いわしの回答(転記)
プリンや、ケーキ、たこ焼きなんかを自分の分だけ買って食べてると怒られます。主に母が怒る。「私の分は!?」って。
つまり、自分がデザートを食べたくなったら、家族全員の分まで買って帰らなくてはいけないというオキテになるわけですね(笑)。なかなか値の張るお約束です。かといって自分の分だけ買って自室でこっそり食べるのは罪悪感!みんなで家のデザート基金でも作っておかれたらどうでしょうか?(笑)
〈ハザマ〉
けっこう至福の瞬間。貧乏くさいけど。
いやぁ、これはいつの時代も至福ですよー。いつ食べてもホッとしますもん。ちなみに私はご飯一膳に卵二個たっぷりが好きです。それに海苔と白菜のお漬物があったら昇天ものです(笑)。
〈ハザマ〉
腐らなくて、体によくて、おいしいお水。たまにでかけてその場で飲んだりすることはあると思いますが、うちの家族は違うんです。定期的に汲みにいくんです。ポリタンク合計10個を車にいれて汲みにいきます。
そんなお水汲みの日が月に一度はあります。
もちろん家族総出です。
場所についたら、順番待ちの列に並び、手分けして次々にお水を汲んでいきます。
天気のよい日はおにぎりを作っていって、川のそばでみんなで食べたり、近くにヤナがあるので鮎料理を食べたり、はたまた日帰り温泉に行ったり・・オプションも欠かせません。
あ、もちろんワンコも連れて行きますよ♪
帰る時間がバラバラだったりして、普段はあまり会話がないのですが、ここぞとばかりにいろいろと話します。
一家の大事なイベントでした。
そしてこのお水は、飲料水・炊飯のお水として使います。
うちは現在、天然鉱石を使ってミネラルウォーターを作っているので、お水は汲みにいかないけど、たまに助っ人要員として参加します。
川沿いを走るので景観もよく、ちょっとした日帰りドライブになります。
健康オタクの私ですが、健康にいい!といわれたものはとりあえずやってみる家族による血なのかもしれませんw
最近はとんとご無沙汰になってしまいましたが、わが家の本家筋にあたる家は昔ながらのたたずまいで庭が広く、そこに見事な桜が植わっています。桜が咲くと親戚一同が集まって花見の宴を開くのが恒例です。
立派な桜なので親戚だけでなく近所の人達も集まります。それぞれ料理を持ち寄って、すごい人数になります。皆土地の言葉でしゃべりあって、とてもいい雰囲気です。
手作りの料理が立派なお重に入って積み上げられ、お酒が入ると土地の民謡もどんどん飛び出します。小さな子供たちは桜の花びらを追いかけたり、若いお母さん達と歌を歌ったりして過ごします。山のようなお菓子も振る舞われるので、子供もこの日を楽しみにしています。
最近は仕事の都合でなかなか行けなくなってしまいました。でも親戚一同この日を楽しみにしていて、今年はいつ集まろうなどと、春になるとあちこちと連絡を取りながら盛り上がっています。
家族で行く、初詣。
家の近くの神社に。
混雑もなく、ちょっと天気が悪くても行ける手軽さがいいかな。
私は実家に帰って大きな神社に家族で初詣。それはそれで露店も沢山出て賑やかなお祭り気分でいいのですが、近所の小さな神社で除夜の鐘をつかせてもらう、みたいなのもいいですよね。近所のに神社がある、というのは古くて歴史のある町だということですから、昔ながらの情緒があって羨ましい感じです。静かな鎮守の杜でお参り、してみたいです。
〈ハザマ〉
親戚に日舞の名取がいます。二年に一度大きな発表会が開かれるので、その日は何が何でも応援に行かなければなりません。
日舞の発表会は義理がけごとが多いので大変です。受付での対応の他に、自分の関係で訪れてくれた人ひとりひとりにていねいに挨拶をし、記念の手ぬぐいなどをお渡しして、一人一人お席に案内します。
