いわしの回答(転記)
「秘密の子供」。フィリップ・ガレル監督。
1997年のクリスマス、当時色々な意味でショックを受けていた私を、女友達が誘ってくれた(彼女・恋人という関係ではない。あくまで友達。ちなみに2人)。
誘ってくれた1人が言うには「今、いい映画が来ている、今見ておかないと、いつ見れるかわからないから」と。
六本木に行って、なぜか中華料理を食べて、それから小さな映画館へ。
そこで見たのが、この映画。
モノクロのフランス映画。
静かなトーンで坦々と進んでいく映画でした。
パンフレットは1冊1000円したけれど、買って置いてよかった。
(今、この「いわし」に書き込むのにも役に立っています。実は、タイトルや監督名を忘れかけていました。)
当時のその友達2人とは、今では音信不通になってしまいました。
あれからも色々なことがあったけれど、私は何とか立ち直ってこうして生きています。
友達と映画に、ありがとう。
1997年。ちょうど10年前の出来事ですね。さらに「秘密の子供」はさかのぼって1979年の映画です。おそらくご存知かと思いますが、監督のフィリップ・ガレルは、歌手であり、モデル、女優としても活躍していた妻ニコとの結婚生活が破局した直後にこの作品を制作しています。
しかしフィリップ・ガレルはまた、フランス放送協会勤務時代、せっかく撮影したテレビ映画が放送を拒否されるという事態に見舞われ、その後は長くアンダーグラウンド的な活動を続けていましたが、「秘密の子供」の成功で日のあたる舞台に復帰しています。
この映画は、そんなフィリップ・ガレル監督の、失意と成功の両方の意味での記念碑的作品といえる作品なんです。ご友人のお二人は、映画に秘められたこうしたエピソードがiijimanさんを励ますのではないかと考えて、映画館に誘ったのではないでしょうか。
そのお二人と、また連絡が取れるといいですね。こんな、それこそ映画みたいな励まし方をしてくれる人たちなんて、ほかにはちょっといないと思います。この書き込みがお二人の目に触れて、これがきっかけになって再び友情が復活する、なんていうストーリーを陰ながら願っています。
うちは居酒屋鎧を毎月開くので、同じ人間が複数イエに来ます。最初は本当に常連さんが少なかった(2,3人)ので、箸と湯のみを用意していたのですが、常連さんが多くなってしまいましたw
そこで、自分用のMY茶碗とMY箸をもってきてもらい、こちらで預かることにしました。
いきなり5,6人プラスされたので、覚えるのが大変でしたが、当日は、「あ、これ、私の♪」なんていいながら使ってもらえます。好みも分かれているので見ていると楽しいです。
本人たちもMY箸を来るたびに持参しなくてもいいので楽だそうです。
うちでは割りばしを本当に使わなくなりました。
「器」というとテーブルウエアのことを指すのかもしれませんが、ガラス瓶なども広い意味での器です。
さて、数あるガラス器の中で最も不遇な扱いを受けているのは雑瓶ではないでしょうか。インスタントコーヒーの瓶、塩辛の瓶、様々な香辛料の小瓶、etc.身の回りにはただ捨てられる運命を待つばかりの雑多な瓶がたくさん転がっています。ガラスの本体はとても美しい物ですが、ダサいのは蓋。プラスチックなどで出来た蓋の安っぽさが、せっかくのガラスの美しさを台無しにしています。そこで私はこの蓋をお洒落な木製にしてしまおうと考えました。
具体的には、丸い木の板に穴を掘って、そこにプラスチックなどで出来た蓋を埋め込むという方法をとりました。つまりダサい蓋を木製のカバーで覆ってしまおうというわけです。穴は彫刻刀と突きノミを使って手で掘りました。
この穴は蓋の外形寸法ギリギリに彫ります。無理矢理押し込むくらいギチギチの穴にしておけば、蓋をねじった時に木部が空回りすることを防げます。さらに蓋の材質に適合する接着剤を塗布して埋め込めば完璧です。
蓋に被せる木としては、小さな瓶の蓋になら、捨てられたテーブルの丸棒状の足を輪切りにした物や、捨てられた家具の木製の取っ手などが利用できます。表面の余分な塗装を剥がして磨き、好みのニスやクリアラッカーなどで再塗装してやると格好良く蘇ります。
