いわしの回答(転記)
私は学生時代、会場の設置・テントの搬出などの軽作業をするバイトをしていました。あまり根性がないので、半日中心にバイトをしていましたが、たまに一日のときもありました。1日働いたときは、帰りにコンビニでビールや気になった新商品をいっぱい買ってチープにお祝いしました。一日14時間ぐらい働いたときがあったのですが、その時もお祝いしました。家に帰ると12時過ぎていましたけど。
子どもといっしょに楽しむもっとも愉快なお祭り。秋風が吹き始める8月末頃から、今年はどんなコスチュームを作ってあげようか……とそわそわし始めます。息子が小さな頃は、毎年ルンルンとミシンを踏みましたが、最近は子ども自身が作るコスチュームに変わりつつあり、まあ、それもいいかと受け入れつつあります。去年の息子は、ヤップヤップ宇宙人。セサミストリートに出てくるキャラクターでした。娘はずっと息子のお下がりコスチューム(順番に、てんとう虫、クモ、かえる、こぶた、くろねこ、テリア――キャラクターもののゼニガメ、デジモンは着ませんでした――)を着ていましたが、昨年久しぶりに妖精ドレスを作ってあげたらお似合いだったので、再びコスチューム作りに取り付かれつつあります。今年は何を作ってあげようかと、ウキウキ気分が復活です。
しかし、ハロウィンは子どもが生まれたから楽しんでいる行事ではありません。昔子どもだった人(=主人)もハロウィンが大好きで、結婚した年は厚紙とダンボールでミニチュアおばけ屋敷を作り、近所の子どもたちに楽しんでもらいました。中に目をぱちくりさせるドラキュラ、煙の出る暖炉、電灯が付きチカチカ光るジャック-オー-ランタンを置き、ディズニーレコードから恐怖音楽を録音して効果音を流し、作っている間、わたしも主人も楽しくて、「ハロウィンっていいねえ」を何度も繰り返していました。主人が子どもの頃は、ガレージを迷路のお化け屋敷にして、近所の子どもたちに遊びにきてもらっていたそうです。これは今でも人気の催しで、去年は娘のクラスメート宅のガレージおばけ屋敷におよばれしました。小学校では必ずクラスパーティが開かれますし、中学になっても先生たちが仮装していたりして、茶目っ気いっぱい。遊んでばかりの米国人ですが、まあ、一年に一度、大人が子どもに戻れる日は大目に見てあげましょう。お菓子の食べすぎだけは、要注意ですけれど。
実際には諸聖徒日という逝去者を偲ぶ日が翌日に控えているわけですが、こんな楽しい気持ちで死者を悼むのも、返って喜ばしいかな……などと思ったりします。
こうしてハロウィンを皮切りに、一家総出の秋から春にかけての行事が始まります――ハロウィン、収穫感謝、クリスマス、お正月、聖バレンタイン日、春節、聖パトリック日、復活祭。この間、子どもがお菓子漬けにならないよう、気をつけないといけません。
父がかなりの役職に昇進した時のことです。母はさっそくお祝いしなくちゃと大喜びでした。ところが父は、あまりうれしそうでないのです。なぜなら、責任のある地位に就いてしまうと、今までのように何ごとも家庭優先というわけにはいかなくなってくる、家族にはつまらない思いをさせてしまうことが増えてくるだろうというのです。
そこで昇進祝いは、父の主催する家族サービスデーに変わりました。もしかしたらこれが最後の父の家族サービス。明日からは企業戦士の最前線に立つことになる父の、最後の自由な時間かもしれないという、ちょっと悲哀のこもったお祝い風景になりました。
楽しい一日が終わり、ファミレスに入ってみんなで夕食。父は神妙な面持ちで、これから忙しくなる父さんに代わって、お母さんをよろしく頼むぞと。私も緊張してかしこまって「はい」なんて答えていました。母はちょっと涙ぐんでいました。
こんな一風変わった昇進祝いが終わって約半年。あれ?お父さん、以前よりずっと自分の自由な時間が持てている気が…。聞いてみると、父の昇進と一緒に上司にも大異動があって、一気に社風が変わってしまったと言うのでした。余暇を大切にして英気を養うことが業績の向上につながる、上司たるもの率先して意義有る余暇を過ごし、部下が安心して休める職場環境に配慮しなければならない、というのが新しい会社の方針なのでした。時短ってやつでしょうか。
