#017 お題「今も耳に残る…音楽のあるイエの思い出」を教えて下さい
音楽というと、ご自身や家族で楽器を弾かれるおうちもあるでしょうし、ラジオやテレビから聴こえる音楽、ラジカセやステレオから流れる音楽、など思い浮かびますね。私は思い出してみると、小学校低学年まではラジカセもなくて、平置きのカセットレコーダーで父がテレビから直接「大草原の小さな家」のエンディング曲を録音してくれて一緒に歌ったことを覚えていますね。それから置時計オルゴール(昔はあったなぁ)のもの悲しいメロディや、母が得意で時々吹いて聞かせてくれたハモニカかな…。あと自分ではほとんど記憶にないんですが、チビの頃にチーター(水前寺清子さん)が大好きで、椅子に立ってタンバリン振り回してワンマンショーをしていたそうです(歳がバレバレ!笑)
私の少し年少の友達は、小さい頃に当時お父様が好きだったシルヴィー・バルタンの「あなたのとりこ」という曲を聴いて、フランス語で意味もわからないのに、メロディだけで悲しくて悲しくて、それが流れるたびにソファー の下にもぐって泣いていたんだとか。
それから音楽って、出来事と結びついて強く記憶に刻まれますよね。あの時、あの曲がかかっていた…とか。そんな思い出の音楽とイエの光景、あなたも思い出してみるといくつかあるのではないでしょうか?エピソードも一緒にぜひ教えて下さいね。
「寝床で歌ったマルセリーノのメロディ」
小学校に上がった頃だったと思います。いつもは早く眠る習慣なのに、TVで何かいい映画がある時だけ父が見せてくれていたんですね。それで私が物心ついて初めて記憶にとどめた映画が『汚れなき悪戯(いたずら)』でした。そう、10年くらい前にも『マルセリーノ・パーネ・ヴィーノ』の原題でリメイクされたあの名画です。
修道院の前に捨てられた赤子が修道士たちに育てられて、やんちゃざかりになった少年マルセリーノはこっそり屋根裏部屋のキリストの磔刑像にパンと葡萄酒をあげながら会話し、やがて神の子として天に召されるという不思議な奇跡を描いた物語です。幼い私は観ながらすっかりマルセリーノになっていて、全部マルセリーノの視界で覚えているほど入り込んでしまいました。そして映画の中で何度も流れた「マルセーリーノ、マルセーリーノ♪」のメロディ。その夜から、自分は幸せなマルセリーノ、と何とも言えない幸福感に包まれながら、毎晩寝床に入るとマルセリーノのメロディを口ずさんでいたのを覚えています。真っ暗な部屋の天井に色々なシーンを浮かべながら。
それからすぐに新しい家、今の実家に移ったので、昔に暮らした古びた家は今もマルセリーノのメロディとともに思い出されます。
後日譚としては、この鮮烈な体験を年長の友達に話したところ、何と私が観た日のTV放映の『汚れなき悪戯』を当時は珍しかったビデオで録画して持っていて、あの吹き替えは格別によかったんだと言ってダビングしてくれました。今でもそれはマルセリーノの思い出とともに大切な宝物です。
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※今回の「いわし」ご投稿は3月28日(水)正午で終了とさせて頂きます。
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いわしの回答(転記)
小さな頃は夜になっても良く眠れず、そんな時に母が子守唄を歌ってくれたものです。ねんねんころりよ・・という歌詞のころりよというのはどんなう意味かと聞いて、母を困らせたりしたのも覚えています。
私の母は、いつも「眠れよい子よ」ではじまるモーツァルトの子守歌を歌ってくれました。
他にも色んな子守歌を歌ってくれた記憶があるのですが、モーツァルトの子守歌には「おもちゃいろいろ 甘いお菓子も」(作詞:堀内敬三)という歌詞があり、そこを私がとても気に入っていたらしいんです。
ここを歌ってもらうと、もう私はおいしいお菓子が出てくる夢の中。とても寝付きがいいということで、いつもこの歌になったようです。今でもこの歌を聞くと、ちょっとよだれが出てきます(笑)
けっこう小さい頃からNHKをみていました。
そんな中で、みたい番組が終わったあとで放送される「名曲アルバム」を家族で続けて見ていました。それを目的にして見てたわけではなかったんですが・・。