こうして廃物に廃物を被せて作った瓶は、本来の瓶として使ってもいいですが、ビー玉を入れたり木の実を入れたりして部屋を飾るにも好適です。本来の蓋に木のカバーが被さった形は頭でっかちですが、それがまたなかなか可愛いと思っています。今、自然のままの木の枝を利用して作った蓋の瓶に、秋の枯れ葉を入れて机の上に置いています。なかなか和む風景です。
金つぎなど修理のしかたもわからず、
いつかいきなりぱかっとなってしまいそうで
愛着の分しばらく使いますが、
そのあと捨ててしまうことが多いのです。
まあ、普段使いなので金額的には惜しくもないのですが・・・
中国製で加熱し続けると重金属がでてくるものなどは
恐ろしくて買えないし、
日本製でもデザイン重視で金属を調べたかなんて表示はありません。
安全な器を選んで使い続けたいのですが、
調べるのがついおっくうですね。
漏れがこない間は古いのをつかいたい・・なんて
横着なんでしょうか。
それで運が悪くなるとかいうことはないと思いますが、やはり気に入った器は継いで修繕してあげるのが一番だと思います。食べている最中にカパッといってしまったら、器もかわいそうですけど自分もびっくりですし。
陶器の修繕には金継ぎなどの方法の他、器の色に近い色漆で直す共継ぎなど、ほとんど直した所がわからないような修繕方法もあります。
ただ、なかなかやってくれる職人さんが見つからないんですよね。また作業は漆を使う手作業ですから、乾燥の期間も含めると直って返ってくるまでに、長いと数ヶ月もかかることがあります。
でも簡単な継ぎなら数千円でできますから、愛用の器なら、高価な物ではなくても、直して大事に使ってあげるといいなぁと思います。最近はネットでも修繕を受け付けてくれるところがあるようです。「陶器 継ぎ」などで探してみるといいと思います。
玄関関連ということで靴に関するおまじないを検索してみました。
花嫁の左足の靴の中に6ペンスの銀貨を入れる
http://www.hanayomesan.jp/extra.html
靴を履くとき呪文を唱えて・・・
http://uranai.nifty.com/cs/f-omajinai/detail/omajinai00042/1.htm
いろんなおまじないがあるんですね。
二つ目のおまじないは、少し気合を入れなければいけない仕事をするときに使ってみたいです。
欧州では「玄関に子供の靴を置くと幸せが訪れる」というのがあるみたいです。
http://ameblo.jp/kobayashi-mao/entry-10029648895.html
のコメントにもベビーシューズを置くと…と書いてる人がいます。
昔々、庶民は皿の底面に文字などの入ったものを使って
まっさらで何も書かれていないお皿はただひとり
お殿様のみが使うとされていた時代があったそうな。
学生時代、社会科の授業は大変楽しいものでした。
教科書には載っていない、いろいろな話をきかせてくれました。
皿の話も印象に残ったもののひとつであり
ついつい和皿を手に取ると 遠い昔に思いを馳せ
裏返して ”お殿様の皿探し”をしてしまうようになりました。
皿の裏面の、ポコッと高くなっている高台を使って
研石代わりに包丁を研ぐことができるそうです。
包丁の切れ味が悪くなってきたら、ぜひ一度試してみたいと思っています。
へぇぇぇぇ。昔は身分によって使うお皿の裏まで違っていたことがあるんですね。
知りませんでした。
こんなことを教えてくれる授業、楽しかったでしょうね。
お皿の裏で包丁を研ぐのは、私、たまにやりますよ。
本格的に研げるわけではないでしょうが、
よく包丁研ぎ機とかいって溝に包丁を差し込んで引っ張るやつ、あるじゃないですか。
ああいうのでやるくらいの切れ味は戻ります。
用意する物は愛用のお茶碗と、サイコロ二つです。やり方は取っても簡単。まず調べたい今日の運勢を心の中で念じます。たとえば「今日すてきな人と出会えるかな?」「今日の金運は?」などなど。そしてサイコロを二つ、愛用のお茶碗の中に投げ入れます。
一発でぞろ目が出たら、念じたカテゴリーの運勢は大吉です。
五回以内でぞろ目が出たら吉。かなりの確率でいい運勢が待っています。
十回以内でぞろ目が出たらやや吉。運勢を下げる怒りなどの心を抑えて慎重に行動して吉です。
十回やってもぞろ目が出なければ、今日は一日運勢の貯金と思って、人に喜ばれることを積み重ねて後日に備えましょう。
という具合。
ちなみに出たぞろ目の数にも意味があって、
