イエ・ルポ 2 #027
みなさまこんにちは、ハザマです。一昨日の「七日正月」につづいて、明後日11日は「鏡開き」の日ですね。鏡餅をおろしておしるこにしていただく日。昔は大きな鏡餅を金槌で小さく割って、遠火で時間をかけてやわらかく焼いたものですが、今だとそんなに手がかからないかたちのものが多いですよね。おしるこやぜんざいの甘みでお正月の疲れをとりつつ、今年の健康を願う。日本の美味しい縁起物を家族で味わって、ちょっとゆったりお茶の時間を過ごすのもいいですねw
さて、今日は“イエ・ルポ 2”#027のいわしのスタートです。今回は、id:YuzuPONさんにご考案頂いた「我が家の愛着アイテム」をテーマに。下にご紹介するテーマ・メッセージのように、使い込むほどに価値や味わいが増す愛用品って、愛着の心とともに素敵ですよね。たとえば手入れをしながら何十年と使いつづける木のまな板や工具類、先代から受け継ぐ家具や食器…。あなたのイエにはどんなモノが息づいていますか? その使い心地やエピソードもぜひ教えて下さい。これからずっと使いつづけようと今大切にしているモノも、いろいろにご紹介を! 長く使っていけるモノにこそ生まれる豊かさと物語、今回はどんなお話を聞かせて頂けるでしょう。みなさまからのルポを楽しみにお待ちしています!
イエ・ルポ2 ピックアップタイトル
古くなればなるほど価値が出る、使い込むほどに味わいが出る、そんな愛用品についての熱い思いを聞かせてください。
何でも使い捨ての世の中ですが、時を経ることによって、使い続けることによって価値が高まる物もたくさんあると思います。みなさんの愛用の品と、それに関するエピソードや思い入れを熱く語ってください。
by id:YuzuPON
使い込むほどに価値と味わい!我が家の愛着アイテム
「使い込むほどに価値と味わい!我が家の愛着アイテム」を教えて下さい
“ルポ・タイトル”
「気づけば長年の愛着、麻のクロスや洋服」by ハザマ
“ルポルタージュ”
使うほどに味わいのアイテム、私がはじめて気づかされたのは〈麻〉の布でした。もともと麻の張り感のあるテクスチャーが好きで、夏のブラウスやスカートによく選んでいたのですが、気づくと一番長く着つづけているものは麻の洋服でした。そして今では、キッチンで掛け布にしているクロスやティッシュボックスカバー、鞄の中のポーチなど、普段使いの布モノも麻が中心になりました。
麻はアイロンを掛けてパリッとした質感も美しいですが、使ってやわらかくよれた感じもやさしく、色褪せしてもなぜか味があるんですよね。着たり使ったりするほどに心地よく肌に馴染んでくる感じや、古びたところがまた表情になる…そんな経年の愛着を感じさせる麻は、布の中では天下一ではないかと思わされます。
写真は、もう10年以上毎年着ている麻の巻きスカートやワンピース、普段愛用しているイエ・グッズたちです。まだまだこれから活躍してくれるでしょう。使いながら段々と我が家の顔になってくる、そんなモノとのつきあいに気づかせてくれた大切な麻の愛用品です。
※今回の「いわし」ご投稿は1月15日(木)正午で終了とさせて頂きます。
※今回のピックアップ賞は1月16日(金)に「イエはてな」にて発表いたします。
※〈イエはてな〉では、いわしへ投稿されたコメントと画像をダイアリーに転記しています。できましたら「投稿画像のwidth属性」を450px以内に指定していただけますようご協力をお願いいたします。
「今日の一枚“リブ・ラブ・スナップ”」
年末早くから、神社で真心の支度をされているのもありがたいことです。
私も参拝される人々の姿を、この一年に何をお願いしているのかなと眺めながら
家族の健康と夢の成就を祈りました。心も凛とあらたまる年の始めですね。
−ハザマ−
»“リブ・ラブ・スナップ”今回のテーマはコチラから
募集期間中にご投稿頂いた方にもれなくはてなポイント300ptプレゼントいたします。
また、スナップ賞にはアマゾンギフト券3,000円分をプレゼントいたします。
いわしの回答(転記)
機械ですが、乗り続けるほどに愛着がわいてきます。ワックスかけたり、メンテナンスしたりしている時間は、比較的充実しています。色々な景色を見たり、色々なところにいったり、かなり思い出が詰まっていますね。
既製品のバッグを買うよりも、自分で作ったトートの方が愛着がわき、多少の不恰好部分があっても大事にしています。
自分の好きな色、柄、素材で手作りしただけあって、飽きが来ないんです。
汚れても洗える素材で作っているので、繰り返し使用できるよう、先を見越した作りにしてあります。
