いわしの回答(転記)
以前からずっとイエはてなは学校だって言われていましたよね。私も本当にそう思います。皆さんの書き込みを実践することによってまた新たな発見をすることができたり、日頃のなにげないことを楽しめるようになって、イエというものが大好きになってきました。
ここでの道というのは、言葉にしにくいですが、工夫というかちょっとしたアイデアみたいなことを指します。
思い起こしてみると、最初の頃の私のイエはてなでの書き込みは自分が実践していることをただ書き込んでいました。でもみなさんの書き込みを見てみると、その実践することにひとひねりみたいなものがあるんですよね。伝統的な行事にのっとったことを実践するにしても一歩踏み込んで自分なりのアイデアみたいなものを組み込んで行われているんです。これってすごいな・・と思いました。
そこで、私はひとつの行事にしてみても歴史を調べてみることからはじめました。説にもいろいろありますけど、なるほど・・と納得がいくものだったりして感心することひとしおでした。今年の通年サプリでid:TomCatさんがいわれていた温故知新。
http://q.hatena.ne.jp/1262753640/244917/#i244917
私達の祖先が遥か昔から積み重ねてきた文化の源流を探り、それを最も新しいライフスタイルに息づかせていくこと。古きをたずね「新しきを創っていく」ことを楽しむ暮らし。これはエキサイティングです。
このときにもレスをつけたんですけど、ひとつの伝統の根幹は大事にしていろんな挑戦や工夫をこらして進化していく。これが今までもずっとされてきたことです。このいろんな挑戦や工夫を考えることがすごく楽しくなりました。
ひとつひとつの事柄に関しても自分なりのエッセンスをひとつ加えてもっと楽しくしてみよう!と考えることがすごく楽しくなりました。
とはいえ、まだみなさんの域に達するのは遠いですけどね。
この道は終わりはないと思います。だって人それぞれ考え方は違うものだし、どれが完璧なのかなんてわかりません。でも楽しく実践をすることができたらと思っています。1つの方法で試してみてうまくいかなければ、ちがう方向からちょっと考えてみる・・こうやって楽しんでします。私はイエはてなによって、考えることの楽しさを発見できたような気がします。
人は一人では生きていけないと言いますが、幸運、ラッキーも、一人では掴めないと思うんです。運命は、あらゆることがらと連動しています。人は昔から、星の動きから亀の甲羅のヒビに至るまで、様々な現象で人や世界の運命を占ってきたと思いますが、人の運勢が宇宙の星と連動しているとするならば、この地球の未来とも、さらに強く連動していると考えることができるでしょう。つまり地球の幸福こそが全ての人に共通するラッキーにつながる、ということです。
地球のラッキーカラーは、きっと緑に違いありません。その緑を取り払って灰色に変えてきたのが人類です。これでは個人個人の運勢だけでなく、人類全体の運勢も落ちまくってしまいます。
そこで、当たるも八卦当たらぬも八卦ですが、たとえ外れてもぜったいに損にならない、地球のラッキーカラー・緑を植えて運気上昇というのを流行らせてみたいと思うのです。
植える緑は、できるだけ日本の在来の植物。しかもその地域の生態系に合った物が最良のラッキーアイテムとします。
育てる時はできるだけ自然に近い状態で。農薬や殺虫剤などの環境を損ない命を傷つける物を使うと、当然運気は下降します。タバコの煎じ汁をかけたり牛乳をスプレーしたりすることも、生き物の命を奪うことが目的なら、やはり運勢は下降します。
植物の育ての親として、ある程度は虫の買いから守ってやることも大切ですが、虫の幸運も地球の幸運と連動ですから、最初から虫を寄せ付けない育て方や、殺さずに忌避するテクニックを身につけることが大切です。
雑草の問題も頭が痛いですが、育てている植物も、勝手に生えてくる植物も貴重なラッキーアイテムですから、やはり意図しない草が生える以前に、生えないように対策することが大切ですね。というより、もし育てている植物が雑草に負けてしまうとすれば、それはそっちの植物の方がその環境に適していたということですから、よりラッキー度が強い緑として、それを大切に育ててあげることも考えていいのかもしれません。
なんにしても、ラッキーはそうそう簡単には手に入りませんから、育てようとする植物のことをよく知り、どうやって育てていったら地球のラッキーにつながるのかを真剣に考えながら、研究に研究を重ねて一生懸命育てていくことが大切ですね。そういう植物や地球への思いは、きっとすばらしいラッキーにつながっていくと思いませんか。みんなで地球のラッキーカラー・緑を育てましょう!!