一のぞろ目なら…文句なくラッキー!!神様ありがとうの日になります。
二のぞろ目なら…友だちや隣人が幸運を運んできてくれます。出会う人一人一人を大切に。
三のぞろ目なら…自然界の何か幸運をもたらします。小さな虫が実は幸運の妖精さんかもしれません。
四のぞろ目なら…自分が幸せになるというより、自分の何かが周囲の人を幸せにする日になります。自分への幸せは少したってから帰ってきます。焦らないで待っててね。
五のぞろ目なら…物より心が豊かになる幸運が待っています。恋かな、なんだろ。物より楽しみな幸運てたくさんありますよね。
六のぞろ目なら…五とは逆に、物に恵まれやすい幸運の日です。何かが当たるかな。それとも無くした何かが見つかるとか。また、何気ない物が思わぬ幸運の引き金になってくれることもあります。
という具合です。お茶碗には必ずいつも愛用している物を使うことが大切です。当たるも八卦、当たらぬ藻八卦ですが、この占いに凶はありませんので、気軽にやってみてくださいね。
祖父が船長をしており、「猫は船を守ってくれる」とよく話していました。「船員の妻が家で黒猫を飼うと夫が無事に帰国できる」という言い伝えも、祖母がよく話していました。(英国の言い伝えだそう。)今から思えば、祖父が黒猫を好んだ理由はこれだったのだと納得がいきます。玄関のあたりで、ごろごろしていました。
夜中にやっているテレビの映画を見入ってしまって、
寝れなくなってしまう事があります。
「あー、これ見たかったんだよなー」のときもあるし、
「これ、もう何回も見たじゃん」のときもあります。
ついつい、チャンネルを回したが為にという感じです。
ご飯もろくすっぽ食べずに毎日泣いてばかりいたら
母親が「気晴らしに映画に行こう」といわれて「ミッションインポッシブル」
に連れてゆかれました。
別れた彼氏と観にいく予定だったのに…と涙しながら観ていたのですが、
帰りに、母が「トムクルーズくらいかっこいい男ならそこまで落ち込むのわかるけど、たいした男じゃなかったんだったらそれ以上泣いたらもったいないょ」ってw
今でもビデオレンタル店に行ってミッションインポッシブルのDVDやビデオを見るとあのときの母の言葉を思い出します。
もっとも私が見に行ったのはコメディ映画でしたがw。私の場合は友人が誘ってくれました。あの時は、振られたって自分はこんな友情に恵まれている、自分はけして一人じゃないんだと、本当に励まされました。
恋愛は一種の運です。でも運とは関係ないところで、人は皆誰かと、たとえばすばらしい家族や友と縁が結ばれています。そういう喜びを再発見するのも失恋の効果だし、そういう発見がまたドラマチックです。
友人が家にプロジェクター&5.1chの音響をセットして
よく友人が集まってみんなで借りてきたDVDなんか見てます。
値段を聞いたら最近は、結構安くそろえられるみたいで、
スペースがあったら私も自分の家に作りたいなって思いました。
知り合いの家は5.1chサラウンドシステム導入しているので
たまに遊びに行って見ますがすごいですよね。
欲しいけどセットするのが面倒くさそうなんですよね。
気に入った器が壊れてしまうと、がっかりします。
けれど、なぜか景品などでもらった何てことない器はなかなか壊れないです。
壊れたら気に入ったのを、なんて思ってもすごーく長持ちしたりします。
結局、捨てられないで使って、妙な愛着がわいたりしています。
景品のコップってなぜかやたら頑丈ですよね。
仕舞いには『長い』って理由の愛着がわく、そこらへんよくわかります(笑)
自分の買った食器が割れて、あまり買い足さなくなってから
いつのまにか記念品の生き残り食器が、場を占めてます。。。
欠けた器での食事はよくないらしいです。
ソースは
http://page.freett.com/meishin/sousai.htm
ちなみに、先日欠けた器(お皿)で食事をするのは怪我をすると危ないので、
処分したんです。
どういう処分の仕方がよかったのかまではわかりません。
長く使っていて気に入ってた皿がこの前割れました。一瞬とっておこうかなあとも思ったんですが…。
そこに書かれていた文章が気に入っていたもので…。
ただ、その文章、つまり
http://www.amnh.org/education/resources/rfl/web/essaybooks/cosmi...