小さい頃ってクラシックってあまり好きではなかったのですが、音楽の時間に聞かされた音楽が聴けたのと、音楽にかかわりのある風景を映像で映すことによって、うわ、こんな川だったんだ?とか、これをみて作曲したんだなぁ・・って少しずつ興味が湧いてきました。
スメタナの交響詩「わが祖国」の中の「モルダウ」がすんごく好きでしたね。いろんな国をまわってきたけど、やっぱり自分の国を忘れられないのだなぁ。こういう心って大切だなぁ・・と子供心に思ったものです。
久々にこの間名曲アルバムを見ました。今もやっているんですねw
選挙で政見放送をやる時とか、時間埋めに、名曲アルバムを続けて何本も一挙放映なんていうことがあって、それがけっこう楽しみでした。
それにしても、どんなに長い楽曲でも、全て5分で納めてしまうのには、驚きの他ありません。クラシックって長いですよね。全部聞いたらCD丸々一枚分なんていう曲も珍しくありません。そのエッセンスを、原曲を損なうことなく5分という短時間にまとめ上げる。これは大変な作業だと思います。それこそ作曲家の心になりきるくらいに音楽に入り込まないと、できないことではないかと思います。いったい今までに何曲が放送されたんでしょうか。
ちなみに、こちらのページのフォーム
https://www.nhk.or.jp/meikyoku/form.html
からリクエストも出来るそうです。必ず採用されるとは限りませんが、視聴者の声は放送計画の参考にしていくとのことです。こちらのFAQをお読みの上で、お便りを送ってみてください(^-^)
どうしてこんなに小さい頃の事おぼえてるのだろうと思うけど、幼稚園の卒園式か入園式で母が早春賦を歌ってくれた曲を今も覚えています。
いつもは、「ぞうさん」や「おかあさん、なあに?」「これくらいのおべんと箱に」を一緒に歌ってもらったりしていたのに、この日、黒っぽいスーツに、胸に紫のコサージュをつけて、よそ行きのお化粧と靴で、いつも聞いたことの無い高音域の綺麗な声を聞かせてもらったのがとっても素敵だったので今でも鮮やかに目に焼きついています。
たしか、保護者が一列に並んで、歌を歌ってくれると言うようなものでした。
早春賦の歌詞も、その頃の私には難解で、だけど言葉周りが素敵で大人っぽくて上品で、歌詞の中の日本の昔の言葉と風景の描写が自分の手の届かないところにあるように思えたものでした。
(著作権が切れているので転載)
早春賦
一、
春は名のみの 風の寒さや。
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず。
時にあらずと 声も立てず。
二、
氷解(と)け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ。
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空 。
今日もきのうも 雪の空 。
三、
春と聞かねば 知らでありしを。
聞けば急(せ)かるる 胸の思(おも)いを
いかにせよとの この頃か。
いかにせよとの この頃か。
私の実家のごみ収集車は
音楽を鳴らしながら、収集に来てくれていました。
朝っぱらから「ゆうや?けこやけ?の♪」と、ちょっとミスマッチな選曲なんですけどね。
近くまで来ると、来た事が分かるので、
慌てて、ゴミだしに出たものでした。
また、それは目覚ましで起きれなかった時の
最終の目覚ましとしても活躍していました。
でも、現在は音楽が鳴っていません。
いろいろ理由があると思うのですが、
住宅が増えて、ゴミも増え、滞在時間が長くなって、
ゴミだし場付近の住民には騒音に変わってしまったのでしょうね。
でも、あれ便利だったんですよね。
音楽がないとゴミだし場へ行ったのに収集された後ってことがよくあるんですよね。。
実家にいつも寄ってくれる移動魚屋さんも、いつも大音量で演歌を流してました。一発で魚屋さんだと分かります。
なんか、トラックの運ちゃんみたいで格好良かったです。
ねじり鉢巻きもしてたし。
今は来なくなったみたいです。
田舎ってますます過疎化、高齢化してますね。