一生懸命作った過程があるからこそ、愛着がそこに生まれてきます。
栞なんて消耗品、あるいは使っているうちにどこかになくしてしまうのものでしょう、というなかれ。
大切にすれば栞だって何十年も使えるし、使い込むうちに愛着だって湧いてくるのです。
ぼくの愛用の栞は美術館でおみやげに買った岸田劉生の絵画のもの。童女図のデザインのものです。
この栞、ぼくと一緒に大学の授業も受けたし、海外にも何度も行った、嫁さんよりも古い付き合いのものです。
さすがに角が取れてきているので、以前同じものを見つけたときに2代目に買い換えようかとも思いましたが、ここまで使ったんだからもうちょっと付き合ってもらおう、とそのまま使っています。
この栞のたった一つの欠点は、ぼくはよくキングのホラー作品を読むのですが、夜中に今日はここまでで眠ろう、さあ栞の出番だ、ってときに童女図がとても不気味に見えてしまうこと。これにはなかなか慣れません。それだけ絵のパワーがあるってことでしょうね。
愛着が沸いて、とても捨てられません。
食器でもそういうものが多いです。
それも、なぜか買ったものじゃなくて、
キャンペーンなどで貰ったものだったりします。(笑)
結婚をする時に、田舎から小皿やどんぶりをいただいて来ました。
母の実家なのですが、ものすごい田舎なので、行事ごとにたくさんの人が集まるので
小皿やどんぶりがものすごくたくさんあるのです。
私が結婚した頃はすでに祖父はなくなっていて祖母もだいぶ年を取っていたため
そんな皿やどんぶりたちはあまり使われず大きな食器棚に眠っていたのです。
なので、新しい食器も素敵なものがたくさんありますが、長年使われてきたその食器たちをいただいて帰ることにしました。
最近にはない古いデザインのものばかり、けしって高いものでもありません。
でも、わたしも子供の頃から田舎に帰るたびに使っていた食器たち。
今は私の子供たちも使っています。
家族がまた増えたので、また田舎に帰ったらもらってこようと思っています。
と言いたいのですが、本当はホームセンターで揃えたプラスチックの容器のなかの熟成期間2〜3年ものの糠味噌です。塩分の調整、かくはん、ぬかの補充など手間ヒマはかかりますが、和食好きには無くてはならない常備菜です。味や香りばかりでなく色合いにも気を使い鉄分や辛味も調整しています。なすの紫 きゅうりの緑 は目にもさわやかで大好きです。
母や祖母のお下がり。
友人知人から譲ってもらったもの。
古着で買った、知らない誰かが着ていたはずのもの。
もちろん、自分で買ったものも。
着物には、古いものほど、いろんなエピソードや思い出がくっついていて、身につけるたび、感慨深い気持ちになります。
そして、きっとこれからじぶんの手元で、またいくつもの思い出を作ってくれることでしょう。
いつか自分か着られなくなって、誰かに譲るその日まで…。
家を新築した時に、ダイニングテーブルを購入しました。
今までは狭い団地住まいでしたから、結婚当時に購入した小さな二人用の
ダイニングセットに子供のいすを置いて使っていたのですが
いい機会ということで、あこがれていた大きなダイニングテーブルを購入しました。
樹液を採取した後のゴムの木を特殊加工したというもので作られたダイニングテーブルは
自然の風合いも私たちの好みで、その上、樹液を取ったあとのゴムの木を無駄にしない点も
気に入り、購入を決めました。
まだ三年しかたっていませんが、今でも子供たちがお絵かきした筆圧でできたあとなどがところどころにあり、これが味になっていくんだねと、主人とよく話しております。
これから先も大事に使って行きたいテーブル。
子供たちが大きくなっても家族で食をかこんだり、一緒に勉強したり。
いろんな思い出が増えていくと思います。
椅子もセットで購入していたので、今回
新しい家族が増えたのでもう一脚購入しようと思ったところ、なんとその椅子は廃盤になってしまったとのこと。
ダイニングテーブルはまだあるのですが椅子は別のデザインのみが残り我が家の椅子はもうないんですって。
後半年早ければあったそうなんですが・・・。残念です。
ちなみに、団地で使っていたダイニングセットは、二階で主人の勉強机になりました。
こちらもこちらで愛着のある品です。
革製品と同様、帆布で作られた鞄なども、年月を重ねるごとに良い味が出てきますね。
半端ではない丈夫さもありますが、それに加えて、何とも言えない伝統の味わいがあります。
汚れではなく、使い込んだ分だけ染み込むモノがある気がします。
母からもらった牛側のバッグが真っ先に浮かびました!