そして本当なら相撲の桟敷席と同じように、寿司などをつまみながら観覧してほしいのですが、会場が館内飲食禁止なので、休憩時間に別室にご案内して、それぞれのお師匠さんの系列ごとに独自に用意した軽食などを召し上がっていただいたりします。そうした対応を舞台に上がる人がするわけにいかないので、それを手伝わされるわけです。
朝早くから終わるまで、目が回るような忙しさです。踊りは幼稚園の子からおばあちゃんまで習っていますので、来場者の年齢が幅広く、何が何やらわけがわかりません。
寿司折り一つと缶コーヒー一本のギャラで手伝います。二年に一度、この日ばかりは大変ですが、空いた時間に私も舞台を鑑賞させてもらいます。さすがに名師匠ともなると動きの隅々にまで凛とした気が行き届き、感動させられます。
私も母が絵を描くので個展を開くときに当番要員として呼ばれます。
受付で来てくれた方々にご挨拶、説明、お礼をこなしてひたすら母の戻りを待ちます。
ギャラはなんとお客様が持ってきてくれたお土産・・・もうちょっと身銭きってくれてもいいのにとか思ってますw
以前も書きましたが、わが家の自慢といえば、父が丹誠込めて盆栽に仕立てたサツキです。毎年花の季節になると、何人もの人が花を見にやってきてくれました。そして同じ趣味を持つどうしの話を、飽きることなく楽しんでいました。
今は私がサツキを受け継いで世話をしています。代が変わっても、毎年変わらず花を見にやって来てくれる人達がいます。私はそういう人達のためにサツキを並べ、花の季節の休日を、父に代わってサツキ談義で過ごします。
お茶をいれ、お菓子をお出しして、これからどう世話をしていったらいいのかなどを教えてもらいます。ご高齢の人達ばかりなので、普段の生活では得られない、色々な貴重なお話も伺えます。
もう少し慣れたら、サツキ展への出品も勧められています。父は毎年出品していました。私の代になってうまく世話が出来ず、ちょっと人前にお出しできる状態ではなくなってしまいましたが、最近段々良くなってきました。もうすぐ父の時代のもうひとつの恒例行事も復活できそうです。
はい、印象深く覚えてます。サツキを大事にお世話されるお父様の後姿を書いて下さった以前のメッセージ。こんなお披露目会もされていたんですね。今はCatnipさんがそのサツキを受け継いで育てていらっしゃるとは聞いていましたが、お父様のお知り合いが今でも訪ねて来て下さるなんて素敵です。お父様が残して下さったご縁なのですね。世代の違う方とそんないいカタチでお話出来る機会は滅多にないこと。サツキも生活も人生も、色々語ってもらえそうで素晴らしいです。
サツキ展への出品、ぜひ近く実現して下さい!お父様も喜んで見ておられると思います!
〈ハザマ〉
最近は豆まきなんてしないけど、豆を投げまくった後処理・・・大変だったんだろうな?。
そういえば子供の頃、近所の子供の家で、「お菓子まき」なるものをやっていた。大分の方の伝統だとか言ってたような気がするけど、ウソなのか本当なのか分かりません。でも、ビニールに包まれたお菓子を巻くだけなので、後処理はラクだったろうな?。
節分の豆まきは、別のツリーでサランラップに包んでまく、というお話がありましたね。すごく納得してしまいました。福の願いを込めてまいた豆を後で掃除機で吸い込むわけにもいきませんし(笑)。そういえば、模様替えでたんすなどを動かしたら節分の豆が後ろから出てきた、なんてこともありましたね。
お菓子まきは節分の日にする行事なのでしょうか?それとも別の行事なのかな?何せ子供にとっては楽しみでしょうね!