もっともっと交通の便が良くなって、通信のインフラが整えば田舎に人が戻っていくのかな?<話が関係ない方へそれましたが許してくださいm(__)m
父の親しかった友人が、突然交通事故で亡くなりました。連絡を受けた父は慌てて帰宅して、また慌ただしく出かけていきましたが、出がけに私に、すまんがCDを一枚探してきてくれとメモを託して行きました。そこには、白鳥英美子、Amazing Grace、と書かれていました。
なかなか見つからず、数軒のCD屋を訪ね歩いて、やっと見つけて買ってきました。帰ってきた父に渡すと、父は無言で受け取って封を剥がし、プレーヤーにセットしました。そして、Amazing Graceだけを何回も何回も繰り返し聞いていました。泣いてはいませんでしたが、目が真っ赤でした。そして、死んだ彼はこの曲が好きだったんだ、このCDをお棺の中に入れてやる。出棺の時にも流してやりたいからダビングしてくれ、と頼まれました。
深夜、父が寝てから、2本ダビングを録りました。そのうちの一本をCDと並べてテーブルの上に置いて、私も寝ました。たしか翌日がお通夜、翌々日が告別式だったと思います。父は親友の葬儀なので、ずっと手伝いに行っていたようです。全てが終わって帰ってきた父に、もう一本ダビングした物を渡しました。父はもう一度Amazing Graceを聞きながら、おかげでいい見送りができたよ、ありがとうと言っていました。
暗い話ですみませんでした。
音楽っていうのは、個人にとってはかけがえのない思い出になることがありますよね。
ある音楽を聴くと、青春時代の甘酸っぱい感覚がよみがえるとか。
それは唯一無二の価値のあるものですし、こういう物を持っていると言うことは大変すばらしいことだと思います。
お父さんの思い出も、最初は悲しいものでしょうけど、時間とともにすばらしい思い出の曲に変わっていくことでしょう。
ご友人もきっと、笑顔で旅立たれたことでしょう。
暗い話なんて事はありませんよ。すばらしいお話だと思います。
やはり親の世代を代表するミュージシャンというと、吉田拓郎ではないでしょうか。父母がよく聞いていました。中でもライブ盤がとてもお気に入りだったようで、当時はまだうちにもアナログが聞けるプレーヤーがあったので、大きなLPを乗せてはよく聞いていました。
その中で、レイ・チャールズのWhat I sayを拓郎がやるというのがあって、その曲をやる前に、何度も何度もLPを聞いて練習したので音シャリシャリしてしまったと話すMCが入るのですが、うちのLPも聞きすぎてシャリシャリシャリシャリ言っているので、そこがとても面白かったのを思い出します。
最近また吉田拓郎を聞く機会がありましたが、あの人の音楽は変わりませんね。親子二代にわたって聞ける、すごいアーティストだと思います。
小さい頃は、父とお風呂に入っていて、必ず最後あがるまえに数字の練習をしていました。
父が「10数えてからあがろうな。」といい、
「いーち、にー、しゃーん、・・・」なんて、上手く開かない指を数字にあわせて増やしながら毎日練習していました。
本当にあがる前に風呂場の戸を開けてやっていたので、数字が部屋に聞こえてくると母親がバスタオルを持って来てお風呂から上げて、体を拭いてくれました。
いつか、自分の子供にもそうしてあげたいなー。なんて夢見ています。
今思い出しました!!これは貴重な記憶です。すっかり忘れていました。mimisasaさんのおかげで思い出しました!!
私の父は、一緒に風呂に入ると、必ず上がる時に「だるまさんがころんだ」の歌を歌ってくれたのでした。さぁ、百まで数えないと上がれないぞ、でも本当に数えてるとゆだっちゃうから今日も歌で数えることにしようかといって、二人で元気良く「だるまさんがころんだ」と歌っていたのでした。
検索してきました。これです!!
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/darumasangakorond...
MIDIでメロディが鳴りますので、アクセスにはご注意ください。
すっかり歌詞もメロディも思い出しました。なんとアニソンの大御所、山本正之さんの作詞作曲だったんですね。今回のいわしで、忘れていた「今も耳に残る…音楽のあるイエの思い出」を発掘することができました!!ありがとうございます!!
