「父がいる風景のある家」by id:Catnip


わが敬愛してやまない親父殿は、早速とあっちの世界に行ってしまいました。それからもう何年もたちますが、今もわが家には父が元気だったころと変わらない風景が残っています。


父は庭木やサツキの盆栽を手入れし、それをゆっくり眺めて過ごすのが好きでした。ですから今は私が手入れを引き受けています。うれしそうに目を細めて眺めている父の姿が今もそこにあるようです。
父は大工仕事も好きな人でした。家の不備を見つけては修繕したり、母がどこそこに何があったら便利だというとさっそく作って取り付けてみたり。今でも父の大工仕事の成果が家の中に生きています。今は私が引き継いで、家の修繕や改良を引き受けています。ちょっと話の端っこに出てきたような目立たない要望を覚えておいて、忘れず素早くやっておくのが父の流儀です。早く直してよと何度も言われてから取り掛かるのは父の仕事っぽくありません。


朝は今でも、父におはようと声をかけ、一緒に茶を飲みます。ただ父の居場所がテーブルから仏壇に変わっただけで、朝の風景は変わりません。父の好物を見かければ買って帰り、一緒に食べます。父がいたころは、そういう物は父が買ってくるのが恒例でした。玄関でうれしそうな顔をして買ってきたものを差し出し、一緒に食べようと言っていた父の笑顔が忘れられません。ですから今は私が買い物役を引き受けます。父の分は仏壇に供え、私達はテーブルで。違いはそれだけです。


時々、父の小言が聞こえる気がすることもあります。そんな時は、うるせぇなばかやろうと心の中でつぶやきます。すると、こんな時お前のおじいさんならなと、父の決まり文句が聞こえてきます。こんなふうに父は息子を持つ年になっても、いつも自分の父親の姿を見つめながら生きてきた人でした。ですから私も時々、こういう時親父ならどうするだろうかと考えます。迷った時には、きっと父が選択したであろう方法を選びます。


こんなふうに、父がいたころそのままの風景がある姿を当たり前のようにずっとそのまま持ち続けていくのがわが家のテーマです。


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