いわしの回答(転記)

鉛筆・色鉛筆・クレヨン xyz02165pt

鉛筆・色鉛筆・クレヨンがシャープペンシル、マジックペンなどの影に埋もれてきたような気がします…

文房具店に行っても明らかにおいてある数がなくなってきたように思います。是非残していってもらいたいですね。

子供の塗り絵には色鉛筆やクレヨンを tibitora4pt

そういえば、文房具屋さんにもクレヨンとかは少ししか置いていないですね。クレヨンですが、甥っ子は私や妹が小学校の時に使っていて、残っている物を見つけて家で使っています(^^)

子供の塗り絵とかにはやっぱりクレヨンや色鉛筆がいいと思いますので残したいですね。

asukab12pt

きれいな空気を送り出してくれる森。

木や森がなければ、人間や動物の生活は成り立ちません。

きれいな水とともに、森も残したい。

木を伐採せず、森を守りたいなと思います。

さんご礁 to-ching12pt

温暖化で心配です。森より二酸化炭素を吸収しているとか。

我が家のお雑煮 chi_maki11pt

お雑煮ほど、全国各地でいろいろなものはないと思うのですが、

父の実家の味と、母の実家の味、それを母がうまく手を加えることで出来た、我が家のお雑煮のレシピ、

これはうまくアレンジしつつ、残していきたいですね。

ちなみに、淡口醤油仕立てのすまし汁に、ちょっと豪勢なエビがメインのお雑煮です。

同意します。 Qwert10pt

知人の家はアゴだしです。(長崎出身)

地域によって違いますね。丸もち文化と各もち文化があるそうですよ。

考えてみると子供いないし Kumappus5pt

イエとして次代に残せるものがあるんだろうか>うち。

地域の次代…っていっても都会だからコミュニティ意識薄いしなあ…江戸時代のお金持ちとかだったら、「Kumappus用水」(wとか名が残せたんだろうけど…。

なんかこういうテーマだと「次代」ってものそのものを考えさせられてしんみりしてしまう。

心の中に saite174pt

全員が子供を産むわけではないけど、親以外の人も子供の心にはしっかり刻まれています。

そういう心にのこせていると思います。

ある人の人柄とか家の前の門構えだとか、木とかそういう物がまとめて街を作り、時代を造っていると思いますよ。

野鳥が住める環境 toku4sr4agent5pt

野鳥が住める環境。

(勿論他の動植物もですが)

これ以上地球の環境が悪化しないで欲しい。

少しでも地球環境が悪化しないように今年の冬も省エネ生活です。

(家の中でも古くなったコートなどで厚着をしています。)

野鳥も狸も猪も tibitora4pt

野鳥や野生の動物が暮らしていける環境を守る事も大切ですよね。自然が少なくなって、猪とかの食べるものが減ってしまい人里に下りてきてしまったり。それで捕まってしまったり・・・。

私も今年も暖房器具をあまり使わずに、無駄を少なくして省エネをがんばります。

家訓 Cocoa7pt

というか、わが家らしさを醸し出しているポリシーみたいなもの?です。

私の家では「感謝」がポリシーです。でもわが家で言う感謝はちょっと特別で、「サンキュー」「ありがとう」の意味だけではなく、感謝を「感じて謝ること」の意味にもとらえます。

「ありがとう」と「ごめんなさい」の両方が素直に言える人になる。そして「ごめんなさい」から「あなたと一緒にいられるのがうれしい、ありがとう」が生まれるし、そういう素直な心が幸せを呼び寄せると教えられてきました。

だからうちでは親も子供にごめんと言います。お母さん、今朝は何々お願いって頼んでおいたのに、あ、ごめんなさい、あ、私の方こそ無理言ってごめんなさい、みたいに親子でごめんなさいを言い合って、お互いの事情を理解し合います。時にはけんかになることもありますが、そのあとは謝り合戦になります。