子供の頃、誕生日に買ってもらったポンキッキのLPレコードを、誤ってレコード針で傷つけてしまいました。真っ黒なLPの円盤に白い傷を入れてしまったその時も勿論悲しかったのですが、その後、曲の途中で音が飛んでしまう度に、もっともっと悲しい気持ちになっていました。特に、一番好きだった曲「いっぽんでもニンジン」が傷の影響を最も受けてしまい、「♪いっぽんでーもニンジン!ニッ!にそくでーもサンダル!」となるところが、「にそくでーもサンダッッブッ」となり…いまだに忘れられません。
すみません、爆笑してしまいました…悲しい話なのに、針が飛ぶところをコトバにするとおかしくて。レコードはよく傷が入ったものですが、針を降ろした時や曲間のプツプツいうのも今では懐かしいですね。小さな卓上プレーヤーのチープな音も、昔の大きなステレオの重厚な音も、みんな懐かしいです。
〈ハザマ〉
私が小さなころ、よく父がギターをひいて歌ってくれました。
ちゃんとイントロが付いていて、そのイントロが聞こえると、
私はいつも、子猫ちゃんの歌だーと父のそばに駆け寄っていきました。
父が歌うのは、ちょっと歌詞が違っています。
一番は普通に歌ってくれます。
でも二番になると、
♪からすーにきいてもわからない すずめーにきいてもわからない♪
のところが、いつも違う動物の名前になっているんです。
「♪みみずーにきいたら…わかるかな?」
「えー、みみず、おしゃべりしないよ」
「それじゃ、♪みみずーにきいてもわからない、えーと次は、ドジョウに聞いたらわかるかな、どんぐりころころとんぶりこ…」
「だめ、ドジョウは…出てきてこんにちわしか言わない」
「じゃ、♪ドジョウーに聞いてもわからない、困っちゃったね、次は何に聞いてみようか」
「さんまー!!」
「さんまかー、♪インドの山奥電報打ったらっきょが転がりきんだ拍子二年の春だ予習を忘れ天下一品サザンサザン」
「なにそれー」
「明石家さんまが昔こういうコマーシャルやってた」
「そのさんまじゃなーい」
毎回ネタは違いますが、こんな面白いことをいつもやってくれました。
さんまさんの「インドの山奥」はよく出てきたネタなので、
今でも犬のおまわりさんとインドの山奥が
私の頭の中ではセットになっています。
歌で子供とコミュニケーションできるお父さんというのは素晴らしいです。それにしても子供であるTinkerBellさんもいいノリをしてますね。親子でコミックバンドができそうです。
「インドの山奥電報打ったらっきょが…」も懐かしいです。歌詞を見て今全部思い出すことができました。「らっきょ」から「予習を忘れ」までがすっぽり記憶から抜け落ちていました。
こんなのをギターをひいて歌ってくれたんですね。楽しいお父様です。
我が家に初めて録音機能付ラジカセが来たとき、
兄が司会兼プロデューサーになり、「お父さんの音楽ラジオ」をつくりました。
2,3年前にカセットテープを処分する時にみつかり、思い出しました。
私の音痴な「森のくまさん」から始まり、
お父さんが何曲もアカペラで気持ちよく歌って、
(赤いハンカチが18番です。)
兄が曲の間に「いやー良かったですね。ではコマーシャルっ!」といれ、バツン!!とテープを止める音も入っています。
そして、その時家族のブームだったチーズスナックをぼりぼり食べ、「せーのっチーズスナックおいしいよ!!」と言うCMもはいっています。
兄はなかなかのプロデュースぶりでした。
最近はホームビデオとかで思い出を留めておくのが普通ですが、
私の小さい頃はまだまだ贅沢品で、写真しかないので、
これは宝物ですね。
楽しい思い出ですね!
音を聞いただけでその時の様子が、ビデオと同じくらい鮮やかに思い出されそうです!
カセットだと長い間に音質劣化しちゃいますから、
ぜひぜひデジタル化してPCにも保存しておきましょうよ。
CDにも焼いて永久保存!
