「土」「編む・縫う」「イエのおまじない」+「縁起物」

#051テーマ

」「編む・縫う」「イエのおまじない」+「縁起物


“リブ・ラブ・サプリ〜FORTUNE”フレーズ
「今もイエの安全を見張る、戸守りの鍾馗(しょうき)さん」by ハザマ


“メッセージ”



イエのおまじないで、私が一番親しみのあるものといえば、京都の町家の「鍾馗(しょうき)さん」。今でも特に市内に残る町家の玄関上の小屋根に、あまたおはします。ですから、京都に住んだ頃にはあちらこちらでいつも見かける、とても馴染みの深い魔除けのおまじない。多くはてのひらのほどの大きさで全身ですから、とっても愛らしいお姿でもあります。


ウィキペディア」には、こんな歴史が書かれていました。
鍾馗(しょうき)は、主に中国や日本の民間伝承に伝わる道教系の神。日本では、疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したりする。また、鍾馗の図像は魔よけの効験があるとされ、旗、屏風、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする」。
鍾馗さん(しょうき)
 受験の神様・疫病除けの神の瓦人形。入り口の小屋根の上に置かれる。
 唐の玄宗皇帝がマラリアに罹った際、武将が夢の中にあらわれて、皇帝を苦しめていた悪鬼を退治した。皇帝が尋ねると、科挙に失敗したため自殺したが、玄宗皇帝に手厚く葬られたため恩義に報いてはせ参じた鍾馗という人物だったという故事に由来する。端午の節句にも用いられる」。


この「鍾馗(しょうき)さん」、京都特有の習慣かと思っていたら、違うのですね。現在も近畿から中部地方にかけての古いイエにたくさん残っているそうです。屋根にかかげる魔除けとして各地の瓦職人たちによって作られたそうですが、こんな逸話が発祥と一説に言われているんですって。
「文化二年(1805)の夏、京都三条の薬屋が家の棟に大きな鬼瓦を取り付けたのを、向かいの家の女房が看て気分が悪くなり病み伏してしまった。いろいろ薬を飲ませたが効き目がなく、原因が向かいの家の鬼瓦だというので、深草の焼き物に注文して鍾馗の像を作らせこちらの屋根にのせたところ、女房の病気はたちまち全快した」(「洛中洛外の鍾馗」サイトより引用、資料:石塚豊芥子『街談文文集要』)
何と、鬼瓦に対抗して作られたとは面白いエピソードではありませんか。


また、享和二年(1802)に滝沢馬琴という人が江戸から京阪、伊勢へと旅をした時に書いた『羈旅漫録』には、「遠州より三州のあひだ人家の戸守りはことごとく鍾馗なり、かたはらに山伏某としるしたるもあり」。喜多村信節の『嬉遊笑覧』(1830)にも「今も尾張熱田の民家にみなこの画像を戸に押す」とあるそうで、魔除け・疫病除けのために、瓦の鍾馗像のほか、鍾馗札を戸に貼っていたということです。
なぜか山伏が鍾馗札を売り歩いていたということも、澤田四郎作『戸守りの鍾馗』に書かれていて、そこに登場する「あびこ観音」では今でも鍾馗札を売っているそうです。


土地によっては、瓦鍾馗はお寺や神社のまわり、また道の突き当たりに見られるそうですが、京都の「鍾馗さん」は、ごく普通に暮らしを営む町家の小さなガードマンといったところ。剣などを持って睨みをきかせているふうだけど、どこかチャーミングな姿で、見る人を思わず微笑えませる、そんな明るい力すら感じてしまいます。


現在、京都にも伏見区に一軒だけ「鍾馗さん」を作っておられる方がいらっしゃるとのこと。ぜひ一度訪れて、一つ分けて頂きたいなぁとかねてから思っています。いつか自分のイエを持った時には、玄関か屋根に「鍾馗さん」をかかげる! それまでは、自分で鍾馗札を描いて貼っておこうかなw


(参考サイト)
洛中洛外の鍾馗

ウィキペディア 鍾馗

ウィキペディア 京町家


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