなのですが、私はその人尊敬していました。
iijimanさんが降りた電車に乗っていたら、「良くぞいってくださった」って思うと思います。
普段はあまり激しく怒ったことのない父が、ある時顔を真っ赤にするほど怒りながら、
「もう今日という今日はかんべんできない、お前の一番大切なものを取り上げる、何が一番大切なのか正直に言え」
と怒鳴りました。
怒鳴られて恐くて何も言えないでいると、両肩をつかまれて顔をぐいと近付けられて、もう一度、
「お前の一番大切なものを言え!!」と怒鳴られました。
私は泣きながら必死に「おとうさん!!」と叫んで、
さよならっと父の手を振りほどいて駆けだしました。
行く場所がないのでバスルームに逃げ込んでしゃがんで泣いていると父がきて、
「お前ほかにもっと大切なものはないのか」と言うので「おかあさん」というと、
父は「許す」と言って泣いている私の頭の上に手を置いてくれました。
今でも時々、あの時お前はずるかったよな、
あんなこと言われたら許さないわけにいかないものな、
とからかわれますが、ずるくなんかないですよね。
子供にとって一番大切なものが父母なのは当たり前です。
あの時は本当に、お父さんを取り上げられてひとりぼっちになってしまうんだと思って、
目の前が真っ暗になる気持ちだったんです。
今「一番大切なものを言え」と言われたら、なんて答えるかなぁー。
今でもとっさに「お父さん」って言えるかなぁー。
それはなぞです。でも、言えるかもしれません。
だいぶ大きくなって、初めて友だちの家で無断で夜を明かしてしまった時のことです。翌朝帰ると玄関で父が待っていました。そして静かに「お帰り」と言うのでつられて「ただいま」というと、「ゆうべ寝たのか」と聞くので「寝てない」と答えました。
父はしばらく黙ったままでしたが、「父さんも同じだったよ、寝られなかった」と静かに言った後、急に私の胸ぐらを掴んで「これは叱るんじゃない、怒るんだ」と言いながら、一発ビンタを食らいました。
この時私は初めて人に殴られました。うちの親は何があっても絶対に手を上げることがない人だったんです。呆然とする私を置いて父は「親だって人間だ、怒りたくなる時もある、感情的になってすまなかったな」と言い残して居間に入っていきました。
この時やっと、自分の軽率な行動がどんなに心配をかけたかがわかりました。私だってもし自分の親友が一晩家に帰ってこなかったら、もしかして泣くほど心配したかもしれません。父は父としてではなく、自分の親友として怒ってくれたんだと思うと、本当に申し訳ないことをしたという気持ちが湧き上がってきました。
あとで泣いている私のところに父がコーヒーを持ってきてくれました。しょっぱいコーヒーでした。
うわああ すごい感動しました
うちの父はバシバシしばく方でそれはそれで怖かったのですが、普段手を上げないお父さんが手を上げるってものすごいインパクトというか、ああ、とんでもないことしちゃったって思うんだろうな・・・
叱るんじゃない、怒るんだ っていうのも、人としてぶつかってきてくれてるって思えて重いですね
その後のフォローといい、ステキなお父様ですね
小学生の頃、宿題を忘れたら同じ学校にいる弟の教室へ行って宿題をさせるという意味のわからないお仕置きがありましたね。
今だったら問題になりそうですが当時って結構そういう意味のわからないお仕置きとか多かったように思います。
自分は笑えましたが逆に弟の方が恥ずかしいかったろうにと思いました。
結構ありますよね
私が小額1・2年のときの担任は、姿勢が悪いと教室用のでっかい定規を制服の襟から背中に入れるってことやってました
今思うとけっこうな無茶ですよね・・・
高校の古典の先生は、当てられて答えられないと答えられるまで正座で授業を受けさせられました
バスケ部の先生は真冬でも外のコートでブルマーで練習させられました これはちょっと先生の趣味も入ってたんじゃって、今は思います・・・ 違うのでしょうか・・・
小さい頃はしょっちゅう締め出しくらってました
時には雨のなか 時には兄妹で
そしてまたある日 私一人で締め出し食らったあの日、私、締め出されたのに家の前にあった石ころで遊んでました
母は「ダメだこの子は」と思ったそうです・・・
私・・・あまり成長してないかも・・・