写真だけでなく、切手アルバムとか、切符アルバムとか、様々なコレクションをまとめた物がアルバムと呼ばれると思いますが、最近私がやりだしたのは「葉っぱアルバム」です。きっかけは単なる興味本位でしたが、
http://q.hatena.ne.jp/1210308555/162010/#i162010
こちらのいわしで葉っぱコレクションにちょっと触れたところ、
日本の植物学の父と呼ばれる牧野富太郎先生は日本中を歩き回って、やはり目にした植物は全て標本にしていったそうです。野菜も全て標本にしたそうですよ。キャベツの押し葉、ぜひやってください(笑)。
(by id:YuzuPONさん)
とレスをいただいたことが、本格的に葉っぱアルバムを作り始めるスタートになりました。
・参考
公開講演会 牧野標本館タイプ標本データベース
http://protist.i.hosei.ac.jp/gbif/20021014/abstracts/Kihara/inde...
もっとも私は牧野先生のような植物学のための標本としてではなく、もっぱら散歩や旅行、出張などの記念として、その地で出会った植物から1枚ずつ葉だけをもらって押し葉にしているだけですが、去年は本格的に植物を見て歩く旅行をしたこともあって、もう整理しきれないくらい貯まってしまいました。
押し葉に記載するデータは、採取した場所、日付、植物名がわかる場合はその植物名のたった3項目ですが、アルバムに整理していくと、写真を整理する以上に、その時のことが鮮やかに蘇ってきます。
アルバムへの貼付方法ですが、wikipediaに
標本が完全に乾燥すれば、それを台紙に貼り、台紙にラベルを貼る。植物を張り付けるには、白紙にアラビアゴムを塗ったものを細く切ってテープ状にして使うのが伝統的な方法である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BC%E3%81%97%E8%91%89%E6%A8%9...
とあったので、そのようにしています。表面保護がありませんから粗雑に扱うとせっかくの押し葉が壊れてしまいそうで気を使いますが、この方法が最もナチュラルな状態で保存出来る方法だと思っています。また、コストが安くて済むのもありがたいところです。
しかし悩みは、台紙にしっかりした物を使うと、ものすごくかさばることです。一回旅行をすればアルバム数冊になってしまうことも稀ではないので、今はどこででも見られる植物は写真で記録するにとどめて、特にその地を代表するような植物とか、まだ採集したことのない植物に限るようにしていますが、それでも分厚い台紙のアルバムはかさばります。何かいい台紙はないかと、今考えているところです(前のいわしでは場所を取らないコレクションと書いていたはずなのですがw)。
と、集め始めるとこんな苦労もありますが、旅の記念に一枚だけ、といった集め方ならどなたでもできると思いますので、自然を愛する心を育てるためにも、ぜひこの葉っぱアルバムをお勧めしてみたいと思います。採取してはいけない場所、採取してはいけないかしないことが望ましい稀少な種類などがあることをよく知った上で、自然を尊ぶ心でやってみてください。きっと思い出に残るアルバムが作れます。
アースカラー。つまり地球が本来持っている色のことですね。大地の色、海の色、砂の色、そして植物の色、などなど。これらのアースカラーは、赤だとか青だとかといった単純な名前では言い表せません。
しかし日本には、そのものずばりの自然界に由来する色の名前がたくさんあります。去年暮れのいわしでも「日本の伝統色」がテーマになりましたが、赤系統の色だけでも、ナデシコ科のセキチクの花の色に由来する石竹色(いしたけいろ)、トキが翼を広げると見える美しい色に由来する鴇色(ときいろ)、珊瑚色、茜色、柿渋色、肉桂色、雀茶、栗皮茶、鳶色、蒲色、柑子色、朽葉色、伽羅色、などなど、枚挙にいとまがありません。明け方の空の色に由来する曙色(あけぼのいろ、別名・東雲色)なんていう美しい色の名前もあります。これらはみなアースカラー。こうしたたくさんの色の中で、今の私のラッキーカラーは曙色なんです。
私はエコバッグの代わりに風呂敷を愛用していますが、普段は紺の風呂敷をメインに使っていました。そしてサブ的に、たまたまイエにあった曙色の風呂敷も、鞄の中にしのばせていたんです。
