イエ・ルポ 2 #035
みなさまこんにちは、ハザマです。昨日スタートした“リブ・ラブ・サプリ〜FORTUNE”#032の語らい、さっそく楽しいメッセージが集まってきていますね! なかでもいろんな「占い」のお話がたくさんで、占いの語源についても、なるほど〜と面白く読んだり。あと、。イエの軒下にツバメの巣や、春の最初の鶯の声を右耳で聞くと幸運のしるしなど、「鳥」って「瑞鳥」という言葉もあるほど、幸せを運んでくる生き物として幸運に縁が深いんですね…。人と暮らしを不思議に元気づけてくれる言い伝えや縁起、そんなフォーチュン・サプリにみなさまのエピソードを聞かせて頂けるのは本当に楽しいことです♪
さて、今日は“イエ・ルポ 2”#035の語らいをスタートします。今回のお題は、id:TinkerBellさんよりご提案頂きました「家族へ友へ、あの人に伝えかったけれど伝えられなかった言葉」です。久しぶりにココロの物語をめぐるテーマですね。みなさまはこのお題から、一番に何を思い出されるでしょうか? 今はそばにいない人、近くにいても言い出せなかったこと、あるいはこれから伝えたいと思っていること…。下のテーマ・メッセージにあるように、感謝でも愛でもごめんなさいでも、大切な人への気持ちをエピソードとともに語り綴って下さい。今回はどんな物語を聞かせて頂けるでしょうか、みなさまのからのメッセージを楽しみにお待ちしています!
イエ・ルポ2 ピックアップタイトル
あの人に言いたかった、でも言えなかった言葉
愛していると言いたかった、ごめんなさいと言いたかった、○○と言いたかった…。そんな言いたくても言えなかった言葉を、エピソードを添えて教えてください。もしかしてここから、伝えたかった思いが伝わっていくかもしれません。
by id:TinkerBell
家族へ友へ、あの人に伝えたかったけれど伝えられなかった言葉
「家族へ友へ、あの人に伝えたかったけれど伝えられなかった言葉」を教えて下さい
“ルポ・タイトル”
「おばあちゃんへのありがとう、その気持ちを綴った手紙」by ハザマ
“ルポルタージュ”
これまで何度かお話してきた祖母のこと。物心ついた時にはすでにいなかった祖父・祖母の中で、私にはたった一人のおばあちゃんでした。それも一人娘の母から一人娘の私、と特別なつながりを深く感じる人でした。
その祖母が亡くなったのは10年以上も前になりますが、今も心に残っていることがあります。その年、いつものように夏期休暇の帰省で会ったおばあちゃんは、足腰は弱っているものの元気そうで、安心したねと家族で話していました。ところが、脳血栓で倒れて入院したという知らせを受けたのはそのわずか2カ月後のこと。すぐに帰郷してお見舞いに行きましたが、肺炎も起こして特別治療室で言葉も発することが出来ないくらいの状態でした。ありがたかったのは、意識ははっきりしていて、私がかける言葉にうなずき、口を動かして何か言ってくれているのがわかったことでした。でも私はその時に「おばあちゃん、早く元気になって帰らないと、猫のラッキーが待ってるんだよ」と、励ますつもりの言葉しか言えませんでした。
それから半月後、父から訃報が入りました。お葬式で、よくお山で一緒に一服した煙草を1本、棺に入れて、最後のお別れをしました。「おばあちゃん、またね、バイバイ」。そう言って、どうしてあの時ひと言でも「ありがとうね」って言わなかったんだろうと思うと涙があふれて止まりませんでした。これまで一度だってちゃんとありがとうって伝えてなかったじゃない…。
京都に戻り、私は初七日に行くことが出来なかったので、長くおばあちゃんと暮らしてくれていた叔父と叔母に手紙を書きました。私が生まれた時からうんとお世話になって、幼稚園へ行くのをいやがっていつも困らせたこと、お多福風邪で入院した時にずっとついていてくれたこと、受験の時は「せえらって(精出して)勉強せえよ」「もう寝んかいね」と見守ってくれたこと、帰省するたびに「元気でやりよんかい、体こわしたらなんもならんけの」と心配してくれていたこと…そんなおばあちゃんに、ひと言もありがとうを言えなかったのが情けないと。今おばあちゃんのご仏前に行かれないけど、どうかありがとうって伝えて下さいと。そして叔父と叔母に、何もお返しできなかった私の代わりにおばあちゃんを大切にしてくれてありがとう、長い間みんなの大事なおばあちゃんの面倒を見てくれて、どうもありがとうございましたと書きました。
