イエ・ルポ 2 #028



みなさまこんにちは、ハザマです。月曜日から進んでいる“イエコトミシュラン”#028の「〈○○週間〉呼びかけコンテスト」、素晴らしいメッセージがたくさん集まっていますね! なかには〈イエはてな〉で定着させて“イエ・ルポ”スペシャルまで実施しよう!といった、意欲的に現実化していくご提案も頂いていて、これは面白い展開になりそうではありませんか〜?! “エコ・ルポ”の時のように、メッセージをアクションにつなげていく、そしてまた体験をルポして語り伝えていく、そんな有機的な活動をぜひ展開していければ素敵です。またここから新たな〈イエはてな〉プロジェクトが生まれそうですね!


さて、今日は“イエ・ルポ 2”#028のいわしのスタートです。今回は久し振りにハートストーリー・テーマ、id:tibitoraさんにご考案頂いた「真剣に怒ったこと・怒られた思い出」がお題です。下のテーマ・メッセージにもあるように、これはたしかに少し書きにくい質問かもしれません。苦い思い出も多いかも。でも親子で、兄弟で、友達や先生でも、真剣に怒ってくれる人がいることは、実はこの上なく幸せなこと。怒った、怒られた、あなたは今、どんなことを思い出しますか? 振り返れば、苦い言葉が愛情の証しとして胸にあたたかく蘇るのではないでしょうか。ぜひみなさまが大切に胸に抱いているある日のものがたりを聞かせて下さい。


»イエ・ルポ 2のプレゼントはコチラから

イエ・ルポ2 ピックアップタイトル

相手のことを思って真剣に怒ったこと・怒られたこと
家族や友人との間で、真剣に怒ったことや怒られたことはあるでしょうか?
怒るほうも相手に嫌われないかと怖いと思います、怒られたほうも怒り返すかもしれません。でも相手のことを心配して怒ったことや、また心配されて怒られたことはあるでしょうか? 答えにくいかもしれない質問ですが、よろしければお聞きしてみたいです
by id:tibitora

相手のことを思って真剣に怒ったこと・怒られたこと

#028 お題
相手のことを思って真剣に怒ったこと・怒られたこと」を教えて下さい


“ルポ・タイトル”
「親愛なるA兄貴にもらった一生の言葉」by ハザマ


ルポルタージュ
唐突ですが、私にはある意味、いつ会っても親より恐い人がいます。かれこれ15年近く、私を妹のように思ってくれている年長のご夫妻のA兄。奥さんであるK姉は、若輩が恐縮ながら親友と思ってはばからない気の置けない仲なのですが、A兄はまた別の特別な存在です。私を厳しい目で見守ってくれている恐い兄貴(笑)。今どきめずらしく「その考えは僕は嫌いだ」「君の考えは間違っている、なぜなら…」と、歯に絹きせないでずばりとものを言うこと気持ちよい程の人なのですが…。


知り合って5年くらい経った頃でしょうか、ご夫妻のイエで食事の後にお茶をいただきながら話している時でした。私がその頃の仕事の近況などを話していると、A兄の口調が急に強くなりました。「その、ホントウはっていう言葉はよくないな」。私の「本当はこうしたいんだけど」という話に対して言われたことでした。その頃よく私が口にしていた言葉でした。「ホントウは、っていうのはないのと同じ、ウソと同じで、人間は実際にやっていることと見た目がすべてなんだよ。思っていてもしていない言い訳じゃないか。こう思うからやっている、こう作りたいから作った、この洋服が好きだから着ている、何にしても言い訳なしにちゃんとやっていかないと自分の輪郭がぼやけてウソになるんだ」。私はこう言われて、目がさめるような思いでした。それまで、誰からも言われたことのない言葉でした。聞いていたK姉が「そうしていこうと思っているだけでもエライじゃないの、ねぇ」と言ってくれても、「思っていることは今やらないとダメだ。今やらないといつまでもやらないよ」と。「それに人はね、ホントウはこうしたいんだろうなぁなんて思って見てくれやしないよ。たとえば君、白い服を着て、ワタシはホントウは青い服が好きなんですって言って歩くの?」。


いつも対等に真剣に話をしてくれるA兄ですが、この時怒られ諭された話は、以来かたときも忘れることがない程に心に刻まれています。「人間は実際にやっていることと見た目がすべて」。言い訳をしない生き方をすること、自分の輪郭を大切にすること。まだ若かった私のこれからを真剣に思って強く言ってくれたんだと思います。この言葉がどれだけ私の人生に生きているかは心もとなくて、A兄に会って「最近どうなの?」と聞かれるたびにまだ怒られそうで恐い?!のですが、それだけ一生の感謝を持ちつづけると思います。親愛なるA兄貴、これからも厳しい目でお見守りをお願いしますm(_ _)m。


»投稿または「いわし」の閲覧はコチラから


※今回の「いわし」ご投稿は1月29日(木)正午で終了とさせて頂きます。
※今回のピックアップ賞は1月30日(金)に「イエはてな」にて発表いたします。
※〈イエはてな〉では、いわしへ投稿されたコメントと画像をダイアリーに転記しています。できましたら「投稿画像のwidth属性」を450px以内に指定していただけますようご協力をお願いいたします。


「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」


「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」
テーマ「リブ・ラブ〈ウィンタータウン&ルーム〉スナップ」から、今日の一枚をご紹介!
id:danburiteさん、ご投稿ありがとうございました。




