「両親それぞれのまな板の音が聞こえる朝」by id:TomCat


最初に聞こえてくるまな板の音は、母が味噌汁を作っている音・・・・ではありません。窓の外で、父が鳥に食べさせる青菜を刻んでいる音なのです。まずはチャボ。早くくれと急かしているようなコッコッコッという声や、バタバタという羽音も聞こえます。それに合わせてトントントンと軽快なまな板の音。


「さあできた。ほらほら、今あげるから。おっと、お前はいつも意地悪だなあ。そんなに羽根を広げたら他の子が食べられないだろう」
父が楽しそうに鳥たちに声を掛けています。


「さあ、次はお前らだ」
今度は、ぼーぼーぼーと鳩の声が聞こえてきます。鳩にもビタミン補給の青菜が欠かせません。鳩には刻まず、そのまま大きな葉っぱをついばませます。


一時期、これに加えてもう一回、まな板の音が聞こえた時がありました。どこからか烏骨鶏が迷い込んできたことがあったのです。チャボも烏骨鶏も鶏の仲間ですが、小さなチャボと大きな烏骨鶏では体格が違いすぎますので、一緒の小屋で飼うわけにはいきません。そこで急ごしらえで烏骨鶏小屋を作っていたのでした。


「お前はどこから来たのかなあ。お前のご主人、きっと探しているはずなんだがなあ。この近所に烏骨鶏を飼ってるイエなんてないんだよなあ」
父は毎朝、そんなことをこの迷子烏骨鶏に話しかけていました。


そうした窓の外の音が終わってから、台所で朝食を作る音が聞こえはじめます。鳥達は早起きですから、父のまな板の音は、母の朝食準備の音よりずっと早い時間帯なのでした。子供の私はそれからのそのそと起き出していきます。


わが家はリビングと言うより茶の間。畳の部屋の生活でした。もう洋室のリビングが当たり前の時代でしたが、父が和室を好んだのです。そんな父のいるイエでしたから、朝の挨拶もなかなか古風。私は寝ぼけ眼で畳に座り、両手をついて「おはよーございます」。父も読んでいた新聞を置いて正座をして、「はい、おはようございます」と応じてくれました。「さぁ、顔洗っておいで」、「はーい」。あとはごく普通の砕けた日常ですが、朝一番の挨拶だけは威儀を正すのもわが家の習慣だったのです。


わが家は正月にも家族一同正座して並び、両手をついて新年の挨拶を交わした後、新春を言祝ぐ和歌を唱和するという、時代劇でも見ないような古風なことをやっていましたが、とにかく年の始めや一日の始まりだけは大切にするのが習慣だったんですね。よそのイエではそんなことしないと知ってからはちょっと気恥ずかしくもありましたが、それだからこそかっこよくて、好きだなあと思う習慣でした。


顔を洗っている間も聞こえてくる朝食準備の音。またトントントンとまな板の音が聞こえてきます。あれは漬け物を刻んでいる音でしょう。子供は漬け物なんて好きではありませんが、唯一カブや大根の葉を塩漬けにした物は好きでした。毎朝の鳥達の青菜とお揃いみたいだったからです。あ、目玉焼きの匂いがしてきました。
「おかーさん、お腹空いた!!」
私は食卓目がけて駆け込みます。


誰の心にもきっと幸せな記憶を呼び起こす、まな板の音。私の場合は、それが父と母の両方の記憶につながります。両親二人のまな板の音が聞こえる朝の習慣は、きっとわが家のオリジナル。今は私一人がその音を奏でますが、幸せな思い出があるから寂しくはありません。


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