いわしの回答(転記)
子どもの写真を撮ることが、趣味みたいになってます。
ただ、とりまくっていたら、いつの間にか大量に・・・。
整理するのも、もっぱら趣味みたいになってます。
うち(私に)は子供がいないので、最近購入したデジカメで、両親を被写体を撮りまくっています。家族を被写体に思い出スナップ集!! 私も子供の頃の写真を見せてもらった時や、親が子供の頃の写真も数枚残っていて、それを見るとすごく楽しいし話題も盛り上がります(^^)
(余談ですが、まだ本物のデジカメの各種機能になれず練習中・・・。今まで携帯電話のカメラだったので、使い勝手の違いに、なかなか良い画に収めるのが難しい・・・)。
気に入りの歌や音楽を聴くのが好きです。アニメや声優さんの歌もいい曲がたくさんあって、声も好きで、ヘッドフォンで聴きながら覚えたりしています(^^*ドラマCDとかもよく聴いています。購入特典CDとか、店舗特典CDとかにも弱いです(^^;
軽い気持ちで始めたウォーキングですが、思ったよりも楽しくて癖になりました。
歩かない日が続くと、落ち着かないです。
初めはシェイプアップ目的が大きかったのですが、それよりも歩くと気分的に落ち着くので習慣になりました。
なにより季節の移り変わりがわかるのが嬉しいです。
今の時期は歩くには、気候的にもいいし花も多いしとても気持ちいいですよ♪
音楽も好きでたくさんの音源を集めていますが、実はアニメも大好きで、子供の頃からたくさんの録画を撮り貯めています。今も放送されているほぼ全てのアニメを一応は予約録画。中には付き合いきれなくて途中から見なくなるアニメもありますが、いわゆる深夜アニメはほぼ全て一通りは目を通しています。
最近のアニメはいわゆる独立U局と呼ばれる大手の放送網に組み込まれていない放送局が中心のことが多いですし、年齢制限などの関係で地上波では放送できないアニメもあります。私はアニメ以外はほとんどテレビは見ない人なので、ただアニメのためだけにケーブルや有料CS放送に加入したりしています。ずいぶん間抜けなお金の使い方だなぁと思いますが、趣味なんだから仕方がないです(笑)。
撮った録画も、どんどん貯まっていきます。以前ある人が昔のVTR録画分をデジタル化してDVDに焼き直していると書かれていましたが、私もそれを実行中です。動画のエンコードにはかなりのマシンパワーが必要ですから、そのためだけの専用PCも用意しています。
なぜそんなにまでしてアニメが見たいのか。それは私にもよくわかりません。もしアニメから離れたら私の暮らしは激変してしまうのかと言われたら、そんなことも無いと思います。アニメなんかなくたって、私の暮らしは今と変わらず幸せだと思います。なのになぜ。そこに、アニメの独特の不思議な魅力があるのだろうと思います。
うちの父。もうリブ・ラブ・サプリ参加の方には、認知されているキャラクターかもしれませんね。父は幼少から心臓の真ん中の壁に小さな穴が開いていまして、綺麗な血液と淀んだ血液が心臓内で混ざってしまい病弱な体でした。私が生まれた時に、大手術をしたのでその点の問題は無くなりました。でも、歳が歳なので、心臓肥大の懸念があり高血圧予防が必要です。
うちの母。ちょっと外出は苦手なタイプで、生け花や料理が趣味です。以前はフルーツケーキなど、ご近所さんにおすそ分けするほど大量に作っていました。料理をすると、ついつい味見という名の「つまみ食い」をします。味見で済めばいいのですが、父と2人暮らしの時には、ご近所さんに配るだけでは消費しきれず、父母ともにケーキばかり食べる羽目になるほどでした。
そして私。実家に戻ってきたものの、運動不足の日々は相変わらず。戻ってきた当初、母の手作り料理が山のように食卓に並び、毎回食べきれないのだけど・・・出されたものはつい食べてしまう。そんな性分のため、腹八分目どころか腹十二分目くらい食べてしまいました。