「イルミネーションのアーチ」
色とりどりのあかりで飾られたアーチです。ここをくぐろうとする人がたくさんいて行列ができていました(私もそのうちの一人です)。写真に写っているのはほんの一部で、ほかにも素敵なイルミネーションがたくさんありましたが、このイベントはボランティアの方が手作りで運営されているそうです。訪れるたびにあたたかい気持ちになれる、地元の冬の風物詩です。



スナップコメント

わぁ〜! まるで夜空に宝石をちりばめたようなきらめく光の粒。
こんな光のアーチの下をくぐることが出来るのですね!
ちょっとこの世ならぬ幻想的な時空を歩いている気分ではないでしょうか…。
ボランティアの人たちの、マチの人々のハッピーを願うハートが浮かんで見えますw
−ハザマ−


»“リブ・ラブ・スナップ”今回のテーマはコチラから
募集期間中にご投稿頂いた方にもれなくはてなポイント300ptプレゼントいたします。
また、スナップ賞にはアマゾンギフト券3,000円分をプレゼントいたします。

いわしの回答(転記)

踏み外しそうになった道を引き戻してくれた友人の熱い思い TomCat2pt

母を亡くし、父もその後を追うように早世してしまったあと。施主として怒濤の葬式を終え、誰も居なくなると、恐ろしい静寂がやってきました。一人になりたくて一人でいるのとは全く違う孤独。それは耐え難いものでした。

夜、そんな静寂に耐えられず、人の姿を求めて雑踏に紛れました。そして夜遊びをおぼえました。まだ四十九日も終えていないというのに、親を無くした息子が夜な夜な遊び歩いている姿は、自分でも極めて不道徳に見えました。しかし、そんなことも慣れてしまうと、無視できる話になっていました。

それでも、他人というのは案外よく見ているものなんですね。どうもあそこのバカ息子は葬式の後、夜な夜な遊び歩いているという噂が立っていたようです。友人が心配して家に訪ねてきてくれたようで、ドアに、留守だったから帰る、また来るとメモが挟まっていたりしました。

そんなことが数回あった後、夜の繁華街で、後ろから声をかけられました。振り返ると、何度か家に訪ねに来てくれた友人でした。少し付き合えと言われたので、それじゃどこかの店に入るかというと、いや、お前と遊びたくてここに来たんじゃないという答え。

そうか、何度も訪ねてきてくれたのに電話もせずに悪かったなと返答すると、「そんなことで怒っているんじゃない」と怒鳴られました。

「お前は葬式の時に何と挨拶をした、夜遊び一つしたことがなかった真面目なお父さんの足跡を自分もたどっていくって言ったじゃないか。こんなのお前らしくない。だいいちこうして遊ぶ金はどこから手に入れてるんだ。親の遺産が入ったか、保険金が下りたか、それとも香典が余ったか、ええ?」

「あ、いや、スロットでちょっと大勝ちしてさ」

「何だと、この上バクチもか、そのうち身を持ち崩すぞ、この死に別れてからも親を泣かす大バカ野郎が」

友人は雑踏のど真ん中で思い切り怒鳴ると、そのまま去っていきました。公衆の面前で罵倒され、見知らぬ人の視線が刺さるように痛く、私は路地を抜けて小さな公園に行きました。ブランコに座り空を見上げると、涙が溢れてきました。子供の頃、背中を押してブランコを揺すってくれた、優しい父の手の温もりが思い出されてたまりませんでした。

ああ、そうか。こんなふうに泣きたくなかったから、俺は毎晩自分を誤魔化していたんだと、その時やっと気が付きました。誰もいない静かな公園だったので、思いきり泣きました。

そういえば、公園で泣いていたら迎えに来てくれたことがあったな、お父さん。振り返ると、優しく微笑みながら手をさしのべてくれている父の姿が見えるような気がしました。私は父に導かれるように立ち上がり、家に帰るべく駅への道を急ぎました。すると人気もまばらな駅前に、さっき思いきり私を罵倒してくれた友の姿があるではありませんか。

「よう」

「な、なんで、まだ帰らなかったのか」

「傷心のお前を置いて帰れるか、家まで送るよ」

「そんな、いいよ」

「バカヤロウ、もう終電ねえぞ、タクシーおごるよ、俺は今夜、お前に一円も使わせたくないんだ」

ありがとうと素直に頭を下げると、よし、お前はもう昨日で夜遊びから足を洗っていた、今夜のお前はいつものお前のままだった、俺は嬉しいと、バンバンと肩を叩いてくれました。友情の重みがずっしりと肩に乗ってくるのを感じました。でも、それは嫌な重荷ではありませんでした。人は一人じゃないから、自分をしっかり保つ責任がある。真面目に生きようと思っているうちは、人はけっして孤独ではない。そのことを教えてくれた友でした。

