リブ・ラブ・サプリ〜SEASON

「2010年の春分の日を、国際生物多様性年にふさわしい一日に」
by id:TomCat


春分の日とは、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」という国民の祝日です。そして今年は、たびたびいわしでも話題になっていますが、国連が制定した「国際生物多様性年」。この2つを組み合わせて、今年の春分の日を、地球の命と自然を守っていく心を育てる、特別な一日にしていきませんか。


さて、「生物多様性」といっても、それって何? という方が多いと思いますので、ここでちょっと生物多様性とはなんぞや、ということについて考えていきましょう。


一口に「生物多様性」といっても、それには少なくとも3つの観点があります。

1. 個体
2. 種
3. 生態系

の各レベルにおける多様性です。


1.
まず「個体の多様性」を考えてみましょう。家庭菜園をやっている人は、育てている作物に一斉に虫や病気が発生したり、あるいは特異的な気象条件に耐えきれなかったりして、全滅に近くなってしまうような被害を体験したことがあると思います。しかし、自然の野原で、そういうことが頻繁に起こっているでしょうか。いいえ、野原一面に同じ種の植物が密生していたとしても、被害が全ての株に等しく広がっていくことは稀ですよね。ある株はやられても、ある株は被害を乗り越え、あるいは何ごともなかったようにピンピンしていたりします。ここに「個体の多様性」の違いがあるんです。


「個体の多様性」とは、言い換えれば「遺伝子の多様性」と言うことが出来ます。買ってきた種や苗は同じ系統の親から増やされたものの場合が多く、遺伝的多様性に乏しいんですね。ですから虫や病気や気象条件などに対する耐性が、みんな似たり寄ったりになってしまうんです。


しかし野生の場合は、人間で言えば数多くの「家系」が混在していますから、同じ種であっても、ある系統はある虫の被害に強く、ある系統はある病気の被害に強く、ある系統はある気候気象の条件に強いといった、個性ある遺伝子を受け継いでいるんです。これが、何があっても野原の草が全滅することが少ないヒミツなんですね。こういう個体の多様性、言い換えれば個性の多様性は、次に述べる「種」の保全に欠かせない観点になってきます。


今日本では、トキやコウノトリの繁殖に一所懸命ですが、少ない親からスタートしてその種が「個体の多様性」を確保していくまでには、きっと何千年も何万年もかかります。絶滅危惧種の「個体の数」は人間の努力で回復させていくことがある程度可能ですが、「個体の多様性」の回復には、膨大な時間と、神の手とも言える自然の力が必要です。


2.
では続いて「種の多様性」について考えていきましょう。今、地球上には500万〜1000万、一説には3000万以上の生物種が存在すると言われています。


たとえばダニの仲間なんて、世界で約2万種もいるんですよ。ミジンコの仲間も現在知られているだけで約600種。私達のお腹の中という小さな世界だけを見つめてみても、そこに住んでいる腸内細菌は一人あたり100種以上と言われています。生物の種類の数って、すごいですよね。こうした全ての生物の連携で、この地球の命は成り立っているんです。この多様性が織りなす「綾錦」が、地球という生命の星の姿なんです。


ところが、こうした種の多くが今、急速な絶滅の危機を迎えています。ダーウィンが進化論の中で淘汰という考えを使っているように、種の絶滅は太古から繰り返されてきた命の営みの一つですが、人の死に人災や殺人による死があるように、種の絶滅にも「加害者」がいるということ。今問題になっているのはここなんです。


国際自然保護連合(IUCN:International Union for Conservation of Nature and Natural Resources)の2007年版レッドリストによれば、最も絶滅のおそれの高い「絶滅危機種」は動物種で7850種、植物種他が8456種。哺乳類は現存する種の22%が絶滅危機種であり、両生類にいたってはなんと31%が絶滅の危機にあるとされています。


さらにレッドリストに載らない微生物や未知の生物まで含めたら、いったいどれだけの生物種が絶滅の危機に瀕していることでしょう。それが自然の営みではなく、「加害者」が存在する「事件」として起こっていることが問題なんです。


3.
さて、最後のキーワードが「生態系の多様性」です。ヒトから細菌に至るまで、全ての生き物は、多様な種が相互依存的に構成している「生態系」の中で生きています。生態系は無数とも言える多様な種と個体の組み合わせですから、それぞれの生態系には、それは様々な個性が存在します。この「生態系の多様性」によって、ある一つの生態系の中である種が絶滅しても、別の生態系に属する同一種は絶滅を免れ、命を未来につなげていくことができていたのでした。


また生態系の個性は、それぞれに属する種が多様な分化進化を遂げ、地球の命の「綾錦」をより高度に進化させてきた要因でもありました。同一の種が環境の違いによってそれぞれに適した変異を起こして多くの系統に分かれていくことを「適応放散」と呼んでいますが、生態系はその自然の力の「ゆりかご」とも呼べる存在です。


つまり「生態系の多様性」を守っていくことが、私達がまだ知らない種類まで含めた命を包括的に守ることのみならず、生命の進化という未来をも守っていくことになるわけです。そこにはもちろん、私達人類の命も、未来も含まれます。


そんなことを踏まえながら、今年の春分の日を、国際生物多様性年にふさわしい一日にしてみようじゃありませんか。


たとえばこの一日を、次のように過ごしてみたらどうでしょう。

●人間以外の生き物の命の声に耳を傾ける散歩をしてみる。
●一定時間内に目に見えるだけで何種類の野生の生き物と出会えるかを観察してみる。
●自分の住むマチの生態系を考えながら、その植物相にふさわしい木や草を植えてみる。


あるいは、ちょうどお彼岸ですから、それに合わせて、

●1〜2代前、3〜4代、5〜6代前のご先祖様が住んでいた世界の自然はどんなだったかを考えてみる。自然から様々な恩恵を受けて生きてこられたご先祖様が今の世界を見てどう思われるかを考えてみる。
●私達に10代前のご先祖様がいらっしゃることは確かだが、私達の10代後に人類が存続しているかどうかをリアルに想像してみる。最後の人類は誰も供養する子孫がいない人類であるということを想像してみる。


なんていうのも意義深いかもしれません。そうしたことを、お彼岸に集まる家族や親戚と語り合ってみることも、とても意義深いことと言えるでしょう。


また、お彼岸には殺生は避けますよね。この日を機会に、今まで何も考えず当たり前に殺してきた害虫や害獣と呼ばれるような生き物が自然界に果たしている役割を考え、共生の道(あるいは上手に空間を分けて併存していく道)を探っていくような過ごし方も、とても意義深いと思います。


私達の祖先が愛してきた美しい自然を、「生物多様性」という具体的な意識を持って守っていこうとすること。現代人にとって都合の良い部分だけでなく、ご先祖様方が愛してきた自然を丸ごと後世に伝えていこうとする努力。それはきっと何よりご先祖様方が喜んでくださる供養ともなっていくことでしょう。