の先頭に書かれている言葉ですが…
Web上にたくさん引用されていることがわかったので安心して捨てられました。
なお、うちではやっぱり怪我すると危ないのでちょっとでも欠けたら割と容赦なく捨ててますね。
ごみ収集の人が怪我しないように新聞紙でくるんでその上からビニール袋で包むなどすることもあります。
映画は映画館の中にいるだけで二時間以上。行き帰りの時間を含めたら、行って、観て、トンボ帰りで帰っても三時間以上はかかりますから、特に家庭の主婦はなかなか気軽には足を運べないと思います。平日は時間が取りにくいでしょうし、休日は家族の世話をしなければならないし…。
あ…。うちの母もそうですね。映画、見たいだろうなぁ…。今度父と二人で見に行ってみればと勧めてみます。そろそろ年末年始のロードショーが始まります。
ドライブインシアターって行ったことありますか?
どんどんつぶれていって、この11月で神奈川県大磯町のみとなるそうです!!
私は舞洲に、家族で行ったのですが面白かった!
面白かったのは映画じゃないのです。
私はマトリックスを見に行ってしまったんですよ。
あれ、難しいですよね。
過去に行ったり未来に行ったり、よくわからない言葉がたくさん。
始まって少ししたら隣や後ろから グーグー寝息やいびきが聞こえてきて、映画を見にいったんではなく、みんなで睡眠しに行ったような状態でした。
だけど、回りを気にせず、個室気分でおでかけ気分も味わえながらみんなで映画を見れるのは楽しかったです。
うちの玄関には熊が鮭くわえた木彫りの置物がおいてあります(笑)
友達の家(実家)に遊びにいくと結構居間や玄関にいるんですよね。
木彫りの熊。あれは北海道土産なんでしょうか?
北海道の木彫り熊は、大正時代に開拓事業をしていた農場主がスイスに行った時に、
そこで木彫りの熊を見たのがきっかけだったそうです。
帰国した農場主はスイスみやげの木彫りの熊をみんなに見せて、
厳しい冬の間はこれを作って売ろう!と呼びかけたそうです。
それがきっかけになって、北海道の木彫りの熊がはじまったそうですよ。
私はこの話を知るまでは、アイヌの人たちの木彫工芸が始まりだったんだろうと思っていましたが、
実際はこの農場で始まった木彫りの熊がはじまりで、
それがアイヌの人たちの多く住む地域にも広がって、
そこで伝統的な木彫工芸と結びついていったという順番らしいです。
でも熊に鮭をくわえさせるデザインはアイヌの人たちがはじめたそうです。
アイヌの人たちにとって、熊は神様ですよね。
最近は熊が日本中で悪者扱いで、
去年は特に耳を塞ぎたくなるような悲惨なニュースが多かったですが、
木彫りの熊を見ると、本当は人間はずっと熊と一緒に生きてきたんだなぁと思います。
今年は熊が殺されたりしませんように…。
たいていの家の玄関は、ドアの前が一段高いコンクリートのタタキになっています。友人の家ではタタキの周りに土盛りをして、この段差を無くしてしまいました。現在は実験中ということで将来的には盛った土を取り除いて元に戻すことも有り得るとのことですが、庭との急激な段差がない玄関はとても安心感があり、重い荷物をキャスターで運び入れるのも楽々です。また庭とタタキがなだらかなスロープ状の盛り土でつながれたとはいえ、玄関が一段高いことには変わりがありませんから、雨が降っても雨水が玄関に流入することはありません。
友人は、なぜわざわざ玄関先に段差をつけるのかその必要性が分からない、スロープ状上がり口が普通になれば車椅子の人も楽だし、酔っぱらって玄関でけつまづく人もいなくなってみんな幸せになれるのにと言っています。
最近はお店に行っても四角い金魚鉢が多くて、丸い金魚鉢をあまり見かけません。強度や扱いやすさは四角い方が良いのかもしれませんが私は丸い方が好きです。丸いと金魚が壁(ガラス)にぶつからずにくるくると泳いでいられます(^^)金魚の形の金魚鉢もありました、なんだか凄いです。http://www.rakuten.co.jp/tukiusagi/1045363/1510318/#1144972
丸い金魚鉢、最近あまり見なくなりましたね。友だちはあれで水草を育てています。お魚はいないですが、かわいいですよ。