大切な友人 sayonarasankaku1pt

なにかあったときに叱ってくれる友人が、

私にもいるだろうかとしばらく考えました。

ご両親を早くに亡くされたのは、とても残念ですが、

その代わりに、友人の大切さに気付かれたのではないでしょうか。

優しく話をされても、きっとわからなかったかもしれませんね。

背中を叩かれるように怒られて、目の覚める思いだったのではないでしょうか。

本当に良いご友人をお持ちでしたね。

危ない遊びをしたとき tibitora9pt

子供の頃に怪我をしそうな遊びをしているときなどに親に怒られました。

板を使ってちょっと高いところに橋を作って渡った時とか・・・板が割れて落ちました・・・たいした怪我は無かったのですが痛かったです。

割れたのが足とかに刺さると一大事でした・・・。

あれこれ駄目と言うのもいけないことだと思いますが、大人からみて危険だと思ったことは止めたほうがいいと今ならわかります。

甥っ子も結構カッターとかの持ち方が怖かったりするので「こう持つと使いやすいよ」とか、「刃を出しすぎると折れて手とかに刺さると痛い」と言うようにしています。

危ない遊びをしたとき kinnoji78pt

特に火遊びをした日には親に怒鳴られてましたね。火遊びがどれだけ危険なのか真剣に教えてくれました。

ケツバット。 nakki134215pt

今だったら体罰で問題になりそうな事を

する男性の先生が私のクラスの担任でした。

その先生は、楽しいし、好きなだったのですが

ちょっと怖いところがありました

複数回、課題を忘れると

ケツバットをした先生だったんです

もちろん、自分が悪いのは分かってるのだけど

ケツバットですから・・

痛くて・・怖かったんですよね

対策としていつもスカートの下からブルマを着けておく

それをしないといけないと思うくらいに・・

その先生は、ケツバットのときは怖い先生だったけれど

授業も楽しくしてくれたし

振り返るといい先生だったなと思える人なんですよね

ドンドンやるべし! to-ching15pt

糞餓鬼が多すぎます!ここは死なない程度にやり、やってもらいましょう!

エッチな本が見つかったその夜… momokuri31pt

思春期の男子は皆、多かれ少なかれエッチな本に興味津々でしょう。私もそうでした。何冊かベッドの下に隠して持っていました。しかしそれは母に見つかってしまいました。母は困惑したようで、私を呼ぶと、どうしたらいいのか分からないからお父さんに相談すると言われてしまいました。

不安な気持ちで父の帰りを待ちました。帰宅した父はしばらく母と話をしていましたが、案の定、ここに来て座りなさいと呼ばれてしまいました。父は、男と男の話をするからと母に席を外してもらうと、テーブルの上に没収された本を並べました。グラビアアイドル系の写真集を手に取って、こういう写真を見たい気持ちはわかる、と言ってくれました。理解のある父親だとほっとしたのも束の間。父は別の本を手にとって、だが!と語気を荒立てました。

こういう本はいかん。エッチだからいかんというのではない。いいか、同じエッチな本でも、そこに写っている女性の尊ばれ方に大きな違いがあると思わんか。片方はまがりなりにもアイドルとして大切にされている。この写真集が次の成功につながるという希望もある。だがこちらはどうだ。金と引き替えに女性としての尊厳を売り渡しているだけに見えないか。人間の尊さを金の力で踏みにじって撮影しているように見えないか。そういうのを難しい言葉で性的搾取などという。こういう質の悪い本を欲しがる人間は、間接的に人の尊厳を傷つけていることを知るべきだと、こんこんと諭されました。エッチなのが悪いのではない、人の尊厳を踏みにじって金儲けしようとする業者に加担することが恥ずべきことなのだと、あくまで理性的にでしたが、みっちりと怒られました。

最後に、いいか、もう一度言う、お前にエッチな子になってほしくないとは全く思わない、男の子はエッチでよい、しかし人間の尊さが軽んじられることに慣れてしまうような汚れ方はしてほしくないんだ、この意味が分かるかと言われて、迷いながらうんとうなずくと、難しい話だから半分わかってくれればそれでいいよと言ってくれました。話が話だけに穴があったら入りたいくらいに恥ずかしく、針のむしろのような時間ではありましたが、父と男と男の話ができたことが、ちょっと誇らしい夜でもありました。

故郷を馬鹿にするような発言 powdersnow6pt

田舎は嫌だとか、つまらないとか、普段からそんなことを口にしている人でも、自分が口にするのは良くても、経験上、人に言われるとムっとする人は結構いるように思います。

本人がアレがダメ、コレがダメと言っても、他人がそれに乗ってしまうと、なかなか微妙な空気が発生したりしますよね。

なので、本人が言うのはともかく、他人が人の故郷を中傷的に口にするときは、注意をすることが多いです。

全員がそうではないかとは思いますが、結構、心の中では、故郷を大切に思っている人が多いのは、嬉しいことです。

差別 eiyan6pt

都会と田舎の差別はありますね。

都会っ子は頭が良くてお金持ち。

田舎っぺは貧乏で頭が悪い。

そんなイメージ。

でもそんな事は気にせずに仲良くしましょうね!

近所のおじさんやおばさんに・・・ fusakogane10pt

子供のころには我が家の近所にとってもきびしいおじさんやおばさんがいました。登下校であんまり騒がしいとしかられ、下級生をかばってあげないとおこられ、柿を盗んで追っかけられ・・・でも真剣におこってくれてお腹の底ではみんな納得していたと思います。最近はいろんな事件や犯罪に間違われないように気軽に声をかけられないようです。それで子供の安全問題で人さまににかかわることがいろいろ難しくなって、そんな一本すじの通ったおとなが少なくなってしまったようです。

近所のおじさんやおばさんに kinnoji710pt

昭和の頃はよくあったんですけどね。ちょっとしたイタズラでも危ないからと怒鳴られたもんです。最近はどうなんでしょうか。他人の子だと怒れないものなのでしょうかね。

万引きをしていた友だちに Fuel1pt

高校生のころ、万引き常習のやつがいました。悪いやつらに見つかって脅されて金を巻き上げられるなどしてもまだやめない、どうしようもない状態でした。友人として意見すべきか、しても効果があるのか、色々考えましたが、見つかって脅された連中に命令されてやっている万引きもあるような噂だったので本人に真相を確かめると、その通りだとのことでした。しかし、半分は不安を打ち消すための強がりだったのでしょうが、その時そいつはこう言ったんです。脅されているって言ったってあんなやつらちょっと物を与えてやればおとなしくなる、やつらは俺の技術がほしいのさと。

