日本の祭りは面白い!あのマチ、我がマチお祭り自慢

#043 お題
日本の祭りは面白い!あのマチ、我がマチお祭り自慢」を教えて下さい


“ルポ・タイトル”
「今は知る人も少ない京都・広隆寺〈牛祭〉の奇祭ぶり」by ハザマ


それは私が京都で二度目の大学生をしていて、太秦にある友達のイエの下宿に暮らしていた頃。広隆寺正面の京料理屋さんでバイトをしていて、大将が「今日は牛祭やさかい見とおいで」というので、へぇーとものめずらしく見たものです。


10月12日のまだ明るい時間、面白い顔のお面をつけた摩陀羅(まだら)神が牛に乗って、赤鬼と青鬼を従え、五穀豊穣・悪疫退散を祈願しながらマチを練り歩きます。そして暗くなると、松明の灯る広隆寺の境内にその一行と大勢のマチの人々が集まり、お堂の前で何やら神事のようなことがはじまり、お面の摩多羅神によって静かに祭文が読み上げられました。そして、読み終えるやいなや(何か合図があったような…)、鬼たちと一緒に、待ち構えていた人々がドドドドーッと一斉に競ってお堂に駆け込んで、一場騒然。びっくりしてそばの人に聞くと、なんでも、一番に駆け込んで白い紙のようなものを取った人が福男なんだというようなことだったと記憶しています。


風変りな大きなお面と鬼たち、夜の祭事の異様な光景、その強烈な記憶。これを書こうと「牛祭」のことを調べてみたら、京都三大祭りならぬ、鞍馬の「火祭り」と今宮神社の「やすらい祭り」に並ぶ京都三大奇祭だったんですね…。それに、毎年ではなく、このところはあまり行われていない様子。なぜ?
それよりも…あのドドドドーッは一体何だったのだろうとネット検索で調べました。ところが、そんな行事のことは全然出てきません。本殿一番乗りの福男といえば、兵庫・西宮神社十日戎のことばかり。確かめるために広隆寺さんに電話してみましたが、事務所のどなたも知らない、また、今年も牛祭は行われないとのことです。太秦の友人に電話しても、「嫁ぐまでずっと太秦やったけどそんな夜の行事は知らんなぁ…」。えーっ! 私が見たのはまぼろしだったのか?! 「おかあちゃんに聞いてみ」というので、とうとう太秦のオバチャンにまで電話。何年かぶりに、牛祭のことで電話することになろうとは!


元気そうなオバチャンの声は、話しているうち、もっと私を元気づけてくれましたー! 確かに、お堂にみなが走って入る行事はあったと! 「神さんがお経上げはるやろ、終わったら鬼がお堂に戻らはんねや。その時にみなついて走って、なんや白い絵柄の紙を取った人がええとかいうたなぁ」。お経…じゃないし、白い絵柄の紙…というのも何だかあやしいものですが、聞いたのはまさに私が見た光景そのものでした。そして、あれが早や十数年も前になるとは…。「今は牛を世話する人もおらんし、牛祭もでけへんねやろ…」とのオバチャンの談でした。


う〜ん、広隆寺といえば京都最古の寺院であるというのに、その唯一の大きなお祭りが行われなくなったというのはさびしい。
ちなみに、お寺でお祭り行事というのはめずらしいそうですが、そもそも広隆寺を創建したのが、近くにある「木嶋(このしま)神社」、通称「蚕の社(かいこのやしろ)」首長の秦河勝だったことが関係しているかも知れませんね。また復活して欲しいお祭りです。今のところまったく未定なので、また毎年9月頃に広隆寺事務所に電話して聞いて下さいとのとこでした。
太秦のオバチャンのイエに、当時私がもらいそびれた摩陀羅神と赤鬼・青鬼の魔除けのお面がまだあるというので、今度見せてもらおう。そのお面も、明治に一度中断して復活する時に富岡鉄斎が描いたものだといいます。下の写真は、大分昔に配られたものだそうです。



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