「椿が咲く道」by id:SweetJelly


格子戸を開けて表に出ると、板塀の道が続きます。古びた板塀には独特の風情があります。板塀の道を通り過ぎると、民家を改造した小さなレストランがあります。子供の頃はこんなの無かったなぁ。その庭先には葉牡丹がお行儀良く並んで植えられています。レストランの前に葉牡丹があるとキャベツみたい。
その脇を入っていくと、今度は石垣の道が続きます。道は上り坂。だんだん石垣の背が低くなってくると、その先は竹林です。風が吹くとさやさやと葉が音を立てて、とても素敵なところです。子供の頃はここに雀のお宿があるに違いないと思っていました。
角を曲がった細い道を竹林に沿って少し行くと、小さな小さな神社があります。周囲を竹に囲まれた小さな境内に小さなお社。昔は地域を守ってくれる鎮守の神様のほかに、自分の土地に屋敷神としてこうしたお社を祭っていることも多かったようです。そうした名残がこのお社。鎮守の神様のようなお祭りはありませんし、神主さんも居ません。それでも通りがかったお年寄りなどがここで手を合わせている姿を見かけます。
そのはす向かいには庚申塚。庚申塚とは江戸時代初期頃から民間信仰として盛んに建てられた石塔で、申は干支で猿にたとえられることから、庚申塚の神様は猿田彦神とされています。この猿田彦神道祖神としても信仰されていた神様だったので、それと結びついて、日本各地で街道筋などにも盛んに建てられました。今それが見られないのは、明治時代に国家神道が進められる中で、それと一致しない庚申信仰は国策に合わないとして、特に目立つ位置に建てられていたものは撤去するのが望ましいとされたからだそうです。でも竹林に面してひっそりと建つこの塚は残りました。古く苔むした石塔です。
さらに歩いて竹林が終わると、日を遮る物が無くなって、急に道が明るくなります。すると現れるのが椿の道。道の片側に、ずらっと椿の木が続くんです。花の季節はそれは見事です。シンプルな一重の椿ですが、たくさんの花を付けます。子供の頃はこの花を取って蜜を吸いました。ほのかに甘い、蜂蜜とは違った甘さです。いっぱい花を取ってしまうと叱られますから、一日に三つだけ。三つだって他人の花を勝手に摘んだらいけないのでしょうが、一日に三つだけなら叱られないと勝手に思いこんでいました。だって、数え切れないくらいの花が咲くんですから。道にもたくさん花が落ちています。綺麗なのを拾って髪に飾って遊んだりしました。
花がない季節も、つやつやとした深い緑の葉がとても綺麗です。実の季節には、実を拾うのも楽しみでした。椿の実は大きな黒い実。それは子供にとって宝物です。いっぱい集めて箱に入れて、時々磨いたりして遊んでいました。
椿の道は、実際にはほんの十数メートルですが、子供の頃はどこまでも続く椿ロードに見えました。夢の中にも出てきて、それは本当にどこまでも続いていく道です。夢の中の私は拾った椿の花を手に、どこまでもその道を歩いていきます。ただそれだけ。他には何のストーリーもない夢ですが、目が覚めると幸せな気持ちに包まれています。現実世界の椿ロードはほんの十数メートルですから、私は何度もその前を行ったり来たりして、どこまでも続く道を楽しみます。そして拾った花を数輪持って家に帰ります。水盆に浮かべて楽しむためです。
実はこれは、子供の頃に住んでいた家の周りの話。今はたまにしか行けません。でも、今でも夢に出てくるくらい大好きなお散歩コースです。


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