体育会系にはありがちだと思いますが、中学の部活の仕置きは掃除でした。一人で部室の掃除をやらされるんです。今の季節なら校庭の落ち葉はき、夏なら草むしりをやらされることもありました。たいして辛いことではありませんが、ペナルティを受けるのは自尊心が傷つきます。時には腹を立ててバケツをけっ飛ばしたりしたこともありました。
ところが、私が一人部室の掃除をしていて、バケツの水を取り替えに便所に行った時、実はこの時少々腹を立てていましたので、ふと神聖な部室を便所の水で掃除してやれと思い立って便所に行ったのですが、そしたら窓の外から聞き覚えのある声がするんです。お前こんな所で何やってんだよという声に答えて「今後輩が部室で罰掃除をしているら俺は裏庭で草むしりだ」と。それはたしかに部長の声でした。
この人は後輩にペナルティを命じた時は、いつも自分も隠れて一緒にそういうことをしていたんです。この時は瞼が熱くなりました。もう一度心を込めて掃除し直して、部長のロッカーに「ご迷惑をおかけしました」と紙を置いて、ついでに便所の水を仕返しに使おうとしたお詫びと思い、軽く便所掃除をして帰りました。
ちょっと意味がちがうかもしれないけど、ある意味お仕置きなので。
私が小学校5年のときの担任の先生は、クラスで決められた学級委員やその他の委員には、リコール制度を設けていました。罷免制度です。
ちゃんと仕事をしていない、さぼっている、そういう委員の子がいた場合には、学級会にて申請し、審議をしました。
ちゃんと当事者の意見を聞き、そのうえでそして最後は投票で決めるのです。
先生は見守るのみで、助言のみです。
絶対に罷免なんてさせられることなんてないとたかをくくっていましたが、一度だけ保健委員の子が罷免させられました。
しかし、先生はその子のフォローをちゃんときちんとしてくださって、一ヵ月後には復帰しました。
リコールを実際に見て、リコールされるのが怖くて一生懸命委員の仕事をやった覚えがあります。
うちの家の近所にはお墓があるのですが、
何か悪いことをしたり嘘をついたりすると、「今すぐ裏のお墓に連れてくぞ!」といわれました。
ある日、「宿題を夕ご飯前までにやりなさい」と言われていたのに弟はその言葉を無視して
外に遊びに行き、数時間たちすっかり外は暗くなってきた頃に「ただいまぁ?」と何食わぬ顔して
帰ってきました。
母はなまはげかってくらいドタドタと足音を立てて玄関にゆき靴を脱いでる弟の手をとり
黙って外に連れ出しました。
弟が怒られてる様がどうしてもみたかったので、私も後からついてゆきました。
母は弟を墓地に連れてゆき
「ここを一周してきなさい。まわらなかったらおうちに入れないから!」と怒り
弟はしょんぼりしながら真っ暗闇の墓地を歩いていきました。
墓地の入り口で母と私が待っていると
遠くの方で
「わーっ!!」
という叫び声が…。
「あはは。怖がってる。怖がってる」
と母と2人で笑っていると
弟が「わーん。わーん」と大泣きしながらこっちに向かって走ってきました。
こっちに向かってくる弟の後ろには白くてフサフサしたものが…。
何?幽霊?っておもったら近所で飼われている大きな犬でした。
猛スピードで弟を追いかける犬。
だんだん距離が縮まり、噛まれるっ!って思ったら弟の事をふっとばし
倒れた弟の上を走り去ってゆきました。
当時犬が大嫌いだった弟は墓地の中にいた犬にビックリして大声を上げたけど、
その大声を聞いて逆に犬がビックリして、犬が逃げてきたみたいです。
犬に吹っ飛ばされて地面に倒れている弟を見てげらげら笑いました。
これ、子供にとってはすごく恐いお仕置きですよね。でも、大笑いの明るい結末。転んだ弟さんの上をワンコが走り去っていく様子はまるでマンガみたいで、思わず笑ってしまいました。一番災難だったのは、せっかく静かな所でくつろいでいたのにびっくりさせられてしまったワンちゃんだったのかもしれませんね。
質問の主旨とはちょっと違うと思いますが、今だから笑えるお仕置きの思いでと言えば、子供の頃お仕置きを忘れさせる事が良く在りました。
例えば夏休みの宿題を忘れた時など、代わりにドリルを何ページかやってこいと、言われた時には暫く放っておくと、先生が忘れてしまって何も言われずに済む、などということが良く在りました。
大人は忙しいので、大抵の事は後でやると言っておけば、かなりの確率で忘れてしまうと知った子供の私は、この手でかなりのお仕置きを免れました。
