いわしの回答(転記)
子どもたちが誰かを遊びに誘うとき、呼びかけるとき、そこに節がついてることがよくありますね。
竹内敏晴さんという方がいらっしゃいます。もう亡くなられましたが、からだとことばに関するレッスンをずっと行なってこられた方です。
著作の中でこんなことを書かれておりました。
子どもたちが集団で遊んだりしゃべったりするとき、ことばは、必ずといっていいほどリズムと簡単なメロディを持つ…(中略)…この創造力が音楽教育に生かせないものだろうか?もちろん、それは音楽というにはあまりに素朴だろう…(中略)…集団であるとき、ことばはリズムとメロディを持つということは、たぶん、私などが今予感しているより、はるかに根源的な意味を持っているに違いない、と私は思っている。
『ことばが劈かれるとき』
大人もそうかもしれませんが、歌を歌うということは集団内でのコミュニケーションとして大いに活躍するものなのかもしれません。
そこで、歌を使っていろんな遊びをしてみると楽しいのではないかなあ、なんて思いました。
例えば竹内さんが著作で紹介しているものの中から
わらべうたは「うた」というより型を持った集団の呼びかけ遊びということがいえそうだ、とのこと。
「あぶくだった、煮えたった」
や、
かくれんぼの「もういいかい」
「かごめかごめ」や「勝ってうれしい花いちもんめ」など呼びかけ形式になってる歌が多いですね。
竹内さんはそこからさらに発展させて、童謡などについてイメージを膨らませたり、歌詞の内容について子どもたちと楽しく考察したりすることをことばのレッスンとして取り入れてるわけですが、そこまでしなくても、歌いながら相手に呼びかける、呼びかけながら遊ぶということだけでも生き生きとした子どもたちが目に浮かんできそうではありませんか。
そこでわらべうたについて少し調べてみました。
「みんなで遊ぼうわらべうた遊び」
http://www.nihonwarabeuta.jp/dvd/
というサイトさんではいろいろなわらべうたを集めて公開しています。
先ほど述べた遊びは主に外遊びのうたでしたが、絵描きうたである「コックさん」や、言葉遊びうたの「いろはにこんぺいとう」「どれにしようかな」など家の中でも遊べるうたがあったことなども思い出して懐かしくなりました。
昔、自分たちが遊んだわらべうたなどを思い出してお子さんたちに教えながらひと時を過ごすのもいいかもしれません。
また、自分が知らないわらべうたをひょっとしたらお子さんが知っていて教えてくれるかもしれません。
青空に浮かぶ雲を眺めてその雲が風に乗ってゆっくりと流れていくのを見ていると不思議と心が安らいでいきますよね。
公園で近所の子供たちの面倒を見ていて一緒に遊んでいたときの出来ごとなのですが、その日も綺麗な青空に雲が浮かんでいて、私はそれを見ながら雲の流れを見ながら楽しんでいました。
子供たちもまたその雲を眺めていたのですが、子供たちの口から出る言葉は不思議なものです。
「わたあめみたいー!」
「ふわふわ美味しそう〜」
「どんなにおいがするのかな?」
「掴んでみたい!」
「うわー大きい!もくもく僕たちのこと吸いこんでいきそうだよ〜」
「雲の上に乗って飛んでみたいよぉ」
この子供たちの口から出る言葉を聞いて私はハッっとさせられました。
大人って雲を見たら
「あー雲だー」
「あれは入道雲だなぁ」
「そろそろ雨が降りそうだ」
「天気悪くなってきてやだなぁ」
「せっかくの青空に邪魔だ」
なんて現実的な言葉しか出てこない。
つまり大人になると想像性が欠けてきているのではないか?と思わされるのです。
雲を見てわたあめなんて思わないし、雲に乗れるわけない。
別に綺麗なものでもないし、夢のあるものでもない。
こんな風に大人になるにつれて知識が先に邪魔をして、創造したり、想像したり、夢を持つことが出来なくなっているのではないかと感じるのです。
これは雲だけに限った話ではいかもしれないですね。
雲をきっかけに辺りを見渡せば子供の想像力の豊かさ程素晴らしいことは無いと感じます。
何かを見た時に理屈だけで分析したりする大人と違って、子供は想像する範囲が非常に広い。
知識をつけることが想像を邪魔し、「無知」であることが想像を豊かにするのではないか?
そう思わざるを得ないのです。
知ることは素晴らしいと思ってました。
学ぶことは偉いと思ってました。
でも、こうして子供たちと空を見上げた時に感じる会話をすることで、私自身は子供たちから「無知」で在ることの素晴らしさを知ることが出来ました。
時には大人も知識や学びを捨てて、昔のように「無知」の心に戻り、物を見る目の範囲を広め、想像性を豊かにする時間が大事かもしれません
子供の夏休みの自由研究。
これは親にとっても頭が痛い。
まるで親の興味のポイントや知識を試されているみたい。
昨年選んだのは、空の定点観測。
夏休みの毎日朝7時に、富士山が望める場所でデジカメで撮影。
まだ梅雨のころの7月20日近くから秋空の見え始める8月31日まで毎日。
やはり旅行にも行くけど、その先々の空を定点観測。
子供は、簡単!!と喜んで始めたが、毎朝7時前に起床しなきゃいけない。
しかも雨の日もある。
簡単じゃない事に息子は気がついて、ため息。
だけど、毎日プリントしてみていると、空が毎日違う事に気がつく。
梅雨の雲り空から、夏の真っ青な空。時々見える富士山。
スケッチブックに全部の空を張って眺めていくと空の表情に気がつく。
空の定点観測の辛さを知った息子の自由研究、『まいにちの空』でした。
みんな、きっと子供の頃に歌っていた「かえるのうた」。これは一人で歌うより、みんなで輪唱した方がずっと楽しくなる歌でしたよね。そんな輪唱の楽しみを、ぜひイエの中に広げていきませんか。輪唱の良さは、
- 新たなパートを憶える必要がなく、知っているメロディだけで歌える。。
- 同じメロディを歌っていくのでみんなが主役。
- 歌だけでハーモニーになるので楽器要らず。
- 曲によって多少の違いはあるものの、たいてい2パートでも3パートでもそれ以上でも柔軟に対応できる。つまりその場にいる人数に応じて自由に楽しめる。
といったところにあります。こうした様々な特徴は、親子で歌を楽しむのにうってつけだと思いませんか?
