「置き手紙コミュニケーション」by id:Fuel


わが家は何かというと置き手紙をします。毎日朝食も夕食も必ず一緒に食べますし、それ以外も家族で過ごす時間は長いのですが、文字でやり取りした方が考える時間が取れていい。そういうこともあるというのがわが家流なんです。


たとえば、こんなのがありました。「○○のおじさんが還暦を迎えるので何か贈り物をしたい。親戚一同で贈るから予算は少し張っても構わない。コルクボードに紙を貼っておくので、いいアイデアがあったらそこに書いてくれ」。


うーーーん、これは難問です。コルクボードの紙には質疑応答が続きました。「おじさんの趣味は?」「旅行かな」「まだ仕事続けてる?」「もちろん」「年賀状に何か今年の抱負とか書いてなかった?」「探してみる」等々。この程度の会話を口で交わせばあっという間ですが、文字を使って時間差で書き込むわけですから、短い言葉の中にも各自の熟考の積み重ねがあります。


こうしたやり取りの結果、いつか自分の旅行記自費出版本にまとめたいと言っていたおじさんにはグレードの高いカメラだろうということで、デジタル一眼を候補にしてみることに決めました。さっそく他の親戚と相談したら、いい目の付け所だと大賛成をいただき、実際に贈ってとても喜んでいただけました。わが家の文字コミュニケーションの成果です。


最近のわが家は自治会の仕事も色々引き受けていますので、そういう関係の相談も置き手紙式で行います。たとえば「○○の集いのキャッチフレーズが欲しい。家族で参加したくなるようなうまい言葉を募集中」といった感じです。父の置き手紙には、文鎮のつもりなのでしょう、いつも必ず醤油差しが乗っかっているのがお約束です。


母はもっと気軽に置き手紙を使います。「来週の献立の予定考えるから食べたい物があったら書いて」などがその代表例ですが、そのほか、直接口で言うと角が立ちそうなことに置き手紙を使うのもわが家の習慣です。


たとえばこんなのがありました。「誰かさんへ。生えてる毛と同じくらい抜けた毛のことも気にしてよね ―お風呂場掃除をして一言」。シャンプーの後はタイルに貼り付いた髪の毛くらい片付けてから上がってよねということですが、父は再三言われていたのに、いつも忘れていたのです。これを読んだ父は頭に手を当てて、おい、俺って薄くなってるかと大慌てしていました。それを見た母はキッチンでお腹を抱えて大笑い。直接言われたらムカッとくることも、ワンクッション置くと和やかなコミュニケーションに変わります。


私は先日、「そろそろ車検だし買い換えないか。希望の車などあったら書いてくれ」と書いて置いてみましたが、母に赤ペンで「却下」と書かれてしまいましたw。


そうそう。ある朝母が、父に小さく畳んだ紙片を手渡していたことがありました。何かなと思ったら、その日は何と二人の結婚記念日。きっと「早く帰ってきてね」とか書いてあったのでしょう。その晩幸せそうにワイングラスを傾けていた二人を見て、ああいう手紙のやり取りが今のわが家の置き手紙コミュニケーションの源流になっているのかなと想像しました。まだ電子メールがなかったころの若い二人の習慣が今に続いているとしたら。ちょっといいお話しですね。


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