イルビゾンテのショルダーバッグで、もう20年以上前でオンリーショップが日本にまだなく販売店が輸入して売っていた頃に買ったものだそう なのにまだお店で同じものが売ってあるんですよ!まずそれにビックリですが
このバッグ、20年前のものとは思えないぐらい状態がよくて型崩れもありません そして使い込んでいい色になっています
そして私がこのバッグを持って出かける日は母も嬉しそうです(そして自分の先見の明にちょっと自慢げ)
荷物が多くて最近出番がなかったのですが、このイエ・ルポのおかげでまた使おうって思いました! 感謝です
手帳を1年使ったあとのボロボロ具合が好きです
夏ごろに側面を見ると前のほうだけ黒くなってるのも好きです
汚れたぶんだけ友達!みたいな感じがしませんか?
どんなに汚れても1年たったらお別れするんですけど、その期間限定なところが魅力なのかもしれません
今年もガンガン汚していこうと思ってます
あれはまだ中学に入りたての頃でした。テレビを見ていた私は、ギターを弾きながら歌っているミュージシャンの姿に、突然すごい憧れを抱き始めてしまったんです。かっこいい・・・・。
それからというもの、もう、寝ても覚めても、ギターが欲しくて欲しくてたまらなくなってしまいました。その頃の私はまだツッパっていない素直な少年でしたから(笑)、お小遣いを貯め、足りない分はバイトをして(中学生の労働は法律で原則禁止されていますが、法が禁止する以外の仕事を行政官庁の許可を得て就学時間以外に行う場合に限って、特例的に許可されるのです。私は友だちのお母さんに頼み込んで、そこで働かせてもらいました)、真面目に真面目にコツコツとお金を貯め、何とか4万数千円のお金を作りました。そして楽器屋さんに行って4万5千円のアコースティックギターを入手。嬉しかったですね。もう、宝物を手に入れた気持ちでした。
それからはもう、弾きまくりました。教則本を買ってきて見よう見まねで弾き始め、朝起きた時から夜寝るまで、家にいる時は片時もギターを離しませんでした。その後私はちょっと道を踏み外して、普通の中高生は歩かないような道を行ってしまうことになりますが、それでもギターは手放しませんでした。
そのあと私はロックの方に進んで、エレクトリックギターが中心の音楽生活になりましたが、やはり原点であるアコースティックギターは、自分の音楽の「軸」をハッキリさせてくれる存在として、私を支え続けてくれました。
そして、今・・・・。長い時間をかけて乾燥してきた木は、私の演奏の特徴をすっかり覚え込んでくれ、私の表現したい音を、私以上によく知ってくれている楽器に成長しました。たった4万円ちょっとで買った量産品のギターですが、弾き込み続けてきた年月が、そこらの名器と呼ばれるようなギターも楽々凌駕するほどの美しい音色を奏でてくれるギターになったんです。
年月が育て上げてきたこのギターの価値は、ぜったいにお金では買えません。同じ型番のギターは今でもたくさんあるでしょうが、エージングによるコンディションに関しては、世界に二つと同じ状態の物は存在しないからです。
買った時は真っ白けだった木の肌が、今では日に焼けて深い深い飴色になっています。毎日毎日この腕に抱き続けてきたギターは、これからも成長を続けていくことでしょう。こんなふうに、ギターというのは、持ち主の人生と共に深みを増していく最高の相棒なんです。このギター、愛しています。
絵本や文庫本、マンガの単行本など、ジャンルはいろいろなのですが、
かなり昔からの本があります。
私が子供の頃に読んでいた絵本は落書きの跡も残っています。
小説などもページが茶色くなっていたりするのですが、なかなか捨てるのは難しいです。
おなじ物語でも、読むたびに新しい発見や、
その読む年代によって感じ方もだいぶ変わります。
良さがわかっていなかったものもあるし、
好きだったけど、今はどうも苦手というものも・・・、
でも、また年を重ねるにしたがって、また捉え方も変わることでしょう。
実は、小学生の時に買った時計を未だに使っています^^
もう10年以上でしょうかw
どうも愛着があって新しい時計をかえずに今日まで使い続けています。
たぶんこの時計が壊れるまでずっと使い続けるんだろうな。
やっぱり思い出というか愛着というか、使い続けてると自然とそういった感情がでてくるものです。
時計自体は安物ですが、それにこもった沢山の思いはわたしにとって大事なもの。
ともに歩んださまざまな記憶が、この腕時計の味わいを増してくれてます♪
私も、受験期に愛用していた時計、まだ大事に使っています。
捨てられないんですよね、あの大事な時期に自分と一緒に歩んだと思うと、なかなか。
私の物も値段は1000円程度ととても安いのですが、思い出が沢山あってとても大切な時計です。
小さいときに子ども会か何かの行事で、
陶器でお皿やコップを作りにいきました。
私はおばあちゃん子だったので、おじいちゃんと一緒に出かけるのははじめてで
ちょっと困っていました。
あまり話さない人で、なんとも言えない、風格が^^;
自分たちで好きな絵を書いて、それを焼いてもらうのですが、
なんと!