それで思い出したのですが、以前に住んでいた京都では、町内でまつっている小さなお地蔵さまを囲んで「地蔵盆」という行事があり、これはもっぱら子供が主役。大きな数珠を輪になって回したりして、そこで子供たちにお菓子が詰めた袋を配られます。見ていると、今でも昔のまんまの風情が心和ませてくれてました。
〈ハザマ〉
情緒ないですけど…。ベルマーク集め会議が恒例のわが家では、選挙が近くなると家族討論会も開かれます。これは私や弟がまだ選挙権の無かったころからの恒例行事で、生きた社会勉強をさせたいという父の発案で始まりました。
選挙公報が届くと、それをみんなで読んで予習をしておきます。一緒に議長役の父が作ったメモも回ってきます。それには選挙の争点になりそうな課題、たとえば市議選なら、福祉の問題、どこそこの開発についての態度、ゴミ処理問題など、議会でとりあげられたり、市民から請願が出されていた課題などが何項目か書かれています。それらを読んで、誰が何についてどんなことを言っているかをよくおぼえておきます。
そして、テーブルの上にお菓子を並べて、お茶を飲みながら会議が始まります。
「では最初に福祉予算の削減について」「はいはいはい、誰々さんは削減しないでくださいの請願の紹介議員になっています」「公報に書いてある?」「ない、自分で調べた」「へー、で削減に賛成の人は誰?」「はいはい、何々さんは支出のバランスを考えた見直し派です」「誰々さんは民間委託で予算削減だそうです」
ルールは、誰がいい、誰が悪いと言わないこと。候補者はみんな自分の考えがいいと思って言っているので、それをけなすのはルール違反です。ただ誰がどんなことを言っているのかの比較だけを話し合います。でも、ちゃんとした政策が書いてない候補者は比較したくてもできないので、わが家の会議では目立ちません。
一通り比較検討会が終わったら、残ったお菓子をみんなで食べて終わりです。誰が誰に投票するかは、それぞれ誰にも言いません。そこまでは社会勉強としては必要ないからです。それぞれが、自然保護を重視する人にしようとか、福祉を重視する人がいいとか、自由に選んで投票します。
こういう選挙前の家族討論会がわが家の恒例行事です。
我が家は昔から、運動会等の勝負事イベント時には夜はうな重を食べて、朝は納豆でした。『とんかつ』で勝負に勝つなんていうのはよくありますけどね。
すみません、うちはベタに必ずトンカツでした(笑)。うな重に納豆、というのを聞くと、どうやら力をつけるという意味合いが込められていそうですね。きっとお母様が考えてそれを習慣になさってたんですね。その家それぞれのゲン担ぎみたいなのって面白そうですねー。他のみなさんにもぜひ教えて頂きたいですね!
〈ハザマ〉
特にキリスト教とは関係ないのですが、
母はイースターになると卵の形お菓子に凝りまくるのが恒例です。
器用にチョコを卵形にして可愛い模様つきホイルでラッピングして、
卵形のクッキーも焼きます。
私も子供のころからそれを手伝うのが楽しみでした。
父もイースターの日は、ぜったい予定を入れません。必ず家で過ごします。
父はイースターの日には卵が立つんだと、毎年卵立てに挑戦しています。
それって春分の日だと思うんですけど…。まぁいいか(笑)。
こうしてイースターの日は、家族揃って楽しく過ごします。
なぜキリスト教でもないのにイースターを大切にしているかというと、
どうも父と母が初めて結ばれたのがイースターの日だったからのようです。
ちょっと大人の話題なので詳しく教えてはもらえませんが、
どうも…そうらしいです♪
すっごくいいお話を聞いた気がします^^。ウフフ、イースターを祝う家って日本ではそんなにないと思うんですが、ご家族揃って特別楽しく過ごされるにはワケがあった…!お父様の卵立てにも笑いましたが、お母様のイースターエッグづくりが可愛いらしい。私の憶測では、そんなわけでTinkerBellさんが生まれてきたわけですから、お母様はその卵のお菓子に子供への愛情を込めていらっしゃるんじゃないでしょうか?うふー、何だか読んでて心がくすぐられるようなお話。ずーっと続けて頂きたいイエ行事です。
〈ハザマ〉
親戚一同集まって、おじぃちゃんが私達孫にお祝いをしてくれました。
うちのおじぃちゃんは料理が上手で、3月は桜餅、5月は草餅を作ってくれました。「おいしい。おいしい」っていうと帰りには大量に餅が入ったタッパを手渡してくれるんですが、そのおかげで数日間のおやつはいつも餅。
「たまにはケーキも食べたいのに…今日も草餅か…あぁ言わなきゃよかった」
といつも後悔していたのを思い出します。
うちの雛人形は小さいけど7段飾りでした。準備は家族総出。
この地方では一週間ぐらい前に雛人形を出すのですが、父が雛壇を組み立てて、母が飾っていきました。小さいときは、あの階段の上に座りたくて仕方がなかったです。