万引きが技術だと?と私はカチンと来ました。ゲームじゃないんだ、一つ間違えばリセットの効かない犯罪者なんだぞ、スイッチの切れない現実社会での出来事なんだぞと怒りましたが、なかなか聞く耳を持ってくれません。私は真剣に説得しました。腹に据えかねて怒鳴りもしました。やっとわかったよと言ってもらえたのは、もう空が真っ暗になる頃でした。お腹が空いたので、俺のおごりだからお前は絶対にポケットから手を出すなと言ってコンビニに入っておでんを買って、二人で食べて別れました。

しばらくして、そいつはぼこぼこになって現れました。悪いやつらにもう二度と万引きはしないと宣言して手を切ってきたとのことでした。クラスの男子みんなで相談して、そいつが街に出た時に絡まれないように、いつも数人行動を共にすることにしました。そいつは万引き辞めたら友だちが増えたと喜んでいましたが、みんなで、バカヤロウみんな最初から友だちなんだから増えてねぇと笑いました。いいクラスでした。

ご飯の食べ方 sayonarasankaku1pt

子供の頃、お箸の持ち方が悪かったり、

ご飯を食べる時の行儀や残したりといったことで、

よく怒られたものです。

大きくなってから、うるさく言われたことに有難みを感じています。

箸の持ち方などは、しつこいほどに言われなかったら直らなかったと思います。

食生活の乱れに liferose1pt

両親の食生活の乱れに本気で怒ったことがあります。

自分の親だからこそ、やっぱり体が心配。

歳をとるごとに若い頃と違って消化能力も落ちてくる中、本能のままに食べたいものだけを取り続けている両親を見て、心配でならなかったからです。

栄養のバランスを取りながら食事をしてほしいから。

口うるさいと思われても構わないから。

それでも両親には長生きしてほしい。

うるさいなーといいながらも、本当は「ありがとう」っていつも思ってる。って言ってくれたとき、安心しました

失っていた自信を取り戻させてくれた友 tough2pt

練習中の不注意で、大切な仲間に大きな怪我をさせてしまったことがありました。入院するほどのものではありませんでしたが、直後に控えていた大会には、欠場を余儀なくされてしまいました。

それだけではありません。私自身、相手に怪我をさせてしまったことが恐れになり、格闘技なのに技が出せなくなってしまったのです。まんがの「あしたのジョー」で主人公の矢吹が、ライバル力石の不慮の死の後、パンチが打てなくなってしまったのと同じようなものです。そんな私を一番心配してくれたのは、当の怪我をさせてしまった友でした。

彼は毎日のように怪我をした体で練習に出てきて、私に色々とアドバイスをしてくれました。しかし私は、どうしてもここ一番という時にためらってしまう壁が乗り越えられずにいました。友はついに業を煮やして、私を呼びつけて怒鳴りました。それはこっぴどく怒鳴られました。しかし、いくら怒鳴られても、言葉を尽くして叱ってもらっても、頭ではわかっても、体がすくんでしまってだめなのです。おわかりいただけるでしょうか。目の前で相手の体が鈍い音を立てて変化していく様子。それが対戦中にスローモーションのように蘇ってきてしまう状態を。

しかし友は最後に一言、すばらしい言葉をくれました。

「お前は対戦相手を侮辱している。怪我をさせるのが恐いか。それは相手を二流以下と見下す態度だ。」

この言葉に、目からウロコが落ちる思いがしました。彼は「俺のような一流選手ならたとえ怪我をしてもこの程度だ。」とイタズラっぽく微笑んで、相手を信頼して思いきりいけと、拳をぎゅっと握ってエールを送ってくれました。

重くのしかかっていた何かがフッと軽くなったような気がして練習を再開すると、できるのです。躊躇なく技が繰り出せます。すっかり元に戻れました。見てくれ、俺できるよと彼の方を見ると、彼は私を見て男泣きに泣いてくれていました。

いいお話ですね。 futanbo1pt

なんか、ドラマみたいな素敵なエピソードですね。

お互い辛かったでしょうね。TOUGHさんの方が苦しかったかもしれません。

でも、お友達も苦しんでるあなたにどう言葉をかけたら、立ち直ってくれるか

すごく悩んで考えていたんでしょうね。その思いが伝わって、友達が男泣きして

いたのは、ほっとしたんじゃないでしょうか。自分の怪我のせいで、toughさんが

立ち直れなくなったって、その方も自分を責めていたかも。。。

私も、部活でソフトボールを取り損ねて、かけてたメガネが割れて目の下を

縫ったことがあるのですが(目に入らなくて幸い)、家に帰って寝てたら、その

ボールを投げた子とお母さんが謝罪に来てる声が聞こえて、「○○ちゃんは悪く

ないのに」ってなんか、泣いてしまっていました。怪我をしたのが申し訳なくて。

そのことを思いだしてしまいました。

彼氏の浮気 liferose1pt

彼氏が浮気したとき、本気で怒りました。

でも、それでも許してしまう自分も居ました。

好きって気持ちはやっぱりどういう理屈にも叶わない世界があって、理性は許せないと思っても、どうしても愛し続けてしまうものです。

きっと他の人も経験したことがあるかもしれません。

頭では解っていても、それでも好きというとめられない想い。

思い出の写真をびりびりに引き裂いてくれた親友 CandyPot1pt

私にも彼氏がいたことがあります。向こうから好きと言ってくれて、私達は付き合いはじめました。とても幸せでした。でも、結局ふられてしまいました。向こうから告白されて、向こうから別れようって言われて、私は初めから終わりまで何一つ、自分の言葉で何かをすることができませんでした。私っていったい何だったんだろうと思うと、悲しくて貯まりませんでした。何より悲しかったのは、私と別れてすぐ、彼氏が別の子と付き合いはじめたことでした。あの子と比べられちゃったのかなと思うと自分がみじめで、涙が止まりませんでした。

