「膨大な露店数を誇る柏崎市の閻魔市」by id:watena


中越沖地震では大変な被害を受けた新潟県柏崎市ですが、今年は震災で家を失った人達も全員が災害復興住宅を出ることができたそうで、元気に復興を果たしつつあるようです。
今年の6月、新潟に出張したおり、ちょうどそんな柏崎市の復興振りを示すような閻魔市が開催されていたので、足を延ばして行ってきました。新潟市から柏崎市まで電車で1時間半くらい。帰りは柏崎から直帰の予定にしたので、一日たっぷり遊べました。


柏崎駅を降りて目抜き通りを進んで行きます。イトーヨーカ堂などの大企業の店舗もありますが、大部分は個人のお店のようで、古き良き商店街が頑張っているという感じです。
イトーヨーカ堂を過ぎて少し行った交差点から、お祭りの通行止め区域になっていました。道の左側には様々な露店、右側には植木市が並んでいました。
まずは腹ごしらえと露店を見て回りつつ次の交差点に出ると、さらに左右の道に露店が広がっています。こちらは道の両側ビッシリ露店。とにかく露店・露店・露店。その数およそ600以上とか。さらに商店街の人達も色んなお店を出していますから、それも加えるともっとすごい数になります。
そこに群がる人・人・人。その数は三日間で20万人と言われているそうです。とにかく道一杯に、うねるような人波が続いていました。閻魔市は毎年6月14 日〜16日と決まっているそうで、今年はちょうど初日が日曜日だったので、私が行ったのも日曜日でしたが、とにかく初日からすごい盛り上がりでした。
特別なイベントは、会場の端で行われていたアマチュアバンドのライブくらいで、あとはひたすら露店です。飲食の露店から、おもちゃやアクセサリーなどのお店、くじ、輪投げ、型抜き、金魚すくい、そして舞台小屋のような立派な小屋を掛けたお化け屋敷に至るまで、ありとあらゆるジャンルの露店が揃っていますから、とにかく露店三昧で一日を楽しむわけです。
お寺の縁日ですから御神輿が出るわけでもありません。お囃子もありません。パレードもヒーローショーも何一つありません。しかしここには、遠く天保の昔からの「市(いち)」姿がそのまま残っているのです。
閻魔市の起源は江戸中期の馬市と言われ、それに閻魔堂の縁日が合体して、庶民の楽しみの場、閻魔市ということになったようです。日程は昔から田植えが終わった後だったそうですから、きっとやっと一息ついた農民の皆さんの、楽しみと憩いの場だったのでしょうね。ひたすら露店、それ以外は何もないけれど、かえってそれが面白い。それがこの閻魔市の特色のようでした。
さて、最初に見た植木市に戻ってみると、多肉植物、果樹、盆栽、庭木と、様々な専門に分かれたお店が並んでいました。欲しい鉢や苗がたくさんありましたが、出張帰りでは持って帰るのが大変です。今回は涙を飲んで諦めましたが、この植木市は閻魔市の呼び物の一つのようです。
続いて私も閻魔様にお参りをと閻魔堂を探してみると、植木市とは別の通りの、露店の並ぶ道のど真ん中にありました。たくさんの参詣客が訪れていましたが、震災で倒壊したお堂は復興はまだあまり進んでいない様子でした。
それまでのお堂は明治29年、名棟梁と言われ越後の様々な神社仏閣を手がけた四代目篠田宗吉によって建てられた、立派な土蔵造りのお堂だったそうです。それが震災で全壊。残念なことです。
このお堂は檀家を持たないということで、復興費用は地元の有志や商店街の人達が集めているようでした。お堂の並びの露店の裏に復興委員会みたいな会のスペースがあり、そこで売り上げが復興費用になるという手拭いを売っていたので、買ってきました。可愛い猫の閻魔様が描かれた楽しい手拭いでした。
以上、ちょっと散漫なご紹介になってしまいましたが、とにかく露店の多さでは群を抜くお祭りが越後の閻魔市です。交通は東京からなら新幹線利用で3時間くらい。付近にはこれでもかというくらい多数の温泉地もありますから、皆さんもぜひ訪れてみてください。
表面上は素晴らしい復興を遂げた中越ですが、震災の爪痕はまだまだ消えてはいないようです。現地に行って地元の人達と共に楽しんでくることが、何よりの復興支援になると思います。来年もまた行ってみたいと思っています。


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