金魚の形の金魚鉢、うわわわわ、こ、これ、金魚ですか?目、目が金魚じゃない…。口もアンコウさんだし(笑)。でもかわいいですね。中にちっちゃなメダカさんとか入れて飼ったら面白そうです。
アニメ以外で初めてみた大人?の映画は「ショーシャンクの空に」にでした。
子供だったので分からない部分もあったけれど、おもしろかったです。こんな世界もあるのだなと母と興奮しながら帰ってきました。大人になってもう一回見て納得してもう一度感動しました。
映画音楽。映画の中では脇役的な存在かもしれませんが、作品を貫く主題を表現した音楽は、時として映画本体よりも長くベストセラーの地位を確保し、後世のスタンダードとして残っていくものが少なくありません。
また、既にある楽曲が映画作品に取り入れられ、その楽曲が持つ世界観が映画作品に大きな影響をもたらしていくこともあります。たとえばホラー作品として有名な「エクソシスト」は、当初予定されていた音楽をやめにして、プログレッシヴロックの代表曲とも言えるマイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」を採用。これによって作品に奥深い幻想的なイメージが与えられ、単なるホラーを超えた名作に成長したと言われています。
日本の映画音楽作家としては、私はジブリ作品を多く手がけている久石譲さんの作品がとても好きです。久石さんについても「風の谷のナウシカ」が作られるにあたり、宮崎駿、高畑勲両氏がたまたま久石さんの過去のアルバムを耳にしたことから、当初予定していた別の作曲家をやめにして久石さんに白羽の矢を立てたという逸話が残っています。それまでは一部マニアにしか知られていなかった久石さんが、ナウシカの成功によって一躍メジャーな舞台に躍り出ることになりました。
こんな色々なエピソードに耳を傾けながら楽しむ映画音楽はまた格別なものがあります。家で一人静かにヘッドフォンでも楽しめる小さなシアター、映画音楽。いろいろとCDを集めてみると楽しいですよ。
小学生のころ、土器を焼いたことがあります。土器に使う粘土には、なぜか砂を混ぜます。この砂を混ぜる割合で、うまく焼けるかどうかが変わるそうです。砂を混ぜて練って練って、そしてビニール袋などに詰めて一週間は寝かせます。ただ土を練って焼くだけかと思いましたが、土器作りには意外に時間がかかることを学びました。
粘土が十分熟成されたら形作りです。作る前にまた粘土を練り直して、ヘトヘトになったころに、やっと器の形作りに突入できます。土器の底の部分は団子状にした粘土を木の葉などに押しつけて作ります。そしてひも状に伸ばした粘土を重ねて形を作っていきます。
大まかな形ができあがったら、竹製のヘラや縄などを使って模様を付けていきます。貝殻や石なども模様付けの大事な道具です。
模様を付け終わったら日陰でゆっくり乾燥させます。急激に乾燥させると焼く前に割れてしまうので、ゆっくり乾燥させるのがこつです。乾燥後1日から3日くらい様子を見て、内側をなめらかな丸い石などで研磨します。釉薬をかけない土器でも、こうすることによって汚れにくく漏れにくい器に仕上がるわけです。縄文人はこの研磨作業に大変労力を使ったそうです。研磨の仕上がりが器としての機能を左右するからです。
研磨が終わったら、さらに乾燥させて、全体が満遍なく白っぽくなるまで待ちます。私の時は二週間くらいかかったと思います。完全に乾燥したら天日干しです。これは晴天の乾燥した日を選んで、一日だけ行いました。
翌日、野焼きにかかりました。これもただ焼けばいいというものではなく、まず焚き火の周りに土器を置いて、時々向きを変えながら数時間余熱を行います。そして焚き火の真ん中を空けて土器を置き、薪で何重にも覆って本焼きにとりかかります。大量の薪が全て燃え尽きて土器が冷めればやっとできあがり。とにかく土器作りは時間と労力の必要な作業でした。昔の人たちの器作りにかける苦労がよくわかりました。
こうした土器作り体験は、各地で行われているようです。機会があったら皆さんもぜひ土器を焼いてみてください。ただ単純に土を素焼きにしているだけではない、様々な古代人の知恵に触れることができると思います。人の文化は数千年前からこんなに高度なものだったのだと感心します。