これはお仕置きの思い出で、ほくそ笑むという感じでしょうか。
母は、お弟子さんはとっていませんが、なんと日舞の先生になれる資格を持っています。私は大変なわがままな子供で、なかなか親の言うことを聞きませんでした。そうするといつもお稽古するよと言って、私に無理矢理踊りの稽古をさせるのです。
母の稽古はとても厳しく、何度も何度も、そこ違う、何度言ったらわかるんだいなどと怒鳴られます。べそをかきながらやっとできるようになると、母は私を抱き寄せて、お前はこんな厳しい稽古についてこられるほど素直な子なのに、なぜさっきはお母さんの言うことを聞けなかったんだい、と諭してくれるのです。今思えばいい母ですが、やはり子供にとっては恐い恐いお仕置きでした。
かなり大きくなってからも、母の言うことが素直に聞けないと、そろそろ踊りの稽古をしようかねと脅かされました。おかげさまで今ではちょっとくらいなら踊れます。お仕置きだけで踊れるようになるなんて、私がどんなに悪い子だったかよくわかります(笑)。
父に叱られると、いつも父は腕組みをしながら、本当に悪いと思ったかと聞きました。うんと頷くと、よし、何をどう悪いと思ったのかを反省文にして提出、と言われるのが常でした。
ある時、いじめということではありませんが、数人で寄ってたかって一人の女の子をからかっていて、はずみでちょっと転んで膝から血を出させてしまった時には、せっかく書いた反省文を突き返されました。私はケガをさせてしまった女の子に対して謝る反省文を書いたのですが、これでは半分しか反省していないというのです。そして、もしお前がケガをしたら、お前の親、お父さんやお母さんはどう思う?と言ったのです。そこで私はハッとして、その子のご両親に謝る手紙のような反省文を書いて出しました。父はそれをうんうんと頷きながら読んで、それを持って女の子の家に謝りに行ってくれました。
っていうことだったのでしょうね。子供は叱られると、次は叱られないようにと注意しますが、それは何がいけなかったのかを理解することとは違うんですよね。ただ叱られるのが嫌だから従うだけ。きっとお父さんはそれでは意味がないと考えていたのでしょう。とてもすばらしいことだと思います。
しかし自己反省文というのは自分で自分を叱る文章を書くわけですから、つらいですよね。かなりのお仕置き効果もあったのではないかと思います。それをきちんとこなした素直さは子供ながら立派なことだったと思います。
夏休み、くる日もくる日も一日中ゲームばかりやっていたら、ついに親に、夏休み期間中は一切テレビを見ることまかりならんという刑を申し渡されてしまいました。まだ8月に入ったばかりです。夏休み期間中といったら残り約一ヶ月。普通の番組はおろか、ビデオもゲームも、テレビを使うことは一切禁止です。テレビの電源が外され、リモコンも封印。両親もその期間中一切テレビを見ない覚悟です。子供だけ禁止で親が見ているなら、まだ取り付く島もあります。でも両親がこの覚悟では、もうただ黙って従うしかありません。
最初の数日は、ゲームもできずアニメも見られない生活は、ぽっかり穴が開いたようでした。でもおかげで読書の楽しみに目覚めたのです。テレビを禁止されている身でマンガを読んでいては格好がつきませんから、図書館から借りてきた本などを読むようになり、そこから今の本好きの私が誕生しました。
また、家にばかりいてもつまらないですからどんどん外に出るようになり、図書館で見た図鑑などに刺激されて、そこから植物を観察したりセミの抜け殻を集めたりすることにも発展していきました。これも大人になった今でも続いていることです。
それだけでなく、両親はテレビのない生活の穴を埋めてくれるかのように、私に色々面白い体験をさせてくれました。旅行にこそ行きませんでしたが、動物園や博物館に連れて行ってくれたり、ちょっとしたドライブを楽しんだりと、例年になくサービスがいいんです。宿題で提出する絵を書くために湖にまで連れて行ってもらいました。
およそ一ヶ月のテレビ禁止令は、最初は目の前が真っ暗になるような辛いお仕置きでしたが、おかげで最高の夏休みを過ごすことができました。いまでもこの夏のことは懐かしい思い出です。
ある日の午後、クラスのIとTが居ない。午前中は居たのに。
子供が2人も居ないのに、先生は何も言わない。