こういうのはほんの一例ですが、わが家らしさを作っているポリシーみたいなものが、ずっと子や孫の代まで受け継がれていってくれたらうれしいと思います。

これはすばらしい Oregano6pt

Cocoaさんの家のポリシーは独特ですばらしいですね。そういう、これこそわが家と誇れるポリシーを次世代に伝えて行けたら、本当にすばらしいと思います。わが家のポリシーは…何だろう…。とりあえず今からでも子孫に誇れる何かを打ち立ててみたいと思います。

名前の由来 Beirii7pt

二人の子供の名前は、奥さんと二人で決めました。

その意味を説明する『由来』を作っています。

まぁ、子供なんて、いい意味でも悪い意味でも親の期待通りには育たないものなんでしょうけど、親の想いはその時々で常に本気なんだゾ!と。

その原点にあたるのが命名なんじゃないかと。

それに、自分の名前の由来ってちゃんと知りたいじゃないですか。

だからちゃんと文章で残っているのっていいんじゃないかな?と思うんですよね。

つーか多分、面と向かって言えないんじゃないかと思うので。照れくさそう。

「僕の名前ってどういう意味なの?」

「ん?え、えーと、あれだ。はい、これ。部屋で読んで。」

便利だよきっと。

あ、いいな。 otayori6pt

高校の時、授業で2分スピーチをしなくちゃいけなくて

自分の名前の由来について話しました。

全員が感想を書いてくれるんですが、

私のときは、みんな自分の名前の由来を書いてくれてすごく面白かったです。

なんか、それぞれにストーリーが感じられて。

また考えたこともなかった子は新鮮だったようです。

残していけるといいですね。

父が書いた掛け軸 tough6pt

以前「家にある無用の長物」のテーマの時にご紹介させていただいた、父の書く、書の掛け軸。私はこれを次代に伝えていきたいと思います。父の書は何の賞も取ったことがありませんし、展覧会などに出すわけでもないので、客観的な評価として優れているのかどうかはわかりません。でもとても勢いがあり、それでいて独特の落ち着きを併せ持つ、とてもいい字だと思うんです。また書かれる言葉も天地の恵みを感謝する言葉や自然の美を讃える言葉など、説教臭くなく、それでいて何かを教えられるような言葉が多く、父の人柄がよく表れています。

父は自分の書を自分で「無用の長物」などと呼んでいるくらいですから、それを次代に残していきたいなどといったら恥ずかしがると思いますが、その価値は十分あると思います。父が心を込めて書く掛け軸は、将来わが家の家宝にしていってもおかしくない物だと思っています。

我が家には dankichik5pt

我が家は祖母の描いた掛け軸が飾ってあります。掛け軸以外にも屏風など、けっこう大物もあります。祖母は80を過ぎた現在も元気で、相変わらず絵筆をとっています。たくさんの作品を残してほしいなあと思います。

アクセサリー helltaxi12pt

よく話では聞きますが祖母からもらった

指輪とかネックレスとかそういうアクセサリーって

ちょっと憧れます。

多くのモノは年月が経つと老朽化してダメになって

しまいますがそれらのモノは比較的年月がたっても

ちょっとリメイクしたり手直しして使えそうですよね。

自分もそんな特別高価なモノじゃなくてもいいので

ひとつ何か残したらいいなって思ってます。

いいですね sayonarasankaku14pt

「これは、祖母の指輪なんだ」とか、よく聞きますよね。

持ち主の思いとともに伝えていきたいですね。

キューピー人形 sayonarasankaku6pt

私のうちには、私が生まれた時に買ったキューピー人形があります。

私が赤ちゃんのときの写真にも写っています。

母が言うにはネズミが齧ったらしく左の足先がすこし削れたキューピーです。

私の子供も、このキューピーと一緒に写真を撮っています。

なんてことないキューピー人形なんだけど、

赤ちゃんへの愛情とともに伝わっていってくれるといいなと考えています。

こういう話に弱いです Cocoa5pt

赤ちゃんだったsayonarasankakuさんのお友だちになってくれたキューピーさん。きっとsayonarasankakuさんの成長をずっと見守ってきてくれたキューピーさん。そのキューピーさんが今度はsayonarasankakuさんの子供さんのお友だちになって、その成長を見守っていくなんて。うぅ、私、こういう話に弱いんです。なんだか胸がキュンとしてしまいます。

sayonarasankakuさんのお母様も、きっと次の世代にこのお人形を伝えたいなって、そう思って大切にしておいてくださったんですよね。そして今、sayonarasankakuさんも同じ気持ちになって、そしていつかお子さんも大人になって子供ができた時に同じ気持ちになって。母親の愛と一緒に、ずーっとキューピーさんが受け継がれていくなんて素敵です。