私も子供のころに歌を吹き込んだカセットがあったのですが、
きっとその上にまた何かを録音して、消してしまったと思います。
うー、残念ですっ。
わたしのおばあちゃんのうちには、電電公社(当時はNTTじゃなかった)の普通の電話と有線電話というのがありました。どちらも見た目はダイヤル式の黒電話なのですが、有線電話の下にはスピーカーがついていて、たまに音楽がなってたような気がします。スピーカーの上の電話機も、ご町内の決まった家には通じるみたいでした。自分でかけたことはありませんが、かかってきたのを取ったことなら何度かあります。
もう30年近く昔のことで、そのサービス自体がとっくの大昔になくなってしまったようなので、詳細はよくわかりませんが、消防車の音がすると、おばあちゃんがスピーカーの音量を上げて情報を聞いていたのを覚えてます。ローカルな有線放送局で、電話のサービスなんかも提供してたんでしょうか。
お前いくつだ!?といわれそうなんですが、
大学の寮にあったんですよ、黒電話が。
(厳密に言うと黒じゃなくてベージュっぽい色でしたが)
完全自治寮だったので、電話番が回ってくるんですが、
その時ずっと聞いていたわけです、「ジリリーンジリリーン」というレトロな音を。
(イタ電が多かったのもあって大忙し)
ちなみに今の自宅はなぜか「オーラリー」ですが。
ジリリリリリンって、すごく大きなベルの音がするんですよね。
おばあちゃんち、ずーっとそういう電話です。
昔に電話を引いた人は、電話機を変えないと、今でもそういう電話機のままらしいです。
コードレスのいい電話機もありますが、おばあちゃんは、電話はこれでないと話をした気分にならないと言っています。
大きな受話器。大きなベルの音。昔の電話って存在感あるなーと思いました。
- アーティスト: ニューヨーク・フィルハーモニック ホルスト バーンスタイン(レナード)
- 出版社/メーカー: ソニーミュージックエンタテインメント
- 発売日: 1996/06/21
- メディア: CD
はじめて自分の小遣いで買ったクラシックのアルバムが確かこれ(バーンスタインでNYフィルだったから)。CDになってたんですね。
応接間にあった4chステレオ(笑、後ろはほとんど使わない)「東芝ICボストン」でよく聞いていました。「木星」の例のところが当時のテレビの洋画劇場のエンディングに使われていた(このアルバムじゃないと思うけど)ことも記憶しています。
ただ、親の好みじゃなかったらしく、あんまりでかい音を出していると「ボリューム下げろ」と怒られたな。
曲の好みが家族各人結構バラバラで応接間にこもってみんな自分の好きな曲をかけていたような(で、僕といえば「親父の演歌うるさいなあー」とか思ってたわけだ)。
当時はまだWalkmanなんか影も形もなかったですから、今みたいにヘッドフォンでいい音で好き勝手に聞くというスタイルはまったく想像もできなかったのです。
初めてお小遣いで買ったアルバムがクラシックとは何と高尚な趣味を持った子供なんだろう!
私が自分で初めて買ったアルバムは、ミーハーにタケカワユキヒデさんでした(笑)。しかも小学生の時で、うちにまだステレオがなかったので、カセットテープ版で。昔の、すごく重くて音もよかったラジカセが当時の私には家の中で一番貴重なものでしたね。夜中に寝床で小さな音にして毎日テープやラジオを聞いてました。各部屋にテレビ、なんていう時代ではなかったので、ラジカセだけが部屋での楽しみでした。懐かしいな。
〈ハザマ〉
やはりこれでしょう
東京(八王子)、埼玉と住んできましたが夕暮れ時になるとかかります
埼玉だとアナウンス付きですが八王子はなくて
ちょっと違和感を感じます
これを聴くと「あぁ、もうこんな時間か」と
夕食やらの準備が始まります、私の住んできた地域での定番ですね
びっくりです。
夕方5時になると音楽が流れるのってウチの田舎だけなんだと思ってました。(メロディは「う?さ?ぎ追?いし・・・」っていうやつです)
格好悪い、と思っていたのにそんな大都会でも流れてるんですね。
衝撃です。<ちょっと大袈裟かな。でも大びっくりです、本当に。
朝は6時に音楽が流れます。
万年不眠症の僕には辛かった。
(ラジオ体操の音楽。)
朝の音楽はさすがに都会にはないですよね。多分。
昔、実家ではいつもNHKがついていました。