そしてたまたまメインの風呂敷を忘れた日に曙色の風呂敷で買い物をしていたら、学生のころちょっといいなと思っていた女性とバッタリ再会。「風呂敷使ってるの?」「うん」「エコ指向なんだ」「だって温暖化を防がないと色んな生き物の命に関わるから」「そうよね、私も風呂敷使おうかな、選ぶの手伝って」なんていうことになって週末に一緒にお買い物。イエはてなで知った大きさによる用途の違いなどの知識をフル活用して、いい風呂敷を買うことができました。そんなことがきっかけになって、その後も定期的に会っていたりしています。
元々朝日を見るのが好きで、よく早起きをして早朝散歩を楽しんでいたことも重なって、今の私のラッキーカラーは曙色なんです。
皆さんも、様々な日本の伝統色の中から「ラッキー・アースカラー」を探してみませんか。伝統色を何か一つ身につけて、その時にすてきなことがあったら、それがあなたのラッキー・アースカラーです。その色の名前の由来を調べ、それにちなんだ植物や動物、自然の現象などを見に行くと、きっと心が洗われるような体験もできると思います。そこから自然を愛する心が膨らんでくれば、さらに幸運度がアップすること間違い無しだと思います。
この言葉は「狂人日記」「阿Q正伝」などの作品で知られる魯迅の言葉だそうです。元は中国語ですが、それを今の参院議長のお父さんである江田三郎氏が、このように翻訳されました。
今までも何人かの方が豪雪地帯での雪かきや雪下ろし体験を書かれていますが、この冬私も豪雪の日本海側へ、雪下ろしのお手伝いに行ってきました。そこでまさに「みんなが歩けば道になる」を地で行く暮らし方を目の当たりにしてきたんです。
山あいの集落には、普段から車も入らないような細い道がたくさんあります。当然除雪車なんかやってきません。人々はそういう道を、かんじきを履いて踏み固めながら歩きます。毎日毎日、新雪を踏み固めながら歩きます。雪の上に、みんなで歩いて道を付けるんです。
朝5時にはみんな外に出て、降りしきる雪の中で、この道付けが始まります。これをやらなければ、村の機能が麻痺してしまうんです。雪国では、これを春になるまで、毎日毎日繰り返します。
たまに晴れたら・・・・。晴れたら晴れたで固めた雪が緩みますから、またかんじきを履いて緩んだ雪を踏み固めて歩きます。降っても止んでもひたすら踏み固めます。この粘り強さ。これが雪国の人達の強さなんですね。
私も早朝、かんじきを履いて道付けに参加しました。そうしたらこれが大変な運動量なんです。私が担当したのはほんの50mくらい。しかし、一晩で膝まで埋まるほどの雪。一歩進むだけでも大変です。やっと隣の区画を踏んでいる人の所まで足跡がつながったら、そこからまた戻って、しっかりと踏み固めながらスタート地点に戻ります。これを4往復くらい。これがまた山あいの村ですから、坂道なんですよね。
最初私は、手袋をしてマフラーをして、ダウンのもこもこジャンバーを着込んで外に出たんです。そしたら地元の方が、そんな厚着してたら大変なことになるよ、って言うんですね。すごく汗かくから、上は防水のヤッケか何かでいいよって。ええーと思いましたが、実際それで正解でした。もう最初の50mを歩いただけで汗びっしょり。4往復したら、降りしきる雪の中で顔から湯気が出ていました。
こんなことを毎日やってるんですかと聞いたら、12月から2月一杯くらいまで、毎日少なくとも朝晩1回ずつ。降る量が多ければ2〜3時間に1回ずつ。それに加えて自分の家の雪下ろしや玄関先の雪かきなど。もう一日中雪との格闘で休む間もないと言っていました。
「でもな、雪の季節が終わると、ちょっと寂しくもあるんだよ。都会の子供は雪が降ると喜ぶだろう。こういう所の大人もそれは変わらない。みんな雪が好きなんだよ。そして村のために働くことも好きなんだ。雪と地域が嫌いだったら、こんな所からはとっくに逃げ出してる」
困難を困難と思わず、みんなで手を携えながら村を守り作っていくことを誇りとする人達。そういう人達の付けた道が、村中の家々をつないでいます。真っ白な雪上の道に、暖かな思いが流れています。
もともと地上に道はない。みんなが歩けば道になる。
独りの力ではとても出来ないことだって、みんなでやればきっと出来るんです。今私達は、このイエはてなを通じて、新しい「イエ文化」を創出し、確立していこうという、ものすごく壮大なプロジェクトに取り組んでいます。独りの力では、とても文化なんて生み出せません。でも、みんなで手をつなぎ合って歩いていけば、きっとそこに道が出来るんです。私達の歩みの後ろには、後世「イエ文化」と呼ばれることになる、連続性と普遍性を持った新しい文化の道が切り開かれていることでしょう。