私はしばらく家に閉じこもったままになりました。友だちが電話をくれてもいないふりをしたりして、すっかり閉じこもってしまいました。そうしたら心配した友だちが家に訪ねてきてくれて…。

部屋に入ってもらってしばらく差し障りのない話をしていましたが、壁のコルクボードに貼ってあった写真を見るなり激怒されてしまいました。友だちはその写真を掴んで、びりびりに破いてしまったのです。それは仲良しの友だちみんなで撮った集合写真でした。別れた彼氏も写っていましたが、ほかにも仲良しの人たちが写っていたし、思い出深い出来事の時の写真だったので、捨てられなくてそのままにしていたんです。

友だちは言いました。こんなのいつまでも持ってるから引きずるんだよ、この写真を破いて怒る友だちは一人もいないよ、それに私たちには思い出もいらない、だって私たちはこれから先もいつだって一緒なんだから…って。

私は感激して、その子に抱きついて泣いてしまいました。あんたばかなんだからと、こつんと頭を叩かれました。その友だちとは今も大親友です。心をむきだしにして接してくれる友だちは、本当にありがたい存在ですね。

おねえちゃんなんだから。 cherry-pie5pt

おねえちゃんなんだから。

これが口癖のように言われていました。

いとこみんなを合わせても私が一番うえ。

だから、面倒をみなければいけない。

それは、わかるんです。

みんなで遊んでいたときについ下の子に手をあげてしまいました。

泣いて戻っていきました。

それをみて、親戚の叔父さん(その子の親じゃないんですけどね)が、

おねえちゃんなんだから、下の子をかわいがらなきゃいけない。と怒りました。

また、おねえちゃんなんだから。

好きでおねえちゃんになったわけじゃない!

なんでみんなは私を叩いても怒られないのに、私だけ怒られるの!と、怒って階段に一人で座っていました。

そのときいった叔父さんの言葉。

「たたくのはよくないけど、同じ力じゃないから、おねえちゃんが叩いた方が痛いんだよ。それにおねえちゃんは空手も習っているからね」と。

まだ小学生だったけど、幼稚園の子と私とじゃ力の差がある。

私は空手を習っていましたし、同じ年齢の子よりちょっと強かったかもしれない。

そんなことも考えず叩かれたから叩き返す、と思うままにやってきた自分が間違っていたことに気づきました。

そのときから相手の痛みを考えるということができるようになり、いい経験だったと今でも思っています。

今でもたまに遊びにいきますが、昔はけんかをしているとよく怒鳴っていた叔父さんも年をとり

ずっと笑顔の素敵な人になっています。

もしかしたら、昔からそうだったのかもしれませんが、いたずらばかりしているので怖い叔父さんという目で見ていたのかも^^;

差別 eiyan4pt

兄弟の差別はありますね。

自分の意思で存在しなくても存在を認められない場合は本人をも否定する。

差別は人を窮屈にしますね。

死にたいといったとき haruyo_koi3pt

学校にいってもいじめられるし、成績よければカンニングだとか騒がれるし(他に満点を取っている子がいなくても、カンニングペーパーがあったんだとか何か言われていました。)

先生にあてられても私には答えられる問題だから、わからなさそうな子ばかりあてていると

えこひいきだといわれ、

とにかく、やることなすこと全てがいじめの対象だった。

学校に行く道もイヤで、人に会わないように路地裏を通っていた。

学校に行っても挨拶運動とかいうけれど、話しかけられたと大騒ぎされるので何も言えず学校からは悪いとの評価がつく。

耐え切れず母に泣きついた。

「死にたい・・・生まれてこなければよかった」

母は

「それでも私は産みたかった。毎日話しかけていい子になりますように、優しい子になりますように。元気な子になりますように。いろんなお願いをして大事に大事に育ててきたの。あなたを産んだのは私のエゴかもしれないけど、生まれてきたときにはすごく感謝したのよ。ありがとうって。あなたはみんなに笑顔を見せてくれて、みんなを幸せな気持ちにさせてくれた天使なの。私のわがままを聞いてくれてありがとう。でも、死にたいというのはどんなときでもいっちゃいけない言葉だよ。みんなのあなたを思う気持ちがあってこそここまで大きくなったのだから、人の気持ちを無にするのは良くない。いろんな人から見守られた分、恩返しをしなければ。将来どんな子になるのかな、どんな花嫁さんになるのかなと楽しみにしているおじいちゃんやおばあちゃんの願いはどうなるの?自分が辛いのはわかるけど、周りの人のことも考えられる優しい子に育てたはずだから、お母さんやお父さん、みんなの気持ちも考えてね。」