おかげさまで今も父は家族第一で過ごしながら、仕事もバリバリやっています。あの昇進祝いはいったい何だったんだろうと、思い出すとちょっとおかしくて笑ってしまいますが、いつも家族第一でやって来てくれた父の思いがよくわかった日として、今もいい記憶として心に残っています。
ケーキとおもちゃのプレゼントが楽しみ。
子どもの頃から、クリスマスと言えばクリスマス・イブの頌栄晩祷です。普段礼拝は祈祷書の言葉を読むだけが多いのですが、この日だけは歌うように唱えます。
昔のように歌い唱える礼拝は、ろうそくの光に包まれて進むとあり、子ども心にも魔法がかった気持ちにさせられたものです。イブ礼拝が終ると付属の病院内をキャロリングで歌って回り、その後厳冬の街でキャロリングを続けました。社会人時代は頌栄晩祷のオルガン演奏も担当し、よい思い出になっています。
今は大聖堂に教籍を置いているので、テレビ放映されるほどの華やかなイブ礼拝ですが、日本時代の厳かな礼拝が恋しくも思います。我が家のクリスマスですが、イブ礼拝の翌朝は、クリスマスツリーの下に置いたプレゼントを開く子どもの歓声から始まります。みんなで包みを開けプレゼント交換した後、実家で家族一同のクリスマス・ブランチ。ここでもギフト交換をして……あとはのんびり。こうして降誕節が始まり、クリスマスは顕現日まで12日間続きます。
私の両親は、結婚記念日よりもイースターを大切にしています。
なぜかというと、二人がまだ恋人同士だったころ、
イースターの日にはじめて結ばれた…から。
結婚はその延長なので、結婚記念日よりも初めて結ばれた日の方が、
ずっと大切な記念日なのだそうです。
「結ばれた」って何?
子供のころはそういうことがわかりませんから、
きっと「好きだよ」「私も」なんて手を握りあって告白しあった日なんだ、
なんて思っていました。
そこで私は、母お手製のイースターエッグのお菓子が山のように積まれたテーブルを囲みながら、
片手で母の手を取って、もう片方の手で父の手を取って、
「はい握手、見つめ合って、お互いに好きって言ってね、せーの」
なんてやっていたんです。
これがだんだん恒例になって、今ではまるで結婚式の誓いの儀式のようになってきました。
私が父母の手を取ると、二人は両手を重ねて見つめ合います。
そして毎年、父が考えに考え抜いた、めちゃくちゃはずかしいきざな言葉で、
二人の永遠の愛を確かめる問いかけをするんです。
その問いかけに母が「はい」と答えると、儀式完了。
私はパーンとお誕生日のようにクラッカーを鳴らして、
ジュースのコップを持って乾杯の音頭を取ります。
こんなのが、わが家のイースター。
私と母はイースターのお菓子の準備をしながら、
今年はお父さん、どんな言葉を考えてくるかなぁ、なんて話し合います。
「去年はお父さん、年を重ねるごとに愛が降り積もり、小さな砂山が今ではエベレストのようだ、とか言ってたよねぇ」
「私はあの時、最初は子ネズミくらいだった愛が今ではぞうさんのようですって答えたくてたまらなかったわ」
「きゃはははは」
なんて。
最近は二人の誓いの儀式の写真も撮ります。
この時ばかりは二人若々しく、本当に恋人同士に戻ったようです。
私は、いつまでも愛の始まりの日を忘れないこの二人に幸あれと祈りながら、
イースターの日を過ごします。
つい先日 うちの弟くんが入籍いたしました。
うちの家族が一人増えました。まだちゃんとお祝いしてあげていないのですが、お嫁さんがプリンが好きなので、マーロウのプリン、恵比寿VERYのプリンなど人気のプリンをお取り寄せしようと思います。式はこれからなので、甘いものたくさん食べさせて太らせてやるぅ?。なーんて。
去年、姉のところに待望の男の子が産まれたんです。
けっこう離れたところに住んでる姉ですが、一目産まれた子を見たいと
お祝いを持って行きましたよ。
家族が増えるのって本当にうれしいですよね。
毎年ワンコは予防接種を受けます。注射の好きなワンコなんていないと思いますが、齢13歳になるうちのびびもつい先日受けてきました。