歌・・・・童謡とか唱歌とか TomCat7pt

幼い頃、母が色んな歌を歌って聞かせてくれました。ピアノに合わせて色々と。その中には新しく作られた歌もありましたが、母自身が子供の頃に聴いて育った歌もたくさんありました。

ですから私は、今でも古い童謡や唱歌がたくさん歌えるんです。さすがに歌詞は一番しか憶えていないものもありますが、メロディはちゃんと憶えていますから、歌詞さえ分かれば何でも歌えます。

前にも少し書いたことがありますが、こうした歌には、失われつつある美しい自然や、今の人々が忘れかけている様々な生き物との共生の素晴らしさが歌い込まれています。

都会では嫌われ者のカラスも「七つの子」が作られた当時は誰もに愛される鳥でした。

公園の鳩に餌をやっていると今では悪人扱いされかねませんが、「鳩ぽっぽ」が作られた頃は、鳩に餌をやることは子供の楽しみの一つでした。

専用殺虫剤まで売られるに至ってしまったアリも、「おつかいありさん」が出来た当時は、子供の興味深い観察対象であり、仲良しのお友だちでした。

「とんぼのめがね」や「めだかの学校」は多くの人が歌える歌だと思いますが、皆さんは今年トンボや野生のメダカを何匹くらい見ましたか?これらの生き物が歌になった時代には、日本全国から「数え切れないくらい」という答えが返ってきたに違いありません。

「鷲」なんて曲はご存じの方、いらっしゃるでしょうか。これはかつての文部省唱歌です。雄々しい鷲の姿と、愛情深く雛を育てる優しい鷲の姿を一番と二番でそれぞれに歌っていく歌なんですが、今はもう鷲の仲間の多くはレッドデータブック入り。自然の空を飛んでいる鷲の姿を見たことのある子供なんて、どのくらいいるのでしょうか。

長くなってしまいましたが、私はそんな、歌に歌われてきた豊かな自然や、人間以外の生き物と共に手をたずさえるようにして生きてきた人の歴史を、後世に残していきたいんです。たくさんの歌たちにそのメッセージを乗せて。

もちろん、失われたものを懐かしんで歌う歌とせず、いつまでも残していかなければならない大切なものを歌う歌として、です。物としては、それらの楽譜と歌詞集でしょうね。巻頭にこうした私の歌との出会いや次世代に伝えたい思いを記して、編纂してみたいと思っています。

素敵ですね。 sayonarasankaku6pt

童謡のCDで聴いたというのではなく、

おかあさんに歌ってもらったというのが、とても大切なことだと思います。

こうして愛情とともに口伝えに子供へと伝えられていくのですね。

目をつぶると、今でも歌声が聞こえてくるのではないでしょうか。

戦争の話 fumie1518pt

なくなった祖父はめったに戦争の話をしませんでしたが、一度だけしてくれたことがあります。

私たち孫が戦争の悲惨な話を受け継ぎました。これからできる私の子どもにも祖父から聞いた戦争の話をしてあげたいです。

忌まわしい戦争 eiyan17pt

あの忌まわしい戦争犠牲者の話しは忘れてはいけない。

その話しを語り継ぐのも使命。

大切な事ですね。

土地 CandyPot5pt

私は本当は人間が土地を所有するなんて間違っていると思います。だって地球ができた時からあるものを勝手に自分の土地だって言い張ってるだけですから。でも、この家の土地には愛着があります。生まれた時から住んでいる場所…ではありませんが、ここは父や母が苦労してやっと夢を現実にした場所。私の思い出もいっぱい詰まっています。庭の石ころひとつにも愛着があります。だから…。いつまでもいつまでも、ここがここであってほしい…って思うんです。神様、どうか大好きなこの場所を、私や私につながる人たちに、これからもずっと使わせてください。生き物の命を損なうような毒で土を汚したりしません。やってくる鳥や虫たちをいつも歓迎します。植物を植えて、いつもいきいきとした場所に保ちます。だから、ここをいつまでも私たちの子々孫々の家として使わせてくださいね。お願いします。

