「端溪の硯」by id:MINT


端溪の硯、それはとても貴重な硯です。広州に斧柯山という深山幽谷があるそうです。そこを流れる谷川を端溪といい、この硯の原石はそこで生まれたものだそうです。端溪の石は唐の時代から硯に最適と珍重されてきたそうで、黒の中に紫が感じられる、艶やかで深みのある色をしています。
この硯を使うと、他の硯よりずっと早く墨が擦れます。そして濃く擦った時は他の硯で擦った墨より黒々さが美しく、薄く擦った時は他の硯で擦った時より滲みのグラデーションが美しいのです。きっと墨の粒子がそれだけ他の硯より細かいのだろうと思います。
この硯は、小学校の習字クラブの顧問をなさっていた先生からいただいたものです。先生はお坊さんの資格を持っていて、それは字の上手な先生です。私は習字クラブに入って、ずっとその先生に字を教えてもらっていました。その先生が私たちの卒業と一緒に退職されることになって、私はへたくそでしたが先生に色紙を書いて贈ったんです。そうしたらすごく喜んでくださって、その場で、これを使いなさいと硯箱ごと手に持たせてくださいました。
その時は大好きな先生から愛用の硯をいただいたことだけで喜んでいたのですが、父の知り合いに骨董が好きな人がいて見せたら端溪硯に違いないと言われて驚いてしまいました。もしやそんな貴重な物をと先生にお聞きすると、やはりたしかに端溪硯で、家族一同びっくりしてしまいました。
硯も手入れが大切です。普段は使い終わったらすぐに隅々まできれいに洗います。古い墨は宿墨といって、これが残っていると、次に新しい墨を擦っても、その墨が台無しになってしまいます。
また硯は石ですから半永久的に使えますが、それでも使っているうちにだんだん磨り減って、気持ちよく墨が擦れなくなってきます。硯の墨を擦る所(陸といいます)を光に透かしてみると、キラキラした細かい粒が見えます。このキラキラが鋒鋩とよばれる硯の命なんです。鋒鋩が磨り減ってしまったら、専用の砥石のような物で陸を研いで新しい面を出してリフレッシュさせます。これを鋒鋩を立てるといって、普通は硯作りの専門家にお願いしてやっていただきますが、優れた書道家は自分で鋒鋩を立てることができます。
私が成人式を迎えるころ、先生からお手紙を頂戴しました。書道を楽しんでいますか、硯は使っていますか、だいぶ使い込んだ物を渡したので、そろそろ一度手入れをする時期かもしれない、硯を持って遊びにいらっしゃいと書かれていました。十何年ぶりにお会いする先生はとてもお元気で、私はいい歳をして、小学生に戻って先生に抱きついてしまいました。
この次、この硯に鋒鋩を立て直すのはいつになるでしょう。たくさん字を書いて、たくさん硯を使って、また先生に会いに行きたいと思います。今年の書き初めも、もちろんこの硯を使って書きました。一生使っていきたい私の宝物です。 


»このいわしのツリーはコチラから