後日、叔母から涙声の電話をもらいました。「おばあさんに言っておいたからね」と。そして叔父が喪主のあいさつの時に、欠席している私からの言葉だとその手紙を読んでくれたことを聞いて、恥ずかしくもありましたが、おばあちゃんに少しでも思いが届いた気がして素直に感謝を伝えました。
今は年の暮れとお盆のお正月にお墓とお仏前で「いつも見守ってくれてありがとうね」と手を合わせることしか出来ませんが、あるものを手元に置いていつも思い出しています。おばあちゃんの部屋から形見にもらってきた古い煙草入れ。おばあちゃんと一緒に一服しながらしゃべった時間を懐かしく、あたたかく思い出しています。
※今回の「いわし」ご投稿は5月28日(木)正午で終了とさせて頂きます。
※今回のピックアップ賞は5月29日(金)に「イエはてな」にて発表いたします。
※〈イエはてな〉では、いわしへ投稿されたコメントと画像をダイアリーに転記しています。できましたら「投稿画像のwidth属性」を450px以内に指定していただけますようご協力をお願いいたします。
「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」
彫刻刀用の砥石および彫刻刀。
はがきサイズくらいの版画を彫るのに使います。彫刻刀は文房具屋さんで売っている普通の彫刻刀ですが、砥石は画材屋さんで売っている彫刻刀専用の砥石。中央の赤い砥石が中砥、左の白い砥石が仕上砥。細かい版画になると、彫刻刀を研ぎながら、1ヶ月くらいかかります。こちらに作品があります→http://hmk.iijiman.com/wood.html 最近彫っていないなあ。またそろそろ何か彫ろうかなあ・・・
作品サイトの木版画も楽しく見せて頂きました!
いるいる♪ くるんさん、ふにゃもるさん、うへへさん…前に立体作品で見せて下さったひとたちw
名前も愉快なオリジナルキャラクターたちが勢揃い、家族や猫の朔ぴょんの作品もあったかで素敵です。
−ハザマ−
»“リブ・ラブ・スナップ”今回のテーマはコチラから
募集期間中にご投稿頂いた方にもれなくはてなポイント300ptプレゼントいたします。
また、スナップ賞にはアマゾンギフト券3,000円分をプレゼントいたします。
いわしの回答(転記)
元恋人が仕事を辞めたとき、なんでもっと頑張らないんだよときつい口調で言ってしまった。本人のためを思ってだったが、けんか続きだった。ほんとは心配していたのに。
私は、家族が病気なのですが、心配の余り強い口調で注意してしまうことがよくあります。。。涙 でも、本当は、tunamushiさんがおっしゃっているように、“心配しているから”なんです。これからは、もっと素直に「心配しているんだよ」と優しいトーンで言えるようになりたいです!
亡くなった祖母に伝えたいですね。死に目に会えなかったので、後悔しています。亡骸に伝えたかった言葉をたくさん投げかけましたが、やはり生きているうちにモットモット伝えておけばと思います。本当にあなたの孫に生まれてよかったと祖母を思い出すたびに思いますね。
自分と親しい人が急死して「最後ぐらいは何か感謝の気持ち伝えたかった」と思うとき、私の頭に浮かんでくるのがこの言葉です。「ありがとう」や「好きです」よりも照れ臭くて言いにくい言葉ですが、その分感謝の気持ちが伝わると思います。
高校時代に中のいい友人がいました。違う大学に行ってしまい、もう連絡を取っていません。でもあなたといるときが一番楽しかったよ。できることならもう一度あって話をしたいです。
大学への進学のため、初めて1人暮らしをすることになりました。
やってみて、その大変さに初めて気づきました。
今まで、母がうるさく起こしてくれていたのも懐かしい
起きたら朝ごはんができていたのもありがたい
帰ってきたら、洗濯物がしてあって、きれいにたたまれている
家中どこもピカピカ。
こんな日常が、ものすごく幸せだと思えて、次に家に帰ったときには
「ありがとう」と言おうと決意していましたが、
結局いえませんでした。
「どう?家事、うまくやってる?」
「うん。なんとかね」
「大変でしょ。今まであんまりやったことなかったから」
ここで、言うべきだったのですが、言葉がでてきませんでした。
面と向かってありがとう、なんていったことないですし^^;
感謝の気持ちでいっぱいでした。今ならいえそうです。本当はあの時こういいたかったんだよ・・・。