土地は借り物。 Qwert4pt

大切に使われているCandyPotさんのような考え方の人ばかりだと永久に地球は美しい。

規定以上に環境汚濁する企業への立退を要求する欧米の規定が日本にあれば。

家具 hanatomi5pt

兄の使っていた、テーブルがついた、飾りだなつきの棚が、とても有効です。

元は兄も親戚から譲っていただいたものですが、今は父の部屋にあります。

木のものなので、今後もずっと味があると思います。

傷も歴史があっていとおしい。ずっと使っていきたいものです。

家具に付いた傷 eiyan4pt

家具に付いた傷は想い出。

その想い出を語り次ぐのも有効ですね。

ずっと残したいものですね。

古い地名、合併前の町や村の名前、通りの名前 dayday7pt

最近は平成の大合併で、古くからの町や村の名前が消えています。

産まれた町の名前が大都市の名前になって味気ない感じさえします。

土地の名前はその場所を示した名前が多く、その名を聞くだけでその土地を知る事、想いを浮かべる事も出来る名前が多いです。

富士見町と付けば富士山が見える町なのかもしれないと思ったり。

学校の名前に残ったりしていればまだそこから昔を想う事も出来ます。

最近では第一小学校とか番号で着いた学校名。まるで背番号みたいでしっくり来ません。

簡単にわかりやすい名前かもしれませんが、その場所や町の名前が付いたほうが住民の皆さんの愛着も違うと思います。

昔の通りの名前、町の名前、残して欲しいです。素敵な呼び名の町が消えるのは哀しいですから。

地名は歴史 asukab6pt

行政優先で味気のない名称に変わっていくのは、本当に残念ですね。

土地の歴史をないがしろにする決定は、当事者のセンスの問題なのでしょうか。

例えば真空管アンプとか… Kumappus5pt

すでになくなりそうなものを次代の誰かに渡せるか、ということなのですが…。

よく読んでいた真空管の雑誌に連載されていたかたが急になくなってしまい、その雑誌上でその方が作っていたアンプを実費程度でお譲りしますという記事が出ていました。

かなりの長期連載でしたので、おそらくちゃんとしたアンプはご遺族のほうでお知り合いに譲られたりしたのかもしれませんが、そこに出ていたのは実験的なアンプでおそらく知らない人が扱うと危険そうなものや知識がないとセットアップできないようなものだったと記憶しています。果たして貰い手がついたんでしょうか…。

振り返ってみて手元に何台かアンプがあるわけですが…そのうちただの粗大ゴミになっちゃうんだろうなあなどと考えたりします。説明書があるわけじゃないから知らない人が見たら全然使えないだろうし。部品にも耐用年数があるわけで、僕が生きてる間にもどこか壊れてしまったら修理する気力があるかどうか。そうなったら粗大ゴミになるわけで。

何だかそう考えると何だか変な気分です。

残していきたいですね TomCat4pt

そういえば往年の雑誌執筆者の皆さんの中で故人になられてしまった方、いらっしゃいますね。そういう方達の遺してきた様々なノウハウも、次世代につないでいきたい物だと思います。

製作品そのものは、たしかに耐用年数の問題もありますから、ゆくゆくはいつか再生を待つ展示品みたいな形になってしまうかもしれませんが、それでもアンプに寄せる思いと共に受け継いでいって欲しいですよね。