それから私も飾るのを手伝うようになりましたが、最初の頃は弟と太刀でチャンバラをして怒られた覚えがあります。
家にある日本人形もいっしょに飾っていました。
桃の花がまだ咲いてないので、ネコヤナギを母親と川までとりにいってました。今はその川にはネコヤナギはなくなっちゃいました・・。
そして雛餅などお供え物を飾ります。
当日は甘酒(白酒のかわり)と、味噌和えと鰯とお赤飯をお供えします。
楽しいひな祭りが終わると、今度は片付けが待っています。これがたいへんなんですよね・・。
地方によって違うかもしれませんが、このあたりは当日のうちに片付けないとお嫁にいけない!と言い伝えられていたので、どんなに遅くなってもうちの母は当日内に片付けてくれました。
私もよく意味がわからないまま片付けの手伝いをしていましたが、あれだけのものがあんなにコンパクトにまとまるのはびっくりでした。
この雛人形の片付けですが、親といっしょに子供が片付ける手伝いをして、片付けるということを覚えたそうです。
母のおかげで、お嫁にいけましたよ。感謝!ですw
今でも母は雛人形を飾っています。
しかし、桃の節句って同じ県内でも旧暦の3月3日にやったりするところもあったそうです。
片付けの期限も一週間は猶予があったりとか、旧暦の3月3日までとかいろいろあるみたいですね。
赤い毛氈を敷いた雛飾り、私はとても憧れてました。vivisanが和の物や着物がお好きな理由がこのメッセージを読んでいて納得できました。小さい頃からこうして家で雛人形や日本人形、和の花やお料理に親しんでこられたんですね。
うちは、ガラスの専用陳列ケースの中に段が作ってあって、そこに雛人形やお飾りを並べていくミニチュアみたいな感じのものでした。それでも母が数日前から出してきてくれて、一緒に箱から出して並べていました。同じく、三日にしまわなければお嫁に行き遅れると言って、その日じゅうにおさめてましたね。昔はあれで片付けるということを覚えた、というお話も頷きました。
今でもお母様は雛人形を飾っていらっしゃるんですね。いつか女の子のお孫さんのために…と思っていらっしゃるのかも知れませんね^^。
〈ハザマ〉
子供の頃の話です。父はアウトドア好きで、若い頃はボーイスカウトのリーダーなんかもやっていたという人でした。そんなわけで、もう夏休みになると、息子にアウトドアのテクニックを仕込みたくてたまりません。しょっちゅうテントやら飯盒やらを持って連れ回されていました。
行き先はだいたい近場の河原あたりですが、たとえばテントをたてたり、薪を割ったり。そして飯盒でご飯を炊いたりします。
ご飯炊きひとつにしても、火をおこすのが意外に難しいんです。父は、必要最小限の焚き付けで炎を出せるように教えます。
いつ、いかなる条件でも通用するテクニックを身につけるのが野営。そうでなければ、ただのレジャー。焚き付けに使っていい新聞紙は1/4、マッチは2本まで。そんな縛りで火をおこしたりします。
そこで息子がどんな工夫をして火をおこすか見るわけです。だいたい最初は失敗します。そうすると二度目にはちょっとヒントをくれます。ナタを使ってもいいんだよ、とか。
で、ああ、そういうことかとナタで木くずを作って、新聞紙に付けた火で木くずに・・・・。あら、消えちゃった。そうすると父は、ゆるくねじった新聞紙と、ギュッとねじった新聞紙の燃え方の違いを見せてくれます。
わかった? うん! 今度はギュッと固くねじった新聞紙の端に火を付けて、それを木くずに燃え移らせます。おー、今度は火持ちがいい。木くずも燃えた燃えた。あとは空気と炎の流れを考えながら薪を置いて大成功。
そんなふうにして、少しずつ少しずつ、色んなことを教えてもらいました。だいたい、一回のディ・キャンプで学ぶテーマはひとつ。子供の理解力をよく考えたカリキュラムですが、本当はネタを小出しにして、また次も行きたくなるように仕向ける作戦・・・・だったのかもしれません(笑)
で、飯盒で炊いたご飯を食べながら、昔は山に入って白樺を見つけると、ちょっと皮を失敬したものだったんだ、白樺の皮は一握りあれば最高の焚き付けになるからね、なんていう話をしてくれます。
ディ・キャンプですから、西の空が夕焼けになるころには撤収。母の待つ家に帰ります。親子で煙りのニオイをプンプンさせながら帰ると、まったく男っていうのはもう、と半分呆れたような顔をしながら、お風呂湧いてるわよ、などと言ってくれました。
風呂上がりにスイカなどを食べながら、そうだ、今度は川の水でスイカを冷やそう、うまいぞ、などと、もう次回の計画です。懲りない親子でした(笑)
面倒見が良くて、丁寧で親切で、TOMCAT さんみたいなお父さんですね。 笑
アウトドアはたのしいですよね。1人ですればある意味サバイバルですが、(^_^)
誰かとすれば、もう、わくわくの連続!
