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前にもちょっと書いたことがありますが、私はしばらく入院生活を送っていました。
ちょっとややこしい病気でなかなか回復の目途が立たず、
命にも関わる可能性がある病気だったので、
そんな娘を抱えてしまった父母には、とても辛い思いをさせてしまいました。
私は病気の辛さより、そんなふうに両親の重荷になってしまったことの辛さが耐えられませんでした。
早く治りたいという気持ちより、もう治らないならそれでいいから、
早く誰の負担にもならずに済むようになりたいという気持ちでいっぱいでした。
はっきりいってしまえば、私なんか消えちゃえばいいんだという気持ちです。
完全看護で家族の付き添いは全く不要な病院でしたが、
母は毎日面会時間一杯、病室に付き添っていてくれました。
家から離れた病院なので、行き帰りだけでも大変な負担なのがわかりました。
父も仕事が終わると必ず病院に駆け付けてくれて、それから母と一緒に帰っていくのが日課でした。
前は残業で遅いことも多かったのに、なんで最近は毎日こんなに早いの?
きっと会社で立場悪いよね。そのくらい私にもわかるよ。
私のことは大丈夫だから。もうここには来なくて平気だから。
そう言いたかったけど、言えませんでした。
だって、本当は一秒でも長く家族に一緒にいてほしい、
こんな不安なところには一秒だって一人ではいられない、っていう気持ちでしたから。
そういう甘えた気持ちが両親に負担をかけてしまうのだと思い、
ある日、その甘えを断ち切ろうと決心したんです。
最初は本当に、純粋にそういう気持ちでした。
父母の前で明るく微笑んで、
私は一人でも大丈夫だから、お父さんもお母さんも自分の生活を大切にしてね、
そう言うつもりだったんです。
でも、口から出てきた言葉は違いました。
もう私、治らないって知ってるから。
こんな子のために苦労しても無駄だから。
早くこの世から消えて楽させてあげるね。
言い終わる前に、母は枕元で号泣していました。
その後ろに立っていた父の顔が、みるみる赤くなっていきました。
そして一言、短く怒鳴りました。
お前一人の命じゃない、お前を生んだ人の気持ちを考えろ。
病院ですから、それは深く静かな言葉でした。
でも私には、耳に轟くような叫びに聞こえました。
ごめん、元気になるように頑張るから、
そのかわりこれからも一緒にいてと泣くと、
父は、うんうんとうなずいてくれました。
そのあと奇跡的に病状が好転して、退院の目途も立ちはじめました。
母は、入院している私を見ると、私を産んだ時のことを思い出すと言ってくれました。
あの時は早くあなたを産んでこの手に抱きたい一心で毎日を過ごしていた、
今も、生まれ変わったように元気になって帰ってくるあなたを抱きしめたい一心で毎日を過ごしていると。
私は迷惑じゃなかった。私は望まれて生まれてきて、今も望まれて生きている。
その安心な気持ちが、体を動かしたような気がしています。
私に命をくれた父母に、心から感謝しています。