ところで私は今、いわゆる並三、並四ってやつ。昔のオートダイン式ラジオです。あれの再生を数台手がけてるんですよ。パーツがボロボロなので苦労します。バリコンなんか錆びて粉吹いてますので、バラして洗浄です。コイルも腐食して切れているのは巻き直し。端子も腐ってたりするのでコイルで使えるのはボビンだけのものもありますね。当然コンデンサなんかは全取っ替えです。すごいですよ、パラフィン含侵のペーパーコンデンサなんかネズミの囓ったあとがあったりします(笑)

電源部はトランスを含めて新品に取り替えないと恐くて通電できませんし、ま、そんなこんなでほとんどのパーツが交換になってしまうんですけどね。それでも何とか現役だった当時の形跡をできるだけとどめられるように努力しています。

Kumappusさんのアンプも、もし将来再生修理が必要になったとしても、そういうマニアがきっと現れてくれます。浜の真砂は尽きるとも世にマニアの種は尽きまじです(笑)

Kumappusさんのアンプはきっと、もっとずっといい保存状態で受け継がれていくでしょうから、球が入手できる限り、百年後でもきっと素晴らしい音を奏でてくれていると思います。

鉢植えです NAPORIN4pt

頂き物の鉢植えローズマリーがもう藪みたいになったので、秋に大胆に刈り込んだら、今度は立ち枯れ気味・・・ごめんね。下手でごめんね??

挿し芽してあるのがまだ青く茂っているので、是非これは根付いてほしい。ってあっという間に次代が来てしまいますね。

他にも、借り庭に置いた鉢にはいろいろな種をまいて(?)います。林檎、梨、紅葉、ドングリ、クチナシ、などなど・・・公園で落ちている実をひろったらとりあえず鉢の土の上においておくだけのことですが。

コレ全部芽が出たらどうしましょうか?娘はもらってくれるのかしら?

家族が苦労しますよ・・・ to-ching4pt

凄く繁殖する種類がありますよね、または大きくなるものも、私達はオヤジの残した、植物園!?にちょっと、困惑しました。オヤジゴメン!

音楽 to-ching2pt

良いものは良い!日本の曲だって良いもの沢山!残したいですね

曲の想いで eiyan1pt

音楽の曲はいつまでも残したいですね。

昔のレコードからCD。

今はDVDに残すと保存期間が延びるのかな?

それも分からないけど保存の方法も大事ですね。

風景。 croam3pt

といっても不可能で空しいけれども。

空き地はなくなり、古い家は少ない。斜め向かいの家は目下建て替えの真っ最中。

幼なじみが住んでいた土地は駐車場。田圃はいつのまにか畑になっていた。

畑の横は、虫を捕ったり草遊びをしたり、そこらに生えた棒でチャンバラしたり、

アメンボが走る水たまりで泥遊びした場所だけれど、今はマンションが建っている。

ちょっとノスタルジックな気分に浸ってみながら二階の窓外を眺めても、

過去の景色は家に隠れて見えない。

自然のある風景 odoruhouseki2pt

最近は、地面はコンクリートで固められて

林、空き地もどんどん整備されて

自然のある風景が少なくなってきましたね。

そういう風景は是非、残したいですね。

なかなか難しいですけどね。

DVD eiyan9pt

昔の写真や画像映像等を残すのは当然ですが、それを写真、8ミリフイルム、感光フイルム、デジタルメモリー、ビデオ、DVDと時代に合わせたメデイアで残したいですね。

ダビングするのも大変だから、どの様に残すか大変ですね。

デジタルにしてしまえば一応は some18pt

逆に8ミリフィルムはVHSだのにしなくてよかったかなと。

デジタルで解像度などさえある程度維持できればデータ自体はコンバートがたいてい可能ですし、

その際の多少の不可逆劣化はアナログのダビングに比べればおとなしいものなので。

「今」を生きた証 umisenbei2pt

大抵の場合「今」という時間を生きた自分の存在は、自分が死ねばすぐに忘れられてしまいますが、自分の力で少しでも多くの事を未来まで残したいし、たくさんの記憶や記録が残るような有意義な人生を歩みたいですね。

本当は eiyan1pt

本当は記憶というメデアで証を残せたら良いのですが、人は記憶を長時間残せない。

そこで何かのメデアに置換しなければならない。

そこが難しい所ですね!

