いわしの回答(転記)
自分自身の宝ですが苦労して取った国家資格の合格証書。
そして苦労をともにしたテキストや辞書です。
いまだに何か質問をされたとき、まっさきに開くのが受験時代に使ったテキストです。
私もちょっとした資格を持っていますが、合格した時に言われたのが、これから一生、少なくとも今のレベルから後退するな、来年受験して落ちるようなレベルならそれは資格とは言わない、という言葉でした。
苦労を共にしたテキストやノートは、まさに宝物ですね。常に基本に返って学び直す姿勢がなければ、有資格者とは言えません。
御先祖さまから譲り受けた体の一部かなぁ。
まずは、胃下垂… 体重が増えても上半身が痩せているため、多少ごまかせる。
臭いに敏感な鼻… 何か焦げ臭いと思っていたら、お風呂を空焚きしていました。危ない、危ない。それと、よく犬のオナラもキャッチいたします(笑)
それと、これは私だけなのですが、
子供声… 大人なのに子供みたいな声のおかげで、キャッチセールスの電話は私宛でも「おねーさんいる?」やら「おかーさんいる?」と言われて、「えっとね。いないよ」の一言で済みます。
顔も母とすごくよく似ています。若い頃の母の写真を見ると、髪型が違うだけに見えてびっくりすることがあります。
以前、父と母がけんかをしていた時、私が母の味方をしら、父はしゅんとした顔をして、同じ顔が二つ並んで同じことを言われたら勝ち目がないよ、と言っていました(笑)。
人によっては、ゴミとしか思えませんが。
チケットを見ると、その日の想い出が蘇るんですよね。
半券は、個人的には想い出が詰まった宝物だと思います。
産まれてはじめて履いた靴が、大事に大事にとってあります。
大事にとっておいてくれた、両親の想いも、自分の感謝の気持ちも含め、我が家の大事な宝ものです。
一人暮らしでたいしたものは持っていませんが、このPCだけは絶対に手放せない…。HDDにはデータ化した漫画や音楽ファイルが山ほど入っています。
火事にでもなったら、絶対PCだけは持って出るでしょうね。
自然と触れ合い、命をいつくしむ喜び。それが出来る場所があって、来てくれる野鳥がいる幸せ。それら全てが何物にも代えがたい宝ですね。
少し険悪になっていたときでもそれで家族がなごみます。
ある意味野鳥がかすがいです(笑)
小鳥って、愛がそのまま実体化したみたいな可愛さですものね。愛らしい小鳥を見ながらケンカするのは、笑いながら怒るより難しいかもしれません(笑)
父はたくさんの本を遺してくれました。多くは安い文庫本ですが、それだけに古典や名作と呼ばれる本が多く、人生の中で一度は触れておくべき作品が広く網羅されています。
そんな古い本の中に、一冊の諺・格言集があります。父は本を大切にする人でしたから、ほとんど本の中に書き込みをするということはなかったのですが、この本にはたくさんの書き込みが遺されています。古い言葉の数々から何を学んできたかということが克明に記されています。
ノートは、父の学生時代の物です。特に後世に遺そうとした物ではなく、単に自分の記念だからと持ち続けてきた物だったのでしょうが、若き日の父の思索の道筋が様々に綴られています。
父の遺してくれた本やノートには、父の青春が詰まっています。真面目に、一本気に、誠実に生きようとしてきた足跡が、まるで昔の青春ドラマを見るような「熱さ」が伝わってきます。
父の青春満載の本とノート。これが私の、子孫に伝えていきたい宝物です。
というのが素晴らしいですね。私は父の若い頃を知る人と一杯やる機会があり、父が今の私と同じくらいだった頃の話を聞いたことがあります。息子にとっての父は完成された人間で、非の打ち所のない大人というイメージですが、父も色々なことに悩み、それを乗り越えてここまできたのだとわかり、けして完璧な人間ではなかったのだということに、かえって感動したことがあります。
母は料理がとても上手で、お菓子でも和食でも、豪華なパーティ料理でも、何でもすぐに作ってしまいます。そしてそれがとてもおいしいんです。母が宝。人間家宝です。
母の味は、家以外のどこでも食べられません。少しずつ教えてもらって、その味が受け継げるようにがんばっています。魚の煮付けと肉じゃががおいしく作れたら主婦として一人前よと言われて、今はそういう家庭料理の修行中です。
でも母の作るミルフィーユが最高なので、早くお菓子作りに進みたいと思っています♪
親戚が終戦直後に持ってきた物だそうです。原爆を浴びた小石です。その人は広島の出ではありませんが、当時公務員か何かをやっていたらしく、仕事で広島に行った時に広島の悲惨さを目の当たりにして、それを後世に伝えようと小石を持ち帰って親しい人に配ったのだそうです。
今は終戦を知らない政治家が戦後体制の脱却などと勇ましく演説するのがうける時代ですが、この小石は戦争で死んでいった人達の叫びを聞いています。二度と政府の過ちで人が死なないようにと叫んでいると思います。
被爆地から小石を拾ってきた人の思いと共に、未来に伝えていかなければならない物だと思います。地球から全ての戦争が無くなった時に、この小石は宝物になります。
終戦直後でしたら、戦争の悲惨さも生々しく、本当ならもう忘れてしまいたいと思うかも知れないのに、その方は後世に伝えようと思われたんですね。素晴らしいです。