あとで聞くと、罰として先生に命じられて、トイレ掃除をさせられていたという。
いったい何をしたのか。
彼らは給食当番だった。
余った牛乳は流しに捨てるのも、給食当番の仕事だった。
当時、給食の牛乳は瓶に入っていて、紙のキャップで封がしてあった。
その紙キャップを、わざと勢い良く指で押しこむ。すると「ぶしゅー」っと牛乳が飛び出す。
この原理(?)を利用して、2人はトイレで牛乳のかけっこををしていた。
1970年代半ば、TVでは刑事物ドラマが流行っていた。
2人は刑事とギャングになりきって、牛乳の「実弾」を撃ち合っていた。
「バキューン!」「ズキューン!」と叫びながら。
その日は欠席が多く、大量の牛乳が余っていた。実弾は潤沢にあった。撃ち放題だった。
弾が尽きた頃、2人は頭から牛乳をかぶったも同然の姿となっていたのは、まあ自業自得としても。
先生が怒ったのはトイレの惨状だった。
壁から便器から天井まで、牛乳だらけ。
それで2人は罰として、午後の授業への出席を禁じられた上、徹底的なトイレ掃除を命じられたのだった。
2人とも今では40代の大人になっているはず。
元気にしているだろうか。
今なら笑える話でもありませんし、普通のお仕置きとも違いますから、かなりテーマからは外れてしまうかもしれません。でも、私が体験した最も心が痛かったお仕置きが、この話なんです。
私のいたクラスには、ひどい「いじめ」がありました。いじめのターゲットは一人の女子。ちょっと、いわゆる障害があり、何年か修学猶予になっていたのでしょう。何歳違っていたのかはよく分かりませんが、私達とは違って明らかに体が大きく、それだけでもクラスの中で浮いた存在でした。
いじめは、とにかくその子を気持ち悪がる、という形で現れていました。皆、その子の触った物にさえ触れることを嫌がりました。なにしろクラス全員がそうなのですから、教師もそれを止めることが出来ず、他のクラスでは机を二つ接して並べるのが普通なのに、私のクラスだけは一つ一つの机を離して並べていたほどでした。誰もその子と机を接する子がいなかったからです。
こんなことはまずい、何とかしたいとは思いました。しかし私がその子に話しかけようとした所を他の子に見られた時、私まで避けられそうになる予感がし、咄嗟に、「先生に頼まれた用事を伝えようとしてただけだよ」みたいに誤魔化してしまったんです。
もうそれからは坂道を転げ落ちるような物です。一回毒を食らったら、まさに皿までです。今までやってはならないと自分の心に言い聞かせていた戒めが、そこで一気に外れてしまいました。いつの間にか私まで、その子を忌み嫌う側に入って行ってしまったんです。
そんなこんなで三学期も残す所あと数日という時です。私は用事があって職員室に入ろうとしました。すると中から、私を名指しする話し声が聞こえてきたんです。
「○○(私のこと)を□□(いじめられていた子)と一緒のクラスにしたのは失敗でしたな」
「○○なら、うまくクラスをまとめてくれると思ったのですがねえ」
私は愕然としました。自分にそんな期待が寄せられていたとはつゆ知らず、むしろ率先していじめる側に回ってしまっていた自分を激しく後悔しました。しかし、もう遅い。残り数日でクラスからいじめをなくそうとあれこれやってみましたが、誰の心にも届かぬうちに終業式を迎えました。
翌年、私はいじめられていた子とクラスが分かれ、かわりに今までクラスは違えど親友と仰いできた友達が、その子と同じクラスになりました。彼は新学期早々クラスをうまくまとめ、あらゆる行動の中にその子を加えていきました。その子はどんどん明るくなって、いつも笑顔でいるようになりました。もう、いじめはありません。
悔しかったです。自分で自分が情けなくて仕方がありませんでした。新学期のクラス編成が、私への痛烈なお仕置きでした。
・・・・今笑って話せることがあるとすれば、この経験が、その後の私の「人は一人一人が生まれながらにして尊い」という考え方のベースになってくれた、ということでしょう。この後私はグレて、一時期かなり暴力的な世界に足を突っ込んでいましたが、そこから立ち直れたのも、この時の経験が大きかったように思います。
私もけっこう、人一倍道徳観が強いつもりでいたのに
いざ自分に危機が及ぶと保身のために、
自分も当事者になっちゃって胸が痛かった思い出あります。