TomCatさんの雪国での雪下ろしや道付けの経験談のおかげで、雪国での暮らしがほんのちょっとだけではありますが身近に感じられるようになりました。
テレビでも今年は雪が多くて除雪の費用が予算オーバーした、というニュースを耳にしますが、道を確保するというそれだけのことにものすごい費用や力が必要なんだということにあらためて驚きます。
ぼくが「人が道を作る」んだなあと実感したのは、駅前の車寄せロータリーの真ん中の空き地。芝生の手入れがなされていなくて、草ボーボーの空き地になっているんですが、ここを通る人がいるんです、ちょっとだけ近道なものですから。
そのうちにそこだけが草の生えない道になっているんですね。
で、その道のほうが歩きやすいものだから、どんどん道が道としてしっかり存在感を増しているんです。
人の必要に応じて道ができていく好例だと感じています。
数年前のこと、隣県の道でばったり小学生時代の友人に出会いました。初めはすれ違っただけで私は「もしかしたらあの子かもしれない。もしかしたら違うかもしれないけれど、会釈くらいだったらあっちも別に変に思わないだろう」と思い、思い切って会釈をしてみました。すると友人は「あっ」と言って通り過ぎましたが、バスを待つ私のところに戻ってきてくれて「ふみえちゃん、久しぶりー」と言って携帯電話の番号を紙に書いて渡してくれました。その後電話をしてお茶を飲む約束をし、情報交換をしました。いろいろ小学校の時のクラスメートの話をききました。私も彼女に近況を話しました。
その道を通るたびにそのことを思い出します。
しかし小学校の時は小さな町だったのに隣県の大きな道で約十年ぶりの再会。こんなこともあるんですね。
またこんなことがあったらいいな。
写真のアルバムは、人に見られると「キャー」となってしまいがちな物だと思います。
特に自分の成長過程が丸わかりになってしまう物は「キャー」ですよね。
でも、誰かに見せたい写真というのもきっとあると思うんです。
そこで、極秘のアルバムをカムフラージュするためにも、見せたい姿を積極的に見せられるようにするためにも、「見せアルバム」作りです。
色んな写真の中から、これは見られてもいいな、と思う写真をピックアップしてスキャナで撮ってプリントアウト。
こんなことができるようになったのはPCとプリンターが発達してくれたおかげですよね。
スキャナで撮るとちょっと色が変わってしまうことがありますが、色んなソフトで補正できるので楽々です。
一部だけを拡大したりトリミングしたりもできますから、キャーこれぱ○つ見えてる!なんていう写真でもだいじょうぶ。
運動会のかけっこの写真などは自分が写っている所だけを拡大して取り出せば、実はビリでした、なんてこともばれません。
こうして自分で見ていても「あーこれいい写真」とか「私ってかわいかったなぁ」などと思える写真ばかりを集めて一冊作っちゃえば、誰にでも見せられるアルバムになりますね。
似たようなPCで画像加工をしてのアルバム作りとしては、たとえば着ている服だけをテーマにしたアルバム、なんていうのも考えられると思います。
ファッションの通販カタログなどを見ると、モデルさんの首から下だけが写っている写真てよくありますよね。
あんな感じに、自分の写真も首から下だけにして、着ている服が主役の写真にしてしまうんです。
すると、今まで顔のイメージに引きずられていた部分がなくなって、服の持つイメージがとてもよく見える写真になります。
最近の自分のファッションチェックとしても客観的に見られる写真が作れますし、子供のころの写真でやってみるのも、その当時の世相や流行がよくわかって興味深いと思います。
PCの発達で、今は写真も自分なりに手を入れて保存する時代になっていると思います。
でも私は、それをPCの中だけに保存せず、やっぱり紙に打ち出してアルバムに貼るっていうながめ方をしたいと思うんです。
ここではふたつの例をご紹介しましたが、特に「見せアルバム」作りは、まるで自分の写真集を作っているみたいで本当に楽しいです。
皆さんも最高の自分ばかりが写っている、わざと見せたいアルバムを企画してみてください。
自分のことがとっても好きになってきます。
そしてきっとお友だちをイエに呼びたくなってきます。