気がつくと、よく『みんなのうた』が流れていました。
「北風小僧のかんたろう」
「山口さんちのツトム君」
は数えくれないくらい流れています。
この頃は、だいぶ人気の歌手も歌っているようですね。
「おかあさんといっしょ」と「みんなのうた」は、毎日楽しみにしていました。だから何の歌がどちらの番組だったか記憶がごちゃまぜなのですが、色々な歌が思い出に残っています。
ところで私はなぜか、「おかあさんといっしょ」や「みんなのうた」と、日曜日にやっているのど自慢が一緒になっていて、のど自慢でいっぱい鐘をもらった人は、いつか「みんなのうた」で歌わせてもらえるんだと信じ込んでいました。大人になったらのど自慢に出て優勝して、みんなのうたで毎日歌うんだー、なんて夢見る子供でした。
うちでは小さい頃、ご飯を食べるときはテレビを見てはいけないというルールがあったので(今はないですが…)7時半くらいからさっさと夕食をたいらげ、「8時だよ!全員集合」を観ていました。
一番好きだったのが、ヒゲダンス。
デンデンデンデン、デンデーンデ、デンデーンデ、デンデーデ、デデン♪
いつも弟と一緒にヒゲダンスのテーマソングが流れると
ダンスをしながら部屋中練り歩きます。
そしてフォークを戸棚から出してきて、弟にみかんを投げさせ、私がフォークでキャッチ。その後は弟がフォークを持って、私がみかんを投げる。
それを数回繰り返して遊んでいました。
やろうとして親に反対されたのが、バケツに水を入れて、くるりと回す…
あれだけはいつも「ダメー!」って怒られていました。
私はエンディングの「ドリフのビバノン音頭」が大好きでした。
加藤茶の色々なかけ声が中でもお気に入りでした。
夕食後に家族みんなで揃ってみるテレビはとても楽しかったです。
最近の家庭では、家族揃って食事をし、同じテレビや音楽を見聞きすることは
少なくなったのでしょうか?
私の家庭では、私が残業で遅くならない限りは必ず家族全員で食事をとるようにしています。
食事が終われば子供の大好きなディズニーチャンネルを一緒にみて、
テーマソングを口ずさんだりしています。
時代は変われど、家族で一つの映像・音楽を共有するって楽しいですよね。
キーンコーンカーンコーン♪
始業はブルー、終業はハッピーになれる定番の音楽ですよね。
ただ、私が通っていた高校はちょっと変わっていて、
音楽の先生が独断で選んでいたクラシック曲がかかっていました。
吹奏楽のリズム隊のクラスメイトが、休み時間の終了の時によく机を叩いていたのを思い出します。
クラシック曲で授業の合図ですか。どんな曲を使っていたのでしょう。また時々曲目は変更されたりもしたのでしょうか。
そういえば私が高校の頃は、バンドでドラムをやっていたやつが、よくお昼の放送に合わせて机を叩いていました。教室の後ろには有志持ち込みの「学級ギター」「学級ベース」「学級アンプ」が置いてあって、休み時間になるとみんなでセッションしてました(^-^)
晴れた日には、お向かいのお宅から「バシッ」「バシッ」と、中学生のお子さんとお父さんがキャッチボールをされている音が聞こえてきます。
野球部に入られたとの事で、晴れた日には頻繁に聞こえてきます。
わたしは、あの音とてもすきです。
今でもキャッチボールの音が聞こえてくるんですね。近頃では家族が遊ぶ姿は公園で見かけるくらいになってしまいました。実家に住んでいた子供の頃は、家の前の道路で近所の子たちがボール遊びやゴム飛び遊びする声が毎日聞こえていましたが(もちろん私も参加!)、最近ではほとんど聞こえなくなりました。あ、しばらく前のことですが、一人でゴムボールを蹴って遊んでいる子と父が仲良くなって、弟の高校時代のサッカーボールをあげてしまって怒られてました(笑)。
〈ハザマ〉
クラスの担任の先生は、みんなで一緒になって団結してやりとげよう!をめざしてました。
数あるクラスの中でも一番仲がよかったように思います。
休み時間も男子も女子もいっしょになって遊んでいた覚えがあります。
そんな中で、先生が歌詞を全部書いてくれて、この曲をみんなで覚えました。
クラスみんなでいっしょになって歌ったこの曲は思い入れがあります。
この歌は金八先生とかドラマとかを思い出すものかもしれませんが、この曲を聴くと、あの頃泣いたり笑ったり、いっしょに遊んだりしたクラスのみんなのこと、そして担任の先生を思い出します。