何年か前は車で病院に連れて行ったのですが、車→病院→注射という図式がワンコにはできあがっていて、車に乗せるとすぐに吐いたのでした。
今はその病院ではなく、市が行う予防接種の会場が歩いてすぐなので、そちらにいくようになりました。
ワンコのほうも車に乗るのは注射をするんじゃない!と分かったようで、ダンナの膝の上に乗っているならば、高速に乗っててもOKになったのです。
病院にいっても注射をするわけではないので、大丈夫になりました。
注射は大人になった私でさえ、できれば受けたくありません。犬もやはり同じで最初の頃は暴れていたのですが、年を経るにしたがっておとなしく受けるようになりました。
しかし、やはり注射の後は元気がないのです。
「元気ないねぇ・・痛かったんだろうねぇ・・」
「がんばっておとなしく注射をうけたからな♪」
よく我慢したご褒美に、ワンコにご褒美のおやつをあげることにしました♪この日に限りケーキなど普通のお菓子をあげます。量は少なめですが。おいしそうにばくばく食べます。
その後二人でなでなで。なにもしていなくても二人が部屋にいると安心しきって眠ります。
次の日の朝は、「ごはんだよー!」というと、なりふりかまわずしっぽをふりふりして飛んできますけどねw
子供の頃、風邪とかをひいていて、それが治ったら好きなご飯(おかず)を用意してもらえていました^^オムライスとかのまだお腹に優しい(?)ものが多かったですがおかゆばっかりだったりしていたので嬉しかったです(^^*
あれはたしか、はしかの後だったと思います。食欲が戻ってきて元気が出始めたらとても喜んでくれて、何でも食べたい物を言え、何でも用意してやると言ってもらいました。一種の快気祝いですね。
でもその時私は何を思ったか、卵かけご飯が食べたい、と言ってしまったんです。一生一度のはしかの快気祝いが卵かけご飯…。でも、おいしかったです。
うちの両親は持病の関係もあって、普段の食事の栄養バランスや摂取カロリーを気にしながらの生活をしています。といっても、それ相応に楽しい食卓ではあるのですが(笑)。
ただ、家族の誕生日や母の日・父の日・子供の日、結婚記念日やクリスマスといったお祝いの日は、胸を張って(?)食事制限を解除できる日なのです。好きな物を好きなだけ食べて、思う存分ぜい沢メニューを満喫しよう?!という日にしています。
そんな両親が好きなのが『バイキング』。祝いの日が近づくと、近くのホテルで行われるバイキングの日程を、真っ先に確認しに行く父。和洋折衷のメイン料理やサイドメニューが並び、デザートも豊富に並んでいます。もともと大食だった父には、特にお気に入りの1日になりますし、母も私も調理休暇ということでやっぱり嬉しい日になります。
外食バイキングの日程が合わなければ、自宅でバイキングをします。主に私が作るのですが、食卓に並び切れないくらいメインやサイドメニューを作りまくります。時には大皿料理で勘弁させてもらうのですが、普段作らないような凝った料理を作るので、キッチンで鍋をふるう私も楽んでいます。
食事制限をされている方にとってはバイキング、はとっても楽しみな日でしょうね。
記念日が多いので二ヶ月に一度くらいになるのでしょうかね。
お家バイキングも魅力的です。テーブルにいろんなメニューが並ぶとテンションがあがりますよね。
趣味で少しだけ野菜などを作っているので、秋の一日を収穫祭と称して家族で祝い、楽しんでいます。といっても庭の一角で炭火を熾して焼き鳥を焼いてビールを飲むという、野菜が聞いたら主役のボク達はどこいっちゃったの、と言われてしまいそうな行事ですが、それでも一応収穫祭です。
少しビールが回ってほろ酔いになったころ、父が一年の感謝を込めてと、ほんの少しビールを土に注ぎます。そして、いかに土がありがたいか、植物の存在に人は助けられているかを、滔々と語り始めます。
宮中の収穫祭である新嘗祭は勤労感謝の日にあたりますが、わが家の収穫祭はそれよりずっと早くに行われることがほとんどです。ですから、日が傾いてくると、虫の声が聞こえてきます。都会にいる秋の虫なんてせいぜい木の枝に上って鳴いている帰化種のアオマツムシくらいのものですが、それでも虫の声は虫の声です。リーリーリーという秋らしい虫の音に耳を傾けながら、父の講釈は、いかに昆虫たちが自然を守っているかに移っていきます。