知恵が身につき経験が身につき。。
TomCatさんの話を読んで「やかまし村の子供達」というほのぼの海外映画を思い出しました。
- 出版社/メーカー: 角川エンタテインメント
- 発売日: 2000/11/23
- メディア: VHS
私が見たものは、ザリガニ取りに行ったりするのですが、
のどかな自然の中、子どもが自然とともに仲間や家族とともに暮らしていく姿の映画でした。そういうきれいな景色がイメージで浮かびました。
これまた正月行事、お年玉。
お年玉をもらえる年代はとっくに終わり、親戚の子供などにあげる年代に突入しています。
もらった分だけ還元しろということなのか。
もらった分は、使ってしまったのに・・・。
毎年だいたいどちらかは行います。
春恒例の、無料食材調達イベントです。
ツクシは大量に採ったつもりでも煮ると少なくなってしまいますから、
家族総出で人海戦術で採らないと満足に食べられる量は確保できません。
そこでツクシが出始めた土曜日に予定を合わせて採りに行きます。
お弁当持ちで出かけるので、すぐ近くの河原が採取場所ですが、
ちょっとしたハイキング気分が味わえます。
ツクシ採りの前に家族ゲンカなどが起こるとせっかくのツクシ採りが中止になってしまうので、
時期が近付くとツクシ食べたさに、みな仲良く暮らします(笑)。
ツクシは採った後がまた大変で、一本一本ハカマを取るのが一苦労です。
欲張って大量に採るので、ハカマ取りに一晩かかります。
そして翌日、苦労の甲斐あって、美味しいツクシご飯とツクシの煮物が味わえます。
ツクシで一杯やるのも恒例です。
ヨモギは、ある程度茎が伸びたくらいの若いうちに、先端部分だけを摘み取ります。
ヨモギは一人でも量が採れるので、私一人で採りに行くこともあります。
しかし成長のために大切な先端を摘んでしまうので、
摘むのはひとつの群生の一割くらいまでと決めて採ります。
何カ所かの群生を行脚することになります。
田植えには近所のおばさん達が沢山手伝いに来てくれます。おおまかな所は田植え機がやってくれるんですが、どうしても田んぼのすみには植え残しの場所が残ります。
そこを手作業で植えてもらうわけです。
10時の一服の時間と午後3時の一服の時間。
そして、夕食は豪勢に(と言っても我が家なりの豪勢)。子供の時は田植え=お祭りだと思ってました。
ちょっと遠くにいるおばさんも一服に食べる餅を持ってきてくれたり、父親の仕事仲間が一服のサイダーを買ってきてくれたりしました。
夜は父も近所のおばさん達も酒がすすんでほぼ宴会です。
減反政策や輸入野菜のおかげで、今はそういうのがなくなったみたいです。宴会が減って残念だな。
田植え!! そうそう。これ、近所中総出で手伝い合うんですよね。今でもほんと、隅の方とか、田んぼの形の都合で田植機が使いにくいような区画は手植えですもんね。
で、みんなで働いて、みんなでねぎらい合って、宴会!!