ところがある日、母が病院で、なんと『糖尿病』と診断されました!インスリン注射までは必要ないレベルだそうですが、投薬治療と食事療法と運動療法を言い渡されました。食事は根本的な所から考え直し、色々食べるけどバランスは良く、そして低カロリーな食卓にガラリと変わりました。
問題は、運動療法。母だけでなく父の高血圧対策にもダイエットは効果的です。私も運動不足を放置できるプロポーションではありませんでした。そこで、毎日手軽に続けられるものとして、町内を散歩することにしました。午前中と夕方、夜行く時もあります。休日には私も日中の散歩に同行できるので、家族3人で四季折々の町並みを歩くようになりました。
散歩が長続きした理由に、私の携帯電話についているカメラ機能があります。公園の草木や、町並みを彩る木々、たまに出会えるお昼寝ネコちゃんなど、立ち止って携帯カメラでスナップを撮るようになりました。父や母のスナップや、今夜のご飯といった記録も撮り始めました。
パソコンでフォトアルバムとして残しているのですが、家族の散歩や生活の軌跡、植物や町並みの様子の変化、その時の瞬間が記録されています。散歩を続けて3年目。飽きっぽい私や両親が続けてこれたのも、カメラで『思い出』をスナップし続けているからだと思います。ちなみに、3人とも脱メタボできました(^^)。
なかなか旅行の計画を立てるのが難しいので、もっぱらくるま旅をしています。行き先は方面だけ。とりあえず目指す方向を決めて出発します。出かけるのは金曜日の22時頃が多いです。夕飯を済ませてお風呂に入り、さっぱりしたところで出かけます。走れるだけ走ったらSA・PAか、道の駅で寝てしまいます。早朝に出発。観光地は10時頃から混み始めますから、早々に見学を済ませてしまいます。その後で立ち寄り湯や温泉街の共同湯でゆっくりして帰路につきます。
現地では観光案内所なども活用しますが、観光案内に載っていないその土地の暮らしぶりを見るのも楽しいものです。駐車場に車を預け、のんびりと街の中を散策するとおいしいものやおもしろいものに出会えます。
しっかり調べてお勧めのところを観光するのもよいと思いますが、行き当たりばったりでも結構楽しめます。くるま旅だから出来る夫婦二人の気ままな旅をお勧めします。
主人は昔から鉄道が好きです。
暇があると時刻表を眺めています。
たまに、一人の旅行に出るのですが、その準備の期間がまた楽しそうです。
なんだか準備の期間がとても楽しいんだよなと言っていました。
まぁ実際に出かけてしまうと、終わるのもアッという間でわかる気もします。
最近は買っていないけれど、大きな時刻表、あれ、なかなか面白いんですよ。
お気に入りの列車の時刻が微妙に変わっていたり、自分の好きな線のダイヤが変わっていないかな?とか、チェックして楽しんだりしています。
「それが楽しいのか?」と思われるかもしれませんが。
私はどちらかというと技術的な興味から入っていきましたので、あまり会話を楽しむというのはやりませんでした。でも、自作の無線機から発信された電波が地球の裏にまで届いていく。これに何とも言えないロマンを感じましたね。
あと、楽しかったのはトンツーのモールスです。今でも通信の世界では(ネットも含めて)、そこで使う名前のことを「ハンドル」と言いますが、これはトンツーを打つ電鍵の握り手から由来しています。
私が使っていた電鍵は、縦振りでカタカタやるやつではなく、スクイーズキーと呼ばれる、2枚の横に動くパドルを操作していく物。名人は道具を選ぶと言わんばかりに、分不相応な高級品を取り寄せて愛用していました。
それで打つと、ものすごい高速で打てるんですよ。もう、トンツーではなく、ピロロピロピロに聞こえてしまうくらいです。そんな超高速モールスで、口でしゃべるより早く情報を送受信してしまうというのに燃えていました。一種のスポーツ感覚ですね。実用価値は全くありません。でも、楽しかったです。
