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私は子供のころからロック好きで、子供には似つかわしくないような洋楽ばかりを聴いていました。そんなませた子供でしたから、子供の歌なんてつまらないと見向きもしませんでした。父もロック好きでしたからきっと同じだと思い、テレビから流れてきた童謡を聴きながら「こんな歌つまらないよね」と言うと、「お父さんはこういう歌も大好きだな」と意外な反応が返ってきました。その時流れていたのは「赤い鳥小鳥」。作詞は北原白秋です。
父は話してくれました。
明治生まれの児童文学者に鈴木三重吉という人がいた。この人は自分に子供が出来たのを切っ掛けに、堅苦しい文部省唱歌ばかりだった子供の歌の世界を変えたいと思った。当時の文部省唱歌の歌詞は、ほとんどが難しい文語調。しかも歌よりも道徳を教える教材のような内容のものが中心だった。三重吉という人は、子供にも分かりやすい話し言葉の歌、内容も、美しい物を美しいと感じたり、楽しいことを楽しいと感じたりする心に響く歌をたくさん作りたいと思ったんだ。そこで大正時代に「赤い鳥」という雑誌を作った。そこに参加した一人が北原白秋。ほかにも今歌われている童謡の多くが、ここから生まれていったんだよと。
そういういきさつを知ると、急に童謡が興味深い対象に変わりました。それからは、色々な歌の作られたいきさつを調べ始めました。
たとえば昔の東京府南多摩郡恩方村、今の東京都八王子市の一角の情景を歌ったと言われる「夕焼小焼」は、都内の小学校の先生だった中村雨紅という人が作詞をして大正8年に発表。それに別の小学校の音楽の先生だった草川信という人が大正12年に曲をつけて発表したものでした。しかし同年9月1日に発生した関東大震災で、出版直後の楽譜がほとんど消失してしまったのだそうです。でも奇跡的に残った10数部の楽譜からこの歌が広まっていったことが分かりました。
今ならテレビやラジオ、CDやネットなどで歌は瞬く間に広がっていきますが、まだ楽譜と口伝えしか方法がなかった時代ですから、もし楽譜が全て失われてしまっていたら、今この歌は埋もれたままになっていたかもしれません。
ほかにも色々な歌を調べてみると、それぞれの歌に、とても興味深い歴史のあることが分かりました。しかも、そういうふうに歌に触れて好きになると、その歌の良さがダイレクトに心に響いてきます。そうか、こういう歌は人気歌手が知名度で流行らせていく歌とは違うから、本当に人の心に触れるような歌でなければ今に残ったりしていないんだ、歌い継がれてきた歌を知ることはとても価値があることなんだ、とも思うようになりました。
これが小学生のころの話です。それから私は、どんな音楽でも聴かず嫌いをしないで聴くようになりました。それが子供だった私の世界をどんなに広げてくれたことでしょう。
今ならネットがありますから、調べ物は本当に簡単です。色々な歌を歌ったり聴いたりしながら、その題名をキーワードにして検索、親子で一緒にそれを読んで、その曲の作られたいきさつや、作詞作曲者のエピソードなどに触れてみてください。これは、子供の歌なんてつまらないと言いだし始める、ちょっと成長したお子さんにこそ有効です。
もう学校の夏休みは終わりですが、来年あたり、歌が作られた年代順に年表にまとめてみたりする自由研究もいかがでしょうか。とても楽しく興味深い学びになると思います。こうして歌を取り巻く世界を知ると、本当に世界が一回りも二回りも広がります。ピアノなどの習い事とはまたちょっと違った子供と音楽との触れ合いの機会として、「歌の歴史を調べてみるという自由研究」もぜひ取り入れてみてください。