おじいちゃんの書いた魚たちの絵が、ものすごくうまい・・・。
びっくりしました。
こんなに絵が上手だったなんて・・・。
当然、知るはずもなく、そこにいた大勢の人が褒めていました。
私のおじいちゃんだよって、となりですごく誇らしくなりました。
そのときのおじいちゃんの書いたお皿、まだ大事にもっています。
私の書いたぐちゃぐちゃな何の絵かさっぱりわからないマグカップと一緒に(笑)
いい焼き物なので、質もよく、もう10年、20年たちますが、
味わいがでてきましたね。。
祖母から母に引き継がれ、その母が引き継いだなべを私が使っております。
家族が減ると、鍋も数が多くあっても困るということで、母からもらいました。
自分で使ってみると、
「あ〜あのときこの鍋でシチュー作ってもらった・・・」などの思い出を思い出すことも多く、大事につかっていますよ〜。
意外と長く使えますよね、なべって。
端溪の硯、それはとても貴重な硯です。広州に斧柯山という深山幽谷があるそうです。そこを流れる谷川を端溪といい、この硯の原石はそこで生まれたものだそうです。端溪の石は唐の時代から硯に最適と珍重されてきたそうで、黒の中に紫が感じられる、艶やかで深みのある色をしています。
この硯を使うと、他の硯よりずっと早く墨が擦れます。そして濃く擦った時は他の硯で擦った墨より黒々さが美しく、薄く擦った時は他の硯で擦った時より滲みのグラデーションが美しいのです。きっと墨の粒子がそれだけ他の硯より細かいのだろうと思います。
この硯は、小学校の習字クラブの顧問をなさっていた先生からいただいたものです。先生はお坊さんの資格を持っていて、それは字の上手な先生です。私は習字クラブに入って、ずっとその先生に字を教えてもらっていました。その先生が私たちの卒業と一緒に退職されることになって、私はへたくそでしたが先生に色紙を書いて贈ったんです。そうしたらすごく喜んでくださって、その場で、これを使いなさいと硯箱ごと手に持たせてくださいました。
その時は大好きな先生から愛用の硯をいただいたことだけで喜んでいたのですが、父の知り合いに骨董が好きな人がいて見せたら端溪硯に違いないと言われて驚いてしまいました。もしやそんな貴重な物をと先生にお聞きすると、やはりたしかに端溪硯で、家族一同びっくりしてしまいました。
硯も手入れが大切です。普段は使い終わったらすぐに隅々まできれいに洗います。古い墨は宿墨といって、これが残っていると、次に新しい墨を擦っても、その墨が台無しになってしまいます。
また硯は石ですから半永久的に使えますが、それでも使っているうちにだんだん磨り減って、気持ちよく墨が擦れなくなってきます。硯の墨を擦る所(陸といいます)を光に透かしてみると、キラキラした細かい粒が見えます。このキラキラが鋒鋩とよばれる硯の命なんです。鋒鋩が磨り減ってしまったら、専用の砥石のような物で陸を研いで新しい面を出してリフレッシュさせます。これを鋒鋩を立てるといって、普通は硯作りの専門家にお願いしてやっていただきますが、優れた書道家は自分で鋒鋩を立てることができます。
私が成人式を迎えるころ、先生からお手紙を頂戴しました。書道を楽しんでいますか、硯は使っていますか、だいぶ使い込んだ物を渡したので、そろそろ一度手入れをする時期かもしれない、硯を持って遊びにいらっしゃいと書かれていました。十何年ぶりにお会いする先生はとてもお元気で、私はいい歳をして、小学生に戻って先生に抱きついてしまいました。
この次、この硯に鋒鋩を立て直すのはいつになるでしょう。たくさん字を書いて、たくさん硯を使って、また先生に会いに行きたいと思います。今年の書き初めも、もちろんこの硯を使って書きました。一生使っていきたい私の宝物です。