卒業のシーズンと言うと、「卒業写真」なんかもありますよね。
送り出す側、送られる側、それぞれ立場はありますが、卒業式のとききちんと歌えるようにと、学校だけでなく家でも一生懸命練習した記憶があります。
「誰が言ったか知らないが、言われてみれば確かに聞こえる」。私の家はずっと前から、空耳アワーの大ファンです。空耳で紹介された曲を時々弟がレンタル屋で探してくるので、それを流しては、聞こえる聞こえると大笑いするのがわが家の恒例になっています。
そんな空耳好きの弟が、ある時ひどく落ち込みました。何を落ち込んでいるのか、いくら聞いても話してくれません。丸一日部屋に閉じこもって出てこなかったので、部屋の前でクイーンの「誘惑のロックン・ロール」を流すと、ガチャンと扉が開いて、弟が笑いながら「すみません」と出てきました。「DON'T WORRY BABY I'M SAFE AND SOUND」が「丼ぶり食えば?すみません」に聞こえる空耳です。
お腹空いた?と聞くと、うん、というので、ダイニングに誘って、レトルトのどんぶりの素を温めてご飯にかけて出してあげました。弟は「丼ぶり食えば?すみません」と笑いながら食べていました。
何に落ち込んでいたのかいまだに不明ですが、翌日からまた普通の弟に戻りました。
「DON'T WORRY BABY I'M SAFE AND SOUND」が「丼ぶり食えば?すみません」に聞こえる空耳です。←わはははww ^-^
弟もすっごくかわいい。MINTさんもやさしいお姉さんだなぁ。超かわいいエピソードです!
雑誌に載りそうな感じ!
弟さんもとっても元気付けられたんでしょうね。^-^
同じ詩に山田耕筰と中山晋平の二人が曲を付けていますが、父が歌っていたのは中山晋平の曲の方でした。
まだ私が小さかった頃。たしか、夏の夕方だったと思います。父が窓から夕日を見つめて、「海は荒海 向こうは佐渡よ」と歌っていました。
ふと父の顔を見ると、ひとすじ涙が流れていました。私は『お父さんがどこかに行ってしまう』と思って、どこにも行っちゃ嫌だと泣きべそをかきながらしがみついてしまいました。
すると父は驚いたように、どうしたんだよと微笑みながら、どこにも行かないよ、と言ってくれました。
だって泣いてたから、と言うと、ああ、この歌を歌うと、お父さんの子供のころの家を思い出すんだよ、驚かせて悪かったなと言って、頭の上にぽんと手の平を置いてくれました。
二人で並んで夕日を眺めました。父がまた「砂山」を歌い始めました。さっき涙の光っていた横顔は、とても力強い顔に変わっていたように思えました。
最初、父は少年の心に帰っていたのでしょう。それを私が隣に来たことで、父親の心に引き戻してしまったのかもしれません。
ちょっと邪魔しちゃったかなとも思いましたが、父の歌声が夕闇に溶けていくような感じがとても心地よく、そして、かけがえのないひとときに思えました。
二人で真っ暗に日が暮れるまで、そうしていました。まだ本当に小さな頃の記憶ですが、その時のことは今でも鮮明に憶えています。
この曲の詞を書かれた北原白秋は1942年に没しておられ、既に著作権の存続期間が過ぎていますので、以下に歌詞を掲載させていただきます。
砂山
作詞:北原白秋
海は荒海 向こうは佐渡よ
すずめ鳴け鳴け もう日は暮れた
みんな呼べ呼べ お星様出たぞ
暮れりゃ砂山 潮鳴りばかり
すずめ散り散り また風荒れる
みんな散り散り もう誰も見えぬ
帰ろ帰ろよ ぐみ原分けて
すずめさよなら さよならあした
海よさよなら さよならあした
親子で夕暮れを見つめながら窓辺に寄り添う姿が浮かんでくるようなエピソードです。男はいくつになっても少年の心を持っています。お父様はその時、まさに少年の心だったのですね。見慣れたお父様と全く違う姿は、まだ幼かったTomCatさんを、さぞ驚かせたことでしょう。
でも、そんなお父様の育ってきた時間の一端を共有するひとときで、一層親子の愛が深まったのではないかと思います。
誰にでも少年の心に帰れる歌がある。そんな言葉を聞いたことがあります。私にとってのその歌は何だろうと、ふと考えされられてしまいました。
「録音するからしゃべんないでね!」と言い、再生ボタンと録音ボタンを同時押し。
息を殺してテレビに見入っていると「そろそろお風呂入りなさいよ」と言いながら台所から母が登場!
