いわしの回答(転記)
眠くなるまでチョコチョコッと編み物をしたりしてます。
毎日少しずつ編み進んで、何が出来るのでしょう。毎日ちょっとずつっていうのがワクワクしますね。明日が楽しみになる一日の終わり方っていうのが素敵だなーと思います。
ところで、趣味にも色々ありますけど、何かを作るっていうのは、作っている間が面白いし、作りながら腕が上がっていくのも楽しいし、そして出来上がった物を大切に使う楽しみがずっと続くし・・・・。その場で終わってしまう楽しみじゃないっていうところがいいですよね。私も、物を作るのは大好きなので、いつか編み物もやってみたいと思ってます。あれはバイキングの男の欠かせない仕事だったらしいですし(^-^)
今ね、流行ってますよね。男の人の料理や、スイーツや、編み物や工芸。
これは編みぐるみです
http://www5a.biglobe.ne.jp/~mite/gurumineko/4/amizu3.html
男の人のあみぐるみブログなんかもあるんですよね。
私実はここ2,3年前まで編み物やったことなかったし、嫌いだったんです。でもやってみると、楽しいんですよ?。
時間があっという間にたつし、単調なのに作品ができて、たいていプレゼントなので相手の顔を浮かべながら作ってると出来上がるのがザンネンでもっと作っていた息になります。
道具が要らない手編みというのもあって、これはもう、綾取りくらい簡単なんです。
作る楽しみって、ほんとに有難いでございます。
一日の反省ももちろんですが、良かったことを思い出してニヤニヤも、感謝の心の現れですよね。日々を反省と感謝で積み重ねていったら、充実した人生になるなと思います。
岡田君の妄想も、日頃の行いがいいと、かなうかも!! ですねw
キリスト教でないのに聖書を読んで寝ている子がいます。
読むと心が落ち着くそうです。こうやって今日も無事に何事もなく終ったと思っている間でも他の国では食料不足により餓死している子供達がいると思うと、本当早く世界が平和になってもらいたいと思います。
時間に余裕がある時を見つけては、手帳を取り出して、詩や短歌を書いています。欲張らず、書くのは一日一つだけ。たくさん書きたい時もありますが、じっとこらえて、その分の力は今日の一作の自己添削や推敲に使います。
そして寝る前に、その日の作品をノートにお清書。もう何冊も、そういうノートがたまっています。いつかしっかりした表紙を付けて、世界に一冊だけの本にまとめてみたいと思っています。
脳トレの代わりにっていうぐらいなんですけど、どこか出掛けたり、ふと思いついたときに
考えてみます。
http://www.nhk.or.jp/tanka/index2.html
心象風景を日常の言葉で気軽に短歌を綴ってみる。PCからでも携帯からでもすぐ投稿できる。とても面白い番組です。毎週土曜、21時台に放送されています。
恥ずかしくて、誰にも言ったことはないのですが、
布団に入ってから一日無事に過ごせたことを感謝しています。
何かあった日でも、これくらいで済んでよかった。
と感謝するようにしています。
私はご飯のたびに、「食べられることにありがとう」と思います。
魚を獲りに言って無いのに魚を食べれて、田植えの苦労もしていないのにお米が食べれて。
飢えている人もいるのに、ごはんが食べられて、
それに、地面で寝ている方もいるのに屋根のある下で寝れて、爆弾の心配もけものの心配も要らなくて、こんなに有難いこと無いと思います。
「何かあった日でも、これぐらいでよかった」って素敵ですね。この言葉ははっとしました。
世界では、ただ物が食べられないという理由だけで人が死ぬ国があり、いつも爆弾に怯えて暮らす国があり、故郷を捨てて遠い難民キャンプに避難して冬を過ごす人達がいます。フィリピンも今、泥流被害の爪痕で大変みたいです。
いつも、そういう人達に思いを馳せつつ、自分の恵まれまくっている環境に感謝しつつ、それをどうやったら世界に広げていけるのかを考えていければなあと思います。
> 「何かあった日でも、これぐらいでよかった」