たかが輪唱と軽んずるなかれ。これはれっきとした伝統ある音楽様式、canon(カノン)のひとつなんです。カノンの中にはかなり複雑なものもありますが、シンプルなカノンは輪唱その物。かの有名な「パッヘルベルのカノン」なんかは3本のバイオリンが見事なメロディの追い駆けっこを奏でていきます。楽譜を見ると、同じオタマジャクシがずれて並んでいて、その様子が良く分かりますよ。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/16/Pachelbel-can...
さあ、輪唱の楽しさが分かってきたら、レパートリーを増やしていきましょう。簡単なところでは「コーコケコッコよがあけた」(作詞:岡本敏明)なんてどうでしょう。最初のパートの人が「コーコケコッコよがあけた」まで歌ったら、続くパートの人が歌い出します。最高5パートまで分けて歌えますよ。
【参考】
http://pitapa.sakura.ne.jp/convention/scout_song/koke.htm
この曲はフランスの古い歌が元歌で、教会の鐘の音をうるさがる歌。同じメロディで、もう雄鶏はいないから鳴かないよ、といった内容の歌詞もあります。つまり、元々は朝の眠りを妨げる音を嫌がる、お寝坊さんの歌だったんですね。それを、教育者であり、作曲家、指揮者、オルガニストなど多彩な活動で日本の音楽を育てた岡本敏明先生が、こんなに明るく楽しい曲に作りかえてくれました。さあ、ニッポンの子供は元気に起きましょうw
今の季節なら「もみじ」(作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一)なんてのもいいですね。最初のパートの人が「秋の夕日に」と歌った所で、続くパートが歌い出します。
【参考】
http://bunbun.boo.jp/okera/mawa/momiji.htm
これは前パートと後パートが1小節しかずれませんので、2小節聞いてから次が歌い出す「かえるのうた」や「コーコケコッコよがあけた」に比べてちょっと忙しい感じになりますが、いったん歌い出してしまえば大丈夫。これを歌いながら紅葉の山を散策したら楽しいですよ!!
「静かな湖畔」も輪唱曲の代表選手ですね。最初のパートの人が「静かな湖畔の 森のかげから」まで歌ったら、続くパートが歌いはじめます。二人で歌ってもいいですが、三人で歌うとさらにハーモニーが綺麗ですよ。
【参考】
http://www.asahi-net.or.jp/~HB9T-KTD/music/Japan/Studio/Midi/Tra...
実は、この歌は、いつ、誰が、どこで歌いだしたのかが判然としない歌。元歌が外国曲というのは確かですが、ある人はフランスの曲だといい、ある人はスイスの曲だといい、ある人はアメリカの曲だと言います。きっと、もうどこの国が発祥か分からないくらい、昔から歌われていたんでしょうね。
日本語の訳詞も、この歌が広く知れ渡ってからだいぶ後に、日本キリスト教団の牧師であった山北多喜彦先生によるものと分かりましたが、先生の生前にそのことが公表されたことはありませんでしたので、今も少なくない楽譜に「作詞者(訳詞者)不詳」と記されているようです。こんな曲の来歴もちょっと調べておくと、歌が一層楽しくなるかもしれません。
さて、ここまでご紹介してきた歌は、みな追い駆けっこのメロディが重なり合って同時に歌われるものでしたが、最初のパートが一声歌い、区切りのついた所で続くパートにバトンタッチといった、両者の声が重ならない形式の輪唱もあります。たとえば、
「雨」 (雨)
「が降れば」 (が降れば)
「小川」 (小川)
「ができ」 (ができ)
「風が」 (風が)
「吹けば」 (吹けば)
「山が」 (山が)
「できる」 (できる)
「ヤッホ」 (ヤッホ)
「ヤッホホホ」 (ヤッホホホ)
「淋しい」 (淋しい)
「ところ」 (ところ)
「ヤッホ」 (ヤッホ)
「ヤッホホホ」 (ヤッホホホ)
「淋しい」 (淋しい)
「ところ」 (ところ)
と交互に歌っていく「山賊の歌」(作詞:田島弘、作曲:小島祐嘉)などがこれにあたります。この形式の輪唱はつられにくいので、歌が苦手な人でも楽しく歌える良さがありますね。「森のくまさん」なども、前半のメロディはこの形式になります。
このほか、探すとたくさんの輪唱曲がありますよね。お部屋の中でも、お散歩の最中でも、ハイキングや山歩きのお供にも、二人以上いればすぐに楽しめる輪唱で、いつも唇に歌のあるイエを作ってください。
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※引用歌詞の出典表示は、文中の曲名と作者名の記載をもって代えさせていただきます。