描くことに加え、書くことも好きです。言葉とのお付き合いが楽しいな…と思えるようになったのは、子どもが生まれ彼らに話す母語(日本語)を意識し始めるようになってからでした。海外在住のため、否が応でも「言葉」は意識的な存在として生活に関わってきます。(ここで反省したことは学生時代を通じて、いかに現国を蔑ろにしてきたかということ。子どもと日本語を話す状況に直面し、自分の弱点を嫌というほど思い知らされました。本当に国語は大事です。)
というわけで、話すとき、書くときに、正しい日本語で伝わるようにいろいろ意識し始めました。語源であるとか、言い回しであるとか、ことわざ・慣用句など、今まで振り返らずにいた表現を再発掘するようになったのです。これが非常に楽しくて、歴史的、文化的背景を含めた日本語の奥深さをあらためて思い知らされるわけでした。
子どものためと思い意識し始めた日本語は、少しずつ自分の空白部分を埋めてくれました。その堆積から表現活動への衝動が生まれ、運気よく表現のきっかけ(ブログ)と出会い、絵本レビュー執筆に至ります。絵本には自分がもっとも好きな「描く行為」と「書く行為」が両方詰まっているので、ずっと惹かれていたのですね。絵本の記録を通して「自己の生成過程」と「自己の客体化」(id:finalventさんのお言葉です)が体験できて楽しいです。
描くことと同様に、書くことを通じて「物を見る視点が変わり、新しい発見がある」――。表現活動とは詰るところ、自己でも他者でも発見なのですね。「言葉」は「心」なので、心の感じられる表現で、さらなる発見が重ねられたらと願っています。
イエはてなの影響で始めてみた油絵ですが、やっているうちにどんどん楽しくなってきました。まだまだ製作枚数は少なく初心者の域を出ていませんが、絵を描くことで、物の見方が変わってきたのを感じます。今まで何気なく眺めていた物を、あらためて描く視点で眺めなおすと、今までは見えていなかった光の当たり方や影のでき方まで、新しい発見がたくさんあります。そして何気ない対象に造形の美しさを感じた時、これを描いてみたいという意欲が湧いてきます。自己流でへたくそな絵ですので誰に見せる目的もありませんが、絵を描くことで得られる視覚の再発見は、一生追い続けていきたくなる奥深いテーマです。学生のころは絵画や芸術とは最も縁遠い無骨な体育会系で過ごしてきた私ですが、新しい世界に目が開かれたおかげで、人生が何倍にも豊かになりました。
「物を見る視点が変わり、新しい発見がある」――ほんとうにその通りですね。これに加え、わたしは「色」にも魅せられています。パレットで混ぜる色、実際に塗ってみたときの色、媒体により色の表情が変わり、この変化に夢中になってしまうというか。これは子どものときからずっとそうなので、自分の感性を支えているものかな…とも。
子どもといっしょにアート教室に通いたいのですが、何せ今は余裕がありません。子育てが終ったらアートスクールに通い、自分を見つめる時間が持てたらいいなと思います。
暮らしをちょっと幸せにしてくれるサプリの発見。最近の私の趣味といったら、なんといってもこれに尽きます!! 見慣れた日常も、ほんのちょっと視点を変えてみると、こんなにも楽しくなる。そんな発見が楽しいんです。
もちろん、イエはてなのいわしに書き込まれた皆さんのサプリも、片っ端から試してみます。すると、そこからさらに新たな発想が広がって、どんどん試してみたいアイデアが貯まっていきます。これがまた楽しいんです。
さらに、これからやってみたいサプリ、新たに考えたサプリなどは、専用の「サプリ手帳」を用意して、それに書きとめておきます。これも貯まってくると楽しいですよ。
きっとこれからは、「リブ・ラブ・サプリ」が、立派な趣味の一つとして確立されてくると思います。みんながそれぞれの暮らしの中にそれぞれの小さな幸せを積み重ねていく。いつか、街が笑顔で溢れかえります。
こんな、いつか「リブ・ラブ・サプリ」を社会現象として定着させていきたいという壮大な夢も、これからの私の大切なライフワークの一環です。
すっかり、リブ・ラブ・サプリに染まってます(^^>
ネットコミュニケーションとなると、時には激論や厳しい言葉が散乱することがありますが、リブ・ラブ・サプリは全く逆!