中国では古くから「道(タオ)」という思想上の命題がありました。この思想はとても難しいものなので一言でまとめてしまってはいけないのだろうと思いますが、わかりやすい日本語に置き換えるならば、「真理」という言葉に近いのではないかと思います。真理に至る道、といった経過を意味するのではなく、天をも神をも超えたあらゆる宇宙の法則の根元そのものを指す言葉、と考えていいと思います。
老荘思想の中でもこの「道」が最上の命題です。老子や荘子は道家の大家と言われますが、この道家という呼び方も、「道」すなわち究極の真理を求める人、という意味のようです。
「道」は、天地万物のことわりの根元である「天道」と、人の世のことわりの根元である「人道」に分かれます。
現在日本語として使われている「道徳」「道義」といった言葉の「道」の意味するところもおそらくこれで、歩くための道、物事の経過といった意味とはちょっと違うようです。
このようなことを踏まえた上で、「人道」とは何かを考えてみましょう。辞書を参照してみると、次のように出ています(goo辞書より引用)。
じんどう ―だう 【人道】
(1) 人間として守るべき道。人の人たる道。にんどう。
じんどう-しゅぎ ―だう― 【人道主義】
〔humanitarianism〕人間愛の立場から人々の福祉を図ろうとする思想態度。博愛・平等、人権の尊重、平和・無抵抗主義などを特徴とする。ヒューマニズム(人間尊重主義)の一形態。
じんどう-てき ―だう― 【人道的】
(形動)
人として守るべき道にかなったさま。人道主義の立場に立つこと。
じんどう-もんだい ―だう― 【人道問題】
人道上無視できない重大な問題。
なんだか抽象的でよくわかりませんね。しかし「人道」という言葉を公的な場で、とても明確に使っている例があります。それは2001年の8月6日に広島市長が述べた「平和宣言」です。その冒頭の一節を次に記しておきたいと思います。
今世紀初めての8月6日を迎え、「戦争の世紀」の生き証人であるヒロシマは、21世紀を核兵器のない、「平和と人道の世紀」にするため、全力を尽すことを宣言します。
人道とは、生きとし生けるものすべての声に耳を傾ける態度です。子どもたちを慈しみ育(はぐく)む姿勢でもあります。人類共通の未来を創(つく)るため和解を重んじ、暴力を否定し理性と良心に従って平和的な結論に至る手法でもあります。人道によってのみ核兵器の廃絶は可能になり、人道こそ核兵器の全廃後、再び核兵器を造り出さない保障でもあります。
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/declaration/Japanese/2001/2001J...
いかがでしょう。人道という言葉を、とても明確に定義しています。「人道」イコール「生きとし生けるものすべての声に耳を傾ける態度」という定義は、人が存在する前から存在し続けていた宇宙のことわり、天道から言っても、その天道に基づいて人の世のあるべき姿をつかさどる人道から言っても、とても素直に理解できる定義づけではないでしょうか。
人道とは全ての命を尊ぶこと。人間だけでなくあらゆる命を尊んでいく生き方、行動、暮らし方。こう考えていくと、とてもわかりやすいと思います。
最近は道徳が乱れていると言います。子供たちから、人を殺してはいけないなんて誰が決めた、自殺がいけないなんて誰が決めたと問われても、明確な答えが出せない大人がたくさんいます。でも、少なくとも平和な世界を作っていくためには、命を尊んでいくことが不可欠であると。命を軽んずる考え方は平和の構築を阻害すると。「人道」という言葉にはっきりとした定義を与えられるなら、そう答えることができると思います。
「21世紀を平和と人道の世紀に」。
道徳とか道義といった「道」のついた言葉が出てきた時、この広島からの呼びかけを、ちょっと思い出してみましょう。そしてこの呼びかけと一緒に定義づけられた「人道」の意味を思い出しましょう。そうすれば、子供たちに何か聞かれた時にも、はっきりとした答えが出せると思います。
アルバムと言えば、写真のアルバム以外に音楽のアルバムがあります。最近ではiTunes Storeでダウンロード購入することも多いですが(あれもアルバムはアルバムなのですが)、CDのアルバムの方が持っていて嬉しくなります。所有欲を満たしてくれるとでも言いましょうか。また、ジャケットや歌詞カードまで含めてアルバムという一つの作品だと思います。こんなふうに思ってしまうのは古い人間だからでしょうか……?