私も広島の原爆資料館には何度か行ったことがありますが、その資料と写真や展示物はまるで今そこで起こったことであるかのように隠さず壮絶さを伝えてくれて、一番戦争を実感できる場所でした。小学生の時に漫画「はだしのゲン」も全巻読みましたが、これももっとも身近に戦争を知ったものでした。広島の人でも、原爆のことは悲痛すぎて絶対に語りたくない、という人がわりと多かったらしいのですが、知らなければテレビで見た湾岸戦争と同じで、戦争も実感なくただの傍観者になってしまいます。
その小石、これからも次の代へと大切に保管され、語り継がれていって欲しいと願います。
〈ハザマ〉
無病息災とまではいきませんが、
健康な身体が最大の宝だと思っています。
外科手術が必要な病気で入院の経験がありますが、職場復帰まで1ヶ月。
その間は収入もありませんし、自分の身体を自由に動かすこともままなりません。
我が家の宝・・・といえるのかどうかはわかりませんが。
災害などで失ってしまって悲しいものの一つに「家族写真」という人がいますよね。
例えば食器や衣類や家電、家具などはなんとか新しいものを買うことは可能でしょうけど、
失ってしまった写真などは、残念ながらもう一度買うことができません。
古い写真などをスキャナなどで取り込んでおいてデジタルデータにしておけば再生可能かもしれませんが、何千枚もある写真のバックアップはなかなか大変です。
選べなくて新規ツリーにしてしまいました。
今日、入院していた我が家の文鳥が帰って来ました。無事に帰ってくれたことが、本当に嬉しくて仕方ありません。すべてに感謝したい気持ち(涙)。
狭い賃貸ですけれど、ペットも含めて家族全員が健康で、例え喧嘩する時があっても、この家の中でだけは、最終的に全員が全員の味方で、幸せに守られていると感じられること。それが一番の宝物です。
ちょっと田舎の我が家は車がなければ、生活に支障が出ます。
あと自分の部屋のない私は頭にくると、車に乗って外で頭を冷やしたりします。
私にとって車は単なる乗り物じゃなくて、マイルームのかわりでもあります。
私もそうでした。今は専用ではありませんが。
弟と親には話せない相談をしたりするのも、車にのってぶらっとドライブしながら話したり・・。
ただの道具ではないんですよね。
例えば寒がりの私に姉が贈ってくれたあったかシャツ。(今着てます。)
夜良く眠れるように私に母が贈ってくれた。電気マット。
親戚(義姉)が贈ってくれたふわふわのマフラー。
手紙の中に入れてくれてた紅茶のパック。
ちょっとしたものでも使うたびに、相手の優しい顔が浮かんで、その気持ちが あったかくって心の中まで灯がともります。
ありがたいなと思います。
そういうものが待っててくれる「イエ」に帰ると、包まれたようになります。イエと、モノ全体が「お帰り*^-^*」
っていってくれてる気がして、ほっとします。
贈り物にこめられた心がいつも自分を包んでくれる。何よりうれしいことですね。
ひとりぼっちで寂しくなった時も、自分は一人じゃないんだ、いつもみんなと一緒なんだって教えてくれる物があるというのは、本当に幸せです。
私は父が贈ってくれたシステム手帳をいつも持ち歩いています。仕事が辛くなった時でも手帳を取り出すと父の励ましを感じて元気が出ます。
砲丸投げの砲丸くらいの大きさの丸い石が父の秘蔵の宝物です。父の説明では石の中から生まれてきた石で、岩の中で少しずつ育った物ということです。そういう言い伝えがあるのだそうです。
そんなことはないだろうと言っても、父はかたくそれを信じているようです。代々伝わっている石らしいので、私も将来はそう言い張って、子々孫々に伝えていこうと思っています。
「私も将来はそう言い張って子々孫々に」というのがいいですね。
百年言い張り続ければ国宝になるかもしれないですね。
代々伝わっている物というだけで貴重です。いつまでも大切にしてください。
出産の時に妊婦さんが手につけるブレスレッド。
そこには母親の氏名と「第一子」「第二子」と書かかれています。
病院を出るまで赤ちゃんのそのブレスレッドは外されません。
それが我が家の宝物。
普通なら1週間位で病院を出て、母子ともに家に帰れるのですが、我が家の双子のベビーズは、ひと月もいました。
新生児の時に被っていた帽子、そこに着いた柔らかい産毛。
これも大切に箱に入れてしまっています。
子供も年頃になり、結構憎らしいことを言ってくれたりします。
いくら頭ではそういう年頃と解っていても、本気で頭にくることもしょっちゅう。
そんなときに、こっそり子供が3歳くらいの写真をみて心を慰めています(笑)
うちの親もしますよー。よく言い合いになったときに
私が小さい頃の写真を引っ張り出してきては「あぁ。この頃の○○(私の名前)は本当に素直で可愛かったのに…」と言います。なので、「あなたの子供だからこんなになってしまいました」と言い返してまたケンカの始まりです。
葉書が5円だったあの頃、若き母は母子家庭なりにも一生懸命家計費をやりくりしてたんだなあ、っと今でもしみじみと思い返しております。
その家計簿を見ると、きっと当時の物価から家の様子まで、なんでもわかるんでしょうね。そして一生懸命家を守ってきたお母様のご苦労が…。尊い家の宝ですね。私までしみじみしてしまいました。
最近はそれでも再販されることも多くなってきましたが、
やはり絶版本は手放せないです…。
絶版本で本当に読者が少なくて再版が見込めないものなど、好きな本だと絶対に手放せないですね!それから大大大好きな本の初版本、特に詩集や美術系のものは装丁も内容のうちっていうものが多いですから、これはたとえ再版になっても宝物です!