でもTomCatさんは、期待されてたからすごいですよね。
また親友の方もまとめてしまえたからスゴイ。
(いますよねぇ、そういうスーパーマン)
それゆえ、きつい制裁を受けた感じでしょうね。
もしかして、まとめてしまえるタイプの親友の方よりも
TomCatさんの方が思いは強かったかもしれません。
たぶん、いじめられてた人って誰よりも敏感だから
普段の接し方から、それを感じてくれてることってあって
「先生に頼まれた用事を伝えようとしてただけだよ」
と言われて悲しくても、状況を理解してるくらい賢いと思うんですよ。
全部がそうとは言えないけれど、たまにそういうことある気がします。
その当時じゃなくても、後からという場合もあって
後に「『味方してくれた』と言ってたよ」と人伝いに言われ驚いたこともあります。
すごい報われたような気分になりました。
でもその子の健気さにやっぱり胸が痛いですけど。
ああ、先日テレビでやってたジブリ高畑勲の「思いでぽろぽろ」の話みたいですね。
そのいじめられてた方にTomCatさんの思いが伝わってるといいなぁ。
年配の女性の保健体育の先生でしたが怖いことで有名なその先生が担任に。
その先生のお仕置きの仕方はうめぼし。
忘れ物や悪さなどが発覚すると教室の前に呼ばれてみんなの目の前でうしろから両こめかみからげんこつをぐりぐり。
男女の区別なくみんなやられました。だから怖いところもあったけどみんな逆らわなかった。
それと対照的にマナーにもうるさかったその先生は華道部の顧問でもあって。
怖いところと厳しいながらも優しい部分が同居するとても印象的な先生でした。
だから卒業式の時にはその先生の周りに一番生徒が集まったそうです。
数年前にインターネットで何気なく検索していたらその先生らしき名前の女性がボランティアでいけばななどを教えているらしい記事を見つけてその頃を思い出し、あの先生ならまだ元気でそんなことしていそうだな、と暖かく優しい気持ちになりました。
そんな先生ほど心に残っているものですよね。
自分は気孔が使えるって言ってる教師がいて
集会の途中で気分が悪くなった生徒に
手をかざしてる治療?してました。
変な宗教とかにハマっているわけではなさそうでしたが
なかなかあやしくて面白い先生でした。
かなり小さい子どもの頃、歯医者さんに初めて連れて行かれたそうなんです。
いつも結構元気な子だったんですが、怖かったみたいで、診療台の上で決して口をあけなかったそうなんです。
その後、台の上で寝てしまって、母もあきらめて、その日は家に連れて帰ったそうなんです。
その後、おしおきがありました!
「歯医者で口をあけないなら、おやつはずっとあげません。」
それで、私はおやつをお預けにされたそうなのです。
辛い思いをした私は次の週、歯医者に連れて行かれ、
台の上に載せられ。。。
歯医者さんが来ると、、、、、
「かぱっ!!!」って必要以上にでっかい口をあけて、従順に治療を受けたそうなんです
笑。
その姿に家族も歯医者さんも大笑いしたそうです。
それでその後、その歯医者さんとは仲良くしていただいて、大きくなるまで、幼稚園から、小学○年生というような本や、あめちゃん、お菓子なんかを行くたびにもらっていました。
治療が終わった後、「後で裏にきてね」って言われて、医院でないほうの玄関から周ると、買って来てくれた本を下さるんです。遊びに行かせてもらったこともある気がします。
当時、うちは兄弟もおおかったんでそういう本はお小遣いでなかなか買えなかったので、とっても嬉しかったです。
この話は、小学校になってから、「○○さんって、いつも本買ってくれてありがたいなぁ。やさしいなぁ。嬉しいなぁ。なんでだろう。」見たいな話をしたら、
「あんた、一番初めのこと、わすれたの?笑」
って言って、おやつのお仕置きと、おくちかぱっ!の事を教えられたのでした。
久しぶりに思い出してみて、あの歯医者さんを訪ねたくなりました。
悪いことをすると、引っ張って外に出されたり、
ピアノの練習をせず遊んでいると、ピアノの前へ引っ張って連れて行かれたりしていました。
当時、身長が高めで、そのことを必要以上にいやだなと思っていたので、
怒られていることよりも、引っ張られて“伸びる”ことがいやで、
いつも「引っ張らないで〜〜」といやがっていました。
懐かしい思い出です。