もうダウンロードだとか、レンタルしたものをipodに入れるというのがほとんどになってしまった。とても好きなアーティストがだすアルバムを年に2〜3枚くらいしか買わなくなってしまって、ちょっと淋しい。
私が子どものころの写真は、両親がアルバムに貼ってくれていました。小学校低学年くらいまでの年齢の写真はとても多く、アルバム何冊分もあります。結婚する前、実家に彼女を紹介するために連れて行ったときに、アルバムがあったので二人で見ましたが、彼女は今とは似ても似つかない私のかわいい姿を笑っていました。私にとっては思い出の塊で、とても懐かしかったです。
最近はデジカメで撮影してそのままハードディスクに入れっぱなしですが、これだと人に見せるとき、あるいは自分で見返すのにも不便だなと思いました。最近はアルバムじゃなくてフォトブックなるものがあるようですので、結婚式や新婚旅行の写真はフォトブックにしてみようかなと思っています。
観光地の道案内は、面白いものが多いですね。
形が拘っていたり、文字が面白いものだったりと、ちょっと目を向けてみると面白いことが多々あります。
地元の名産や有名な物を象っていたり、形だけではなく、素材も拘っていたり。
とある観光地の島で「○○まで、徒歩○分、走って○分、急いで○分」などとあり、
急いでってどれくらいのペースだと、友達と笑ってしまった記憶があります。
本当に凝ったデザインものがあると、写真にも収めてしまいますね。
その地の風景に溶け込むように、丁寧に気配りされたものは、とても良いものだと感じます。
だるまさんといえば真っ先に浮かぶ色は赤だと思います。日本におけるだるまの80%を生産している群馬県の高崎だるまは、もちろん真っ赤なだるまさんです。
高崎だるま(少林山達磨寺)
http://www.daruma.or.jp/index.html
だるまというのは元々は室町時代に流行した、玩具の起き上り小法師の一種なのだとか。また、だるまさんが赤い理由ですが、少林山達磨寺さんのサイトやウィキペディアでも紹介されているように、起き上り小法師のモデルにインドの達磨大師の姿を重ねたからです。
達磨大師は禅宗を開いたお坊さんでして、嵩山少林寺で壁に向かって九年間座禅を組み続け、ついに悟りを開いたという通称「面壁九年」の言い伝えがあります。古典画の姿絵からも判るように、面壁九年の時の達磨大師の姿は、赤色の袈裟を頭からかぶった座禅姿。ですのでだるまの歴史では、最初の頃は座禅姿のだるまさんが主流だったようです。
そのうちお寺に通う養蚕農家が、「七転び八起き」の起き上がり小法師であるだるまに、蚕が脱皮を繰り返して繭玉をたくさん作ってくれるようにと願かけするようになってから、だるまさんの姿は座禅姿から繭型へ、今ではずんぐりとした丸型になりました。なお、地域によってはかぼちゃ型や面長型、顔のデザインもひげの濃いものから愛媛・大分の姫だるまのように女性版もあります。
だるまが赤いのは達磨大師の袈裟の色からも来ているのですが、そもそも赤は厄除け・魔除けの色であり、はやり病の疱瘡を引き起こす疱瘡神が嫌う色だったからという説もあります。だから親は子供に赤いだるまさんを玩具として渡し、健康祈願をしていたわけです。
そんなだるまさんも、今では赤色だけではないんですよ。東京だるまのように金色・銀色の物もあれば、静岡県の西伊豆にある五色願かけだるまのように、仏教における宇宙の五元素、五大「空風火水土」を象徴する色「青、黄、赤、白、黒」を五色に塗り分けただるまさんもあるんです。
また静岡県の藤枝だるまも基本は赤ですが、現在では青、黄、橙、桃、白、黒、緑、黄緑、紫(藤枝なので藤色)と10色のカラフルなだるまさんが販売されています。おそらく、願い事のある人たちも好む色は多種多様であろうということで、どんな色でも願いを叶えてくれるようにとカラフルなだるまさんを製作されてらっしゃるのだと思います。
藤枝だるま
こちらはミニサイズ。カラフルでコロコロした姿が可愛い。