これこそ日本のイエ行事ですよ。そういう苦心に苦心を重ねて、日本の米というのは豊かに実るんです。
減反だ、農作物の輸入だなんて、冗談じゃありませんよね。先進国でこんな食料自給率の低い国はありませんよ。
それで主張する外交だなんて、それこそ冗談じゃありません。もうお前の国には食料輸出してやらない、と言われたらそれで終わりです。よその国に経済制裁なんかして偉そうにしていられる立場じゃないんです。
そして、最近の農業政策は、農家を法人化させて、法人にだけ援助してやろうというねじ曲がったシステムです。昔から農家というのはこんなふうに、みんなで助け合って、力を出し合って、支え合ってきたんですよ。何を今さら法人化ですか。個人と個人が手を握り合って支え合ってきた、伝統的な農家の支え合いで何が不都合ですか。法人化させて企業の傘下に入れようっていうんですか。農家を大企業の小作人にしようっていうたくらみですか。冗談じゃないってんです。
そういう、宴会が減るような政策だから・・・・。あれ???
いやー、宴会が減るのは本当に残念ですね(^-^;
父が書道を教えていることもあって、毎年新年のお節を囲む際、父が紅白の祝い用箸袋に各人の名前を手書きしてくれています。友人やパートナーを招いた場合には勿論、その人達の名前も。
実家を出てから、それを目にすると「待っていてくれているんだなぁ」と思うようになりました。最近、年を取ってきたせいで、文字も老けてきましたが、いつまでも元気で書き続けて欲しいと思います。
祖父が健在の頃は祭りがあるときに毎年お餅をついてました。
あんこでくるんだりきなこをまぶしたり。たくさん作るので近所の人におすそわけしたりしてました。懐かしいなあ
我が家の行事といえば、これしかありません。
父が一人で始めた「西国三十三ケ所巡り」なのですが、
いつのまにか家族行事になりました。
三十三ケ所のお寺で掛け軸にありがたい判子を押してもらうのです。すべて、まわると掛け軸が完成します。
一度は家族で出かけることが少なくなったのですが、
三十三ケ所という一緒の目標と、
新しい場所へいくので、それぞれ役割があり、またみんなでお出かけするようになりました。
父:お出かけしたくなったら、みんなを誘う、地図を把握する
母:出発の日、朝5時にみんなを起こし、寺周りグッズをそろえる
兄:行動中、一番後ろを歩き、こけやすい母をサポート
私:ご当地を調べて、おいしい物を食べる計画をもりこむ
夫:父が酔っ払ったら、運転手
うちは石が石を産む霊石なるものが伝わっているくらいの家ですので、石とは関係ないですが、妙な言い伝えも伝わっています。
詳しく書くとたたられそうなので簡単に書きますが、昔いわれのない誤解から非業の死に追い込まれてしまった気の毒な女性がいたそうです。たまたま夜更かししていたことが原因で事件が起こったということで、その人の命日に当たる日には夜更かししてはならないと言い伝えられています。
ですから、その土地の出身者は、年に一度その日だけは、夜九時前には布団に入ります。風呂に入り損ねても朝入ることにして無理矢理寝ます。夕食を食べ損ねたら布団の中で食べます。とりあえず布団に入っていればいいようです(笑)。
困るのはトイレに行きたくなる時ですが、それだけは神様に許しを乞うお祈りをして布団を出ていいことになっています。しかしトイレのついでにキッチンに行ってつまみ食いなどはしてはいけません。一晩敬虔な気持ちで過ごします。
こ、こわいですぅ。ぶるぶる。
でもそういう言い伝えって、わかる気がします。
きっと、お気の毒なその女性を悼む気持ちからはじまったのでしょうね。
二度と不幸なことを繰り返すまいと…。
岸和田の知人に「だんじり」に招待してもらいました。
駅に着いたらあちこちに、法被を着た人が。
私達は着いたらすぐ、その知人の親戚の家に案内されました。玄関を入るとすぐに長机が出してあって、机の上にはおでんや、飲み物、ご飯が。
「さあ、食べ、食べ。」といわれて数人で「一体ここは?」「え?いいのかな?」と思いながら手作りのご飯をセルフサービスで頂き、(私達がいる間にも近所のいろんな人がその家を出たり入ったりして自由に食べたり飲んだりする感じでした。)
その後はだんじりに。
だんじりは、おみこしの滑車がついたもので、それを街じゅう引っ張って動かすのですが、もう、ものすごい。
街ぐるみで家財保険がかけられているらしく、角にある家につっこんだり、人が落ちかけたり、瓦が壊れていたり、強烈な迫力でした。
話を聞くと 岸和田だけはその日、学校も休み!
