いわしの回答(転記)
雨の日にドライブをすると、外の世界と隔離されたような感じがしてすごく自分の時間を楽しめるような気がします。好きな音楽をかけて、雨の中での自分の住んでいる街を眺めるのは、すごく癒されるような気がします。
押し入れに湿気取り器を置くと、すごく水がたまっていてびっくり。我が家ではお洋服や靴用に除湿機なるものもあったのですが、これまた水のたまりのはやいこと。でも湿気を取ると気分もからりと軽くなるので、たまった水を見て、「こんなに取れた!」と、ちょっと喜ぶのでした♪
6月に入ると生の梅の実が店頭に出回り始めます。
うちではその頃になると梅酒づくりが始まるのですが、お酒は苦手な家族の一人がインターネットで梅砂糖漬けなるものを発見してからは梅酒に加えてそれもつくる時期になりました。
作るといってもうちはそれほど特殊なことをするわけではありません。
瓶を煮沸するような大きな鍋がないので、よく洗ってから一度熱湯を中に入れて洗い、乾いて漬ける頃にもう一度アルコールで中を洗います。
梅酒は梅とホワイトリカーと氷砂糖。こちらは母親が作り慣れてるので手際も鮮やかに瓶に詰めてゆきます。
大変なのは梅砂糖漬けの方。
まず梅の汁がでやすいよう穴を一つずつ開けてゆくのが手間。
また大きな瓶は梅酒で使っているのでそれより一回り小さな瓶を使うのですが、1キロの梅を入れるのが一苦労。なるべく隙間を詰めるようにゆすりながらの作業です。家族が母親の手を借りながらの作業。
ようやく梅を入れて今度は砂糖の番。うちでは梅と同じ重さの量の三温糖を使います。
これを隙間に入り込むようにまたゆすりながらの作業。それでも瓶がいかんせん小さいため砂糖が全部入りきらず、一度溶けてからまた追加しようということになり、いつも数日かけてのしこみとなるのです。
仕込んでからも梅ドリンクは手間がかかります。
びっしり詰まった砂糖を早く溶かすため、梅に接するよう揺さぶりをかけなければなりません。
私はお義理でしかゆすりませんが、作った当人は腕がだるくなるまで振り続けます。
疲れると他の家族が代りに揺さぶり、みんなの力がここで結集します。
こうして、梅砂糖漬けは液体状になり梅も萎んできます。発酵させるわけではないので、出来上がりは梅酒よりかなり早く、夏には水で割って冷やした梅ドリンクを飲むことができます。
さらに、砂糖漬けのほかにハチミツ漬けというものも家族は挑戦しました。
こちらはハチミツがすでに液状なため、砂糖よりは瓶詰めが楽でした。
風味もよく砂糖漬けとはまた違う美味しさです。
作り方をまとめたサイト
友人などと、短冊を一緒に書くというのは夢に近づく第1歩のような気がします。短冊に願いを書くというと自分の作業のように感じられますが、実は人に表明したり、宣言をすることに似ているような気がします。こういった形で自分の意思を示していくと、実際の行動に結びつくような気がします。
毎年、七夕が近づくと短冊、書いています。
会社が地域の夏祭りに参加しているもので、社員一同に短冊が配られるのです。
いくつになっても願い事を書くのはうれしくて、ちょっぴり恥ずかしいものですねえ。
あまり生々しいことは書けませんものね。
ぼくの勝手な基準では「給料が上がりますように」はオッケー。ユーモアというかペーソスというか、シャレの範疇です。
「家が建ちますように」はNG。生々しい目標で、ちょっと雰囲気に合わない気がします。
「彼氏、彼女ができますように」はオッケー。微笑ましい。
「彼氏、彼女と別れられますように」はNG。なんか切実じゃないですか。
会社の休憩室で同僚とわいわい言いながら短冊を書いていくのは楽しい作業です。
毎年書いているような気もしますが、ぼくが楽しみにしているのが「七夕列車」。
地下鉄の窓や車内の壁に幼稚園児が書いた七夕の短冊が貼り出される列車が運行されるのです。
その短冊が癒してくれるんです。
まずひらがなの間違いの多いこと、微笑ましいこと。