といいました。

結果的に、学校でなにかあったらこんなことがあった、こんなことを言われたと今まで誰にもいえなかったことが、家族に打ち明けることが出来

そのたびにみんなでこんな風に考えるといいよ、こうしてみたら?と、アドバイスをしてくれました。

母も学校の先生に相談をしてくれて、そのおかげで卒業する頃には普通に楽しく学校に行くことが出来ました。

母の行動にも感謝していますし、自分は誰かにこんなにも必要とされていたのだと気づくこともできましたし、本当にいい結果になったと思います。

このお母さんの下に生まれてきてよかった。あれから毎日母に感謝しています。

良かった。 canorps2pt

やさしくて立派なお母さんですね。

そして、haruyo_koiさんが、今良い人生を歩んでいることをうれしく思います。

死にたいという思いにとらわれてしまうと、自分だけの力ではどうにもならなかったりします。

ですからお母さんが、あなたを助けてくれたこと。とてもよくわかります。

私は少し前に病気で、稀死年慮から逃れることができず入退院を繰り返しました。

私の場合は病気だったこともありましたが、自分だけではどんどんと落ち込んでいくばかり。

私の病気は、ただひたすら自分を消すことばかりに夢中になるものでした。

けれど、夫と子供たちが根気よく私に付き合ってくれ、私を必要としてくれたことが回復のきっかけとなりました。

生きていて良かったと、今、毎日思います。

生きていて良かったと感謝できる今を大事に生きましょう。

今の子供 to-ching8pt

怒られませんね〜怒るとその親が血相を変えて抗議に来る時代ですものね、学校の先生も大変でしょう・・・。子供は怒られないと、反省はしないそうモノなんですね、怒る=愛情なんだけれど。ここが分っていません、今の社会。血相を変えてくる親から生まれてきた子供の性質、もうこれは分ってますね・・・

子供教育 eiyan7pt

子供は叱ってなんぼのもの。

子供は叱られて生活を覚えるもの。

叱られない子供は不幸せですね。

学校の先生に・・・ lovelykuma3pt

普段はすごく真面目な子だったのですが

なぜか魔がさして、授業を1限だけサボったことがあるのです。

部室にいたのですが、丁度ドアを開けたときに他の先生にみつかってしまって・・・。

案の定呼び出されてしまいました。

いいわけをしましたが、嘘はわかっていると思います。

受験のストレスやいろいろあったのかもしれません。

けれど、そのとき叩かれた手の痛みを今でも覚えています。

顔を真っ赤にして怒っていました。

すごく目にかけてくれて、かわいがってくれていたからこそ、先生もショックだったのかもしれません。

それから2ヶ月くらいほとんど口もききませんでしたが、徐々にもとの冗談を言い合う仲に戻り

卒業式を迎えました。

最後に、その先生に挨拶をしてお別れをしました。

今でもたまに思い出します。

そろそろ定年退職されている頃かも・・・と。

先生 eiyan2pt

先生には多種の思い出がありますね。

怒られた事、褒められた事。

出会いは必ず別れがあるのですよ。

クラスでいじめがあったとき。 cherry-pie15pt

先生がみんなを集めて真剣に怒っていました。

まだ今のように陰湿ないじめや、想像もつかないようないじめがあった時代ではなく

堂々と、みんなの前でからかっていたりした頃でした。

それでも、その年に初めて赴任してきた先生は

クラスを仲良くさせようと、しょっちゅうイベントをやっていました。

りんごの皮むき大会とか、縄跳び大会とか、ギネスのなんとかに挑戦!と

よく空き時間で生徒と遊んでくれていました。

それでもいじめはなくならず、先生もガマンできなくなったのでしょうか。

今度の自由時間は何をするの?と聞いたら、ちょっとみんなに考えてほしいことがある、と。

イベントはないんだぁ、とガッカリしていましたが、テーマはいじめについて。

みんなはいじめについてどう思うか。とそれぞれ意見を出しながらいっていました。

一番、みんなをいじめる男の子にも意見を出させていました。そのこは遊んでいるだけだ、といいました。

みんなの意見が一通りでたところで、先生が言いました。

「聞いていたらみんな楽しいから遊んでいるだけ。いじめだとは思っていないようだが、相手の身になってみたことあるか?カバンをもたされ帰ることとか、授業で使う道具を取りにいかせたりとか、掃除をひとりでやらせたりとか。これは、自分が楽したいだけ。相手は笑っていても苦痛に思っているかもしれない。自分が同じことをされて楽しいと笑ってできるならそれは構わない。けれど、イヤだと思うならそれはいじめだ。学校で笑っていても家で泣いているかもしれない。そんな相手のことを考えたことがあるか。」と。

この言葉にはみんな納得しました。

冗談のつもりで、あそびのつもりで、罰ゲームだとやっていたことが、いいことではなく悪いことだったなんて・・・。

笑っているから楽しんでいるのかと勘違いしてたんだな・・・と、深く反省をしました。

小学校6年生のときの話ですが、その後中学にあがってもみんな仲良くいじめのない学校生活を送ることが出来ました。

いい先生にであって本当に感謝しています。

先生がみんなに真剣に話をしたのはあれが最初で最後。クラスの団結力が高まりました。

学校の先生は勉強を教えるだけじゃない、どう生きていくのかも教える素敵な仕事なのだと知り

そのときの生徒の数名は今教師をしています。

なくならない t-saitou1pt

イジメと差別は永久になくならない問題。

解決出来たのは全体の一部分にすぎないのではないでしょうか。

母親からのビンタ to-ching2pt

高校時代でした、夏期講習を都会で受けることになってました、私当分海にいけなくなると思い高校を早退し海に一人で泳ぎにいきました。数時間して家に帰ると、母親が私の出発の準備等でてんてこ舞いです、私に早急に用事があり何でも高校まで、何度も電話をしたらしいのです。もう、怒りは尋常ではなく、180cm近い高校生をジャンプしてのビンタ!17歳の夏でした・・・。ご免ねお袋。