毎年父の話は全く同じ内容です。でも、このスピーチが、わが家の収穫祭には欠かせません。これがなければ、ただの宴会になってしまいます。私は静かに聞きながらビールを傾けます。
いつのまにか一緒にいたはずの母がいなくなって再び登場すると、お盆に熱いお茶を乗せて持ってきてくれています。これがわが家の収穫祭の終わりの合図。父は茶をうまそうにすすりながら、大地は母にたとえられる、大地もお母さんはありがたいと上機嫌になっています。そんな様子を横目で見ながら、私は焼き鳥の炭火を消して、撤収作業に入ります。
毎年毎年ワンパターンの家族行事ですが、これがないとわが家の秋ではありません。ある意味一年家に仕事にと頑張ってくれた父へのねぎらいの行事も兼ねた、わが家の小さな収穫祭です。
弟が神妙な顔をしてやってきました。何?と聞くと、真っ赤な顔をして、彼女ができたと報告です。話を聞くと二人とても真剣なようなので、これはきっと続くと思い、弟の成長ぶりを祝うパーティーを挙行することにしました。
たいしたことはできませんが、近くのファミレスに行って、今日はお姉ちゃんのおごりと大盤振る舞い。そして女の子のことでわからないことがあったら何でも相談に乗ってあげる契約を交わしました。弟は終始照れまくっていましたが、このお祝いが効いたのか、今も二人仲良くまじめにお付き合いしているようです。そうよ、これだけお祝いしたんだもん、浮気なんかしたらお姉ちゃんが許さないんだからね♪
弟も私に彼氏ができたらお祝いしてやるからすぐに言えと言ってくれています。でも私、今世紀中には無理かもです。しくしく。
今年はオリンピックの年。
4年前もそうでしたが、家族でテレビを熱狂しながら見ることになるでしょう。
日本人選手が勝ったりしたら、ビールで乾杯がはじまり大騒ぎです。
その時期ばかりは、国民こぞってスポーツ通となるところは国民のお祝いのようですよね。
今年は特にいろいろありましがアジアでの開催だから、睡眠不足になる心配もないですし。
今一番心配なのは、中国での開催ということで審判がフェアなジャッジをしてくれるかということです。
最初、何気なく始まったのですが、振り返れば7、8年は続いてますね。
小学校だった子供も、はや中学生です。ずっと続くと良いですね。
1年に1回、2回くらい泊まりで家族旅行に行くのですが、いろいろと、どこに行きたいとか考えているのが楽しい時間です。子供が大きくなるにつれ親と一緒に行動してくれなくなるとは思いますが、できるだけ続けて行きたい家族行事ですね。
子供の頃は、毎年夏になると決まって2泊3日位で家族旅行に行ってました。
大学生になった頃からなくなってそれ以来行ってませんが
また行きたいですね。
そういう家族の行事って続いているうちは毎年当たり前の様に感じてましたが
一度やめてしまうとなかなか各自の予定等で復活させるのって難しいですよね。
赤ん坊が一歳になったら、お餅を一升搗いて赤ん坊に背負わせて歩かせる、というのを小さい頃に良く聞かされました。おまえも背負って歩いたんだよって。残念ながら覚えちゃいませんけどねー。歩かせるといっても、赤ん坊の力で一升背負って歩くのは無理なので、大人がささえて歩く真似をさせるみたいです。
自分が住んでる地域でも
子供が一歳になるとお祝いをする習慣が
あります
何種類かのものをおいて
その子供が何をとるか、まかせるんです
そのとったものによって
将来何になるかな?というものなんですけどね
http://rca.open.ed.jp/city-2000/house/5belief/kurasi_005.html:タンカーユーエー
元気にがんばっている子どもの様子を見に行くと言うことで、あちら方とこちら方の、おばあちゃん、おじいちゃんが集まって、イベントになります。
ビデオも何度も見たりして。
今はおじいちゃんおばあちゃんが多いですから、孫の祝い事は一大イベントですよね。