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「父の横顔に少年の涙を見た「砂山」」by id:TomCat
同じ詩に山田耕筰と中山晋平の二人が曲を付けていますが、父が歌っていたのは中山晋平の曲の方でした。
まだ私が小さかった頃。たしか、夏の夕方だったと思います。父が窓から夕日を見つめて、「海は荒海 向こうは佐渡よ」と歌っていました。
ふと父の顔を見ると、ひとすじ涙が流れていました。私は『お父さんがどこかに行ってしまう』と思って、どこにも行っちゃ嫌だと泣きべそをかきながらしがみついてしまいました。
すると父は驚いたように、どうしたんだよと微笑みながら、どこにも行かないよ、と言ってくれました。
だって泣いてたから、と言うと、ああ、この歌を歌うと、お父さんの子供のころの家を思い出すんだよ、驚かせて悪かったなと言って、頭の上にぽんと手の平を置いてくれました。
二人で並んで夕日を眺めました。父がまた「砂山」を歌い始めました。さっき涙の光っていた横顔は、とても力強い顔に変わっていたように思えました。
最初、父は少年の心に帰っていたのでしょう。それを私が隣に来たことで、父親の心に引き戻してしまったのかもしれません。
ちょっと邪魔しちゃったかなとも思いましたが、父の歌声が夕闇に溶けていくような感じがとても心地よく、そして、かけがえのないひとときに思えました。
二人で真っ暗に日が暮れるまで、そうしていました。まだ本当に小さな頃の記憶ですが、その時のことは今でも鮮明に憶えています。
* * *
この曲の詞を書かれた北原白秋は1942年に没しておられ、既に著作権の存続期間が過ぎていますので、以下に歌詞を掲載させていただきます。
* * *
砂山
作詞:北原白秋
海は荒海 向こうは佐渡よ
すずめ鳴け鳴け もう日は暮れた
みんな呼べ呼べ お星様出たぞ
暮れりゃ砂山 潮鳴りばかり
すずめ散り散り また風荒れる
みんな散り散り もう誰も見えぬ
帰ろ帰ろよ ぐみ原分けて
すずめさよなら さよならあした
海よさよなら さよならあした
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同じ詩に山田耕筰と中山晋平の二人が曲を付けていますが、父が歌っていたのは中山晋平の曲の方でした。
まだ私が小さかった頃。たしか、夏の夕方だったと思います。父が窓から夕日を見つめて、「海は荒海 向こうは佐渡よ」と歌っていました。
ふと父の顔を見ると、ひとすじ涙が流れていました。私は『お父さんがどこかに行ってしまう』と思って、どこにも行っちゃ嫌だと泣きべそをかきながらしがみついてしまいました。
すると父は驚いたように、どうしたんだよと微笑みながら、どこにも行かないよ、と言ってくれました。
だって泣いてたから、と言うと、ああ、この歌を歌うと、お父さんの子供のころの家を思い出すんだよ、驚かせて悪かったなと言って、頭の上にぽんと手の平を置いてくれました。
二人で並んで夕日を眺めました。父がまた「砂山」を歌い始めました。さっき涙の光っていた横顔は、とても力強い顔に変わっていたように思えました。
最初、父は少年の心に帰っていたのでしょう。それを私が隣に来たことで、父親の心に引き戻してしまったのかもしれません。
ちょっと邪魔しちゃったかなとも思いましたが、父の歌声が夕闇に溶けていくような感じがとても心地よく、そして、かけがえのないひとときに思えました。
二人で真っ暗に日が暮れるまで、そうしていました。まだ本当に小さな頃の記憶ですが、その時のことは今でも鮮明に憶えています。
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この曲の詞を書かれた北原白秋は1942年に没しておられ、既に著作権の存続期間が過ぎていますので、以下に歌詞を掲載させていただきます。
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砂山
作詞:北原白秋
海は荒海 向こうは佐渡よ
すずめ鳴け鳴け もう日は暮れた
みんな呼べ呼べ お星様出たぞ
暮れりゃ砂山 潮鳴りばかり
すずめ散り散り また風荒れる
みんな散り散り もう誰も見えぬ
帰ろ帰ろよ ぐみ原分けて
すずめさよなら さよならあした
海よさよなら さよならあした
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