母親のビンタ adgt1pt

一度だけくらったなぁ。苦労かけたなぁ。

部活の先生に kyonkyon-83pt

中学生の頃、卓球部に入っていて、遠征のときの帰りに他の部員を待たせてしまったことがありまして、

そのときに顧問の先生にすごく怒られました。

それ以来、その先生の信頼を取り戻すために他の人よりも練習で頑張るようになったんですが、

いつのまにか、みんなよりも強くなって部のエースとなり、全国大会まで行きました。

後でそのことを先生に話したら、そんなことあったっけとぜんぜん覚えていませんでしたよ。

部活の先生に liferose2pt

すきで入った部活だったけれど、毎日の練習に疲れていくうちに友人とサボってしまう癖がつきました。

そのうちサボる理由を考えるようになり、適当な言い訳を作るようになりました。

ある日、そのサボった理由がウソだということが先生にばれて呼び出されました。

先生は怒鳴ることはしませんでした。

静かに自分達のそばに寄り、一人ずつビンタされました。

穏やかな表情で、穏やかな言葉のまま静かに怒ったあの日の先生を今でも覚えています。

なんという言葉で怒られたのか思い出すことは出来ないのですが、声の大きさで相手を威嚇するような怒りかたではなく、静けさの中、静かな怒りを受けたことを今でも忘れられません

夜遅く帰って怒られました。 sayonarasankaku15pt

若い時、まだ高校生くらいの時に遊んでて帰りがとても遅くなった時があります。

帰っても、きっと遅いから両親も寝てるかな・・・なんて思ってたのですが、

2人とも目を真っ赤にして起きてて、すごく怒られました。

今でも、その時の両親の顔が忘れられません。

夜遅く tibitora15pt

ご両親ともとても心配だったんだと思います。

何年前のことかわかりませんが、携帯電話とかがない頃ですと連絡の使用もありませんし、「事故じゃないか」「何かあったのでは」と、sayonarasankakuさんが無事にお家に帰った時はお父さまもお母さまもすごく安心したんだと思います。

帰りを待っているほうは遅い時間まで帰ってこないと心配なので、

今ならメールをするとか気をつけるようにしたいと思います。

外見ばかり評価している友人に liferose1pt

あの子は可愛い、あの子は不細工など。

いつもそればかり言っている友人に怒ったことあります。

見た目だけで相手を判断していた友人はやはり最終的に独りになりました。

人間の優越を顔立ちなどで決めたくないって思います。

今は見た目ばかり着飾っている人も多いですが、中身は見えていますか?

相手の中身を見て向かい合うことは大事です。

大切な出会いも、見た目だけで判断していては逃してしまいます。

心の綺麗な人との出会いは本当に魂が震える思いを感じます。

家出をしたとき liferose1pt

両親に逆らい家出をしたとき、本気で怒られました。

わかがりし日。

親のもとから抜け出したくて、家出した日。

両親は必死に探し回りました。

あの頃は両親の気持ちさえ解らず、気づかず、感じることが出来ず

ただただ反抗をしていました。

あの日、両親がどんな思いで捜しまわっていたのか。

今ならわかります。

あのとき怒りをぶつけた両親の心。

家を出た日 lovelykuma2pt

ちょっとした反抗心からでした。

たまたま悪い成績をとったのですが、いつも最低90点以上をずっと通してきたというか

親の期待にこたえようとがんばっていたせいもあったのでしょうけど

ある日、70点くらいをとってしまいました。

あまり勉強していなかったのかもしれません。

ちょっと怒られてそれが耐えられず家を飛び出してしまいましたが、友人の家にいくこともできず

あちこちふらふら。

そのうち暗くなりどうしようかなぁと、家の近くをうろちょろしていたときに

母が見つけてくれました。

中学2年生くらいの話です。

10時なんて当然就寝時間。なのに、その時間までかえってこない私を必死に私を探していてくれた母。

顔がものすごく心配そうでした。

サンダルとエプロン姿で探してくれていたのです。びっくりしました。

普段、隣の家に行くときもきちんとした格好で出かけます。

すごく人目を気にする母が、こんな姿で探してくれているとは・・・。

母は、怒りもせず「おうちに帰るよ」と手を差し出してくれました。

何か言われるのではとドキドキしていました。

家に帰ったら家族がみんなが家の外で待っていました。

父も涙を浮かべながら怒っていました。ものすごく心配したのでしょう。

そのときの怒っている父の顔はすごく親らしく愛情を感じました。

多分、親に反抗をしたのはあれが最初で最後です。

親を心配させちゃいけない。やっぱり私はいい子でいなくっちゃ。と、改めて思いました。

完全主義 eiyan1pt

完全主義は辛いですね。

完璧に仕上げた時は褒められても少しのミスは大きな損失とみられる。

人に叱咤されなくても自分が許せませんね。

クラスメートをからかっていた sayonarasankaku2pt

たぶん本人はいじわるのつもりとかはなくて、

ちょっとからかってるくらいのつもりだったんだと思います。

ただ、からかわれていた子がどんなに嫌な思いをしたのか考えてみるようにいいました。

はやいうちに先生が気付いて私に伝えてくれたので助かりました。

もし知らなくて、子供がそのままクラスメートをからかっていて、

エスカレートしていたらと思ったら怖かったです。

からかいいじめ eiyan1pt

本人はからかいの気持ちでもからかわれた方はいじめられた感じ。

いじめはからかいから始まりからかいで終わる。

からかいはいけませんね。

子供に対するご意見 to-ching1pt

が多いですね〜兎に角幾つになっても(結婚して子供が出来たら別かな?)子供に関心を持つこと、心配すること、普段他の子供にたいして思っていることを考えてみる、テレビを見て「おや!!」と思うことは忘れないで、欲しい。子供に対しての無関心は最悪です。自分が生んだ子だ!と言う事と言う責任を考えて欲しい、それが感じられれば、他人から自分の子供が怒られても腹が立たないし、納得もする、ありがたいと思うものです。関心がある=愛なんだけれど・・・