「今までずっとお母さんに助けてもらってたんだね。ありがとうと言いたかったけど、恥ずかしくていえなかったんだ。食べずに出て行ったり、起こすのが遅いなんて文句ばかりいっててゴメンネ」
あ〜。今すぐにでも言いたくなりました(笑)
でも、帰ってから言おうっと♪ このはてなのおかげでいい機会ができました。ありがとう。
よく嘘をつく子供でした。
宿題は済ませたのかと親に聞かれて、「もう、やった」
本当は全然手付かずで、学校に行ってから友達のを写させてもらったり。
家業の手伝いをさせられるのがイヤだったから、日曜日にも友達の家で勉強するっていって、実際には公園で野球をしたり。
本当のことを言わずに、つい誤魔化して安易な逃げ道を捜す子供でした。
だから「ごめんなさい」と素直に口にすることがほとんどなかったです。
なんか言い訳、自分を正当化する術はないかとそればかり考えていたのです。
「ごめんなさい」
こういうのはまとめて謝るものではないでしょうが、一度、親に感謝の気持ちもこめて「ごめんなさい」言いたいものです。
酔っ払ったときにでも小さい声で言おうかな。
小学校、中学校、高校。それぞれ別の人ではありましたが、好きな人が居ました。
でも、私は愚かな決心をした人でした。
好きになっても決して口には出さない、と。
今思えば、言えば良かったのです。伝えれば良かったのです。
一言、好きです、付き合ってください、と。
そして、多くの場合(というより多分全部)、当たって砕ければ良かったのです。
その方が、勉強になったし、色々考えただろうと思うのです。
断られて、笑われて、嫌われて、自分が傷つくのが嫌だった、それだけのために、無駄な壁を自分の周りに張り巡らせたのです。
愚かでした。
結婚した今になって、過去を蒸し返すつもりは毛頭ありません。
が、もしタイムマシンというものが開発されて、「過去の自分に会いに行くことが出来る」としたら、過去の自分をつかまえて「好きなら好きと言ってこい!」と、こっぴどく叱りたいです。
中学の時に1番中の良かった男の子が好きでした!
仲が良すぎてどんな形でもいいから、ずっと貴方のそばにいたくて
好きだと言えなかったのが今でも心残りです。
今ではお互い結婚したし、これからもよろしくね。
クラスで障害者への”いじめ”があることが分かっていたのにこの一言が言えなかった。ただ傍観していたわけでは無いが、行動で止めさせることが出来なければ、共犯と同じだ。家が近くてすれ違うたび、お互いに”いたたまれない”気持ちでいっぱいだった。。そしてその子は引越してしまった。。。絶対に”いけない”ことだと分かっていたのに後悔...ただ後悔。ごめんね”なっちゃん”
旅行を多くしていると、声をかけようかかけまいか、迷うことが多々あります。
これから同じ目的地に行こうとしている人が、交通手段を模索している時。
宿泊している宿のお風呂やロビーなどでゆったりとした時間を過ごしている時。
寺社などの休憩所で、抹茶などを頂いている時。
機会は諸々ありますが、話しかけようか迷うことがとても多いです。
旅先で、現地の方や同じ旅行者の方と話すのは好きなのですが、実際に話すのはなかなか難しかったりします。
時には、自分だけの時間を過ごしたい時、言ってみれば黙々と自分だけの空間に浸りたい時は、自分にもあるので、
話しかけることによって、相手のそんな時間を害してしまうことは避けたいからです。
大抵は、表情や仕草などによって決めますが、どちらか察せない時などには、無理には話しかけないようにしています。
いまから13年前に、小学校からの親友を亡くしました。当時は、お互い仕事が忙しかったこともあり、なかなか会えなかったのですが・・・彼女は、何の前触れもなく突然倒れてから、わずか10日余りで、意識が戻ることもなく、逝ってしまいました。さよならも言えなかった。何よりも、亡くなる前の1年間、ほとんど連絡が取れなかったことが、今でも悔やんでも悔やみきれません。
そして、どうしても伝えたかった言葉は・・・「○○○ちゃん、ずっと私と親友でいてね!」です。彼女がいなくなってから、もう13年が経ちますが、私はまだ、その死を受け入れることができず、また、立ち直ることができません。でも、いつもお墓に会いに行く度に、直接伝えることのできなかった言葉、「○○○ちゃん、ずっと私と親友でいてね!」と言っていますし、これからも言い続けると思います。
もし、願いがひとつ叶うなら・・・もう一度、一度でいいから彼女に会いたいです。そして、会って直接、この言葉を伝えたいです!