下記のサイトでは、藤枝だるま店・五代目の長橋秀明さんによる、藤枝だるま話が掲載されています。藤枝だるまの製作動画もありまして、木型に和紙を張り付ける張り子作業だけでなく、起き上がり小法師になる土台の陶器を組み込む様子も分かりますよ。
しずおか社会見学 タイケンダー
http://taiken.cocolog-tnc.com/rabicon/2009/04/post-12db.html
なお、タイケンダーで紹介されている藤枝だるま店は、すべてのサイズとカラーが揃っていますが、JR藤枝駅からもかなり離れた商店街(旧東海道沿い蓮華寺池公園近く)にあるお店です。もしもこの記事を読んで、藤枝だるまが欲しいと思ってくれた方がいてくれたとしても、特に都会にお住まいの方はここまで訪ねるのは大変だと思います。
と言いつつ、このお店の周辺は静岡県中部でも、隠れた散策スポットなので、サプリテーマからは脱線しますが、イエはてなさんでは建築に詳しい方もいらっしゃるので、商店周辺のお勧めポイントを紹介させてください。
1つ目は散策の日取り。蓮華寺池公園は藤の花咲く5月の藤祭りや、8月の花火大会で有名でお勧めの時期です。2つ目は歴史好きな方や文学通の方へ。東海道・藤枝宿の話題はもちろん、藤枝は鎌倉〜江戸時代に名を残した今川氏の歴史の残るマチです。また『アポロンの島』で知られる小説家、小川国夫の生家があり彼は藤枝で執筆活動を続けました。公園内の郷土博物館と文学館で資料展示がされています。
3つ目は建築に興味のある方へ。あのル・コルビュジエや、フランク・ロイド・ライトの弟子のアントニン・レーモンドの元で学んだ、モダニズム建築家・前川國男が建てた図書館が近くにあります(岡出山図書館)。前川國男でピンとこない人は、丹下健三が前川事務所の出身なんです・・・。丹下健三を知らない方や建築史を知らない方には、この凄さを解ってもらえないかもしれませんが、丹下健三は「世界の丹下」とも呼ばれ、文化勲章も受章しており、最近の有名な建築家でいえば磯崎新や黒川紀章を育成した方です。
そんな日本の建築史に名のある建築家の作品が、静岡の(失礼)しかも藤枝なんて田舎に(これまた失礼)あるとは珍しいことです。だからといって手抜き建築ではなく、建物は小振りながらも前川流の小洒落たレンガ風。建築好きというかオタクな方にはお勧めスポットです(図書館向かいのお蕎麦屋さんはかなり美味しいですよw)。
では、話題を藤枝だるまに戻します。市内散策までは行けないけれど、このだるまさんが欲しいという方はこちら。JR静岡駅アスティ内にある駿府楽市、JR藤枝駅北口にある藤枝市観光案内所、車でなら国道1号線から静清バイパス(旧東海道の丸子宿・丸子梅園や丁子屋近く)にある体験工房「駿府匠宿」(http://www.sunpurakuichi.co.jp/takumi/index.html)でも販売されています(富士山静岡空港の売店では現在販売されていないそうです・・・残念)。
なお、静岡県の郷土だるまにはまだ種類があるのですが、先程紹介した西伊豆にある五色願かけだるまは瓢箪型で顔もユニーク。藤枝だるまとは異なり、色毎に願い事も変わります。こちらは富士見山達磨寺がJR修善寺駅からも遠く交通の便が悪いということで、お寺だけでなくネット販売をされているそうです(http://toi-daruma.jp/)。
定番の赤いだるまさんは厄除けの意味で家内安全、交通安全、健康祈願、安産祈願など行われますが、他にも精神的強さを表す色として合格祈願、選挙当選の祈願も行われます。また他の色には、穀物の実りの色である黄色で商売繁昌・金運向上。清き白では良縁祈願、黒は魔除けとして厄災消除と願かけ内容が異なります。
だるまさんは七転び八起きの縁起を担いだだけでなく、色の持つ力も合わせて祈願成就や福をもたらしてくれます。元々は玩具でもあるだるまさん。手に取った人たちの願いが込められ、普通の玩具から縁起物として親しまれるようになりました。さて、色を選べるとしたら、あなたは何色のだるまさんを選びますか?
