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茅(カヤ)とは、チガヤやススキなど総称です。東京の一部地域には十五夜の夕食に茅の箸を添える習慣があったそうです。調べてみると埼玉の方にも同様の習慣が見つかりますし、神奈川の方では十五夜にお赤飯を炊いて茅の箸で食べる地域もあるそうです。さらに調べていくと、山梨の方では子供達がカヤの箸を持って家々を回りご飯を一口ずつ食べていく、なんていう楽しい風習もあるようです。
なぜ茅の箸なのかについては、おそらく昔の暮らし方を知る必要があるでしょう。今はしつこい雑草として嫌われる茅も、昔は田畑の作物同様に大切にされてきた資源でした。茅葺き屋根の材料などとして使われてきたのはもちろん、炭焼きをする山村では炭俵を編む材料としても使われてきました。人々は良い茅を確保するために茅場を確保し、そこで半栽培的に大切に育ててきたのです。
日本のお月見の習慣は平安貴族の観月の宴から始まっていますが、それとは別に、庶民の社会にも、農耕儀礼として月を拝する習慣がありました。風流を楽しむお月見が庶民化したのは江戸時代になってからですが、それ以前からお月様にお供え物をして豊穣を祈る・感謝するという習慣は、日本各地にあったのですね。その農耕儀礼としてのお月見には、食にまつわる恵みと共に、茅も大切な供え物だったことが想像されます。
さらに茅まつわる神秘的な力の伝承がここに加わります。茅の輪くぐりは、罪や穢れ、災厄などを茅が払ってくれるという考えで行われるものですし、沖縄にも茅で魔除けを作る習慣があります。この沖縄の茅の魔除けは屋敷を守ってくれるだけでなく、小さく作った物を食べ物と一緒にしておくと、食べ物に悪い物が移らないので腐りにくくなるとも言われるそうです。何だか楽しい言い伝えですね。
とにかくそういう昔ながらの農耕儀礼と、無病息災を願う気持ちが、茅の箸という習慣を生んだのではないかと想像できます。ならばこれをやってみない手はありません。草の茎がまともな箸になるのか。河原にお弁当を持っていき、実験してみました。
ススキの穂を下の方から刈り取り、皮をむいて棒状の部分を取り出し、割り箸程度の長さに切りました。2本作ると、なかなか立派な箸になるではありませんか。一応念のため、持参した水筒の水を掛けて洗い、お弁当箱のご飯を食べてみました。握った感じは細くて心許ないですが、強度はしっかりしていて、十分お箸として使えることが分かりました。
お弁当を食べ終えると、何となく無病息災の自然のパワーをもらった気になるから不思議です。そよ風にそよぐススキの穂も爽やかでした。これをやったのは数年前ですが、今でもススキの季節になると、ススキの原で楽しむススキの箸のお弁当をやってみたくてウズウズします。
もちろん十五夜には赤飯を炊き、ススキの箸で家族一同無病息災と豊穣を祈る夕食としてみました。こんな特別なことを家族で共有する一体感だけでも、幸せになれる感じがします。最近は毎年、母が月見団子と共に、赤飯を炊いてくれます。私は飾るススキと、箸にする茎を採取する係。もちろん今年も。最近わが家に加わった、古くて新しい十五夜の習慣です。