「何万本ものろうそくがゆらめく宝徳山稲荷大社神幸祭by id:Fuel


信越本線越後岩塚駅にさしかかると、山の側にまるで古代にタイムスリップしたような大きな社が見えます。それが宝徳山稲荷大社です。
創立は遠く縄文の昔までさかのぼると言われ、殷帝大王(いててのひみこ)の命により物部美万玉女尊(もののべのみのわひめのみこと)が瓊名(ぬな)の里に日の宮のみやしろを御建立したことに始まるのだとか。日本の歴史に最初に稲荷神が登場するのは8世紀初頭ですから、それ以前は日を祭る神殿として祭祀されていたことがうかがわれます。
現在の御祭神が祭られたのは持統天皇の時代と言われ、持統天皇の在位は7世紀末ですから、その差はわずかに十数年。ほぼ日本の稲荷信仰の発祥と宝徳大社の伝承は合致します。建物は近年建て替えられた物のようですが、由来を紐解くと、とても歴史の古い神社であることがわかります。
遥か昔は日本海側に大きな文化圏が広がっていたと言われています。ですからこの神社には、遠く島根の出雲大社と連動する伝承があるのです。それは神無月のはじめ、出雲の国に参集される神々様達がいったん越の国に集合され、この宝徳大社でくつろがれる、というような言い伝えです。たくさんの神々様を言い表すのに「八百万」(やおよろず)という表現が使われますが、ここにはそれを遥かに超える千五百万の神々様が降臨されると言われているそうです。
そこで神無月の初頭、宝徳大社に善男善女が集まって、神々様をお迎えするための壮大な明かりを灯します。それが何万本ものろうそくがゆらめく宝徳大社の神幸祭です。
すっかり日が暮れた坂道を登っていくと、巨大な朱塗りの鳥居とお社が現れました。ここが大社の本殿です。本殿でお参りを済ませ、さらに山道を15分ほど登っていくと、これまた大きな鳥居が立っています。奥宮です。
奥宮は普段は無人ですが、この日ばかりはテントが張られ、たくさんの神職や巫女さんが待機しています。ロウソクや御供物を売っているテントがあるので、そこでロウソクなどを買い求めます。
ロウソクに願い事を書いて供えると願いが叶うといわれているそうなので、私も願い事を書きました。奥宮の向かいには体育館のような大きな屋根が作られていて祭壇がありますので、御供物を供える人はそこに供えます。
さらにその向こう側にはグラウンドのような広大な敷地が広がり、そこがロウソクを灯す専用の広場になっています。願い事を書いたロウソクはそこに立てるのです。私が行った時にはもう、すごい数のロウソクで埋め尽くされていました。
広場に足を踏み入れると、何万本ものロウソクの炎に包まれたその場所は、まるでこの世とは思えない幻想的な世界でした。地球創世の昔に返って燃えさかる溶岩の中に立っているような錯覚すら覚えます。炎の織りなすイリュージョンに、しばし心は何億年の昔の神話世界に遡ります。
と、花火が上がりました。花火大会ではないのでそんなにポンポン上がることはありませんが、異世界に迷い込んだように呆然としていた心をシャキッと元に戻してくれました。その後は一晩神事が続きます。
http://www.youtube.com/watch?v=wpm1MaEkEL0&feature=related
youtubeにこの神幸祭の様子を撮った動画がありましたのでリンクしておきます。この神社は大変に霊験あらたかとのことで、全国にたくさんの崇敬者がいるそうです。ですからお祭りになると全国から善男善女が押し寄せます。
御神輿が出たり露店が並んだりするお祭りではなく、厳粛な神事を行うお祭りですが、これが本当の祭りの原点ではないかと思います。今年ももうすぐ神無月。神幸祭の季節がやってきます。あまりに遠方なので簡単には行けませんが、あの時見た幻想的なロウソクの明かりを思い出し、そっと越の国に向かって手を合わせます。


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