皆さんは、ラッキーカラーをどんなふうに用いていますか?何か一品その色をした物を身につけるという人は多いと思いますが、同じ身につけるにしても、私の友人の間では「普通に身につける派」と「肌身につける派」に別れています。「肌身につける派」は主にジュエリーにして身につける派ですね。
ラッキーカラーを「食べる」という人もいます。赤がラッキーカラーの友人は毎日トマトやニンジンを欠かしません。これは健康によさそうです。毎日占いでラッキーカラーを決めている友人は、今日は赤だからお昼はナポリタン、今日は緑だからぜったいサラダを付けなきゃ、なんてやっています。白の時はスーパーで塩むすび。黄色の時はタクアンかなと思ったらカレーでした。
ラッキーカラーのお茶を飲むっていうのもすてきです。緑なら緑茶。ビタミンCがいっぱい。赤ならハイビスカス。あの酸っぱさはクエン酸。鮮やかな黄色の花びらのマリーゴールドは金色のお茶になります。美肌にいいそうです。
青はちょっと困ってしまいますが、マローブルーは青い茶葉。熱湯を注ぐと次第に明るい色に変化していくので「夜明けのティザーヌ」なんて呼ばれています。上手にいれるとお茶の色も淡い青。ピンクがラッキーカラーの時は、マローブルーにレモン汁をちょっと垂らしてみてください。
ラッキーカラーにちなんだ地名の場所に出かけるっていうのもいいですね。青がラッキーカラーの時は青山。黄色の時はちょっとゴージャスに金にして花小金井(ってどこですかw)。主に予定のない休日のぶらり外出の行き先です。これで一週間いい日がすごせるのだとか。今の季節は青がラッキーカラーなら梅の名所の青梅なんていうのもすてきですね。すいません、東京ローカルで。
ラッキーカラーを見に行くのもいいですよね。特に植物。ラッキーカラーの花と触れ合ってラッキーパワーを受信なんて、いかにも効きそうだと思いませんか。身近に自然がなくても、お花屋さんに行けば幸福を分けてくれるお花に会えます。ラッキーカラーの花を買って帰るなんていうのもいいなぁと思います。
ところでラッキーカラーとはちょっと違いますが、シーグラスってありますよね。波に洗われて丸くなったガラスのカケラ。そのシーグラスのブルーが恋を引き寄せると言われているらしいので、海辺で見つけてずっと持ち歩いているんです。人は「なにそれ、一升瓶のカケラ?」なんて言いますが、し、し、失礼な!きっといつか幸運を運んでくれると信じています。ちなみに茶色のシーグラスは魔除けになるらしいです。ビール瓶のカケラかもしれませんが、信じる物は救われる…かもしれません。
テレビ番組の1コーナーでよく見ますが、あれって誰がどうやって決めているんだろう。まあまさに占いそのものなんだと思いますが、あれを参考にする人ってどのくらいいるんだろう?特に、ラッキーアイテムに至っては、そのものを探す事自体が大変そうなものも多いですし・・・
高速道路の1000円制度がまた変わりそうですね。確かに何度か恩恵を受けましたが、良かったのかどうか。。制度がコロコロ変わること自体はあんまり嬉しくない事です。個人的には高速道路が渋滞する事にとてもストレスを感じます。連休はむしろ自動車が不便になりました。大渋滞を避けるために電車に乗ったり飛行機に乗ったりしています。逆にコスト高。1000円ルール自体は無くなってもいいと思います。
金色の物を持つと金運がつくといいます。
風水でも西に黄色いものを置くと金運が来るとか。
本物の純金のアクセサリーなどは、かなり金運を高めてくれるそうです。
お財布の中に純金に近い金貨とか、金の延べ棒を入れておくのも良いようです。
小さくても純金ならかなり効果があるといいます。
18金とか22金とかだと効果は下がるそうです。
金メッキなどはあまり効果は無いとか。
やっぱりメッキは駄目ですね。
本物の運は本物でないと来ないようです。