参加することで、とっても温かい気持ちになれる。しかも毎回。こういうネットコミュニティはそうそうないと思います。私にとっても、最高のリラックスの場となっています。
これからも、I Love イエはてな!!
なんて、一人ではそんなことできるはずがありませんが、一人でも二人でも同じ気持ちになってくれる人を増やしていくのが私のライフワークです。こういうことを書くとすぐ政治的な論争をしかけられてしまいますが、恐怖から逃れたいと思うのは生き物の本能ですよね。殺さないで、暴力はやめてっていう当たり前のことを願うのに、なんの理屈もいりません。
一人でできることは限られています。でも、いつも願いを持ち続けていれば、その気持ちが一人二人と伝わって、きっと広がっていくと思っています。
世界中のほとんどの人が、戦争なんて望んでいないはずです。一部、特殊な利益の関係から戦争を利用したい人と、戦争が何かを知らない人たちを除いては。
政治は、戦争を特殊な利益を獲得するための道具として使おうとします。だから平和を願う人に向かって牙を剥いてくるのです。私たちはそういうのとは別の所から、ただひたすら尊い命が残酷に失われる世界を変えたいと願うだけです。これはどんな主義主張の人にも、どんな宗教の人にも、どんな国に住んでいる人にも共通の願いだと思います。
自分で服が作れるようになったら、どんな服でも作り放題ですよね。
くまさんの着ぐるみからお姫様のドレスまで自由自在です。
小さなころの女の子のお絵かきというと、決まってお人形さんのような女の子じゃなかったですか?
お絵かきそのものより、紙の中の女の子にどんな服を着せようかと考えるのが楽しかった、
そんな記憶、ありませんか?
洋裁ができたら、それが現実の世界で実現できるんです。
他人に見せるために作るのではないという点でコスプレ用衣装作りとはちょっと違いますが、
とにかく自由に一枚の布から立体的な服が仕立てられるくらいにはなってみたいと思います。
そして、ふふふふふ。ひそかに私は妖精さんになるのです。
TinkerBellですから。
主人が小説を書いています。もうかれこれ5、6年ぐらい経ち、この夏に脱稿を目指したいと言っていますが、どうなることやら……。
きっかけは、義父の書いていた趣味のSF小説でした。他界後、書きかけ小説のことを知り、息子である主人が終らせようと手を加え始めたのです。つまり正確には、親子合作のエンタテイメント小説になります。
米国の出版システムには、エージェントという執筆者と出版社を取り次ぐ職業が存在します。これは音楽業界にもある職業で、たとえばミュージシャンが自作テープをエージェントに送り、目に留まったらレコード会社やラジオ局に紹介してもらえるといった流れがあるとのことです。友人に教員をしながらジャズピアニストをしている人がいて、彼の場合200人にデモテープを送り、返答はひとつもなかったということでした。つまり、それほどクリエイティブ産業は狭き門なのだということなのですね。ところが主人の場合、たった8人のエージェントにとりあえず仕上げた上記の小説を送ったところ2人から返答がきたのです。1人はニューヨーク在、もう1人はロサンゼルス在のエージェントで、指定の料金を支払い、ロスのエージェントと1年間契約を結びました。幸か不幸か、これを機に主人は「いけるかも!」と思ってしまったのですね。確かに200人に出して誰からも声がかからなかった例を思えば、8人にコンタクトを取り2人から連絡がきたということは、かなりの高率で出版への門戸が開かれたことになりますから。
しかし、世の中そうは甘くありません。原稿はかなりの編集作業が必要で、1年契約では足りないほどでした。というわけで、契約は切れ、その後は地元のエージェントと面談し、直接会って編集作業を行う手順を取ることになります。そうして、何年経ったのか。毎年、新年の抱負に「脱稿」が挙がるようになってしまい、「もうそろそろ諦めどきかもしれない…」なんて周りのほうが感じ始めてしまい…。