補足 to-ching1pt

だから、自分の子供に対して本当に関心があって、心配している。と言う親の怒りは全くと言っていいほど心配ないと思います。近頃はそんな親が少なくなって「何、やっているんだ!馬鹿野郎!!」憎しみの目をして子供を小突き回している親の多いこと、子供と対等の怒り方には眼をそむけ焚くなります、そんな親に育てられた子供・・・また何時か親になるのです。あぁ・・・無情ですね。

自転車での遠出 t-saitou5pt

小学生時代、マンガ本を読みたくても母子家庭という事もあり自宅近くの小さな書店で立ち読みを何度かしましたが、店主から注意を受けたので日曜日に10キロほど離れた大きな書店に自転車で立ち読みに行ってました。

自宅に帰ってきて今まで何をしていたかを母から訊ねられ正直に話すと、ボコボコにリンチを受けながら説教を受けました。

母からすれば事故でもあったら大変だということだとはわかってましたが少々酷すぎかな。

自転車遠乗り eiyan4pt

自転車でのドライブは思い出深いものがありますね。

大人になっても蜃気楼になる子供の頃の自転車ドライブ。

自分の記録思い出を大切にして下さいね。

子供が嘘をついたとき sayonarasankaku12pt

子供が嘘をついたときに真剣に怒りました。

「1つ、嘘をついたら、その嘘を通すためにどんどん嘘をつかなくちゃいけなくなるよ。」

と、話をしました。

ずっと憶えててくれるといいのですけれど・・・

私の場合、嘘ををついてお仕置きされてしましました。 dadan_dan1pt

小さい頃、近所の子供と喧嘩をしたのですが、親に怒られたく無い為に嘘をついたのですが、さすがに親はお見通しですね。

お線香でお仕置きされました。今の時代なら児童虐待と言われそうですね。

子供にも寄りますが、それぐらいでないと効き目が無いような気がします。

それ故では無いですが、嘘を言う事はほとんど無くなったと思います。

逆に、相手の嘘に対して過敏になってしまう事が問題ですね。嘘自体は

いけませんが、許容量を大きく持ちたいですね。

陰口・悪口を言っている友人に liferose10pt

悪口を多くいう友人に真剣に怒りました。

悪口はいずれ自分に必ず帰ってきます。

陰口も同じです。

つい不満が溜まると影で悪口を言う人は多くいます。

しかし、必ずそれは自分に同じ形で帰ってくるのです。

相手に伝えて向かい合うことの大切さ。

それを大事にしてほしかったからです

陰口・悪口 fusakogane9pt

陰口や悪口を言っているときの表情って、親友でもとっても醜くなっていました。手鏡で見せながらちょっと叱ってあげました!

事故をしそうになったとき sidewalk019pt

小学校4年生の時に、道路に飛び出して危うく車に轢かれそうになりました。近くで見ていた母親に凄く叱られました。ビンタもされましたが、大切にされてるんだと強く感じました。

これこれ! to-ching8pt

親は子供をどんなことをしても守りたいのですよ!

謝ることの意味を教えてくれた友の叱責 YuzuPON5pt

私は悪くない。自分には全く何の非もない。なのになぜ私が責められるのか。私が意地を張り通すからグループが崩壊するという非難は筋違いだ。責任を負うべきは誰なのか、よく考えて物を言え。私はそう意固地になっていました。

みな親友と呼べる間柄だ、俺たちは百年たっても離れない。心からそう思い合っていたグループの中に亀裂が走りました。その亀裂は日をおうごとに大きくなり、いつのまにか対立とは無関係の者同士すら、顔を合わせても挨拶すらためらわれるような状態になってしまいました。そうしたことに心を痛めた友の一人が、私に向かって、もう意地を張るなよと言ってきたのです。そこで私が吐き捨てるように言ってしまったのが、冒頭に書いたような言葉だったのでした。

友はその言葉を静かに聞いてくれていました。しかしくるっと背を向けてぶっきらぼうにその場を去ろうとすると、肩をグイッと掴まれて、振り返りざまにグーで一発殴られました。友は怒鳴りました。

「テメエ友だち無くすぞ、あいつはお前にとってかけがえのない奴だろうが」

たしかにその通りです。グループの亀裂の発端となった相手は、私にとって最も親しく心が許せる、無二の親友と思っていた奴だったのです。友は続けて言ってくれました。

ゴメンには二通りあるだろう、責任を取って償いをする意味のゴメンと、再び仲良くしようと手をさしのべるゴメンと。責任論や賠償論と別の意味の所にあるゴメンが言えるのが親友ってやつじゃないのか、家族の間のゴメンの使い方を考えればわかるだろうと。

あぁそうか。家族の間で責任や賠償の伴う謝罪が必要になったらそりゃ骨肉のなんとかというやつだ。家族の間のゴメンは普通は仲直りの合図だった。親友同士もまたしかりだと、その時ストンと友の言葉が腑に落ちました。

私は知らぬ間に少し涙を流していたようです。照れ隠しに殴られて痛くて泣いているんじゃないと言った時、殴った友に感謝できる自分が、無二の親友にゴメンと言えないはずがないと素直に思えてきました。

あとで殴られた所の歯がぐらついているのに気が付きましたが、友なればこその友情の叱責と心から感謝しました。しばらく痛みは続きましたが、友情のグーパンチは顔よりも心に効きました。

友達 eiyan4pt

友は楽しさを悲しさを分かち合える間柄だと親友といえますね。

兄弟とは違う感情。

その感情を大切にして下さいね。