「静かにしろって言っただろ?」と更に大きな声を出す私。
「ああ、ごめん。録音してたのね」と涼しい顔の母、って当然それも録音される。
こんなやり取りをしてたのはウチだけじゃないはずだ!
うちのオヤジがクラシック音楽を聴きながら、まるで自分が指揮をしているような振りをしていました。
こんなことをしているのはうちのオヤジだけかと思っていたら、ゲームでクラシックを聞きながら指揮をするという設定のものが発売されていました。
まさか、みなさんの家でも?
いや…お父さんがやっているかと言われると?ですが(笑)。クラシック好きの人なら大抵は指揮の振り真似で悦に入る…ってしてるような気がします。子供がクラシック風の曲を聞くとよくやりますよね。うちの弟もやってました(笑)。でも、お父様が頭を振りながら両手を華麗に動かしている光景…やっぱり笑っちゃいますね、可愛いって言ったら怒られるでしょうか?
〈ハザマ〉
父は三味線、母は太鼓と篠笛を始めました。
父のたどたどしい三味線も上達してきたし母の太鼓も様になってきましたが
母の篠笛から家の犬が逃げていきます。
両親の子供である私が言うのもおかしな話なのですが彼らのバイタリティはどこから来ているんだろうか?
三味線も太鼓も篠笛も、むずかしそうー。
すごいですね。還暦を迎えてからの新しいことへの挑戦なんて。
犬は人間に聞こえないような高い音まで聞こえるから、
きっとそれで嫌がっちゃうんだと思います。
ご夫婦で邦楽のアンサンブルが楽しめますね。
お二人で共通の趣味を持って。素晴らしいです。
題名と作者は忘れましたが、昔読んだ小説かエッセイで、ある家族が全員何らかの楽器が演奏できて、休日になると家族でコンサートをするという話しがありました。
まるでミュージカル映画の家のような、セレブな家族がこの世にはいるのだなあと、感動しました。
生まれも育ちも田舎なので、夕方は鳩、夜はカエルとミミズの鳴き声があたりまえのように聞こえていました。
当時は「鳴いている」とさえいちいち思わないほど、あたりまえにある「日常の音のひとつ」でした。
社会人になり、都会でしばらく生活するようになると、そんな「日常の音」が、いつのまにか車の走行音やクラクション、喧騒なんかに変わりました。
結婚を機に また田舎に住むようになって、子供の頃から聞き馴染んできた、夕方に鳴く鳩の「ホー ホー ホッホー」や、夜に鳴くカエルの「グワァ グワァ」ミミズの「ジーッ ジーッ」が、自然に囲まれてる感いっぱいで、今では大好きです。
海も近いので、風に乗って小さく聞こえる船の汽笛の「ボーッ」って音も好きです。
ずっとここに住んでる人は、鳩やカエルの鳴き声は「うるさいだけ」「どこがいいの」と言いますが、離れてはじめて分かった田舎の良さというか、ほんとうに心が落ち着く音楽です。
安藤美姫選手、優勝おめでとう、そして浅田真央さん、SP5位からよく挽回しての銀メダル、おめでとう。
ものすごく感動しました。
昔からフィギュアスケートの試合をテレビで見るのが好きで、その季節になると(主に母と一緒に)テレビにかじりついて、見ていました。
で、その時はテレビの音量をいつもより大きめにするんです。
テレビからは聴いたことのないクラシックの曲が使われています。
でも、
「あ、これどっかで聴いたよね」
思い出してみるとスケートの曲っていうことがあります。音楽とスケートってきってもきれない関係があると同時に、いろんな音楽を紹介するスポーツでもあるのだなぁと思ってしまいました。
先ほどロシアのチームがシンクロの試合で使っていた曲が、安藤さんのSPの曲と一緒でなんとなく親近感が湧いてしまいました。