〈ハザマ〉
タレントのサイン会にならんでもらったサインです。その本はいまでも大切に袋に入れて保管しています。
私の本の宝物の中でも一番の宝物は大尊敬する先生のサイン本。文学者の種村季弘さんのです!自分で通信して会いに行って、何冊かだけサインを入れてもらい、さらに、先生の本で勉強した抜書きノート全部にサインを入れてもらいました。勝手に読ませて頂いて勉強していたのに、何だか「よくできました」ってサインしてもらったような気がして心が躍り上がったのを今でも覚えています。その後、折々に送って下さった葉書も大大大宝物です。残念ながら数年前に亡くなってしまい残念で仕方がありませんが、先生の本たちがいつも見守ってくれている気がします。
?ハザマ?
子供の頃、親に、うちには何かお宝ないの?と聞いたことがあります。そうしたら母は嬉しそうに微笑みながら、小さな、でも立派な桐の箱を見せてくれました。中には白い綿の上に乗った、干からびた変な物が入っていました。
何これと聞くと、これはへその緒といって、あなたは生まれる前にお母さんとこれでつながっていたのよと教えてくれました。
当時はよくわかりませんでしたが、今になってそれがどんなに大切な記念なのかがよくわかります。
大人になると親子という関係が大人同士に変わってしまい、だんだん「子」という立場を忘れがちになりますが、風呂に入ってへそを見ると、うれしそうにこれが宝物とへその緒を見せてくれた母を思い出します。
大事に桐の箱に入っているのに私のはありません。
どうやら母がベッドに落ちてるへその緒をゴミだと思って捨てたみたいです(泣)
私のへその緒がないので、この家の子じゃないんだと小さい時は何度も思いました。
優しくて素敵なおうちの子だったらなぁ…。って夢みた時期もありましたが、
どうあがいてもあの両親から産まれたのに間違いないようです。
夫婦間で面と向かっては言いにくいこと(「サッキノ一言、チョット意地悪ダッタゾ」「今日ハ愚痴聞イテホシイカラ、早ク帰ッテホシイノダ」「最近、ガンバッテルナ。体、気ヲツケロヨ」等)を、ペアのぬいぐるみ(♂♀)にそれぞれ代弁してもらっています。
ぬいぐるみの発言=カタカナ言葉の携帯メール、がルールです。どうしてこうなったのか経緯は定かではありませんが、彼ら(♂♀)は、我が家にとって、なくてはならない宝物です(いい年して恥ずかしいのですが…)。
昔やってたTV番組で見たい番組がたくさんあるんですけど、売ってないし、見る事が出来ないので、せめて現在やってるTV番組で何年経っても楽しめる番組はDVDにして保管してますね。
『○○君入選おめでとう!!3年、4年の頃は、実にユニークな人物を描く○○君が、こんなに上手に描けるようになり、うれしくてなりませんでした。○○先生にそっくりさんですね。記念に残したいので○○君の絵をはさんでパチリ。どうか○○君も記念にとってて下さい。では、来年はいよいよ6年生。いつまでもクラスの人気者で、みんなの笑いの中心でいて下さい。先生は○○君のようなゆかいな子が大好きです。今はとてもさみしいです。○○君へ ○○』
滅多に褒められた事がなかったので、この手紙はとても嬉しかったです。
今でも”フエルアルバム”にはさんで大事にしています。
教師で好きな人なんかいなかったですが、この先生だけは好きでした。