イエ・ルポ 2

「父と子の早朝散歩」by id:YuzuPON


私は昔、ゲームとテレビとマンガざんまいの、典型的なインドアもやしっ子でした。それで夏休みにテレビ禁止令を食らったこともあったぐらいなのですが、
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そんな私に外の楽しさ素晴らしさを教えてくれようとしたのでしょう、父はよく早朝の散歩に誘ってくれました。コースはどうと言うことはない町内一周なのですが、父と歩くと、色んな話を聞かせてもらえるのです。


「ちょっと前までは、朝の音というと新聞屋さんのバイクの音と、そして牛乳配達のガシャガシャいうビンの音だったなぁ。その頃はどこの家にも、ほら、ああいうやつだ、ああいう牛乳瓶受けがあって、そこに毎朝ガラス瓶に入った牛乳が届けられたものだったんだ。ビンの牛乳の紙ぶたはメンコになる。毎日それを大切に集めて、箱一杯詰め込んで、友だちと対戦したものさ。
夏休みとか特別な時には、サービスで小さなガラス瓶に入ったヨーグルトが届いていたこともあったな。ヨーグルトは子供にとって大変なご馳走だったし、なによりヨーグルトのフタは牛乳のフタより一回り大きくて、強力なメンコになるんだ。普段はねだってもなかなか買ってもらえなかったものなので、あれはうれしかったなぁ。
お父さんは学生のころ、牛乳配達のアルバイトをしたことがあるぞ。朝だけでいいので学校と両立出来て、いいバイトだった。働く時間が短いのでもらえるお金は少なかったけど、子供のころ自分がどんなに牛乳を楽しみにしていたかを思い出して、そういう朝の喜びを町に配りたかったんだな。
でも実際にやってみると、あれは大変な仕事だった。お父さんは田舎者でまだバイクの免許を持っていなかったから、足は自転車。荷台に木箱に入ったズッシリ重い牛乳瓶を積んで走るんだ。まだ暗いうちから走り出すから、自転車にはライトをつけなければならない。昔の自転車は発電機がこれまた重くてね。牛乳配達のバイトの一番の収穫は、お金より体力と根性が付いたことだったかもしれないよ。
行き交う新聞配達や、よその店の牛乳配達もみんな学生だったから、仲間意識があったな。最初のうちは配るだけで精一杯だったのが、だんだん慣れてくると、そういう働く仲間たちと目と目で挨拶が交わせるようになってくる。たまに駅などで後ろから『よ、○○牛乳』なんて声をかけられたこともあった。『お、○○新聞か』『寒くなってきたけどお互い頑張ろうな』『おぅ』なんて言葉を交わして、青春だったな。
この町の向こうの方は、わりと古い家並みが続いているだろう。あのへんは、そんなお父さんの思い出の町によく似てるんだ。今度の散歩はあっちの方を歩いてみようか。」


こうして次回の早朝散歩の約束をして、家に戻ります。家に入ると、炊き上がったご飯と味噌汁のいい香り。そして母のにこやかな「おかえりなさい」の声。「お母さん、お腹空いた!」。インドアもやしっ子が、すっかり元気な子供に変わっていました。
今でもたまに、父と早朝の散歩を楽しむことがあります。今は二人とも大人ですから言葉少なですが、きっと二人とも同じ、あのころの散歩風景を思い出しながら歩いているに違いありません。