そういえば自分が子供のころも「さ」と「ち」を間違えて書いたり、「ぬ」「め」に困らされたりしたなあと懐かしくなります。
それから願い事の内容も思わず吹き出してしまうようなものもあります。
「大きくなったら大きくなりますように」
「セーラームーンになりたい」
「お風呂に入れるようになりたい」
短冊に集中しすぎると乗り過ごしてしまいそうになります。
子供のころ、長ぐつを履かせてもらった日は、わざと水たまりに入ってみたり、浅い小川にわざわざ入ったりして水に入っても足が濡れない不思議な感じを楽しんでいました。大人の履く長ぐつというと農作業する人とか魚屋さんが履いているのイメージでしたが、最近はブーツ代わりに履いたりファッションアイテムのひとつになってるみたいですね。知っている限りではHUNTER(ハンター)のラバーブーツが流行ってからでしょうか?個人的にはちょっと勇気がないので購入するにはいたっていませんが…今でも長ぐつ履くとやっぱり水たまりに入りたくなるんでしょうか…。
6月の我が家の風物詩と聞いて思い出したのは
やっぱり慰霊の日は、手を合わせて黙祷する時間を
作って実行すると言うことです
何度か書いたことがあると思いますが
沖縄県民にとっては、6月23日は、特別な日です
(公立の高校までが休日になり、県主催の慰霊祭が
行われてる)
今は、正午に黙祷をする事が出来ないこともありますが
23日に黙祷をすることを絶対に忘れないようにしないとと
家族同士で話をしたいなと思っています
これはどちらかというと短い時間に降ってすぐやんだ雨の方が向いてるやり方です。
街路樹とか野に咲く小さな草花、くもの巣。
雨上がりに外に出てよく観察してみる。
植物の葉やくもの巣にさっきまで降っていた雨が残っています。
小さな水滴たち。
雨上がりに晴れていればキラキラ輝いて本当にきれいです。
晴れていなくても普段とは違った見え方が新鮮に感じると思います。
なにも外に出なくても庭の花壇の花とかでもいいとは思うのですが、
種類によっては雨が降った後は花が雨の重さに耐えきれなくなったりして
くたっとしてしまったりすることもよくあることなので。
外に自然に咲いている小さな草花の方が雨が降った後でもしっかりと踏ん張ってくれてますw
気分転換に外に出て普段見ない視点で植物たちを見て見るのもいいと私は思います。
小さな子供、親御さんは夕方から、或る子供は浴衣をきて、又は普段着で、お菓子を貰いに一軒一軒回ります。「たけー(竹)に短冊七夕祭り、おおいに祝おう蝋燭一本頂戴な!」と歌をうたってから頂きます。昔はこの歌の通りに蝋燭を貰ったのですが、今はお菓子類が主体です。ルールが有って外に短冊を出している家にだけ訪問する事が許可されてます。昔は提灯を持って回ったものです。そして、この日ばかりは夜の町内で遊べたのです。
6月はむかし苺の旬でした。苺好きの私は、誕生月ですから当時貴重な苺を沢山食べさせてもらいました。勿論今の様に大きな苺ではなく、形もまちまち、半分腐れかけているのは当たり前です、包むのは何と新聞紙でした。帰って来る頃には、その新聞紙は真っ赤になって居たものです。さて、当時としては高価な洒落たガラスの器に苺を入れ、砂糖をかけさらに練乳を注いで頂きます、が、私はスプーンで苺を一つ一つ潰して
食べます。溜まった苺ジュースと共にもう、美味しくて美味しくて、そして甘くて・・・幸せ一杯でした。今はこんな食べ方はしないし、苺は一年中食べられます、これが6月の我が家の風物詩でしたね。
6月は、うちわで主に過ごしています。たまに、ムシムシしてドライをかけることはありますが、できるだけうちわで過ごすようにしています。クーラーなどと違って、うちわの風はやさしいですし、調節なども簡単なのでいいですよね。
雨の日には、ビニール傘をさすようにしています。安っぽいといえば安っぽいですが、ビニール傘だと、視線が遮られないのでカオをあげてあることが出来ます。良い姿勢で歩いていると、雨の日でも自然と心が前向きに慣れますし、雨の降ってくる様子などを傘越しに眺めるのも面白いと思います。