機械いじりや工作が大好きな子供だった私は、自分専用の工具がほしくてたまりませんでした。そんな時、父と歩いているとスーパーの店先で百円均一コーナーをやっていました。覗いてみるとニッパーやプライヤー、ドライバーといった工具類が置いてあります。子供でも三百円くらいなら持っているので、ニッパーとプライヤーとドライバーを買いたいと言うと、父はどれどれと言いながら品物を見てくれました。しかし、うーんと渋い顔です。
「悪いけどここに置いてあるのはみんな工作精度がよくないね、ほら」
たしかにぴったり合わさらなければいけないニッパーの刃が透いていたりして、あまりいいとは言えないようです。
「工具っていうのは手の延長だから、本当にいいものを、ていねいに手入れしながら、一生使い続けていくのがいいんだよ、お前がお父さんになって子供が工作を始めた時、これが父さんの自慢の工具さと見せてあげられるような物がいいね」
父はそう言いました。たしかに私が自分用の工具がほしいと思ったのは、ていねいに手入れされた父の工具のかっこよさに憧れたからでした。
そのあと父はちょっと離れた金物屋さんに連れて行ってくれました。
「全ての金物屋さんがそうとは限らないけど、こういうところにはホームセンターで売っているような物よりもワンランク上の工具が置いてある。少なくともここのお店の品物はすばらしいよ」
そう言って、これがお勧めと一本のニッパーを選んでくれました。それは百均のニッパーとは比べ物にならない品物でした。もちろん価格も比べ物になりませんでしたが、プレゼントだと父がお金を出してくれました。
その時のニッパーは使い込むほど手に馴染み、今でも私のあらゆる工作に、本当に手の延長のように活躍してくれています。いまだ全く刃こぼれ無く、動きもスムーズです。
私はそれ以来、あらゆる工具を一生使い続ける気持ちで選んでいます。さすがにヤスリやドリルの刃などは消耗品と考えるべきでしょうが、そうした消耗品も、手入れ次第で持ちが違います。
工作は、物を作るだけでなく、道具の手入れも楽しいんです。使い込んだ工具たちはどれもみな、一生連れ添っていく大切なパートナーです。
プロにとって工具は魂。アマチュアだって、本当に良い工具を大切に使っていきたいですよね。そこに物作りの心があるんだと思います。安物を使い捨てていく人には、本当にいい物は作れないでしょう。
物と向き合う姿勢の原点を教えてくれる、本当に含蓄のある言葉。そして自ら本当に良い物を選んでそれを与えてくれる生きた教え。ある意味これは人生を教えてもらったに等しい、価値ある薫陶ですよね。大人になっても使い続けていける工具を通して、大人になった時に大切になってくることを教えてくれた、本当に素晴らしいお父様だと思います。
使い込んだ工具たちはどれもみな一生連れ添っていく大切なパートナーとの言葉、私も本当に同感です。私は日曜大工好きだった父が使い続けてきた工具を受け継いで使っています。親子二代で使い続けていく工具達を通して、私は今でも亡き父と会話を交わすことが出来ます。父の手の延長だった道具達を持つことで、今でも父と手を握り会うことが出来る気がします。
我が家ではなく実家のものなのですけど、
包丁を長く研いで使い込んでいて、
刃がナイフのような大きさになっているのですが、
それでも切れ味もいいし、手にしっくりととてもつかいやすいのです。
我が家でも、同じように使い込みたいのですが、
去年、床に落としたときにヘンな落とし方をして折れてしまいました。
残念。(>_<)
築30年のリビングの床はいまや「あめ色」というか「べっこう色」というか重厚な色合いになりました。ワックスにこだわっているので、ひなたぼっこしたくなる感触があります。床材の香りもキープできていると思います。我が家の唯一の自慢です!