別れてしまった恋人に・・・。ケンカ別れみたいになってしまったけれど、良いこともたくさんあったし、「あなたに、出会えたことに感謝しています!」の一言だけは言っておけば良かったな、と思います。その時は感情的になってしまって、悪いところばかり見えてしまうんですよね。。。汗 でも、人と人との出会いは奇跡! 感謝の言葉は述べておこう、後になって後悔しないためにも、、、と自戒します!
数年前、付き合っている人がいて、でも、些細なことからお別れすることになってしまいました。でも、その数年後、再会することがあり、まだその人のことを大好だという気持ちに気が付いたにも関わらず、「他に好きな人がいる」とこころにもないことをいってしまいました。もし、あの時、素直に「付き合ってください!」と言えていれば・・・私の人生も変わっていたかもしれません。後悔先に立たず、ですね。。。涙
私はどの言葉よりも、「I love you!(あいしてる!)」と、家族や親友に言いたいです! 私は、米国に住んでいたこともあり、この言葉にあまり違和感を感じないのですが・・・日本では、なかなか面と向かって「あいしてる!」とは言わないんですよね!(苦笑) でもチョットおどけた感じで「I love you!」と言うと、受け入れてくれる人が多いことを発見して、少し恥ずかしいのですが、肝心なときにはこの言葉を発するようにしています。確かに、日本人としては、「好き」より100倍くらい恥ずかしいですが、私は、大切な人にこそ、“伝えておかなければいけない言葉”のような気がしています^^☆★
何年か前、ご近所の周辺で空き巣と車上狙いが多発しました。我が家は自家用車の車上狙いに遭いそうになりました。
買い物や日帰りの時でもお隣さんに<ひと声>かけて行けば、その時間帯に妙な物音がすれば玄関先くらいまでなら見に行ってくれたでしょう。そこまでしなくても留守宅に電話をして様子をうかがってもらえるようにお願いしておけば、泥棒なら退散したかもしれません。
小旅行などで数日以上、家を留守にするならちょっと頼み難いですが、<向こう三軒両となり>さんにお願いしておけば良かったのでしょう。。。
帰宅したらお礼を言ってちょっとしたおみやげを。。。。なんて煩わしいからと不精をしているととんだ被害にあうものなのでしょう。
また今年も試験に落ちてしまって。
もう良い歳なのに、支えてくれて感謝してます。
と、同時にごめんなさい。という思いが大きいです。
来年こそは親孝行します!!