その日は皆おしゃれをして、一年で一番盛り上がる日だそうです。
それゆえだんじりをきっかけにした出産、おめでたも多いらしい。
ホントにお祭りな日ですね。
私からするとまるで、「リオのカーニバル」に招待されて、地域の交流の場に混ぜてもらったような驚きの一日でした。
岸和田は、1つの王国だなと思いました。
私もしばらく前まで関西で暮らしていましたが、「アマガネーゼ」という語は今初めて聞きました!東京(横浜もかな?)のベイサイドに暮らす人のことを「マリナーゼ」か「マリネーゼ」っていうらしいこともつい最近知りました。いずれにしても、ちょっとハイソなエリアに対して使われる言葉ですよね。神戸の山手など憧れですねー。雲雀丘花屋敷なんてあるんですね。そのあたりではやはりイエ行事もハイソなのでししょうね!(笑)
〈ハザマ〉
…はちゃんとそばは茹でて、天ぷらも自分ちで揚げてます。
ほれ、この時期って店屋物だと下手するとスチロールに入ってきそうだし(そうでなくてもお正月の間、食べ終わった器とか置いとくのもなんだしなー)、みんなで手分けしてそば茹でたり出汁取ったりするのは楽しいし。
近年、デパートでは12月前に人気ホテル・料亭のおせちの予約は売り切れてしまうとよくニュースでやっていますよね。
正月前は、スーパーの食材も高くなるそうなので、おせちをつくる手間と買い揃える食材からすると、2万・3万のおせちって、もしかしたら安いのかもしれませんね。
我が家は、母が毎年全部1から手作りで作っています。
当然、そういうご家庭もまだまだ多いとは思いますが、一緒に住んでいたころは、当然くらいにしか思っていませんでしたが、就職して実家を離れてからは、年末帰省すると待っているおせちがごちそうで、歳の瀬も年始も母のおせちで迎えられることが幸せなことなんだと思うようになりました。
子供の頃は、お節なんて適当でいいのに、と思っていました。でも大人になってみると、母の手作りのお節の有り難さをしみじみ感じます。
お節には、それぞれの家の独特の一品があると思うんです。同じように見えてもどこかよその家と違う何かがあると思います。市販のお節ではそれが味わえません。母の作ってくれるお節が最高です。
義妹が嫁いだ家では、冬になるとかぶらを干して、年が明けるとそれで味噌汁を作らないといけない日があるそうです。
また、月見のだんごがオニギリなのもおもしろいところです。
面白いですね、初めて聞きました。干すのも大根ではなくかぶらなんですね。新年の干しかぶらのお味噌汁、どこの地方の行事なのでしょうか?もしよかったらぜひ教えて下さい。お月見のお団子がおにぎり、これはご飯大好きの私にはいい習慣です。今年はおにぎりにしてみようかな^^。
〈ハザマ〉
毎年11月頃になるとお婆ちゃんがおはぎを作ってくれます。
おはぎ好きなので何個も食べちゃいます。
親戚のおばちゃんはおはぎの食べすぎでまんじゅうが大嫌いになったって言ってました。あんこが嫌いになったのかな?
いいですね。おばあちゃんの手作りというのが貴重ですね。
親戚のおばちゃんは、おはぎがおいしすぎて、まんじゅうなんか目じゃなくなった、ということではないでしょうか。おはぎは餅米とあんこの取り合わせが絶妙ですからね。