どんなメデアに残すのが良いのでしょうね!

着付け vivisan3pt

現代は、着物を着て生活する場所ではなくなりました。着物を着て生活を実際にしてみるととてもたいへんです。洋服のほうがたしかに動きやすいというのもあってか、着物を着る人は本当に少なくなりました。

それによって着物の着方を忘れてしまい、着れなくなり、いざ着物を着る際には着付けの人に着付けてもらうしかなくなってしまいました。

そして自分で着たい場合には着付け教室にお金を払って教えてもらうことになりました。

しかし、私の着物の師とあおぐ方曰く、着付けは習いにいくのではなく、昔は親に着方を教えてもらうのが常。

たしかに私の場合も親が着なくなって久しく着方を忘れてしまったので、着付けの教室に習いにいきました。

なので、私は次の世代には自分で教えてあげたいです。ごくごく一般的な方法ではなく、その人にあった着物の着方を教えていけたらと思います。

習慣ですね asukab2pt

渡米以来、一度も着ていないので、すっかり忘れてしまったような気がします。

残したいですよね、着付けの仕方。

どんな機会でもいいから利用して、袖を通そうと思いました。

言葉 vivisan9pt

その土地土地によってある方言なども、今はおじいちゃんおばあちゃんは使うけど、私たちは使わなくなってしまったものが多くあります。

言葉ってとても大事なものだと思うんです。言葉には意味がある。標準語ではない自分の家で使っている言葉をそのまま次の世代に伝えていけたらと思います。

その通りですね TomCat8pt

東京にも様々な土地土地の言葉がありました。たとえば下町のべらんめえ。多摩地区には「だんべー」言葉もありました。島嶼地域には伊豆半島の方言に近い「ずら」言葉もあります。でも、今はほとんどそうした言葉が使われることはなくなってしまいましたね。

東京の場合、今はもう親の世代がその地域特有の言葉を全く使わない世代ですから、おそらくどの家庭の中でも、いわゆる標準語しか使われていないと思います。

家の中に郷土の言葉が生きている地域の人たちは幸せだと思います。土地の言葉は使っていないと忘れてしまいますから、どんどん家庭の会話で使って、次の世代に伝えていってほしいと思います。それは文化を伝えることでもあると思います。

asukab3pt

わたしの場合、短歌です。

(……といっても、ここのところ欠詠が続き、毎月母親から催促の電話を受けているという情けない状態なのですが……)

祖母が某短歌結社創設者の愛弟子で、うちはわたしで三代目の社友になります。

三十一文字に残される心情は、人の生き方そのものを投影し、胸を打ちます。

定型であるからこそ、深さが生まれるのですね。

祖父が結核で倒れ、女手一つで暮らしを支えた祖母の生き様は彼女の短歌にそのまま表れ、当時の彼女の年齢を越えたわたしに痛切に伝わってきました。

歌が彼女を支え、歌があったからこそ乗り越えられた、そんな気概です。

わたしも自分の生きる証として短歌を詠み、家族に残していきたいなと思います。

モノとして残すのであれば、歌集でしょうか。

いつのことになるやら。

とりあえず、今月は詠草を送らなければ……と、まじめに想い直しました。

風流ですね。 croam2pt

僕もひとつ、周囲の風景の移り変わりを適当に十七文字にしてみます。

気がつけば、うちより高い、家ばかり。

次代に残したい、、その家の文化 hanatomi4pt

その家の文化、これも是非残したいです。私の家だと、年末までに家をきれいにしておき、お正月の朝には、全員で仏壇や神棚にお礼という。神棚に向かって座り、父が先頭に座ってみんなが後ろに座り、お礼と感謝のお辞儀をします。朝は薄味でだしの聞いたゆずの香りの雑煮と、重箱に入った贅沢ではないが、愛情と気持ちのこもった手作りのおせちを食べながら、色んな話をします。そういった各家の、習慣や文化。風邪を引いたらこれを作ってあげるんだよみたいな。そういうのをずっとつなげていきたいなと思います。