中学生の時、好きだった女の子のお弁当を食べてしまいました。。。
とっても小さいランチボックス ひとつがおかずでもうひとつがごはん
卵焼きと赤いウィンナーとポテトサラダ ごはんはチキンライス
なんでこんなに覚えているのかと言いますと、その彼女が泣いて泣いて先生に報告して大変な騒ぎになって、ホームルームで私が謝らされたからです。。。
私には、小学・中学・高校の間ずっと仲のいい友達がいました。小学校のときひょんなことで意気投合し、高校3年生までの間、休日はほとんど一緒に遊んでいました。その子からいつも遊びの誘いがあり、ゲームや魚獲りをしたりして、一日中遊んだものでした。
しかし些細なことから、高3の夏にその関係を壊してしまいました。夏休みのある日、川で遊ぼう、と誘ってきた友人の申し出を断ってしまったのです。2,3回誘いがあったのですが、断り続けました。
当時進学を希望していた私は、成績が低下していて、このままではどうなるか不安でした。だから、遊んでいる閑はない、と思い断ってしまったのです。仲が良かったので、彼もわかってくれるだろう、という甘えもあったかもしれません。
でも彼には、わからなかったようでした。高校の卒業式が終わった数日後、駅で彼を見かけました。声をかけようと思ったのですが、彼の寂しい目を見て、声をかけることができませんでした。そのときはじめて傷つけていたことに気づき、どう声をかけていいか、分らなかったのです。
その後、今まで彼と会うことはありません。ときどき、彼の母親と会うことがあります。遊びにきてね、といわれますが、なんだか気まずいというか、なんとなく遊びにいってません。どうでもいいのに、なんだかきっかけがつかめない、そういう感じなのです。でも、彼が今仕事で頑張っているのをきくと、こちらも負けずに頑張ろう、そういう気持ちになります。彼も頑張って欲しいです。
まだ小学校に上がる前のことです。
家のすぐそばに、私と同じぐらいの年の男の子が住んでいました。
同い年ぐらいの子供が他にいなかったこともあり、時々遊んでいました。
でも、その子の家が知らないうちに引っ越してしまい、会えなくなってしまいました。
会えなくなった事も寂しかったけど、それよりも、さよならさえ言えなかった事が残念で仕方ありませんでした。
もうその子の名前も顔も思い出せないけど、そのことだけは今でも心残りです。
高校生のころの話です。
ぼくは日本を一時離れることになりました。
そのことを一番残念がってくれたのはN君。
彼とは将棋の友達で、彼我の実力もちょうど同じほど、勝ったり負けたりいい勝負でした。
お互いの家に行っては、お互いの家族にあきれられながら1日中将棋を指したりしたものでした。
将棋なんか誰と指しても同じように楽しいんじゃないの。
そう考える方もいるかと思いますが、それがそうでもないのです。
相手が強すぎても弱すぎてもうまくいかないんですよね。
N君には少々気難しいところもあって、だから友人の少ない男でもありました。
そのかわりにいったん打ち解けると太くて濃い友情を感じさせる人間でした。
現在だったらネットを通じて、世界中のどこにいても対局ができるのですが、もう20年以上も前のこと。
しばらく彼とは将棋がさせないなと思っていました。
すると出発間近いある日、彼がうちに遊びに来たのです。
これ、向こうで解いてくれ。
彼が持ってきたのは自作の詰め将棋集でした。20問ありました。
詰め将棋というのは一種のパズルで、王手の連続で王様を詰める、1人でもできる謎解きです。
手紙というものが、読むのは一瞬でも書くのには時間がかかるのと同じように、詰め将棋も作るのにはずいぶんな時間がかかります。
詰め将棋作品は解くのに時間がかかるかどうかだけで評価されるのではなく、置かれた駒の配置の美しさ、テーマ性、意外性など総合的に俯瞰して味わう一種の芸術品です。
もちろん高校生の素人が作る作品ですから、世に誇れるほどの代物ではないのでしょうが、自分のために作ってくれた、しかも海外では将棋を指す相手を見つけるのにも苦労するだろうと察してくれてのプレゼントだったので、ものすごくありがたかったです。
その詰め将棋ですが、ひと目で解けたのもあったり、2日ほど考えないと思いつかない盲点を突いたものもあったり、十分楽しめました。
ですが1問だけ、解けていないのがまだ残っているのです。
どうしても正解手順がわからない。
江戸時代には将軍に詰め将棋作品を献上するという慣わしがあり、伊藤看寿が「将棋図巧」という詰め将棋作品を残しています。「詰むや詰まざるや」というキャッチコピーがこの作品集には冠せられています。つまり詰まないものも含まれているのです。
もしかしてN君、将棋図巧のひそみに倣って、不詰めのものも紛れ込ませたのかな。
将棋ソフトを使えば正解手順のあるなしはすぐにわかります。プロ棋士に解いてもらうという手もあります。
ただ、そんな無粋なことはしたくありません。
自分で解くか、N君に教えてもらう、この2通りしか考えられません。
ただ、N君とは事情があって連絡が付かなくなっているのです。
いつかどこかでもう一度N君と会うことができたら。
「お前の作った詰め将棋の8番、正解を教えてくれよ」
ニヤリと得意そうに笑うN君の顔を想像しています。
お父さん、お母さん、こんなにも私を愛してくれて、ありがとう!!
