「父が自費出版に取り組む」by id:momokuri3


実はまだ出版に漕ぎ着けるまでにはだいぶ時間がかかりそうなのですが、昭和のアマチュアロックシーンを自分の体験から綴っていくという本を、父が書き始めているのです。今年の初めごろから資料を集めたり、昔の仲間を訪ね歩いたりしていたようですが、今年の後半から、いよいよ本格的な執筆に入っています。


仕上がった原稿を少し読ませてもらいましたが、それはひとつのアマチュアバンドの結成から解散までの軌跡をたどりながら、そこにプロアマを問わず様々なミュージシャンが繰り広げる当時のミュージックシーンが描かれていくというもの。「これ、お父さんがいたバンド?」と聞くと、「いや、俺のバンドの話は最後に書く」とのこと。よそのバンドのストーリーがこれほど面白いのですから、完成したらどんなに面白い物になるか見当も付かないくらいの傑作です。


資料として当時のライブハウスで配られていたチラシや、アングラ系のミニコミ誌などもそのまま盛り込みたいとのことで、それらの著作権を持つ人を探しているようですが、この作業は難航しているようです。一昔前なら勝手にコピーして載せてしまうところですが、最近は色々とうるさいので、きちんと権利関係をクリアーしないと、本になっても表に出せません。
「いざとなったら俺の本も地下出版かな」
なんて言っていますが、それはもったいない。まぁ、実名は出さなくても、登場するのが全て実在の人物ですから、それだけでも大っぴらには出しにくい内容ではあるのですが…。


この夏、取材と称して父と一緒に、その本の舞台となっていく場所をいくつか歩いてみました。たとえば下北沢。今でも下北はロックのマチとして有名ですが、そこには数十年にわたるロックの歴史があるようです。さらに中央線に乗って、高円寺、吉祥寺、国分寺。かつての東京のロックスポットにはみな「寺」が付いていたようです。そして福生。ご存じ、村上龍のデビュー作「限りなく透明に近いブルー」の舞台になったマチ。もちろんこれらのマチは今もロックスポットとして健在ですから全て私も知っていますが、父の描こうとしている時代のことはほとんど知りません。


父の原稿に登場するライブハウスや、当時音楽好きのたまり場となっていた喫茶店などは、そのほとんどが今は「跡地」になっています。この駆け足取材ツアーはそうした「跡地」の写真を撮ることが目的でしたが、話を聞きながら歩いてみると、マチも文化もほんの数十年でこんなに大きく変貌してしまうのかと、ちょっと驚いてしまいました。


メディアが発達している今と違って、昔のアマチュアロックシーンは、知らない人にとっては全くの別世界の存在でした。昔もすばらしいミュージシャンがたくさんいたはずですが、そのほとんどは時代の陰に埋もれ、今はマスメディアで語られることもありません。でも、今伝えられている日本のロックの土台には、そういう無名の人たちが醸してきた土壌があるはずです。それを何かの形で記録にとどめておきたいという父のプロジェクト。これは後年、きっと価値ある記録となるはずです。


以上は、本の形にまとまって発行される年の暮れにこそ「わが家のトップ・ニュース」として書く内容でしょうが、もうフライングで、これを今年の最も特筆すべき出来事としてご紹介してしまいたいと思います。なぜって、執筆は急がず、練りに練って最高の本に仕上げてもらいたいから。そういう本は、筆を取り始めた今年こそが記念すべき年と言えることでしょう。


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