これ、うちの親父も、いつも言っていました。散々な目に遭ってケガをしたり落ち込んだり泣いていたりする私に、その程度で済んだ幸運を喜ぼうって、言葉をかけてくれました。
ふざけた回答で誠に申し訳ございません…
(´‐`;)
世界は殺戮と憎悪に満ちています。今日も世界のあちこちで、戦争という名の、あるいはテロという名の殺戮が繰り返されています。
それを知りながら何も出来ない。自分の国だけは平和だからそれでいいやと片付けてしまうのは、ゴロツキに絡まれている人を見てみぬフリをしながら通り過ぎてしまうのと同じ、やりきれなさが残ります。
だから、自分に何が出来るのかを「妄想」します。ベッドに横になり、目を閉じて、もしあの時こうしていたら世界を変えられたんじゃないかと、過去に遡って空想するんです。
たとえばイラク戦争開戦の日。在日米空軍司令部の筋向かい。あそこには子供の像の建つ公園があります。そこに私は、千羽鶴を持っていきます。そして広島の平和公園にするように、子供の像の前に千羽鶴を置きます。
それを知った誰かが、同じように鶴を折って持ってきます。どんどん輪が広がって、鶴がたまって、狭い公園が、子供を戦火から守れの祈りで満たされます。やがて、世界がこれに呼応します。世界の世論が戦争を包囲します。
当時国連はイラク戦争を回避するために、全力で動いていました。国連本部も、ユニセフも難民高等弁務官事務所も、高官がこぞって開戦阻止の発言を繰り返していました。EUも開戦不同意の諸国が多数を占めました。
あの時もし公園が鶴に満たされたら。日本の国民がキッパリと戦争回避のための祈りを明らかにしたら。その世論が開戦阻止の国際世論をどれだけ後押ししたか・・・・。そんなことを妄想します。
それを祈りに代えて、世界の全ての人々が、その意に反して殺されないで済む世界の実現を願って眠ります。今日もなお難民キャンプで眠る人々の苦労に思いを馳せながら。
これは日課というより、習慣です。
祈る事ぐらいしか出来ねーな
毎日少しずつですが、やっています。本当に少しだけになってしまう日も多いですが、継続は力という言葉もありますから、それを信じて。
え?どのくらいしゃべれるかって?やーだー。しゃべれないから練習しているんじゃないですかぁ(笑)。
一日一回だけ ログインすると ポイントが 加算されるサイトとかあります。
そのようなサイトを巡回したりします。
これは、毎日 コツコツとやって貯めるものなのでも、あせらずじっくり毎日やってます。
日課ですね。
翌日の天気や最高/最低気温を新聞かネット、あるいはテレビで見ます。微妙に起床時間や服装に影響するので(雨だとバスが混雑するので、いつもより10分早く出ようとか、折りたたみの傘を用意するとか)。
仕事柄、屋外を歩くことが多いので、天気予報は気にします。
雨の日にはこうもりを、それ以外の日には折りたたみ傘を持参、
(雨天の日はこうもり+折りたたみだと荷物が重たくなるので、
折りたたみを置いていきます。)
寒くなりそうな時には一枚下着を余計に着込むとか、
ネックウォーマーを持参するとか。
これからは雪で足元が危なくなるので、
ブーツのことや、靴に取り付けられるスパイクなどの
装備も必要かもしれません。
漢字のクロスワードパズルをしています。1日に1問解きたいのですが、難しい場合は何日かに分けて。頭の体操にもなるのと、プレゼントに応募する楽しみにもなります(^^
*一時期はハクキンカイロかペットボトル湯たんぽの用意というのもあったりしました
*ベッドにいざ入ると明日やることとか思い出されます
でも、おそらく睡眠というのは、時間では計れないのです。本来、睡眠の質(深さと言っても良い)で計るものなのです。
でも、質を計る客観的手段なんてある訳ないです。
だから、自分がよく眠れた、と思ったら、それで良いのです。
例えば、僕が今になってこんなに元気なのは、さっきホンの十分くらいお昼寝したからです。目覚め爽快!でした。
なので、これからお外に行こうと思います。
(本屋で注文したい本がある。)