家族だからこその心…イエでうれし泣きしたあの日

#023 お題
家族だからこその心…イエでうれし泣きしたあの日」を教えて下さい


“ルポ・タイトル”
「十八の春、母からの手紙」by ハザマ


ルポルタージュ
それは私が大学進学ではじめて故郷を離れ、大阪の地で暮らしはじめることになった春でした。私ははじめての一人暮らしと学生生活に胸がふくらむばかり。けれどまったくの新生活で、何を準備すればいいのかいくばくかの不安もありました。そこで、学生アパートの部屋を整えることと、入学式への参列ということで、母が同行して三日ほど付き添ってくれることになったのです。


さぁイエを出発して大阪へ。その時はいつでも帰れる程のマチへ、少し長い旅に出るくらいの気持ちでいた気がします。当地に着くと、さっそく母と一緒にあれこれ生活に必要なものを揃えたり、大家さんや周りのお部屋にごあいさつしたりと慌しく過ごしました。そして入学式も無事終えて、その翌日に母は「頑張ってね」と手を振って帰って行きました。
バス停まで見送って部屋に戻り、もう少し片付けるかと、ベッド脇の棚を整理していると…枕元に何か白い封筒が。開けてみると、中にはテレホンカードとお守り、そして母からの手紙が入っていました。驚いて手紙をひらくと、そこにはほんの数行の短い言葉がありました。
「N子へ。一生懸命に学びなさい。自分の道を歩きなさい。人に好かれる人になりなさい。お守りは、ほんとうに困った時のために。母より」。
それを見るやいなや、知らずに張りつめていた気持ちが急にあふれ出て、涙と一緒にこぼれ落ちました。落ち着いてから読めるようにと前もって用意してくれていたのだろう手紙。普段はあまり思いを口に出さない、表現下手ともいえる母が一人考えて書いてくれたのだと思うと、その心のかぎりに余計涙があふれました。
お守りをそっとひらいてみると、「新幹線代」と書かれた包みが入っていました。巣立ちへの言葉とともに、困った時にはここにいるからという母の言葉なき心。共同の公衆電話しかないアパートとわかって、入れておいてくれたテレホンカード。そのすべてに胸がいっぱいになりながら、これからは一人立ちなんだと私はようやく知ったのでした。


今でもその手紙は大事に持っています。そして少し長い旅はその後京都、東京へと今も続き、あの日イエを出発した時が本当の巣立ちだったんだな、それを母はわかっていたんだなと今になって思います。そして私を巣立たせるために贈ってくれた手紙の、三つの言葉を、今も大切に抱きしめています。


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