現在はこの夏の脱稿を目指し日々、教員生活と執筆生活を送っています。ここ数年の経験から大手出版社から出すには時間のかかることを実感したようで、今はコンピュータ出版を利用した格安の自費出版を目標にしています。このステップを踏んで大手に認めてもらう作家も随分と多いそうなので。
ベストセラーになったら…なんて夢を描いていたときもありましたが、現在は「執筆、編集作業から多くの視野が広がった」と費やした経験に感謝しているようです。書くことが楽しいのに変わりはないので、長編小説に早く区切りを付けて、次は短編にしたいと言っていますが。
わたしはとにかく脱稿を祈るのみ。そうして夏はみんなで温泉にいきたいなあと夢描いています。でも、親子合作のエンタテイメントSF小説、いい思い出といえば思い出になりますね。彼にとっても父親の意思を継ぐ、意義のある執筆生活だったのでしょう。
お父様の書かれていた未完の小説を引き継いで、親子二代で完成させる。本当に素晴らしい取り組みだと思います。一人の作品ではないだけに、納得がいくまで練りに練って練り上げたいというお気持ちがあるのでしょうね。納得いくまで練り上げて、完成度の高い作品にしあがるといいですね。
完成したら、ぜひ私も読ませていただきたいです。とはいえ英語は意味を追うだけで精一杯なので…。asukabさん、小説が完成したら、それを日本語訳にして、日本からの出版も目指しませんか?なんていうことを始めたら、またasukabさんのお宅は大忙しになってしまいそうですが。
でも、親子二代で完成させた小説を奥様が翻訳して日本でも出すというのは、とてもインパクトがあると思います。いつか、計画してください。ぜひぜひ楽しみにしています。
家族で年に1、2度、ライオンズ戦に行きます。
ストレス発散にぴったり。
でも、実は私は野球のゲーム自体より、
雰囲気というか、何を食べるかなど
そういうもので好きで行っているのです。(笑)
そういやこないだうちのワンコが散歩中に雪遊びに夢中になって溝に落っこちちゃって、その時の顔がキョトンとした顔してて面白かったとか、そんな我が家のワンコの知られざる一面とか一場面とかを時々家族で話しますね。
結構知らないことを家族から聞けて日々驚きの連続ですw
主に夏と冬ですが温泉地などを宿泊付きで回ったりしています。旅行は計画を立てているときが一番楽しいと言いますけど、ご飯を食べながらとか寝ながらいろいろ考えて話し合うのは楽しいです。お互いが情報を持ち寄ったりしてね。
もともとは骨盤の歪みからくる腰痛対策でしたが、今では心身の健康を保つ運動として生活に欠かせません。体を知ることは心を知ることでもあり、ヨガを通して自己発見ができます。呼吸法を介して得る平静な精神状態でこそ体が深く機能し、これが気持ちがいいのですね。一人の行為で得られる平安ですが、みなが行うことで世界の平安が得られるという思想も好きですね。ナマステ――と思わずつぶやいてしまいます。
特にカーディオ運動で汗を流した後にするヨガが最高です。体が動かないと他の活動が何もできませんので、運動はとにかく外せません。
私も健康法としてヨガを少しやっています。
特にライオンのポーズは、背骨が真っ直ぐに成りますので、猫背になりがちな人には良い感じです。
ストレスの解消にもなるので、健康法としては最高です。
町内のゴミひらいとか・・。
一日一膳もとい、一日一善
私もゴミ拾い、やっています。百均でトングを買って、自作のケースを付けて、いつもそれを持ち歩いています。そして時間があればゴミ拾い。誰に頼まれたわけでもない。自分一人ゴミを拾って社会が変わるわけでもない。でも自分の通った後にはゴミがないという、ある意味、妖精の足跡には花が咲くみたいなのに似た喜びが、ゴミ拾いにはあるんですよね。
コツコツと何かの楽しみを探しながら一日一善。積み重ねて行ければ、きっと実りは大きいと思います。