私は、子供扱いされるのが嫌いな子供でした。一刻も早く大人になりたくて仕方がありませんでした。自分がいかに一人前であるか。それを認めてもらいたくて仕方がなかったんです。
早く大人になりたいという願いは、早く親から離れなければいけないという気持ちにつながっていきました。しかし、私は親離れの仕方を知りませんでした。親の愛を遮り、親を嫌うような態度を取ることが親離れなんだと、そう勘違いしていたんです。
その予兆は、小学生の時に既にありましたね。お父さん、私は今でも覚えています。私の肩に伸ばされた手を振り払ってしまった時の、お父さんの戸惑ったような顔を。
お母さん、私は今も忘れることが出来ません。抱きしめられることを拒絶した時の、お母さんの寂しそうな顔を。そうか、男の子だもんね。そうつぶやいた唇が震えていたのを。
愛を拒絶したかったんじゃないんです。ただ親離れしたかっただけなんです。でも、行動が心を変えてしまうって、ありますよね。そうやって両親の愛を遮りながら成長していくうちに、いつの間にか典型的な、親子の断絶を迎えていってしまいました。そして私は、いわゆる不良になりました。
私は、大きな間違いを犯していました。今なら、何が間違っていたのかを、ハッキリと認識することが出来ます。本当の大人とは、注がれる愛に、しっかりと報いていくことが出来る人間のことを言うんです。私にはそれが見えませんでした。
お父さん、お母さん。あんなにも私を愛してくれて、本当にありがとう。今の私があるのは、全てお父さんお母さんの愛のおかげです。私は愛され方がへたくそな子供でした。でも、慈雨のように注がれた愛が、今も私をこんなにも満たし、潤してくれています。それはあなた達の愛が、あまりに深く、大きかったからです。
お父さん、お母さん。私はあなた達の大きな愛のお陰で、踏み外した道から立ち直ることが出来ました。そこから後は、できるだけ素直に愛を受け止め、それに報いていこうと努力したつもりでした。でも、上手くいきませんでしたよね。「素直」ってやつは一度捨ててしまうと、再度手に入れることが出来ても、その使い方がよく分からなくなってしまうみたいなんです。
そうこうしている間に、あなた達は天に昇ってしまいましたね。愛を返すことはおろか、愛してくれてありがとうとも言えないまま、私は「本当の親離れ」を迎えてしまうことになりました。
これから私は一生をかけて、愛ある家族の築くイエを考え、一人でも多くの人達と語らい、その輪を広げていきたいと思っています。それがあなた達の愛に報いるための、最後に残されたミチだと思うからです。
お父さん、お母さん。あなた達が築いてきたわが家こそ、愛ある家族の築く理想のイエの姿だったと思います。それを受け継ぎ広げていくことが、私の報恩です。最後にもう一度。お父さん、お母さん、私をあんなにも愛してくれて、本当に本当にありがとう!!
生まれて初めてのプロポーズは結局永遠に言えずに終わってしまいました。男女交際が初心者コースだったし、自分の感情が良く分からなくって、結婚する意味も理解してなくて、結婚生活も必要なのかどうかなんて。。。 迷っているうちに見事に振られてしまいましたが、あの人だったら今の人生は。。。。なんて考えるのはやめときます。
入院したことがあるのですが、そのときに同じ病棟でよく声をかけてくれる患者さんがいました。
その人はよく気がつく方で、他の人にもいろいろと声をかけて話をしている様子でした。
それがとても自然で押し付けがましいところがなかったのに好感を持っていたのですが、
そのことをとうとう口にはださずに、世間話ばかりしていているうち私は退院し、それきりになってしまいました。
いろいろ心細い入院生活の中、いろんなことを教えてくれたり、面白い話を聞かせてもらって本当に感謝してます。
3年ほど前に、骨髄移植のドナーになりました。
少し遠くの病院にて採取のための事前採血に通った時でした。
担当の看護婦さんがいつも、『遠いところ、来てくれて本当に大変ですね〜〜』とか声をかけてもらいました。
でも緊張と知らない病院って事で、不安で受け答えも満足に出来ない私でした。
一緒にくっついてきてしまった息子を処置室に入れてくれて、椅子に座れせて、私の近くにおいてくれるように手配してくれたり。
抜糸の時も、息子が一緒にいたので、その間だけ相手してくれたり。
ありがとうございます!もろくろく伝えないままに病院を後にしました。
もう病院に行く事もないので、お会いできないですが、本当に緊張していた私と息子の心をほぐして下さった・・と今頃感謝しています。