本当に文化ですね vivisan3pt

こういう習慣のようなものって小さなことを含めて各家それぞれにあるものだと思います。そのなかにはいわゆる迷信みたいなものがあるかもしれませんが、それはそれで立派な文化です。是非次の世代にもつなげていきたいものですね。

地域のつながり ootatmt8pt

地域での人と人とのつながりが、どんどんなくなっていきますね。

でも何かあったときには人のつながりが役に立ちますので、今ある地域での交流を何とか残していきたいです。

町内でのお餅つき dayday7pt

空き地が開拓されて、宅地販売されるとそこに新しいコミュニティーの住宅街が出来ます。

ですが、そこだけで完結してしまっている住宅街ばかりが多いようです。

その中では知っていても、隣の通りの方々とは全くの交流もないってのもありがち。

住宅を購入する世代が、子供が出来てとかの30代40代が多いので、昔から住んでいる方々の世代とかけ離れている場合も。

地域交流がないと、中越地震みたいな大き目の地震が起きた時の助け合いと、相互の確認が出来なくて困難かも・・・と思ってしまいます。

プライベート干渉とか言われるとそこでシャットアウトされている事も多いはず。

町内でお餅つきとかして、交流している町内を見ると羨ましいです。

家族を思う気持ち to-ching3pt

なんて・・・私らしく無いコメントですが、最近家族のことで苦労し、それが何とか良い方へ向かったので。まぁ、悪いほうへ転がってもなお、その気持ちは大切なのですが。

大事にしたいですね。 vivisan2pt

これって本当にとても大切なことだと思います。私もそれまで意識したことはなかったのですが、イエはてなで、みなさんの家族に対する思いを読んで、この一年で考え方が変わりました。

これからも家族を思うことを大切にしていきたいと思います。ひとつひとつの事件などもひとつの思い出にして。

なんてことないカードの類い sayonarasankaku2pt

プロ野球カードとか、ポケモンカードとか、

その時代のわかるカード類が残ると面白いと思います。

昔のカルタとか、めんこ、なども時代背景がわかっておもしろいですよね。

「ふぅん、昔はこんなので遊んでたんだ。」なんて言葉が聞こえるようですね。

遊びの物、子供の物 Oregano1pt

大人は見向きもしてくれないような物って残りにくいですね。特にカード類はその時代がはっきりわかる物としてとても価値が高いと思いますが、貴重だと気が付いた時にはもうほとんど実物が失われた後のことが多いのではないかと思います。

今、自分が子供のころに遊んでいたカードを持っている人は、捨てずに大切に持っていてほしいですし、自分の子供の物も将来きっと貴重になると思って保管しておいてほしいと思います。

食べ物を大切にする気持ち tibitora3pt

作ってくれた人、お肉になってくれた動物や魚に感謝をする気持ちを残したいです。食べきれない分は作らなかったり注文しないように、残ってしまったら明日のご飯の1品に。食べ物も限りあるものだと思いますので大切にしたいです。

あたりまえのようで忘れている odorukuma2pt

こういう気持ちを素直に持てる方は素晴らしいですね。

集めまくった本たち! blanccasse5pt

活字中毒なので、9畳の部屋の壁中+入りきらない位の本や漫画があります。

絶対に捨てられないものだけで、この有り様。

幼い頃に買ってもらった絵本も童話も、大人になって買った学術書も漫画も・・・諸々。

どうしても、これを残して行きたいです。

私自身は子どもがいないので・・・残せるか分かりませんが、

甥っ子たちが大きくなって文字を読めるようになった時、宝の山と思ってくれるといいなぁ。

本は残したいですね Cocoa4pt

人生を豊かにしてくれた本たちが、自分がいなくなった後に捨てられてしまうとしたら、すごく悲しいですね。子供、孫の世代までずっと読み継いでいってほしいなぁ。そういうふうにしてもらえるように、今から本をうんと大切にしていきたいと思います。